スキルオタク勇者は何でも屋なので娼婦になった
勇者というのは神から特別な使命と才能を与えられた存在である。
エミリオ・バースは歴代最高の能力をもった勇者であり、その力は人々の生活を脅かしていた魔王と凶悪な魔物達をたった1年で駆逐した。歴代最強の勇者だ。
「この旅が一年で終わったのは俺の力じゃなく、仲間達のおかげだ」
人々が誉めそやす中、謙虚な姿勢を崩さなかった勇者エミリオ。
彼は土地も地位もいらぬと首を振り、飽くなき修行の道を選んだのである。
***
王城の敷地内にある東の塔は、勇者のパーティメンバーの一人、賢者ライアン・オブリスの研究施設となっていた。宰相を父に持ち、息子であるライアンも次期宰相としての才覚を期待されている。
そんな彼の研究室のソファに寝転ぶだらしない青年がいた。だりぃ、だりぃ、と口にしながら四肢を投げ出している。
「エミリオ、スキルをとり終わったからってまた仕事をやめたのかい?」
「あったりまえだろ。できるだけ働かないっていうのが俺の信条なんだよ」
「フリーターは楽しそうで何よりだよ」
「フリーターじゃねぇよ。何でも屋だよ。何でも屋」
何が違うのかとライアンは首を傾げているが、青年、勇者エミリオにとっては大事な違いだ。主に響きが違う。
「大体、俺が急いでスキル集めしてるのはお前のせいなんだぞ? 俺の予定では今の俺はもっと沢山のスキルを持っているはずだったんだ。俺は早くスキル集めしたかったのに、お前があっちだそっちだって寄り道するから魔王討伐に一年もかかったんだからな!」
「それは仕方ない。だって君が馬鹿正直に魔王退治を進めたら三ヶ月もかからないだろう?」
魔王を倒すための旅はエミリオだけであればライアンの見立て通りに終わるはずだった。しかし実際はその4倍もかかった。ライアンがこれ幸いにとパーティメンバーの力を魔王討伐以外の、知的探求や悪逆成敗に利用したからだ。
「この旅が一年もかかったのは俺のせいじゃなく、ライアンのせいだぞ?」
魔王討伐の感想を問われたエミリオの言葉が曲解され『たった一年で魔王を討ち果たしたにも関わらず、仲間を立てる謙虚な勇者』という記事を見た時、エミリオは開いた口が塞がらなかった。文句のつもりが美談になってしまっていた。ほぼ間違いなくライアンの差し金だとエミリオは踏んでいる。
しかし旅が長引いたことで多くの人々が救われた事実をエミリオも仲間も理解しており、ライアンを本気で責めたことなどない。それにライアンを敵にまわすことは魔王よりも恐ろしいとだと、皆重々理解している。
「ねぇエミリオ、次の職はまだ決まってなかったんだっけ?」
「おう。次は漁師になろうと思ってんだよ。マグロ釣ってくるわ」
「それ次回にまわして、娼婦になって欲しいんだけど」
「……ライアン、お前働きすぎなんじゃねぇ?」
偉大なる賢者と謳われたライアンのぶっ飛んだ発言に、エミリオはいよいよ彼が働きすぎで壊れたのだと思った。
魔王を倒す修羅場でも壊れなかったライアンが、城勤めに戻って壊れるとは……。やはり恐ろしいのはゴーストでも悪魔でもなく、人間なのかもしれない。~本当は恐ろしい世界の逸話~
「エミリオは勇者としての任務が終わった後はずっとスキルのために職業制覇するんだろう?」
「まぁ金もあるし……」
勇者として世界に平和を齎したエミリオはその功績として一生生活に困らないほどの金を受け取っている。花形の近衛や将軍の仕事も斡旋されたが断った。スキルは魅力的だが、堅苦しい職業は簡単に辞められないので自由人のエミリオには気が重い以外の何物でもない。
「何でも屋も色んな職業スキルを極めるためにやってるようなもんだしな」
勇者エミリオの現在の職業は何でも屋だが、依頼をしてくる客はライアンしかいないため職業と言っていいかは謎である。自称何でも屋、が正しいかもしれない。
何でも屋の仕事も含め、エミリオは各種職業スキルを極限まで高めていた。エミリオは職に就くことによって、ほんの僅かな期間であっても独自スキルを得ることができる。そのコレクションが彼の人生の最たる楽しみの一つだ。才能の無駄遣いと言われるが、実際身になっているので、エミリオにとっては少しも無駄ではない。
「戦闘職はほとんど極めたんだよね?」
「あぁ」
魔法使い、僧侶、戦士などのオーソドックスな冒険職から、医者に花屋に俳優と、幅広い職業に就いたエミリオのスキルは百を超える。能力のある暇人を放置するとこうなる良い見本だ。
「でも娼婦はまだでしょう?」
「そもそも、俺男だから娼婦になれねぇよ。女子スキルは取れないって知ってんだろ」
なれて男娼だろ? と間違いを正そうとするエミリオにライアンは頭を振る。
「大丈夫。女装して潜入してもらうから客は男だし、名前はいつも通り偽名でいいよ」
「え? 何も良くないんだけど?」
話をすべて聞く前に転移で逃げてしまいたいところだが、ライアン相手では分が悪い。その場をなんとか逃げたとしても最終的には頷かざるを得ない状況に追い込まれるのが常だ。うへぇ、とエミリオは嫌そうに顔を歪めながらライアンを見た。
「こみいった依頼か?」
「そういうこと」
どうやらライアンにはエミリオに秘密裏に処理させたい厄介事があるようだ。それが娼婦、もしくは娼館に関わるものだということまでは察せたが、スキル以外に興味をもたないエミリオにはその推理が精一杯だ。探偵のスキルが欲しくなった。
