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手慣らし短編集

午前3時のバーだった。

今回ももらったお題から作品を作りました。

使わせてもらったお題は後書きに。

 カランカラン……と、扉を引くと、控えめなベルが鳴る。


 少し薄暗い照明に、ジャズレコードのかかる店内。未成年が来ないことを笠に着て、店内では好々爺たちが酒を片手に葉巻を呑みにやってくる、大人の世界。


 コツン、と店内の床が靴のヒールの音を響かせる。


「鈴木様、いらっしゃいませ。お待ちしておりましたよ」


 マスターはそう言うと、自分が収まっているカウンターの目の前の席を手で示し、着席を促す。


 本人曰く、五十代。白髪の混じった髪を敢えてそのままにして、撫でつけるようなオールバック姿のマスターとは、彼の髪がまだ黒々としていたころからの付き合いだ。


 仕事終わりの夜も深まった時間。家に帰るのを少しだけ道を外したところに見つけた、小さな隠れ家。店員がマスターだけなのもあってかいつも同じ調子で居心地がよく、つい通ってしまう。


 もう1、2時間早く到着していたらまだ賑やかだっただろう。しかし今日も既に、カウンターと真逆の席で葉巻を燻らせる、毎日来ているという恰幅の良い男性しか残っては居なかった。


 (わたくし)は、このバーが大好きだ。


 促された席の右にある席にコートと荷物を置くと、一息ふうと吐き出す。


「スプリングバンク、今日はストレートで」

「かしこまりました」


 マスターは、注文を読んでいたかのように、あまり時間を置かずに軽やかにグラスを差し出す。

 いつもこうだ。いわゆる「いつもの」はあるが、気分でコロコロ初回の注文は変えている。それでもこの人にはお見通しのようで、注文と同時に、くらいに出てくる。心を読まれているようで、少しだけ不気味だ。


「マスター、この間言った今日来る子。好き嫌いはないみたいだし、お酒もなんでもいいって言ってたから、食事も含めてお任せするわ。あと言ってたデザート、よろしくね」


「ええ、ご準備しておりますよ」


 マスターはまなじりに皺を湛えながら、にこりと微笑む。ここの食事は、どれもおいしい。最近は、メニューを見ずにおすすめを出してもらう方がワクワクするので、我儘を言ってお任せしている。


 椅子をくるりと半回転させながら、後ろで葉巻を堪能している男性にも声をかける。


「宝田さん。今からくる子、煙草苦手なの。1杯奢るから、その時だけ止めてくださる?」


 両手を首の高さで合わせて、気持ち可愛く肩をすくめておねだりすると、常連の宝田さんは、深く吸った煙を鼻から出しながら、じろりとこちらを一瞥する。顎に手を当てながらうーんと唸ると、口元だけいやらしく微笑む。


「まあいいけどね。梅乃くん、高くつくよ。マスター、この店で一番高いウイスキーをロックで」

「まあ、やられた。マスターそれ私につけておいてね」

「ハハ。かしこまりました」


 他愛もないやりとりをしていると、背中でカランカランとベルの鳴る音がする。椅子ごと振り返ると、一人の女性がきょどきょどしながら佇んでいた。


「櫻子!よかった、こっちこっち」

「やだもー。素敵なとこすぎん?ウチめっちゃ浮いてるじゃんか」


 櫻子。大学の同級生の、鈴木櫻子だ。私と櫻子、そして桃香、李奈の四人は同じ鈴木を冠する「桜梅桃李」衆というあだ名をつけられ、いつのまにかいつメン化したメンバー。


 桃香は結婚後、夫の都合で海外にいるし、李奈は遠方に越してしまい気軽に食事に誘えなくなってしまったため、櫻子を呼んで今日はふたりだけのプチ櫻子誕生会を開催する。


 いらっしゃいませ、と挨拶するマスターに簡単に櫻子を紹介しつつ、カウンターの自分の隣に座らせる。


「梅乃~マジで久しぶり!」

 ばしばしと私の腕を嬉しそうに叩く櫻子は、以前にも増してエネルギーが有り余っているようで、その愛に腕が痛い。


「本当に久しぶり!あと、誕生日おめでとう。はいこれ、ささやかだけど。いつメンで集まれなくてごめんね」

「そんなんいいって!祝ってもらえるだけ超嬉しいマジ。ありがとうね」

 ニッと白い歯を出して屈託のない笑顔を向ける。先ほどまで店長としてアパレル店で働いていたとは思えないほど元気な姿をみて、数年越しの再会に安心する。


「櫻子を皮切りに、私たちもとうとう二十代終わりねえ」

「まだラストイヤーだから。1年楽しく生きようぜ!ていうか梅乃は元気だった?ウチはこのとおりアホに生きてまーす」


 両目脇にそれぞれピースを構えておどけて見せる彼女を見て、つい我慢できずに、クスリと顔を歪めてしまう。

「私もこのとおりよ。櫻子は前より爪が前衛的ね」

 櫻子のピースから覗く、十センチはあるであろう、スワロフスキー調のネイルストーンでゴテゴテに飾られた、虹色に彩色された爪を見て、感嘆のため息をつく。


「だしょ?まあほらこれ、ぱっと見ただのオシャレじゃん。見る人が見ればわかるっていうね」

 そういってお茶目にウインクを投げてよこす。


 彼女のこだわり二枚つけまつげにカラーコンタクト、髪の毛はこだわりのブロンド。耳だけに留まらず、唇の左下に開けたピアスが特徴的な、いわゆるギャルである。

 彼女は気持ちのいい人間で、常に明るく、人間関係でちょっと沈んだ気持ちになっていると「まあ人間、みんなばらせばただの細胞だからさ、元気出しなって」と不思議な励ましをもたらす。私たちの太陽といっても過言ではない。


