第十一話 屈強なるオネエ様御一行
所沢を目指す一行の旅は、想像していたものとは、全く異なる次元で進んでいった。
何がすごいかと言えば、まずその歩くスピードだ。
ローズ、リリィ、バイオレットのオネエ様三人が、それぞれ前と左右を固め、龍也がその中心に、そして最後尾をじんたが務める。
その陣形で、一行はほぼ一直線にまるでラッセル車のように、森の中を突き進んでいく。
しかも、そのスピードは一切落ちることがない。
時折、木々の間から魔物が襲いかかってくるが、三人は立ち止まることすらしない。
歩きながら、まるで邪魔な虫でも払うかのように、難なく敵を屠っていくのだ。
その後ろを、じんたがお金を拾い集めながらついていく。
時には、オネエ様たちの一撃で弱った敵から、アイテムを鮮やかに盗み出すなど、シーフとしての役割をきっちりと果たしていた。
その俊敏な動きは、もはや完全に手慣れたものだった。
「もう、この人たちと組めば、魔王も倒せるんじゃないか……?」
龍也の脳裏に、そんな考えがよぎる。しかし、その考えはすぐに打ち消された。
戦闘で服が少しでも汚れようものなら、三人はすぐに立ち止まり、手鏡を取り出して化粧を直し始める。お気に入りのアクセサリーを傷つけられた時には、それこそ鬼の形相で魔物に襲いかかり、原型を留めないほど完膚なきまでに叩きのめすのだ。その光景を目の当たりにした龍也は、
(この人たちと、ずっと一緒にいるのは無理だ)と、心底、肝に銘じた。
それでも、新宿からあの川辺の門までの道のりを、わずか一日半で到達してしまったのには、圧巻の一言だった。
途中、龍也がかつて大蛇に遭遇した、あの滝で休憩を取った時のこと。
「汗をかいちゃったわ」と、三人はおもむろに服を脱ぎ捨て、滝壺で髪を洗い始めた。
シャンプーの甘い香りが森に広がる。すると、案の定、水面から例の巨大な蛇が姿を現した。
龍也とじんたが息を飲むのを尻目に、オネエ様たちは全く動じなかった。
「あらヤダ!アタシたちの裸を見ようなんて、一万年早いんじゃないの!」
ローズが叫ぶと同時に、バイオレットが蛇の尻尾を掴み、リリィがその頭を岩に何度も叩きつけた。
かつて龍也を恐怖のどん底に突き落とした、あの川のヌシは、あっけなく絶命した。
後には、三百円というなかなかの金額と、なぜか野球帽が残されていた。
その帽子を拾い上げ、じんたの頭に被せてやった。
秋田訛りのシーフは、ますます見るからに怪しい人物となった。
その夜の野営。じんたは、
「オネエ様たちと一緒にいたら、何されるか分かんねえ」
と、近くの木の枝によじ登って休むことにした。
龍也は木に登れないので、いつも通り穴を掘って眠る。
一方のオネエ様たちは、汚れるのが嫌だと言って、穴など掘らずにゴザを引いて横になると、交代で見張りをしてくれた。
夜中、時折「うおりゃ〜!」という勇ましい声と、何かが破壊される音が聞こえたが、龍也は気づかないふりをした。
夜が明け、明るくなった頃。龍也が穴から這い出すと、野営地の周りには、おびただしい数の魔物の死骸の痕と、小銭がそこら中に転がっていた。
「この人たち、やっぱりすごい……」
ふと、オネエ様たちの寝顔を見ると、そこには化粧が落ち、無精髭を生やした、ただの屈強なおっさん三人が寝ていたが、龍也はそれもそっと見なかったことにした。
鳥たちがさえずり始めると共に、三人はむくりと起き上がった。
そして、一目散に滝へと向かい、しばらくして帰ってきた時には、すっかりいつもの完璧な『オネエ様』に戻っていた。そのプロ意識の高さには、もはや感服するしかなかった。
一行は川を渡り、ついに、始まりの街『所沢』へと到着した。
懐かしい所沢の門をくぐり、一行はまっすぐ休憩所へと向かった。
長旅の疲れを癒すため、まずは大浴場の熱い湯に浸かる。
新宿の喧騒とは違う、静かで、どこか気の抜けたような空気が、龍也の心を和ませた。
風呂から上がると、食堂でささやかながら解散式を開いた。
「ローズさん、リリィさん、バイオレットさん。本当に、ありがとうございました。皆さんのおかげで、無事にここまで来ることができました」
龍也が深々と頭を下げると、ローズは「まあ、当然のことをしたまでよ」と、たくましい腕を組んでそっぽを向いた。その横顔が、少しだけ寂しそうに見えたのは、気のせいだろうか。
短い宴の後、おのおの部屋に戻り、その日は泥のように眠った。
翌朝。龍也は、まだ薄暗いうちから目を覚まし、慣れた足取りであの秘密の庭へと向かった。
案の定、梅ばあさんが岩の上で、ゆったりと太極拳を行っている。
