第一〇八話 満天の月の光、海辺の宴
夕暮れ。
宿で、一休みしていた、仲間に「夕食までには、戻る。ちょっと散歩してくる」と、告げた。
疲れてはいたが、どうしても、行きたかった場所がある。
宿を出て、空を、見上げる。
暗くなりかけの、薄紫と夜のはざまが、水平線に反射して、何とも幻想的な風景を、映し出している。
歩き始め、港の横の、浜辺に、来た。
波打ち際には、流木が、いくつも、横たわっている。一つに腰掛け、ただ、波を眺めた。
心地よい、潮風が、そよそよと、吹き抜けていく。
穏やかな、波の音を、聴きながら、目をつむる。
海と、一体化しているかのような、感覚に、包まれる。
(……ああ、ゆうこと、来ればよかったな。この景色を、見て、なんて、言うのかな?……きっと、『ええ、景色じゃのう』とか、言うんだろうな……)
「……ぶち、ええ、景色じゃのう」
その声に、龍也は、心臓が、跳ね上がった。
(……そのうち、心臓発作で、死ぬかもしれないな、俺は)
本気で、そう、思った。
「……来たのか……休んでればよかったのに」
「なんじゃ、邪魔か?……ほなら、帰るかの」と、拗ねたように、答える。
「……いや!邪魔だと、は、言ってない……すわれよ」
ゆうこは、「仕方ないのう」と、言いながら、龍也の隣に、腰掛けた。
「……やっと、海に、来れたな」、そう、呟く。
「なんじゃ、来たかったんか?んじゃあ、なんで、山ルート、選んだんじゃ」と、問い詰める。
「あれは、多数決だからな」
「そんなん、タツヤが、決めたら、皆、文句言わんと、付いて来たじゃろに」
「……そんな訳には、いかんよ」
二人は、しばらく、静かに、海を、眺めていた。晴天の空に、月が照らし、水面に浮かんでいる。
「……ゆうこは、広島で、海は、なじみがあったのか?」
「……まだ、小さい頃じゃったき、一人では、よう、いかんから、親父さんに、何度か、連れて行ってもろうた位じゃな」
「そうか。……俺は、ずっと、埼玉にいたんだ。梅さんが、いる近くに、住んでた。海に行くには、どこに向かっても、時間がかかった。……でも、なぜか、好きで、一人でも、良く、来ていたんだ。海を、見ていると、自分が、ちっぽけで、悩んでることが、馬鹿らしくなるんだ。ただ、波を、眺め、音を、聴いているだけで、いつまでも、いられたな、あの頃は」
龍也が、隣の、ゆうこの顔を、見ようと横を向いたら、彼女は、龍也の肩に、もたれかかり、すやすやと、寝ていた。
「……どこから、寝てたんだ?……もしかして、でかい、独り言、言ってたのか、俺は!」
彼女は、穏やかな、寝息を、立てていた。
龍也は、そっと、ゆうこを起こすと、宿に帰った。
宿に戻ると、皆が、「腹減った!」と、訴えてきたので、夕飯を食べに、街の食べ物屋に、向かった。
港町の、夜は、どこも、賑やかだ。
席に着き、店主の、おばちゃんに、おすすめを、尋ねた。
「おお、そりゃあ、浜焼きと、煮しめじゃな!締めには、タイ茶漬けが、最高だよ!」
おばちゃんの、威勢のいい声が、店中に、響く。
「浜焼きと、煮しめ。……それに、タイ茶漬けか。……よし!それ、全部、六人前、頼む!」
龍也の、その言葉に、皆が、歓声を上げる。
煮しめは、全国的な郷土料理で、昔は「濃平」、「餅平」と表記されたものだという。
新潟県では一般的に「のっぺ」と呼ばれるが、ここ柏崎では「煮しめ」と呼ぶのが特有らしい。
岩船地方では「だいかい」、魚沼地方では「こくしょう」とも呼ばれるという、地域によって様々な呼び名を持つ。
