王の決意
天井が微かに揺らいでいた。
息を整えながら、
彼の肩に顎を乗せた。
灯火は消えることなく、
その下で彼の眼差しは
依然として私を見つめていた。
飽くことを知らぬ人。
これほどまでに切なく、
これほどまでに優しい。
されど、私を常に傍には置けぬ人。
「お会いしたく存じました。」
そう申した私よりも
更に切実に抱きしめた、この方。
その懐は温かく、
悲しみを知らぬほどであった。
その懐は、なおも私を離さなかった。
一度、そしてまた一度。
短い口づけが頬と唇、項へと落ちる。
風のように、花びらのように。
擽るような感覚に、思わず笑みがこぼれた。
唇をそっと閉じ、
目を長く閉ざす。
彼の手が私の腰を包んだ。
離れようとせぬ手。
息遣いもゆっくりと吐き出しながら、
なおも私を抱きしめていた。
その懐の中で
言葉にならぬ想いを飲み込んだ。
承知していた。
既に中殿冊封が定まったこと。
彼が今この部屋におわすことは、
何かしらの決意を固めた証であると、朧げながら感じていた。
一方で、哀しくもあった。
捨てられるやも知れぬという畏れ。
あるいは、この方の足枷となっているのは私やも知れぬ。
宮中を乱す女、
主上の心を惑わす女。
もし…「真」の張玉貞であったならば、
この状況でいかにしたであろうか。
…悲劇の主人公となるやなど、夢にも思わなかったことよ。
その思案に、ふと口元が緩んだ。
そうしている間にも
彼の唇は、なおも
私の肩を伝っていた。
顎の先、頬、
額を短く、そしてまた撫でる。
その懐が温かく、
とても問い質すことは叶わなかった。
故に、
少し戯れるように切り出した。
「間もなく中殿ママが…中宮殿にお入りになりますね。」
静かに微笑んでそう告げた。
瞬間、
彼の目が微かに震えた。
息遣いが短く途切れ、
何も言わず頭を下げた。
次ぐ言葉はなかった。
代わりに──
唇が、
私の唇を塞いだ。
深く、そして長く。
目を閉じた。
(語りたくないのだな。)
心中にそう呟きながら
小さく息を呑んだ。
その沈黙の中で
朝鮮の「張玉貞」という名が
いかに哀切なる運命であったかを反芻した。
(ああ…そういえば今、私が張玉貞なのだった。)
不意に現実感が波のように押し寄せた。
すると哀切な想いと共に
強い問いが湧き上がった。
(なぜ中殿冊封の話をされぬのだろうか?)
私の疑問に満ちた瞳と向き合った彼は
得も言われぬ微笑みを浮かべた。
そして、
軽く首を傾げると、
唇を「ちゅっ」と私の頬に寄せた。
そして私の髪を優しく撫でながら告げた。
「宮中に戻る支度をせよ。」
「…え?」
目を瞬かせた。
まるで初めて聞く言葉に触れたかのように
頭が止まってしまったかのようだった。
彼は布団を掛けていた手を止め、
私の顔を見下ろしながら言った。
「そなたに殿閣を賜り、後宮の牒紙を下す。」
※牒紙:後宮に入る正式な文書。
「……っ」
「…殿下、それは…いかなるお言葉でございますか?」
突然の言葉に心臓が再び高鳴り始めた。
(いや待て、今心臓が高鳴る時ではないはず。
まだ中殿は宮殿に入ってもおらぬのに…。)
彼は私の視線を避けることなく言った。
「そなたが中殿を迎え入れよと申したではないか。」
「…」
「朕がそなたの言葉を聞いたのだ。故に、そなたも朕の言葉を聞け。」
その一言に、
そしてあらゆる雑念で複雑であった頭の中が、すっと空っぽになり
結論が下された。
中殿の冊封は
彼の意図ではなかったこと。
そして、
もしかしたらその代償として私が再び
宮中に入ることになったこと。
息が、
まさにその場所で止まった。
言葉を紡ごうとした刹那、
彼の唇が、顎の先に。
そして頬の上へ。
短く優しい口づけが
立て続けにちゅっ、ちゅっと落ちた。
「あ、あの…殿下、少々…」
戸惑いから突き放そうとしたが、
殿下はかえって私の手首を掴んで引き寄せた。
「それは…いいえ、殿下!」
狼狽えた声に、
彼は声に出して笑うと、
息遣いを宿した唇で
再び私の頬に口づけをした。
頬の端が熱く火照った。
「宮中へ戻り、私の傍におれと申したのだ。」
彼が近づき、耳元に低く囁いた。
「これ以上、何の言葉が必要であろうか。」
彼の行動に頬まで熱が上がるのを感じたが、
依然として彼は戯れるように笑いながら私を擽った。
その中で息を荒げながら、かろうじて口を開いた。
「それが…そう容易いことでございますか…」
笑みが消えた顔に、ほのかな余裕が浮かび上がった。
そして私をじっと見下ろした。
「これほどに健やかであるなら、案ずることはあるまい。」
指先が首筋を伝った。
そして、肩を、腰をゆっくりと抱き上げた。
深く唇を吸い上げた。
この方は今日も私を解放するつもりはないようだった。
そして──
やはり事の顛末を知りたくて身悶える私を易々と制圧し、
密やかで荒々しく迫った。
(ま、待ってください、まだ辛いのですけれど…。)
彼の口づけを皮切りに
その夜、再び私は彼の心の中へとゆっくりと沈んでいった。
灯火の下、彼の息遣いが私の息と重なっていた。