第一〇三話 秘湯の嘆き、野沢菜の温もり編 その九 最終話
宿に、辿り着いたのは、深夜も、とうに過ぎた頃だった。
一行は、部屋に、入るなり、その場に、倒れるように、泥のように、眠った。
目が、覚めたのは、翌日の朝。
龍也は、ゆっくりと、目を開けた。周りを見ると、まだ、皆、深い眠りに、落ちている。
身体を、少し、動かすだけで、あちこちが、だるい。
疲れては、いるのだろうが、頭は、冴えてしまっており、もう、眠れない。
ゆっくりと、布団から、起き上がり、身体を、伸ばしてみる。
ミシッ、と、腕の、付け根から、音がした。(……つったな、こりゃ)
腕を、ゆっくりと、回しながら、表へと、出た。
外は、もう、明るく、空が、青白い。
遠くには、薄紫色と、オレンジ色の、何とも言えない、美しい、朝焼けが、始まろうとしていた。
龍也は、日課の、太極拳を、ゆっくりと、始めた。
手を、伸ばしながら、ゆ~っくりと、方向を、変えた、その時。
「……おはようさん」
背後から、声がした。三上隊長だった。
龍也は、ゆ~っくりと、動きながらも「おはようございます」と、挨拶を、交わし、止めることなく、普通に、会話する。
「流石に、昨夜は、酒、呑めませんでしたね」
「ああ。あんな時間に、帰ってきて、流石に、疲れたな。……みんな、すぐ、寝よったしな」
太極拳が、終わったので、龍也は、三上隊長に、声をかけた。
「……部屋に、戻りますか」
部屋に戻ると、シンジとレンが、ちょうど、今、起きたばかり、といった感じだった。
じんたは、まだ、深い眠りの中に、いる。
「……朝風呂に、入るか」
龍也の、提案に、シンジとレンは、頷いた。
「……帰って、すぐ、寝たから、なんだか、気持ち悪いな」
起きた者、四人で、大浴場へと、向かう。
湯船に、浸かる。
熱い湯が、身体の、芯まで、染み渡る。大浴場は、やはり、気持ちがいい。
「……わしは、明日にでも、家に帰ろうかと、思う。……弟子の、成長も、見れたしな。かかか」
三上隊長が、湯船の中で、満足げに、笑う。
「……そうですか。……俺たちも、いつまでも、ここに、いるわけでは、ないと思いますが。……今夜、ゆっくり、呑みましょう」
龍也が、言うと、三上隊長は、静かに、頷いた。
部屋に戻ると、ゆうこと、かすみも、起きていた。
さっぱりとした、龍也を見て、ゆうこが、「うちらも、入ってくるか」と、風呂へと、向かった。
やがて、じんたが、目を覚まし、皆が、揃ったところで、食堂へと、向かう。
宿の、主人が、話を聞いて、驚いていた。
どうやら、彼らが、ヤマタノゴモラを、討伐したことなど、知る由もなく、どこかへ、出かけていた、くらいの、認識だったらしい。
主人は、びっくりした顔で、「あ、ああ、少々お待ちを!」と、言い残し、どこかへと、駆け出して、行ってしまった。
(……多分、知り合いに、触れ回ってるだろうな)
龍也は、そう、思った。
「困ったな。……飯、食べたいのに、主人が、いない」
龍也は、他の、従業員に、事情を、説明し、厨房を、借りることにした。
冷蔵庫の中には、色々、食材が、入っている。しかし、高価なものは、使わない。
龍也は、手早く、あるもので、作れる、簡単な「親子丼」を作った。
部屋に戻って、皆で、食事を、済ませた後、龍也は、今後のことについて、相談を、始めた。
テーブルの上には、広げられた、地図が、一枚。
「……さて。……これから、どうするか、なんだが」
龍也が、そう、切り出すと、皆の顔が、真剣な、表情になる。
「選択肢は、三つだ」
地図の、上で、指を、滑らせる。
「一つ目。……このまま、北へ向かい、じんたの、故郷、『秋田』へと、向かう」
それが、彼らの、当初からの、目的。しかし、まだ、見ぬ遠い、道のりだ。
「二つ目。……長野の、街に、一、戻る」
「……買い出し、か?」
シンジが、静かに、問いかける。
「ああ。今回の、戦闘で使った、薬の補給……それに、今後の旅に、必要な装備を、整える必要がある」
「三つ目。……野沢温泉の、復興を、手伝う」
それが、ヤマタノゴモラを、討伐した、意味。
「……まあ、こんなところかな」
龍也が、そう、言うと皆の、顔を見渡した。
「……何か他に、意見はあるか?」
全員が黙り込む。
どの、選択肢も、それぞれに、意味があり、そして、重要だ。
龍也は、深々と息を、吐いた。
「……さあ、どうする?」
龍也の、問いかけに、部屋は、重い、沈黙に、包まれた。
全員が、それぞれの、選択肢を、心の中で、吟味している。
最初に、口を開いたのは、じんただった。
「……おらは、……秋田に、行きてえべ」
その、声は、小さかったが、彼の、故郷への、想いが強く、込められていた。
次に、かすみが、手を挙げた。
「私は、長野に戻って、装備を、整えるべきだと、思います。今後の旅に、備えることが、大切だと」
彼女の、意見は冷静で、そして、現実的だった。
シンジは、黙って龍也を、見ていた。
彼の瞳は、龍也の、判断を待っている。
そして、ゆうこ。腕を組み、難しい顔を、していたが、やがて、口を開いた。
「……わしは、……野沢温泉の、復興を、手伝いたい、のう」
その、言葉には、医者としての、使命感が、込められていた。
レンも、龍也に、委ねる。
三者三様の、意見。
龍也は、改めて、皆の顔を、見渡した。