具材の切り方にも意味があり、仏事では乱切りにするが、お祝いの時には短冊やさいの目切りにするそうだ。また、仏事には赤いかまぼこや人参を使用しないところもあるという。
運ばれてくる煮しめは、里芋、人参、竹輪が一口大の乱切りにされ、ごぼうは乱切りにして水にさらされたものが使われている。
椎茸は水でもどされ、油揚げは油抜きされ、こんにゃくは下茹で後に一口大に切られている。
さやえんどうは塩茹でされ斜め2つ切り。
これらの材料が、だし汁と調味料で丁寧に煮含められ、最後に銀杏が加えられている。
盛り付けの際には、彩り豊かにさやえんどうが散らされていた。
やがて、テーブルには、これでもか、というくらい、料理が、次々と、運ばれてきた。
ジュウジュウと、音を立てる、浜焼きの、香ばしい匂い。
イカ・ほたて・つぶ貝串に海老、どれも磯、そのままの味で十分旨い。
湯気が立ち上る、煮しめ。そして、色鮮やかな、ブリの刺身。
海辺の、店先には、バルコニーが、あり、そこからは波の、穏やかな音が、聞こえてくる。
しかし、その、風情も、酒が、入るにつれて、どこかへと、消え失せていった。
「かんぱーい!」
龍也の、合図で、始まった。
皆、久しぶりの、海鮮料理に、舌鼓を、打つ。
「この、ホタテ、ぶち、美味いわい!」「エビ、でっけえべ!」「この、煮しめ、優しい味がします!」
しばらくは、会話もなく、ひたすらに、食べ続ける。
そして、酒が進むにつれて、徐々に、彼らの、テンションは、上がっていった。
「そんじゃあ、おらが、手品、見せてやるべ!」
じんたが、得意の、コインマジックを、始めた。
彼の、指先から、コインが、消えたり、現れたりするたびに、周りの客から、歓声が、上がる。
「あんた、すごいわねえ!」「もう一杯、飲めや!」
じんたは、嬉しそうに、酒を、飲み干す。
ゆうこも、負けてはいない。
「ほれ、あんたたちも、飲まんかい!この、魚も、最高じゃろうが!」
彼女は、隣のテーブルの、客たちに、酒を勧め、次々と、巻き込んでいく。
その、豪快な、広島弁が、店中に、響き渡る。
「いやいや、姉ちゃん、強えな!」
「何、言うとるんじゃ!まだ、序の口じゃわい!」
そして、意外なことに、レンも、その、熱気に、巻き込まれていった。
「レン、これ、呑んでみ!」
ゆうこが、地酒を、彼に、差し出すと、レンは、少し、はにかみながらも、それを、口に運ぶ。
「……はい。とても、美味しいです」
「じゃろう!じゃろう!、モット呑め!」
ゆうこが、その、様子を見て、満足そうに、笑い進める。
その、輪が、少しずつ、少しずつ、大きくなっていく。
店の、客たちだけでなく、外を歩く、通行人までもが、その、楽しそうな、雰囲気に、引き寄せられていく。
たちまち、店の中は、大勢の人で、ごった返した。
「酒だ!酒持ってこい!奢りだ!」
誰かが、そう叫ぶと、店中の、酒が、次々と、空になっていく。
龍也は、片隅で、その、あまりにも、ハチャメチャで、最高に、幸せな、光景を、眺めていた。
シンジは、なぜか、他の客に、担ぎ上げられ、胴上げされている。
じんたは、テーブルの上で、剣玉の技を、披露し、かすみは、それに合わせて、魔法で光の演出を、加えている。
ゆうこは、どこかで、カラオケマイクを、見つけてきたのか、故郷の、民謡を、大声で、熱唱している。
「宴じゃ〜〜〜〜〜!」
その、ゆうこの、叫び声が、柏崎の、夜空に、高らかに、響き渡った。
海辺ということもあり、静かなら、波の音が聞こえるはずなのだが、その風情は、どこかへと、吹き飛んでしまっていた。
柏崎の、夜は、どこまでも、どこまでも、熱く、そして、賑やかに、更けていくのだった。