第二章 第八話『風の囁き、木霊するは残響』
タケ九歳――春霞に包まれた山道を、少年はゆっくりと歩いていた。背には竹籠、腰には未だ使いこなせぬ木刀。それでも、その歩みに迷いはない。彼は風を読む。陽の匂いを感じ、枝葉の揺らぎに耳を澄ませる。
「……この先に、“あれ”があるか」
村の古老が語ったのは、霊妙なる“響霊石”の話。
音を宿すというその石は、森の奥深く、かつて「音無き祠」と呼ばれた場所に眠っているという。
石の力は、音の記憶を刻むという――かつての剣豪の叫び、あるいは風の歌声。
タケの中に芽生えつつある“剣の心”は、その響きを求めていた。
道なき道を進みながら、少年は思索を重ねる。
「この身が歩む剣の道、未熟なれど、我が刃は音すら断たん」
風が吹いた。だが、その音の中に、不自然な「無音」が混じる。
「……来たか」
森の奥で待ち構えていたのは、風を纏った獣――白毛の四足獣、咆哮の代わりに静寂を放つ“音喰い”の化生であった。人の言葉も鳥の囀りも、この獣に喰われた土地では一切届かぬという。
静寂を裂いたのは、一歩、また一歩と前に進む少年の足音。獣が身を低くし、飛びかかる。だが、その一撃が落ちるよりも早く、タケの身体は風のように横へ流れていた。
「風も音も読めぬのか。ならば、我が一太刀を喰らえ」
抜き放たれることなき木刀が、腰からそのまま払われる。音のない一撃。されど、化生の巨体が空中で弾かれ、巨木に叩きつけられる。
「静にして動、動にして静。これぞ“無音剣”」
その言葉を囁いた瞬間、祠の奥に、淡く光る石が姿を現す。それはまるで、少年の声に応じるように、震えるように共鳴していた。
響霊石――かつて、この森で命を賭して戦った剣士の“声”が今なお宿っている証。少年は跪き、手を伸ばす。
「我が剣の記憶となれ。未熟なるがゆえ、余人の声に学びたい」
その瞬間、少年の掌に石が応えたかのように、風がざわめいた。木々が共鳴し、微かに聞こえる剣戟の残響。
このとき確かに、タケという名の少年の魂に“剣の記憶”が一つ、刻まれた。
つづく――