「レグサス・サイファ将軍がおかしくなった話は知らないかな?」
「知らない」
「興味は?」
「ない」
「まぁ、君はそういう人だよね」
将軍はこの国の軍隊全てを束ねる偉い人である、とライアンは子供に言い聞かせるようにエミリオに教え始める。魔王を討伐した後、将軍、もしくは相応の地位に納まらないかと提案されたエミリオは将軍がどんなものなのかを勿論知っていた。
ともなればこのライアンの態度は明らかに馬鹿にしているので、エミリオも負けじと『すっご~い! お兄ちゃん物知りだね~!』と裏声で煽った。そんなエミリオに乗っかったライアンは幼児相手への説明を始める。何の根競べだこれ。
ライアンの説明によると、軍隊のトップであるレグサス・サイファ将軍が最近傍若無人な態度を取り続けているのだという。それだけを聞けば、権力を与えられて増長した阿呆なのだろうと思うのだが、元々のレグサス将軍は清廉潔白、武にも長けた聡明な人物であり、とてもそんな人物ではなかった。とある時期から人が変わってしまったというのだ。
「へぇ~! つまりは~! その原因を突き止めてないないして~! 将軍を元に戻せってことだねぇ~!」
「そうだよエミリオくん。彼は物凄く大事な人材なんだ。今は見るも無残といいたいところだけどね」
「見るも無残?」
「あ、止めるの?」
「止めるわ。むしろ乗っかるなよ。お前が乗ると収集がつかないだろ」
ライアンの話によると、レグサス将軍はエルフの血を引いた美しい男なのだという。プラチナブランドにラベンダー色の瞳、亜人の血が混ざっているせいか見た目は年齢以上に若々しい。白い鎧を纏うがゆえに、白百合の騎士と呼ばれているらしい。
「白百合か。花言葉は純潔や尊厳などなど」
「花屋スキル?」
「そうそう。初期スキルな。熟練スキルにまでいくと花や観葉植物全ての育て方を熟知し、成長加速が行える」
「うーん。いつ役立てるんだろうね? 農作物に使えるなら助かるかな?」
「農作物の成長加速は農業の熟練スキルだな」
「……花屋のスキルはいつ役立つの?」
「今花言葉が出てきただろ」
仕事をし始めて最初の段階で覚えるスキルを初期スキルという。花屋の初期スキルは花言葉Lv.1だ。熟練スキルまで身につけたエミリオはありとあらゆる花言葉を頭から引っ張り出すことができるようになっていた。余談だがこれにより乙男スキルという非職業スキルもレベルが上がる。
「将軍って、魔王倒しに来た時にいたっけ?」
「いや、将軍は悪魔族の奇襲で負傷し、療養していたんだよ」
「あ~~あれか。俺達がついた頃には意識が殆どなくて隔離状態だったやつだろ? そりゃあ俺も覚えてないわ」
さーて旅も大詰め、いざ魔王をぶっ飛ばそう! としていた頃、首都が大量の悪魔族により奇襲を受けた。
ライアンはある程度予想していたらしく、魔王討伐に援軍を呼ばず、首都に軍を配備していた。それが功を奏し、首都の壊滅を防ぐことができたのだ。
転移が使えるエミリオもすぐに戻ることができるので、知らせを受けてすぐさま首都に戻って悪魔を撃退したが、そもそもその知らせがなかなか届かなかったため、奇襲から撃退までに一週間という期間を要した。
その間、国民と兵士達を守っていたのが件の将軍なのだろう。的確な指示により、負傷者、死者は最低限で済んだことはライアンも特に褒めていた。しかし将軍は負傷者でありながら、無理をして悪魔族と戦い続け、療養が必要な状態になってしまったらしい。
魔王討伐には本来であれば将軍も参画する予定だったが、当然ながら不参加となった。魔王討伐はライアンが選抜した最低限の面子で向かうことになったものの、実際それで事足りたので何も問題はなかった。
しかし生真面目な将軍からは『あわせる顔がない』と謝罪の手紙が届いていた……のだが、エミリオは謝罪が長すぎたので途中で読むのをやめたことだけを覚えている。
「あの手紙の奴か。確かに傍若無人って感じじゃないわな。……将軍が暴れてんのに兵士達が反乱をおこしてないのもそのせいか?」
「そうだよ。とても信頼されている人だからね。多少おかしなことをしても、許せてしまうほどに。僕としても彼の変貌には何かしら原因があると考えている。戦闘以外はちょっと抜けているところもあるけれど、優秀で穏やかな人だった」
ライアンは一度話した人の顔も内容も忘れない。人を見る目も確かだ。捻くれた性格のライアンが高評価なら、相当優秀ではあるのだろう。今は知らんけれども。
「それで今は何してんの?」
「今は訓練じゃない? 部下達を理不尽にしごき、叱り飛ばしている頃だよ」
「清廉潔白? 優秀? 穏やか? あの手紙の差出人が?」
「夜は酒を飲んで毎晩高級娼館で大暴れしてるみたい。あ、ベッドの上の話じゃなくて物理だよ。怪我した娼婦もいるみたいだけど、彼の人望もあってか秘匿されている」
「……それで娼館か」
エミリオは大体のことを察した。ライアンは娼館にエミリオを潜入させる気なのだ。どうせ潜り込ませるならば絶対兵士の方だろうが、さすがにエミリオが勇者として共に戦ったことがある彼らの中に紛れ込ませるのはリスクが高い。ゆえに変装しての潜入となったのだろう。……というのは建前で絶対にライアンが面白がっているとエミリオは知っている。
「報酬は?」
「いつものだよ」
「うーん。割に合う気がしないけど、まぁいいか」
