決意の炎
朝鮮の空は、今日も限りなく高く、澄み渡っていた。
昌徳宮の庭も、昨日と変わらぬ景色だった。
竹林を抜ける風、
赤い殿舎の間をゆっくりと流れる陽光。
すべては変わらず穏やかであったが、
その中を歩く一人だけが、昨日とは違っていた。
肅宗は、足先に静かに力を込めながら歩いていた。
王ではなく、
一人の男として。
決意を、胸に刻んでいた。
朱瓦の向こうに広がる風、
水気を帯びた柳の枝をすり抜ける光。
穏やかな景色の中で、
胸の内は激しく波立っていた。
空席。
中宮の不在という空席が、
これほど重く胸にのしかかったことがあっただろうか。
玉貞が承恩尚宮に任命されて、まだ数日。
指折り数えられるほどの短い時間。
それでも、宮中の視線は既に変わっていた。
表面上は微笑みを浮かべながらも、
その内側は探りと警戒に満ちていた。
朝廷もまた、静かにざわめいていた。
権力を測る重臣たちの眼差し、
怪しげに行き交う司憲府の文書。
すべての流れが、
彼女を狙っていた。
足を止めた。
塀の向こうを吹き抜ける風。
風に揺れる竹の葉が、冷たい音を立てた。
その音に紛れて、
馴染み深い名が唇を濡らした。
「……玉貞や。」
小さく吐息のように漏れた声。
その一言が、胸を締めつけた。
肅宗は手にした書簡を見下ろした。
墨で丁寧に綴られた慎重な文字。
閔氏の家名、
西人の首領たち。
すべての名が、墨の光の下で重く揺れていた。
指先に、じわりと力が入った。
彼らは朝鮮を守るために、
いや、
己の権力を守るために、
必ず一族から中宮を出そうとしていた。
肅宗は分かっていた。
閔維重は決して許さぬだろう。
閔氏以外に道はないと、
彼らは世界に刃を向けていた。
その道に従えば、
すべてが穏やかになる。
朝廷も、重臣たちも、世の中も──
表面上は。
だが、
彼女は生き残れない。
ゆっくりと、息を吐いた。
冷たい空気を裂く吐息。
火鉢の側へと歩を進めた。
手にした書簡を、慎重に折りたたむ。
そして、
火の上にそっと置いた。
小さな炎が立ち上がる。
黒い文字がうごめき、
やがて短い息のように燃え上がった。
儚く、
灰となって舞い散った。
肅宗は一切動かず、
その光景を見つめていた。
残った灰を優しく払い落とす風。
『その道は、選ばぬ。』
静かに、しかし確かに決意した。
顔を上げた。
迷いはなかった。
「尚膳。」
「はい、殿下。」
傍に控えていた尚膳が、慎ましく進み出た。
肅宗は短く息を整え、
ためらいのない声で言った。
「応香閣へ行く。」
そこに。
彼は、吐息のように囁いた。
「私が守るべき中宮がいる。」
踵を返した。
朱い回廊を、
ゆっくりと、だが確かな足取りで進んだ。
春の風が袖を撫でて通り過ぎる。
柔らかく、あたたかい。
けれど、どんな風よりも決然としていた。
その歩みは、軽くも重くもなかった。
ただ、
一つの想いへと向かう道。
肅宗は知っていた。
この選択が、
順理に逆らうことだと。
だが、
その先に何が待っていようとも、
もはや恐れはなかった。
愛のために。
彼女一人のために。