静かなる決起(しずかなるけっき)
部屋の中にはぬくもりが漂っていたが、
空気は凍てつくように冷たかった。
ここは、朝鮮最高の名門である閔家の屋敷。
磨き抜かれた廊下、整然と並ぶ書架と筆。
すべてが完璧に揃えられていた。
だが、その静けさの中に満ちていたのは、ただひとつ──
息の詰まる沈黙。
たん、と盃を置く音が薄く響いた。
閔維重は、全身から冷気をまといながら酒を飲み干した。
「これは……朝鮮が崩れる兆しだ」
声は静かだったが、
その言葉の裏には、刃のように鋭い怒りが滲んでいた。
「殿下が、あの女に寵愛を与え、
さらに冊封までなさるとは」
彼は震える指先を抑えながら、また盃を持ち上げた。
その様子を、昭儀は真っ直ぐに見つめていた。
微塵の乱れもなく。
風が障子をかすめた。
張りつめた沈黙の中、昭儀が口を開く。
「叔父上」
落ち着いた、しかし揺るがぬ声音。
閔維重は一呼吸置き、彼女を見た。
昭儀はゆっくりと祖先の肖像画を仰ぎ見ながら、言った。
「……今は、動く時ではございません」
「動くな、だと?」
閔維重の眉間に皺が寄る。
灯りが揺れ、風の音がかすかに響いた。
昭儀は深く息を吸い込む。
「感情は瞬間を捉えますが──
権力は、時を選びます」
彼女の声は澄んでいて、硬かった。
閔維重の顔から、わずかに力が抜ける。
昭儀は、まっすぐに彼を見つめながら言葉を重ねた。
「叔父上のお言葉通り、
私は中宮の座を目指します。
そのために、お力添えを賜りたく存じます」
部屋の空気が凍りつく。
閔維重は娘を見つめた。
そこには迷いのない決意があった。
「お前は──」
昭儀は、穏やかに、しかしはっきりと答えた。
「張氏を屈服させ、
私の足元に跪かせましょう。
それこそが、朝鮮の道理ではありませんか」
閔維重は再び盃を口に運んだ。
その手から震えは消えていた。
そして、ようやくゆっくりと頷いた。
「よかろう」
その言葉は低く、静かだった。
だが、そこには退くことのない覚悟が宿っていた。
「我が閔家には、朝鮮の秩序を築く責務がある。
揺るぎなき中宮、
正しき朝鮮の基盤を立て直すこと。
それが、我らの道だ」
昭儀は深く頭を下げ、
静かに席を立った。
冷たい夜風を割りながら扉を出るその歩み。
その前に広がる大殿は、
黒い波のように揺れていた。
昭儀は顔を上げた。
蒼白な月光が、静かにその頬を照らす。
彼女の眼差しは澄んでいたが、
その奥には冷たい炎が潜んでいた。
──私は、必ず中宮になる。
その唇に、凍るような微笑がかすかに浮かぶ。
風が吹いた。
灯りが揺れた。
昭儀の影は、静かに夜の中へと溶けていった。