「店には僕の手足が話をつけてある。ただ国が絡んでるとバレないでほしいな。あくまでも彼は自力で立ち直ったんだ」
「はいはい」
ライアンはよほどレグサス将軍にその地位を退いてもらいたくないらしい。きっとうまいこと美談にするのだろう。エミリオが同じ目にあったように……。
「これを読んでおいて」
ライアンから綺麗に揃った紙束を渡される。どうやらこの件のあらましやレグサス将軍について、そしてエミリオが潜入する娼館の情報が書かれているようだ。エミリオはその紙に軽く目を通す。うーん。見れな見るほど面倒くさそうである。
「わかった」
「ちゃんと読んで、頑張って娼婦を極めてきて」
「俺より女顔のお前に言われたくないけどな」
売り言葉に買い言葉で出した『女顔』という言葉。それを聞いたライアンの背後から、ピシリとヒビが入った音がしたような気がする。恐る恐るエミリオがライアンを伺うと、女性と見紛う中性的な顔に笑みを張り付かせていた。宝石のような空色の瞳が少しも笑っていない。
「ふふ、エミリオ。表に出なさい」
「いってきま~す」
本当の意味で雷を落とされたらまずい。エミリオは慌ててその場から転移した。
***
翌日、エミリオは紙に書かれていた通り娼館『楽園』にやってきていた。女装して。
エミリオは男だが、身長はさほど高くない。170cmあるかないかである。女性なら高い方ではあるが、この国の平均身長は高いので珍しくもない。むしろ男であった時の方が、浮くかもしれないくらいだ。
(チラッチラ見られてるが、稀有なものを見ている視線ではないか……)
歩いていれば、男達がチラチラと見ているのがわかる。目があった男に少し笑いかけると、頬を染めた。おぞましい女装男を見るような視線ではないので、この女装は上々の出来であるといえよう。俳優をやっていた時のスキルである化粧、変装のおかげで今のエミリオをまじまじと見ても男とは思われまい。自画自賛しよう。俺、可愛い。
最初は幻術を使うつもりだったが、どうやら将軍は優秀な魔力耐性持ちらしく、精神に作用する魔法が効きにくいと書いてあったので精神干渉は最終手段にすることにした。使えないことはないだろうが、そういう相手に使う魔力は膨大で、次の日二日酔いになったみたいに頭が痛くなる。魔王討伐の後もそうだった。
さて、いざゆかんとエミリオは『楽園』の裏門の戸を叩いた。
「誰だい?」
「紹介されてきました。エミリーと申します」
ノッカーを叩いてしばし待ち、出てきたのはエミリオよりも上背のあるくすんだ金髪の美人だった。熟した美人を好む客もいるそうだが、パッと見た感じ現役ではなさそうだ。多分オーナーかその嫁だろう。エミリオが偽名を名乗ると、女は合点がいったとばかりに頷いた。
「あぁ、例のお嬢様? よく逃げなかったね」
「はい。お金が必要ですので」
今のエミリオは没落した子爵令嬢で、借金のかたに娼婦になったという設定だ。女はエミリオを足先から頭まで眺める。喉仏は淡い色のチョーカーで隠し、庶民御用達の綿のワンピースを着たエミリオは姿勢が真っ直ぐで、佇まいが上品だ。持っているものは古びたボストンバッグ一つ。いかにも没落した子爵令嬢らしいだろう。演技のスキルもいかんなく発揮している。
「あたしはここのオーナーのマルティナ。入りな」
「はい」
マルティナに招き入れられ、エミリオは娼館に足を踏み入れる。裏口から入ってすぐに台所が見え、起きたばかりの服の肌蹴た女性達が眠そうに食事を取っていた。
女性達は今から仕事の準備をするらしい。新人のエミリオを彼女達はニヤニヤしながら見ている。わざと胸を見せて『あなたもこうなるのよ』と教えてくれる先輩もいた。役得……じゃない。反応したら困る。別の意味でドキドキするから止めて欲し……いや、でもちょっとだけなら……。
「部屋はここだよ」
エミリオが悶々としている間に自室となる2階の個室に到着していた。大きめのベッドにコートかけ、テーブルとイスが2脚。どうやらこの店は客を取る部屋と自室が一緒になっているらしい。清潔感があって良い。入りたての娼婦の部屋としては一級品だ。常連持ちの娼婦ならもっと豪華なのだろう。
「個室を頂けるんですね……」
「うちの商品はその価値があるからね」
さすが高級娼館。そして毎晩レグサス将軍が大暴れ(物理)している場所である。
「じゃあエミリー、脱ぎな」
「え」
「え、じゃないわよ。身体検査しないといけないの。あとで医者もくるからね」
予想外、というほどではないのだが、エミリオは早速荷物のチェックと身体検査を受けることになった。さすがに身体検査までされたら男だとバレるのでこっそり幻術をかけさせてもらった。医者も来たら同じことをするしかないだろう。
「年は18だっけ? もう体も大人になってるし、すぐに客が取れそうだね」
「は、はい……」
「今日からあんたは……そうね。ミリーって名前にしよう」
「はぁ……」
エミリオからつけたエミリーという偽名の偽名であるミリー。もうわけがわからなくなったが、エミリオはこれからミリーらしい。曖昧に頷いた。
マルティナは幻術でみせたエミリオの体に大満足らしく上機嫌だ。にこやかにこの店のルールを説明してくれる。どうやらこの娼館は夕方から朝までが営業時間、客は貴族か地位の高い者、ようするに金持ちだけらしい。なるほど素晴らしく高級店だ。エミリオもぜひ男の姿でお世話になりたいものである。
