前編
短編で終わらせたかった。
侯爵夫人は機嫌がいいとお気に入りの庭園でお茶を飲むのが習慣だ。
本日は特に義理の娘になるお気に入りのクローディアが忙しい合間に時間を作ってきてくれたのでいつもより楽しんでいるだろうと予想できる。そんな中、機嫌を損ねるだろうなと思いつつも侯爵令息――つまり息子であるレイモンドはそっと近づいていき、悪い報告をする事になった。
「母上」
そっと呼び掛けると機嫌がいい時は邪魔しないと気を付けている次男であるレイモンドが珍しく邪魔しに来たので――ここで三男である弟なら空気を読まずに来るので母は諦めているのだが、レイモンドが来たのでよほど困った報告があるのだろうと母は見抜いて眉を顰め溜息を吐く。
「お邪魔して申し訳ありません。母上。クローディア嬢」
「いえ、お気になさらずに邪魔をしているのはこちらなので――少し庭を見て回ってきてよろしいですか?」
何か急用でできたのだろうかと聞いてはいけないと配慮をしようとそっとクローディアがその場を去ろうとするので、
「いや、クローディア嬢。邪魔をしたのは私なのでここに居ても大丈夫だ。それに」
一度言葉を区切り、
「――貴女にも関係ある事なので」
申し訳ないと謝罪するように頭を下げると腰を浮かし掛けたクローディアが再び腰を下ろすのを確認して、
「何があったのレイ。また、大伯母さまとエドワルド(三男)が何かやらかしたのかしら。貴方がわたくしの大事な時間を潰すなんてよほどの事だし、ディアに関係あるのならそれくらいでしょう」
まるで千里眼でもあるかのように見透かす母に、エドワルドの名前が出たので表情が強張っていくクローディア。
「よくおわかりです母上。エドワルドが……」
このまま放置してはいけない問題ごとを二人に報告すると、
ぼきっ
母が持っていた扇を叩き折る音が聞こえる。
「マリゴルト夫人!?」
慌てるクローディアに、
「ごめんなさい。ディア。つい怒りのあまり貴女がくださった扇を壊してしまったわ」
「いえ、形あるものはいつか壊れますので」
謝罪する母にクローディアが気になさらないでくださいと微笑む。
その微笑みを浮かべているクローディアを見て、
「本当に、エドワルドにディアは勿体ないわ!! 大伯母さまが愚かな事を言い出すのはいつもの事だけど、本当にあれが嫡男じゃなくてよかったわ」
目は笑っていなかった。微笑んでいるが怒りの空気を放っている母の雰囲気にこの話を母にしてくるように告げてきた兄と父に後で何か奢ってもらおうと心に誓った矢先に魔法で張り巡らせていた糸に何者かが触れる気配を感じる。
「っ⁉ 失礼」
とっさにクローディアの姿に座っている椅子。使用しているカップなどすべてを近付いてくる存在には見えないように目くらましの魔術を使用する。ちなみに母を含めるすでにこの場にいた者達には相変わらずしっかり見えているのだが、
「母上っ⁉ ここに居たんですねっ!!」
空気を読まないで現れるのは弟のエドワルド。その隣には一人の少女。
「母上。紹介します!! キャナル・マルゴーン男爵令嬢で、彼女と結婚を前提に付き合っています。大伯母さまにも報告済みです」
自分そっくりな顔で――違いといえば、自分の方が栗色の髪の毛に一房黒髪が混ざっていて、その一房だけ伸ばしているというところだけで外見はほとんど似ているが、性格の違いが表情ににじみ出ている。
母の機嫌が恐ろしく下降しているのに全く気付いていないのだから。
「――そう。そうなの。で」
とんとんと扇を何度も開いたり閉じたりしながら壊れ具合を確かめるような仕草は母の怒っている時の癖だ。
「クローディアはどうしたのかしら」
弟の婚約者であるクローディアが居るのにも拘らずそれを隠しながら名前をあげると、
「ああ。あいつは僕にはふさわしくありません。女のくせに生意気で貴族らしくなく商売などとあくせく金稼ぎをして、みっともない。大伯母さまもあんな娘を婚約者にして申し訳ないと謝罪していました」
ばきっ
扇が原形を留めていないくらい破壊される。
クローディアは婚約者であるはずのエドワルドの愚行を諦観と共に見つめるだけ。気丈そうに振舞っているが、小刻みに震えているのは悲しみのためか怒りのためか。そっと傍に寄り添いたいが、エドワルドには見えていないのでそれを行うと不自然なので耐える。
「――今度、大伯母さまの誕生日のお祝いで盛大に発表しますのできっと皆喜んでくださるでしょう」
その皆というのは誰の事なのかと聞きたいだろうがあえて黙っておく。
「――そう」
母の冷たい声に弟は気付かずに、
「では、挨拶も澄みましたので大伯母さまの元に行ってきます」
キャナルを連れてさっさとこの場を後にする。
愚弟が居なくなったのを確認するとすぐにクローディアに掛けた術を解く、
「ねえ、レイモンド」
母の冷たい声。
「貴方に伝言役を任せた旦那さまとラインハルトは執務室かしら?」
「はい……」