龍也もその隣に並んだが、全く驚きもせず何事もないように、穏やかな動きに身を任せていた。
折れていたアバラの痛みは、もうほとんど感じなくなっていたが、完治まで、あと少しは安静にしていようと思った。
問題は、ゴードンだ。
どんな顔をして会えばいいのか。
なんと弁解すれば、あのドSでドMなトレーナーの怒りを買わずに済むのか。
何も名案は思いつかなかった。
太極拳を終えた梅ばあさんは、久しぶりに会ったというのに、特に驚いた様子もなく、「か、か、か」といつものように笑いながら、龍也を迎えてくれた。
ただ一つ変わっていたのは、彼女の薬局が、以前のテーブルから、少しだけ立派な店構えになっていたことだった。
新宿のバーとの提携の話をすると、彼女は二つ返事で快諾してくれた。
休憩所に戻ると、じんたがちょうど起きてきたところだった。
二人で食堂の黒パンをかじりながら朝食を済ませる。
そして、龍也はじんたを連れて、梅ばあさんに紹介し、案内がてら、あの診療所へと向かった。
ドアを開けると、そこには相変わらずのドSナースが、鋭い目つきで注射器を磨いていた。
「あら、死んだと思っていたら、生きてたんだね。しかも、なんだか余計な脂肪までつけて、みっともない姿で帰ってきたね。少しはマシになったかと思えば、前より劣化してどうするんだい!」
龍也が、新宿での怪我や病気のことを報告すると、彼女は「自業自得です!」と吐き捨てながらも、その目には、ほんの少しだけ、心配の色が浮かんでいるように見えた。
その、罵声と心配が入り混じった独特の対応に、龍也は「ああ、帰ってきたんだな」という実感を、ひしひしと感じていた。
すると、ナースの鋭い視線が、龍也の後ろに隠れるように立っていたじんたを捉えた。
「なんだい?その怪しい帽子を被った、見るからに挙動不審な男は。そんなのとつるんでいるから、あんたダメになるんだよ!」
「お、おらは、なも……」
完全なとばっちりだった。
いきなり罵声を浴びせられたじんたは、半べそをかきながら、龍也の背後で小さく震えるばかりだった。
その日の夕方前、龍也は意を決し、トレーニングルームのドアを、恐る恐る、ほんの少しだけ開けた。中からは、相変わらず「うおおぉぉ!俺の筋肉が喜んでいるッ!」という、あの歓喜の叫びが響き渡っている。
どう説明しようか、言い訳の言葉を探しているうちに、中から出てきたゴードンと、ばったり鉢合わせてしまった。
その瞬間、ゴードンの顔が般若のように歪んだ。
「き、貴様ァ!そのたるみきった腹は何だ!俺が丹精込めて育て上げたお前の大胸筋はどこへ行った!言い訳は聞かん!今すぐ特訓再開だ!死ぬまでスクワットさせてやる!」
怒涛のごとく体型を罵られ、今にも胸ぐらを掴まれそうな勢いだ。絶体絶命。
そう思った、その時だった。
「ちょいと、およしなさい!」
トレーニングルームの奥にあるジャグジーから、声がした。
そこにいたのは、昨夜別れたはずの、ローズ、リリィ、バイオレットの三人のオネエ様たちだった。
湯気をまとった、逞しい裸体で仁王立ちになっている。
「あんた、理不尽なこと言うんじゃないわよ。まずは、このタツヤんの言い分を聞いてあげなさいな」
ローズの言葉に、ゴードンが凄みを利かせる。
「なんだと、貴様ら!俺の神聖な筋肉との対話を邪魔するな!俺は、この怠惰な弟子に説教をしなければ、俺の筋肉が喜ばないんだ!」
「あらヤダ、口の悪い筋肉ゴリラね!」
オネエ様たちも食い下がり、両者は一触即発の状態に。
そして、次の瞬間、なぜか対決は、腕立て伏せや腹筋、スクワットといった、己の肉体を競い合う方向へとシフトしていった。
「俺の腹直筋を見ろ!鋼鉄のようだ!」「アタシの上腕二頭筋の方が、よっぽど美しいわ!」
お互い筋肉を褒め称え、自慢し合う、奇妙な時間が流れる。
そして、いつしか二組の間には、友情のようなものが芽生え始めていた。
「……勝手にしてくれ」
龍也は、とりあえずその場を後にした。ホッとしたのは、言うまでもない。
その夜、食堂で飯を食べていると、じんたが青い顔で呟いた。
「都会は、恐ろしいところだべな……」
「……ここは、都会とは少し違うと思うぞ」
そう力なく答えることしかできなかった。
翌朝。いよいよ本題である、『怪盗哲』を探すため、龍也とじんたは梅ばあさんの元へと向かった。
いつものように太極拳をし、あの苦い茶を飲まされていると、そこへ見慣れた猫背の男がひょっこり現れた。田中さんだ。
久しぶりの挨拶を交わし、一緒に茶をすする。
龍也は、ダメ元で、伝説のシーフ『怪盗哲』について聞いてみた。
じんたが、目を輝かせながら、その熱い思いを語る。