「エミリー、あんた処女?」
「え? あ、はい」
「じゃあ高く売れるね」
折角だから良い客まわしてあげるわよ。と笑う姉御肌なマルティナに、結構で~す、と心の中で返事をする。まぁ客を取らされたところで、その客には強制おねんね+幻術コンボをお見舞いするだけである。
「そうだ、事前に言っておくけど、今ちょっとうちの店、ピリピリしてるから」
「何か問題でも?」
「最近常連になった客の気性が荒くてね。叫び声とか聞こえるかもしれないけど、部屋でじっとしてな」
「叫び……それは大丈夫ではないのでは? この店は国から認可されているのでしょう? 守ってはもらえないのですか?」
この国で娼館をするのならきちんと国に届け出をしなければならない。店を構えるたまには色々な約束事が存在し、それに違反した店は違法店として軍に取り締まられてしまう。逆にきちんと約束を守る店は国に守ってもらえる。この店は後者であったはずだ。
「本来ならそうしたいんだけど、相手が悪すぎるの」
「とても偉い方なんですか?」
「そう、察しが良い子だね。……あの方も本来ならこんなとこきて暴れる人じゃあないと思うんだけど。あまり外に漏らしたく無くてね」
多分将軍のことで間違いないだろう。エミリオが知らないだけで、レグサス将軍の評判は高く、かなり有名らしい。
「わかりました。でも、私に出来ることがあったら言ってください。こう見えて力持ちなんです」
「フン、ナイフとフォークがせいぜいのくせに、言うのじゃないの」
『頑張ればドラゴンの尻尾掴んで吹っ飛ばせます♪』はさすがに嘘くさいと思うから言わなかったが、それぐらいの力はある。いざとなったらどんと任せてもらいたいものだ。
その時は勿論上手くやる。こんなところに女装した勇者がいるとバレたら男としての沽券にも関わるし、ライアンの差し金だとすぐにバレてしまうだろう。そうなった時のライアンはきっと暴れる将軍より怖いに違いない。
***
医者の問診も幻術により上手くかわしたエミリオことミリーは無事その日の夜が娼婦デビューとなった。備え付けの大きな風呂にやってくる様々な美女を入れ代わり立ち代わり見れると楽しみにしていたのだが、仕事に慣れるまでは個室の風呂を使うことになった。楽しみが消えて意気消沈したエミリオはいよいよ身を売ることに悲しむ令嬢に見えたのか、ことのほかスタッフに優しくされたのだった。ちゃうねん。
「おっと、きたか」
その夜、控室で待っていたエミリオの耳に不愉快な騒音が飛び込んできた。力任せに扉を開ける音、大股で何の気配りもない足音、そして下品なほどの大声。高級な店は客さえも選べると聞く。そんな店にこの騒音はまさしく異常事態だ。
エミリオは好奇心に負けた令嬢を演じ、控室を飛び出す。途中止めようとした先輩娼婦もいたけれど、外に出たエミリオを追いかけることはしなかった。それくらいに怯えている。
「さっさとしろ!!」
「しょ、サイファ様どうぞ乱暴なことは!」
「お前も私に文句を言う気か?」
「め、滅相もございません」
店の使用人の男につめよっているのはボサボサ頭の長身の男だ。目は血走り、無精髭が生えている。確かに元は美丈夫だったのだろうが、今や見る影もない。やつれた頬、目の隈は酷く、病人のようだった。尖った耳がそれらしいが、一目で将軍だとわかる人間はいないかもしれない。
(なるほど、無残だな……)
彼に妻子がいなかったのは不幸中の幸いだったかもしれない。急に人が変わったように娼館を荒らし、婦女子に暴力を振るう将軍を見たらきっと心を痛めていただろう。実際、彼の両親が涙ながらに相談しにきたと資料に書いてあった。
エミリオは探るようにレグサス将軍を眺めていたが、ふとレグサスの血走った目と視線が交差する。本来なら愛想笑いなどしたくはないのだが、これも仕事だ。どうにかしてレグサス将軍の興味をひかなければならない。
(つってもな……)
俳優の熟練スキルである魅了というスキルを使う手もあるが、魅了はそこまで強く干渉できない。同じ精神干渉系のスキルであれば幻術や強制的に眠らせる魔法など、魔法使いの戦闘スキルの方が各段上だ。
精神干渉魔法に強い耐性があると資料にあったので、レグサス将軍には魅了が効かないかもしれないし、魅了を使われたとバレる方がまずい。ここで下手をうって逃げられては困るのだ。かといって、エミリオは異性愛者なので男を誘惑したことなどない。
何よりエミリオの頭の中はスキルのことで常にいっぱいであったが、恋愛スキルは殆ど取れていなかった。スキルオタクが過ぎたのだ。恋人にするなら魔力消費も少なく使いやすい瞬歩スキル。結婚するなら万能な転移スキルである。幸せにしたい。
(まぁ笑っとこう……)
何も思い浮かばなかったので、エミリオはとりあえず適当に笑うことにした。
笑いながら次の手を考える。化粧技術が高くとも、エミリオはそこまで美人にはなれない。隠しきれない肩幅や筋肉のせいで大柄の女性に見えるので魅力値自体はそこまで高くないのだ。
しかし怯えた面々の中、笑顔でいるのはエミリオだけだった。これが功を奏したのか、レグサス将軍は笑顔のエミリオをじっと見つめて不適に笑った。
「そこの女は見たことがないな」
「あ、あの者は手伝い人でして……」