「そう。――話の途中でごめんなさいね。ディア。ちょっと用事が出来たのでレイと一緒にお茶をしてゆっくりしていってね」
「あっ、はっ、はい」
「では」
怒りが爆発寸前の母の生贄に父と兄を差し出すことに躊躇うことなく答えると母は貴婦人としての気品を失わないようにクローディアに挨拶をして、走り出したい気持ちを抑えて優雅に気を付けつつ執務室に向かって歩いて行った。
「……母とエドワルドがすみません」
新しい椅子を用意してもらい、ひと声かけてから腰を下ろす。
「マリゴルト夫人は尊敬していますし、エドワルドさまは……」
言葉を濁す。
「それにしても相変わらずレイモンドさまの魔法は素晴らしいですね。エドワルドさまは全く気付いていなかったですね」
話題を変えようと魔法の話をされるので、
「初歩的な魔法なのでそこまで褒めてもらうと……照れます」
と顔を赤らめながら告げると、
「初歩的でもそれをどのように応用するかが大事だと思いますよ。一部の人だけに見えないようにするなんて細やかな魔力の紡ぎ方ではありまんか」
「魔力があるから当たり前だとよく言われるんですけどね」
大伯母とエドワルドの顔を思い出してつい言葉を漏らす。
エドワルドは大伯母のお気に入りである。
そもそも大伯母は今は亡き祖父の事を愛していて、祖母を含む祖父に言い寄る女は皆毛嫌いしていた。そんな大伯母を隣国に嫁がせた祖父の父は英断だったといえるだろう。ただの行き過ぎた姉弟の愛情ならいいが、大伯母のそれは男女の愛情のようなそれであり、祖父はそんな姉……大伯母に恐怖を抱いていたのだから。
そこまで異常な愛を抱いていた大伯母からすれば、エドワルドは愛する弟……祖父にそっくりであり、大伯母の息子が独立したのを機に実家に戻ってきてエドワルドを溺愛しまくったのだ。
ちなみに双子である私には愛情を一切向けなかったのは、大伯母の嫁ぎ先である隣国では二子は互いの人生を奪い合うという迷信があり、特に兄は弟からすでにいくつか奪っているとまで言われているし、大伯母からすれば私の髪の一房分が魔力を持つ者特有の黒を纏っている時点で魔力を奪ったと認識して、大伯母にとっては祖父を奪った憎き女である祖母もこのように魔力を含んだ黒髪を持っていたので同じ顔でも不快な存在として認識されている。
そんなこんなで大伯母は弟であるエドワルドを溺愛して、自分の持っている全権力を使ってまで甘やかし、甘やかし、甘やかし……それを止めようとした父や母から半ば奪い取るように連れて行き、なまじ身分は大伯母の方が上なのでそれ以上の実力行使は難しかったのだ。
エドワルドの婚約者であるクローディアもそんな大伯母が見繕って用意した令嬢だ。大伯母の交流関係が無かったらまずエドワルドと婚約などできない身分であったが、そんな彼女も大伯母から煙たがられる女に早変わりした。
「我が家の職人にもたくさん魔法使いがいますが、魔法を使うことで今まで気温や湿度などで影響を受けやすかった加工も安定するようになって助かっているんですよ」
「母上の持っていた扇もそれで作られたものなんですか? 香木ではないみたいですが、いい香りがしましたけど」
「ああ。あれは、扇の骨の中に香水を含ませてそっと香りが流れ出るようにした製品で……」
と延々と扇の説明をする様は生き生きしている。
クローディアは商売を行ってそこそこ成功を収めている。もともとクローディアの侯爵領が立て続けに天災に襲われて、復興するために借金をして、その借金返済をする手段として商売を行い当たったのだ。
だが、大伯母とエドワルドはそんな彼女の努力を女が商売をするなどはしたないとか男を立てて一歩後ろに控えているものだと散々罵っている。
(こんなに素敵なのに……)
民のために何とかしようとするさまに性別など関係ない。それで成功しているし、何よりも彼女はそれを誇らしげにしているのだ。
そんな様にエドワルドの婚約者じゃなければと何度思った事か。
「クローディア嬢」
楽しげに仕事の内容を騙っている時のを遮って申し訳ないが、
「あの様子だとエドワルドは最近はやりの婚約破棄をするつもりですね」
最近どこからかはやり出した婚約破棄する物語。悪役令嬢に虐げられた令嬢を助け出すという話をあのエドワルドならやりたがるだろう。
「でしょうね。物語の影響を受けるのはいいですが、実際に行うのはまた違うでしょうね」
呆れたような呟き。実際呆れるだろう大伯母によって甘やかされて大伯母の都合のいい人形と化している弟。それを訂正してやらなかった私たちも悪いかもしれないが、自分の家族よりも大伯母の元に行き、役目を放棄していたのにその恩恵だけ享受してきたのだから今更だろう。
「クローディア嬢。あの馬鹿が実際婚約を破棄したら――」
言いかけた言葉は止められた。クローディアの指が私の唇に触れたのだ。
「駄目ですよ。今はまだ」
秘密を騙るような小さな声でそっと囁かれた。