「おらは、その哲つぁんに会うために、ここまで来たんだ!知らねえか、田中さん!」
すると、田中は、湯呑みのお茶をずずーっと一口すすると、こともなげに、こう言った。
「……ワシじゃ」
時が、止まった。
天下の大泥棒が、田中さん?いつも休憩所で黒パンをかじり、ボソボソと喋っていた、ただの人のいい爺さんだと思っていたが……。よくよく考えてみれば、彼は特に何か稼いでいる様子もないのに、もう何年も、この中間空間にずっと居続けている。今まで、誰もそのことを不思議に思わなかった。
「なんで、こんなところに……?」
「隠居したからだよ。今は、そこの婆さんと茶飲み友達として、静かに暮らしてるのさ」
灯台下暗しとは、まさにこのことだった。
その衝撃の事実に、じんたは開いた口が塞がらないまま、白目を剥いて、その場にゆっくりと倒れ込んだ。
「おい、じんた!しっかりしろ!」
気絶したじんたを背負い、再び、あの診療所のドアを叩くのだった。
ベッドで、じんたの意識がゆっくりと戻ってきた。
その瞼がぴくりと動いたのを確認したドSナースは、にっこりと微笑むと、戸棚から赤ん坊の腕ほどもある巨大な注射器を取り出した。
「おや、気がついたか、挙動不審。ちょうど今、これを打とうと思っていたところなのに」
その光景を目にしたじんたは、「ひっ!」と悲鳴を上げるなり、ベッドから飛び降り、靴も履かずに裸足のまま診療所を逃げ出してしまった。
龍也は、その後を追わなかった。とりあえず、自分自身の身体を診てもらうのが先決だ。
一通りの検査を受け、いつものように
「ぜい肉がたるんでるよ、おっさん♡」
という叱咤激励を受けた後、龍也はじんたを探しに向かった。
じんたは、梅ばあさんの所で、しくしくと泣いていた。そこに、
ゆっくりとした足取りで、哲が歩いてくるのが見えた。
「じんた、哲さんが来たぞ」
龍也に促され、じんたは半べそをかきながらも、哲の前まで進み出ると、いきなりその場に土下座した。
「お、おらを弟子にしてください!お願いします!」
だが、哲の答えは、頑なに「ノー」だった。
「ワシは、もう足を洗った身だ。泥棒の技など、もう誰にも教えるつもりはない」
それから、じんたの猛アタックが始まった。
毎日、梅ばあさんの所に通い詰め、哲に弟子入りをお願いし続ける。
その度に、哲は静かに首を横に振るだけだった。
一週間以上が経った頃、龍也は、じんたがいない隙に、哲になぜ弟子にしないのか、その理由を尋ねてみた。
「……あいつは、ワシの生涯のライバルだった男の、一人息子なんだよ。ワシの技を教えれば、あいつの血筋に受け継がれてきた流儀が変わってしまう。それは、筋が通らん」
なるほど、思った。そこには、盗賊なりの仁義があるのだろう。
それ以上何も言わず、二人をそっと見守ることにした。
そんな日々が続いていたある日、この小さな所沢の街で、泥棒事件が発生した。
ただでさえ住宅が少ないこの町で起きた事件は、すぐに噂となった。
しかし、犯人は一向に分からなかった。
そして、当然のように、新参者で、しかも泥棒一家の息子であるじんたに、疑いの目が向けられた。
「おらは、やってねえ!」
じんたは必死に訴えるが、誰も信じない。そして、とうとう『警察』が現れた。
あの、最初の小屋が簡易交番となり、じんたはそこで厳しい取り調べを受けることになってしまったのだ。
龍也は、梅ばあさんの所で茶をすすっていた哲に、誓いのことなどの経緯を話した。
「哲さん。あいつは、やってません。俺が保証します」
龍也の言葉を、哲はただ黙って聞いていた。
そして、ふと、
「少し、散歩に行ってくる」
とだけ言って、静かに席を立った。
あくる朝、簡易交番の前に、一本の木にくくりつけられた男が横たわっていた。
その胸には、『この男、泥棒』と書かれた紙が貼られている。真犯人が、捕まったのだ。
ほどなくして、じんたは釈放された。
彼は、龍也の胸に飛び込んできて、「怖がった〜!」と、子供のように泣きじゃくった。
とても、代々続く泥棒一家の人間とは思えない、メンタルの弱さである。
梅ばあさんの所で、いつものように苦いお茶に悪戦苦闘しているじんたの元へ、哲がやってきた。
そして、ぽつりと、こう言った。
「……弟子にしてやる」
半信半疑の顔で哲を見つめるじんたは、その言葉の意味を完全には理解できなかった。
しかし、長年の夢が叶った喜びに、彼はただ、大粒の涙を流しながら、何度も何度も頭を下げるのだった。
「なぜ急に弟子にと?」
「あやつが漢だからよ」
こうして弟子入りが認められた。これから、じんたの特訓が始まる。