さすがに初日から暴れる客の相手をさせるのは酷だと思ったのだろう。使用人達はエミリオを娼婦ではないと必死に説明している。良い店だな、とエミリオはこの店が優良店であることを再確認した。
「良い。あれにする」
「お、お待ちくださいませ!」
しかしレグサスはスタッフの意見も聞かずにエミリオに近付くと力任せに腕を掴んだ。本当にエミリオが昨日まで深窓の令嬢だったとしたら骨が折れても不思議ではない力だ。とても女性に対する態度とはいえない。
「わっ!」
「部屋はどこだ?」
「え、あ、二階の一番端です」
自分の部屋の場所を聞かれ、エミリオは戸惑いながらも答える従順な女性のふりをした。ぐいぐいとレグサスに引っ張られて部屋に行く途中、止めようとするスタッフに大丈夫と言いたげに頷く。スタッフの奥で止めに来たであろうマルティナが見えたが、エミリオの強い視線に足を止め、悲痛に顔を歪めている。
「早く脱げ」
レグサスは部屋についた途端、エミリオに服を脱ぐように命令する。対するエミリオはレグサスをじっと見つめて異変がないかを探ったが、すんなりと異常と思えるものに気が付いた。
(魔力がおかしいな。気持ちの悪い色をしている……何の影響だ?)
魔法使いと僧侶を極めたものは慧眼と言われる熟練スキルを取ることがあり、スキルオタクのエミリオも勿論持っている。スキルを使って見たレグサスの魔力は不自然な色をしている。通常なら一色、戦士なら赤、僧侶なら緑、魔法使いなら紫などの色が見えるがレグサスの魔力は黒く濁っていた。
「おい、聞いているのか!?」
「え? 聞いてませんでした。もう一度よろしいですか?」
「私を馬鹿にしているのか!?」
レグサスはエミリオのワンピースの襟を掴み、首が締まるほど引っ張り上げたが、エミリオは涼しい顔をしている。
(うるさくて集中できねぇな……)
このままでは原因を探ることが難しい。エミリオは舌打ちしたいのを堪え、どうしたものかと頭を捻る。どうせならライアンに細かく作戦を作ってもらうべきだった。綿密に計画をたてるのは苦手なのだ。
魔王討伐だって、ライアンがいなければエミリオはとにかく魔法で弱らす、刺す、殺す。ぐらいの単純さで魔王を倒していただろう。(そしてそれができるだけの力をエミリオは自負していた)
「私を無視するなんて許さん!!」
考え込むエミリオをレグサスは無視されたと憤り、エミリオのワンピースを襟から引き裂いた。ビリビリと布が避ける。初日だからと渡されたシルクのワンピースはそれなりの高級品だ。
「ちょ、ええええ、ちょっとこれ高いんですよ!?」
「知るか!!」
レグサスは目を血走らせているが、その目には情欲の欠片もないことにエミリオは気づいていた。ビリビリとなおも裂けていく布を抑え、エミリオはぎょっとする。このままでは胸にした詰め物が見えてしまいそうだ。
「え、えっちすけっちはれんち!!!」
「何をいって……」
「寝ろ寝ろ! もう面倒くさい!!」
「何ッ……うっ……」
エミリオは魔力まかせにレグサスを強制的に眠りにつかせた。途中大きく抵抗を感じたが、魔王を倒した時に比べれば造作もない。夢も見ぬほど深い眠りに落ちて貰えるよう、魔力を注ぎ込み、強制的にレグサスを夢の中へと誘う。
フラフラしているレグサスをちょんと押せば、ベッドに倒れてすぅすぅと寝息を立てていた。顔色のせいか呼吸の音がしていなければ死んだようにも見える。改めてみるとそれほどひどい顔色だった。
「なるほど確かに効きにくいな」
魔王討伐メンバーにもエルフもいて、彼女も精神干渉魔法が効きにくかった。レグサスもそうなのだろう。資料では半分以上人間であると書かれていたが、彼の耳は尖り、エルフの血の濃さを感じさせる。先祖返りが強く出たのかもしれない。先祖返りは才能の塊だと昔ライアンが言っていたことを思い出した。
エミリオは念のため部屋に結界を張ることにした。そしてその上から忘却の魔法をかける。これは心配して部屋に近づく者達を誤魔化すためのものだ。
部屋に近付いてた人間はその干渉を受けるとなぜ自分がこの場所に来たかを忘れて戻っていく。何かを取りにいこうと立ち上がって部屋を移動したものの、あれ? 何を取りにきたんだっけ? となる現象を再現したものだ。エミリオはこの結界を他人に邪魔されたくない会議でよく使用していて、痴呆結界と呼んでいる。
エミリオは大変気に入っている名前なのだが、これを口にする時に見る仲間達の顔はいつも渋いものだった。しまいには「天は二物を与えずというだろう? 神はエミリオに戦いのセンスを与えた。つまり他のセンスは壊滅的なのだ」と言われ、エミリオはひどく憤慨したものだ。
閑話休題。大事なのはレグサスに何が起きたかである。眠りこけたレグサスにエミリオは手をかざし、解析魔法の文言を口にする。これは医者が行使する医療魔術の一種である人体解析という魔法で、病気やケガ、特に魔力に関わる損傷、原因を見つける時に使うものだ。当然のようにエミリオは医者スキルを万遍なく入手しており、熟練クラスの腕前だ。些細な変化も見逃さない。
「あーはいはい。なるほどなるほど? 変なのに取り付かれちゃってまぁ」
エミリオが解析した結果、レグサスの中に『形のない魔物』の気配を感じ取った。最初は気のせいかとも思える微量の魔力は、解析すればするほど、正体を掴ませてはなるものかと気配を消そうとしてくるのだ。もしレグサスが自身の異変に気付き、医療魔術を頼ったとしても一般レベルの医療魔術者では気付けなかっただろう。そもそも精神魔法耐性が強いレグサスはその可能性すら考えて無かったかもしれないが……。
