第二章 第九話『記憶の剣、風を裂く者』
タケ九歳――
静謐の森にて「響霊石」を得た少年は、夜のとばりの中、ひとり焚き火の炎を見つめていた。石は今も、微かに共鳴している。火が爆ぜる音、虫の声、風のうねり――すべてを包み込むように、静かな唸りを奏でて。
「……なるほど。これが“他者の記憶”か」
音なき祠に宿っていたのは、過去、ここで剣を振るい、敗れ、消えていった者たちの“声”。断末魔、怒号、そして――己を恥じる呻き。
それはタケにとって、教本よりも重く、剣術書よりも鮮烈な“学び”であった。
「生きて敗れるか。死して残るか。剣士にとって、それは問いではなく、選択肢ですらない……」
彼の背後で木々がざわめいた。
視線を上げると、そこにひとりの老翁の姿。竹笠に身を隠したその者は、まるで煙のように現れた。
「ほう。石に選ばれしは小童か……いや、違うな」
タケの目が細くなる。
「おぬし、ただの風来坊ではあるまい」
「ふむ、勘は鋭いな。だが、儂は“風”を観にきたに過ぎん。貴様が何者であれ、風が鳴き、木霊が目覚めた。それだけで十分だ」
男は懐から小さな鈴を取り出し、タケに投げる。
風鈴のように透き通った音色――それが響霊石の声と共鳴した瞬間、森の風が反転する。
「剣において、“音”とは痕跡。そして“風”は予兆。貴様がそれに気づいたのなら、いずれ辿り着くであろう。“音すら届かぬ一撃”に」
「……“無響の極み”、か」
「呼び名はどうでもよい。されど、道を違えれば“無音”は“無明”に転じる。気をつけるがよいぞ、少年」
言い終える前に、風が吹き、老人の姿は木々の奥へ消えていた。
残されたタケは、炎の前に静かに腰を下ろし、響霊石を再び手に取った。
「剣とは、音なき問答。ならば我は、沈黙の中に答えを求めよう」
彼の声は、誰に向けるでもない独白でありながら、すでに剣の道を歩む者としての“誓い”であった。
その夜、五輪の“風”が静かに少年の魂に刻まれた。
つづく――