どれも正しい。そしてどれも、彼らにとって、重要な、選択だ。
龍也は、しばらく、考え込んだ。
そして、一つ、深く、息を、吐くと、ゆっくりと、口を開いた。
「……よし……では長野に戻る……そして、そこで、全ての準備を、整える」
「……なんで、長野なんだ、タツヤ!」
じんたが、不満げに、尋ねる。
「……秋田への道は、まだ長い………ここで、しっかりとした、補給と休息を、取る必要がある」
じんたを、見つめて、言った。
「……じんた。お前の故郷には、必ず行く……だが、今ここで、無理をして、疲弊すれば、かえって、秋田への道が、遠くなるだけだ」
「……それに、野沢温泉の、復興は、俺たちだけの、問題ではない……そして、街の人々も、いる。彼らが、協力して、復興を、進めるだろう……俺たちは、ここで、やるべきことを、しっかり、やってから、改めてへと、向かう、時期を考える」
「そういう事なので、三上隊長、明日一緒に帰って、夜、ゆっくり、飲みましょう」
龍也の、その言葉に、皆が静かに、頷いた。
それは、それぞれの想いを、汲み取り、そして、未来を見据えた、冷静な、判断だった。
「……よし!決まりだ……では、明日の、朝早く、出発するぞ!」
飯山の、夜は、彼らにとって、明日への、活力を与える、静かな希望に、包まれていた。
長野への帰路。
凱旋、というほど、目立ちたくはない。ただ、普通に、過ごせれば、それでいいのだが。
ようやく、長野の街に、着いたのは、夕方になる頃だった。
宿屋の主人が
「おお、また、来なすったか!」
と、彼らを、温かく、歓迎してくれた。
荷を解き、風呂に、ゆっくりと浸かり、身体の汚れを、落とす。
そして、いざ、食堂へ。
到着して、すぐに、龍也が、宿の主人に、頼んでおいた、大量の、食事と酒が、すでに、用意されている。
三上隊長も、すでに席に着き、準備万端で、彼らを、待っていた。
龍也は、ビールを、皆のグラスへと、つぎ分け、静かに言った。
「……皆、無事に、帰ってこれた。……それだけで、いい」
「よ〜しゃ!乾杯じゃ〜い!」
ゆうこの、元気な、合図で、宴が、始まった。
最初は、大人しかった、レンも、じんたに、誘われ、けん玉チャレンジを、始めている。
シンジと、三上隊長は、静かに、酒を、酌み交わしていたが、そこに、ゆうこが、絡んでいく。
「隊長さん!わしと、飲み比べ、せんかいのう!」
三上隊長を、巻き込み、他の客も、交えての、飲み比べ大会が、始まった。
シンジが、龍也に「……タツヤ。ゆうこを、何とかしろ」と、訴えてきたが、龍也は、「俺が言って、どうこうなると思うか?」と、返すと、シンジは、諦めたように、深いため息を、ついた。
もう、手が、付けられない。
レンは、じんたから、手品を、教わっているが、うまくは、いかない。
それを見て、かすみが、楽しそうに、笑っている。
三上隊長は、酒が強い。一般参加の客が、次々と、ダウンしていく。
しかし、ゆうこも、負けじと、飲み続けていたが、ついに、三上隊長に、敗れてしまった。
酔いを、醒ましに、表へと、出て行く、ゆうこ。
龍也と、シンジ、そして、三上隊長は、三人で、しんみりと、酒を、酌み交わした。
そして、少し、落ち着いた、その時。
三上隊長が、ゆっくりと、立ち上がり、場を、借りて、伝えたいことがある、と、言い出した。
その、言葉に、食堂の中が、一瞬で、静まり返った。
それに、間に合うように、龍也は、少し前に、外へ出て、ゆうこを、呼びに行った。
「……酔ったか、珍しいな。……負けるなんて」
「負けたんじゃ、のうて、ゆずっただけじゃけぇ!」
「ああ、優しいな。……三上さんが、皆に、伝えたいことがあるって、呼んでるから、行こう」
「……しょうがないのう。……もう、行っちゃろうかね」
三上隊長が、皆の、前に立つ。
「……この場を借りて、弟子に、ちょっとな。皆の前で、渡したいものが、あってな。……レン!」
「……はい……?」
レンが、前に、進み出る。
「……温泉で、終えてから、ずっと、考えていたことだ。……これを、お前に、託す」
「……え!これって、いいんですか!?」
レンが、驚愕の声を、上げる。
「いい。持っていけ」
「……でも、これは、流石に……」
「いいんだ。もう、使うことも、ない」
「隊長!これ、大事な剣だべ!」
じんたが、叫ぶ。
「いいんですか、本当に……」
かすみも、心配そうに、尋ねる。
「……酔ってるからって、後で、返せとか……」
ゆうこが、からかうように、言うと、三上隊長は、にやりと、笑った。
「……言わん」
「「「「まじか!」」」」
三上隊長は、その、手にした、斬龍剣を、そっと、レンに、渡した。
「すげえな、レン!よかったな!」
「ありがとうございます!大事に、します!」
レンは、その、斬龍剣を、両手で、大事そうに、抱きしめた。
龍也が、「大丈夫ですか?三上さん、酔ってますよ」と、尋ねると、三上隊長は、笑った。
「……ああ、酔ってはいるが、正気だよ。……ずっと、誰かに、託したかったんだよ。……最高の、タイミングだっただけだ」
こうして、新たな、伝説の剣が、若き剣士へと、受け継がれた。
その、驚きと、感動に、食堂は、再び、大騒ぎになった。
宴は、また、遅くまで、続いた。
長い戦いが、ようやく終わった。
秘湯の嘆き、野沢菜の温もり編 了