「本人に異変を聞くしかないな……」
体に異変があるのであれば、本人ほど詳しい者はいないだろう。しかしレグサスは大分弱ってしまっている。それは精神に異常をきたすほどに。
しかし回復を待つのも時間がかかる。エミリオはやはりライアンを怒らせる前に計画をたてさせるべきだったと、腰に手をあて溜息をついた。
***
レグサスが起きたのはぎりぎり朝と呼べる時間だった。泊りの客はこの時間には必ず起こし、退室してもらわなければならないという店のルールがあったので、例に漏れずエミリオはレグサスの肩を揺さぶって起床を促した。
「おはようございます。サイファ様、お時間なので起きてくださいませ」
「えっ、あ、朝……なのか?」
「はい」
レグサスは眠そうに目を擦りながら起き上がったが、明るい窓の景色を見てぎょっとしてた。
「私は……寝たのか?」
「はい」
エミリオはレグサスに昨晩の記憶を改変するか悩んだが、精神干渉を何度もすると耐性が付きすぎてしまい、簡単に寝てくれない可能性が出てくるため、【レグサスは突如疲れて眠ってしまった】ということにした。
「そりゃもうお疲れだったのか急に寝てしまわれました」
「……」
そうだ。お前は疲れていてすぐ寝たのだ。エミリオは早口でレグサスの疑問に答えた。
レグサスはエミリオの回答に何やら戸惑っているようで、瞳を忙しなく揺らしていたが、チラリとエミリオを見るともごもごと口を動かしていた。
「……を」
「はい?」
「貴様……き、君の名を教えてくれ」
「え? あぁ、私はミリーと申します」
そういえば昨晩は無理矢理部屋につれて行かれたので自己紹介もしていない。レグサスは破れたエミリオの服に気付き、バツが悪そうに視線を逸らすと、ベッドから出てまっすぐ出入口の扉に向かっていく。
「……また今夜ここに来る」
「え? あ、は、はい?」
エミリオとしてはどうにかまたレグサスに指名して貰わなければと思っていたので、突如口にされたご指名と思しき言葉に目を丸くさせて頷いた。
エミリオの返事を聞いたレグサスは振り返りもせずに扉から出ていき、本来は見送りをしなければいけなかった気がしたが、一晩中結界や強制睡眠、解析魔法を使い続けたエミリオの頭はじくじく痛むので動きたくなかった。今すぐ眠りたい。
結界を解除してほどなくしたタイミングでマルティナが慌ててエミリオの部屋にやってきた。「どうしてあんたを助けることを忘れてしまったの!?」と申し訳なさそうにするマルティナの人の良さにエミリオは好感を抱いた。レグサスの件を解決すればこの店にも平穏が訪れる。是非本来の姿で訪れたいものだ。
***
その日からレグサス・サイファ将軍は連日ミリーことエミリオのもとを訪れている。決していやらしいことはしていないし、そういうサービス的な幻術もかけてない。いつも強制的に眠らせているだけである。
エミリオも最初こそじっくりレグサスに巣食う『何か』を解析、除去するために都合が良いと思っていたが、部屋についてすぐ急に寝るだけのレグサスが毎晩自分の元に通う理由が気になっていた。
「あの……サイファ様」
「何だ」
「どうして私をお買いになるのでしょう?」
藪蛇になりそうではあるが、異変に関係あるかもしれないとエミリオはレグサスに問いかける。レグサスは随分顔色がよくなっており、美貌の陰りも減りつつあった。黙った姿はまさしく白百合の騎士と言われる美しさだ。ライアンからも、レグサスの暴挙が激減していることは聞いている。なぜか良くなっている。まだ解決はしていないけれど。
「……そうだな。ミリーになら話をしようか」
レグサスは少し悩む素振りを見せていたが、小さく何度も頷きながらエミリオを見つめた。
「私は眠れないのだ。悪魔族からの奇襲は君も聞いたことがあるだろう? あの戦いが終わった後から、一刻も寝ていられなかった」
「一刻も!?」
「あぁ。気絶すれば何とか眠れるのだが……おぞましい夢を見て飛び起きてしまう」
レグサスは随分長い間不眠に悩まされているのだとエミリオに事情を吐露し始める。あまりにも眠れなくて『眠れない時はやっぱり酒や女が良いよな』と言う周りの冗談交じりの雑談を真に受けてしまったらしい。生真面目なのが仇になったようだ。
(相当辛かったんだろうな……)
レグサスはベッドに腰かけ、強く拳を握り締めていた。震える拳は爪が食い込んでしまっているだろう。エミリオがレグサスの拳を軽く叩き、レグサスは無意識に握りこんでいたことに気付いて手の力を緩めた。広がった掌に爪の跡は残っていたが、血は出ていない。
「しかし君の傍にいると不思議と眠気が来て、夢も見ぬほど眠れる」
「そそそ、そうですか! それはよかった!」
レグサスは穏やかに笑い、エミリオは冷や汗をかいて引きつった笑みを浮かべる。決して起きないようがっつり強制的に深く眠らされているなどとは知らないレグサスは長い間悩まされていた不眠の症状から解放されたと素直に喜んでいるようだった。
「成人している私が君のような娘に甘えるのはおかしなことだとわかっているのだがな……」
「お気になさらず、私以外は誰も知りませんから」
「……ありがとう。少し疲れた」