 見せつけるように両手の甲をこちらに向ける姿から、私はわざとらしくふてぶてしい笑みを浮かべて見せる。

「あら、じゃあなに。パートナーとは順調ってわけ」

「まあね」


 そういうと、鋭利な爪とは裏腹に器用にスマホを操り、一人の女性の写真を見せてきた。


「これ、前に言ったウチの彼女。めーちゃかわいいっしょ。出会った頃は初期李奈みたいにサブカルっぽい感じだったけどさ、心開いてくれたらもう、なんていうの、超心臓鷲掴みなの。」


 愛おしそうに画像を見つめる櫻子を見て、まぶしいものを見るような気になる。


 彼女が、私たち鈴木衆に、同性愛者であることをカミングアウトしたのは、学生の時分の卒業旅行だった。やけに異性の影がないとは感じていたが、そういうことだったのか。その場にいた三人が同時に「ああ~」と漏らしたのが印象的に残っている。前に言った、ということは、その時に紹介されたお付き合いしていた人がこの女性なのだろう。



「ホーセズネックでございます」

 一瞬会話が切れた瞬間に、マスターがカクテルを差し出す。


「ホーセズネック。馬の首輪。ブランデーベースにジンジャーエールを合わせ、このように檸檬ひとつ分の皮を螺旋状にして入れた、さわやかなカクテルでございます。この、少しだけ檸檬の皮をグラスの縁に引っ掛けているのは、馬の首の表現でございます」


 なにこれめっちゃオシャレじゃん!と騒ぐ櫻子が、はたと動きを止める。

「でも、なんで馬の首輪……?」

 頭にはてなが浮かんでいる櫻子に、マスターが微笑しながら説明する。


「ホーセズネックは、運命、というカクテル言葉が当てられているのです」


 ほわお、とつぶやき赤らめた頬を両手で覆った櫻子を、少し下品にニヤつきながら見つめる。

 ああ、桃香も李奈も呼べばもっと多角的にいじることができて楽しかっただろうに。


 その後もピザや生ハムの盛り合わせなどに舌鼓を打ちつつ、お酒を楽しむのと同時に、私たちは櫻子の恋愛話に花を咲かせた。時々矛先はこちらに向いたりもしたけれど、幸せな二人の話を聞きたいと話を促し続けた。


 デザートに花火の舞い散る誕生日ケーキを出してもらい、二人だけの盛大なパーティーをしていたところ、途中から宝田さんも祝ってくれるとのことで、食事の席を共にした。ついでにおじさんも交じって恋バナ大会が始まってしまい、気づいたらもう翌日の2時を回っていた。


「宝田さんも奥さんも、マジでいい人過ぎません?やばい、めっちゃ泣ける。奥さんもきっと天国で喜んでるよ、葉巻で寿命縮めてくれてありがとうって」

「そうなんだよな。好きなことやってぽっくり言ったらそりゃもう幸せよ。俺ァ向こうに行っても楽しみがあるからなあ」

「案外そういう人に限ってなかなか死なないわよね」

「そういうこともありますね」

 夜も深まった世界に、この隠れ家だけは、笑いに包まれていた。



 そのうち宝田さんが眠気に勝てず退席したので、私たちもとうとうお暇することにした。


 調子に乗って飲み過ぎてへべれけとした櫻子が、私の腕にしがみ付き、ふらついた脚をあっちこっちさせながら、マスターに賛辞を贈り始める。


「マスターひゃん、飲み物も食べ物も超おいしかったれす。また梅乃に奢ってもらいにひますっ」

「ちょっと櫻子」

「フフ、いつでもお待ちしております。当店明日…土曜日曜お休みをいただいておりますので、それ以外でしたら」

「ウィー、また来まっす!ヒック!ごちそうはまへした!」

 敬礼して挨拶をした櫻子は、先に風にあたりたいと、心配する私をよそにさっさと店を出てしまった。今日は我が家に泊まることにしているので、絶対近くで待つように告げて、会計を済ませる。



「龍一さん、今日もありがとう。いつも無茶言ってごめんなさいね」

「何、構わないよ。楽しんでくれたらね」


 カードを返す龍一さんの手を、反射的にそのまま握る。骨ばった手は、水仕事をしながらだったのだろう、少し冷えていてしっとりしている。その手の持ち主の、少し疲れたような眼を見つめて、ぽつりと言葉をこぼす。


「ねえ。……明日の夜も、お邪魔していいかしら」


 それに少し驚いたような、呆れたような表情を作り、しまいには諦めたような笑みをこぼして、空いている手で私の頬を撫でた。


「全く、君の物好きには困ったものだ。わかったよ」


 身体を寄せ合うようにして約束を残し、名残惜しくさよならを言うと、カランカランと音を立てて、夜空の世界へと出た。


 櫻子と合流し、我が家へと帰る。

 私の恋の話は、しばらく秘密事項になりそうだ。

最後まで読んでくださってありがとうございます。


今回のお題はタイトルにある

「午前3時のバーだった。」

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