エミリオがレグサスの肩を軽く叩くと、レグサスは苦笑いをしながらベッドに横になった。魔力抵抗を無視し、強制的に深く深く眠らせると、穏やかな寝息が聞こえ始める。
「少しじゃないだろうに、将軍様って大変だなぁ」
絶対なりたくないわ。スキルは欲しいけども。エミリオは静かに眠るレグサスにそっと布団をかけ、日課となりつつある解析を始める。
レグサスの解析は難航していたが、ようやっと問診のようなものもできるようになり、エミリオはこの現認を夢魔と呼ばれる悪魔のせいだろうと予想していた。
あとはその正体を看破し、強制的にレグサスから引き剥がせばいい。隠れている悪魔はさぞや動揺してくれることだろう。
エミリオはレグサスの体に魔力を流し込んで、異変のある魔力を少しずつ消し去っていく。その度、レグサスの魔力から黒い濁りが消えて、本来の赤い色へと近付いていた。
「やっと決着がつくな」
伊達にスキルオタクをしていない、とエミリオは自身に満ちた笑みを浮かべる。
「そこは勇者だから、じゃないのかな?」とライアンの呆れた声が聞こえた気がした。
***
その翌日、やってきたレグサスは昨日よりもずっと元気そうだった。なぜか大きな箱を抱えているのだが、それが気にならないほど髪も肌もつやつやで、輝きすぎて目に痛い。
「サイファ様よ!」
「素敵~~!」
エミリオがやって来た頃には怯えて控室から出てこなかった娼婦達も最近はレグサスが来ると玄関に並ぶようになっていた。
「ミリー!」
「サ、サイファ様、今宵もご機嫌麗しく……」
「ミリーの顔を見たからだろうか。気持ちも晴れやかだ。……ミリーならレグサスと呼んでくれて構わないのだが?」
「おほほほほ。恐れ多いことをおっしゃいますね。お戯れを……(ご遠慮申す)」
高級店に似つかわしい美しい少女から美女が並んでるというのに、レグサスは一瞥すらせずまっすぐエミリオのもとにくるので、娼婦達は美しい笑顔に不釣り合いなどす黒いオーラを放ちながらエミリオをじっと見つめ続けた。その瞳はまさに深淵。虚無。嫉妬を通り越した何かだ。エミリオはひぇと出そうになる悲鳴を噛み殺す。ライアンとどっこいどっこいで怖い。
「今日も良い男ぶりでミリーが固まってしまいましたわ。ほら、早く部屋にお連れして」
固まるエミリオをマルティナはほくほくした笑顔でレグサスに差し出した。レグサスは勝手知ったと言わんばかりにエミリオの腕を引いて部屋へと向かう。その間も娼婦たちの刺すような視線はエミリオを貫いていた。
エミリオは部屋につき、やっと呼吸ができた心地だった。良かった。俺、まだ生きている。
「ミリー、これを」
部屋につくと、レグサスはエミリオに紺色と金のリボンがかかった箱を差し出した。
「これは?」
「初日に服を破いてしまっただろう? 侘びだ」
「は、はぁ……ありがとうございます」
エミリオが箱を受け取ると、レグサスが視線で窺っているのがわかる。箱を開けてほしそうにしているなと察し、エミリオは若干うんざりした気持ちで箱を開けてみた。
「(う)わぁ……」
箱の中には薄いラベンダー色のドレスが入っていた。エミリオは「いやマジでどうすればいいんだこれ」という気持ちを何とか隠し、まるで「こんな素敵なものを?」と驚くような演技をしてみせる。
(こいつ……間違いなく恋愛偏差値が俺以下だ……)
エミリオは彼女ができても大体一週間ぐらいで「イメージと違う」「(スキル)オタクってキモい」「デリカシーがない」とフラれるくらいには恋愛偏差値が低い。しかしそんな恋愛偏差値が低いエミリオでもこのドレスの色がまずいことはわかる。
この国では恋人に自分の目と同じ色のプレゼントを贈る習慣がある。レグサスの瞳は薄い紫でまさにこのドレスの色である。この国に住んでいる者でそれなりの恋愛偏差値と常識があれば娼婦に送るものの色として不適格だとわかるだろう。
「気に入ったか?」
「え、えぇ……とても素敵ですね(自分が着るのでなければ)」
満足そうに笑うレグサスに『恋人に贈るもんだぞこれ』と常識のなさを説くことなどエミリオにはできなかった。話せば話すほど真面目が服を着て歩いているような男だ、指摘した途端、恥ずかしさで東の国にいる侍のように腹を切りそうである。
「着ないのか?」
「せっかくなので(一生)大事にしまっておきます」
がっかり、と顔にかいてあるようなしょんぼり具合を見せるレグサスをエミリオは見ないふりをする。諦めたレグサスは上着を脱ぐと自室のようにエミリオのベッドに横になり、寛ぎ始めた。
「サイファ様は将軍でいらっしゃるんすよね?」
「……あぁ、過分な評価を賜っている」
人のベッドで寛ぐ様子は無防備極まりなく、エミリオに魔王討伐前夜のパーティーメンバーを思い出させた。いや、奴らは人のベッドの上で菓子を零すからまだレグサスの方が遠慮があるな、と心の中で独り言ちる。
「そのわりには無防備すぎやしませんか? 私が悪い魔法使いだったらサイファ様は何回かお亡くなりになっています」
「ミリーが? それは無理だ」
「眠っている間なら簡単にできます」
「さすがに不穏な気配があれば起きるさ」
「悪い魔法使いは眠らせる魔法が使えるので起きれませんよ」
こいつこのまま将軍やれるんだろうかというくらい、レグサスは毎晩無防備に寛いで無防備に眠って、無防備に起こされているが気にしている様子はない。この店が認可を受けた優良店とはいえ、気を抜きすぎではなかろうか?
「私は魔法耐性が強く、精神に働きかける魔法は特に強い。それこそエルフでも私ほどの耐性持ちはいないだろうと言われたほどだ。もし私に魔法をかけることができたのであれば、それは魔王か、魔王を倒した勇者クラスでなければ無理だろう」
どうも勇者です。
レグサスの言い分に、そういえばそうだったなとエミリオは最近自分が魔力の使い過ぎで偏頭痛に悩まされていたことを思い出した。
「サイファ様、どうして寝れなくなったのか、もう一度お聞きしてもよろしいでしょうか?」
「ん? あぁ、悪夢を見るからだ。あの日……悪魔族に襲撃された日からずっと」
「ずっとですか」
「あぁ」
「それはえっちな夢ですか?」
「ブッ!! ち、違う! もっとこう、血と煙の匂いがする地獄のようなッ! おぞましいものだ!」
えっちな夢かと聞いただけで顔を真っ赤にして否定するレグサスに、エミリオは同年代の友人達を思いだした。レグサスの年齢はエミリオより10は上なのだが、その様子は若く見える外見と相まって同年代に見える。
(しかしエロい夢ではなく、地獄のような夢ねぇ……なるほど、敵の正体に確信が持てた。さっさと終わらせちまおう)
レグサスに取り付けるのであればそこそこ強い悪魔族だ。しかもそれは地獄のような悪夢を見せる。はいはいはい、とエミリオは納得するように何度も頷いた。
「サイファ様。ではどうぞご存分に眠ってくださいませ」
「……」
このまま原因を取り除くと具合が悪いのでレグサスにはさっさと寝てもらいたいところだが、レグサスはなぜか眠ろうとする気配がない。以前は嬉々として寝ていたくせにどうしたのかとエミリオは頭にハテナを浮かべた。
「どうかされましたか?」
「ミリー……今日はその、ただ眠るのは惜しくないか?」
「いえ、特に惜しくないですし、早く寝て頂きたいですね」
「え、あ、そうか?」
「はい」
「……」
エミリオはきっぱりはっきりと言い切った。その顔には早く寝ろと書いてある。
レグサスはしぶしぶベッドに潜ったが、なぜか添い寝を希望され、エミリオは一瞬だけ表情が虚無に染まった。何が悲しくて自分よりイケメンに添い寝をしなければいけないのか。これだったらまだ女顔のライアンと一緒に寝る方がマシに思えた。(は? というライアンの冷たい声も聞こえた気がした)
「おやすみなさい」
「おやす……」
エミリオはいつも以上の力でレグサスを寝かしつけると素早くベッドから抜け出し、結界を張る。今回の結界は痴呆結界ではない。魔物を逃がさないようにするための強力な結界だ。
「お前の名前がわかったぞ」
エミリオはレグサスに手をかざしながら呪文を詠唱する。それは歌のようにも聞こえるほどリズミカルで迷いがない。青白く光る掌から魔術文字と呼ばれる文字が浮かび上がり、レグサスのまわりをくるくると回り続ける。レグサスの体も青白い光を放ち始め、頭から一筋の黒い靄が水に滲むように細く長く溢れ始めた。
「そいつから離れな。餌の時間はおしまいだぞ。エンプーサ!」
エンプーサ、とエミリオが口にした瞬間、レグサスの頭から黒い靄が勢いよく噴出した。竜巻にまかれた煙のように、大きく立ち昇った靄は赤い目を光らせ、醜い牙をむき出しにしてエミリオを睨めつける。
「おぉおぉ、随分な魔力だ。肥え太ったな……弱った相手に気付かれないよう隠れてじわじわじわじわ浸食するんなんて抜け目のないというか、地味な作業を続けたもんだ。……そういやお前、魔力抵抗持ちを選んだドエム悪魔だもんな……」
「ギィアアアアアアアアアア!!!!!!!」
「うへぇ、おぞましいおぞましい」
レグサスの魔力を吸収した悪魔は上級悪魔と呼ばれるものにまで成長しているようだった。いや、最初からそれくらいの実力の持ち主だったのかもしれない。でなければ負傷していたとはいえレグサスに取りつくなんてことは簡単にできなかっただろう。
「でも、今日の先輩達ほど怖くはないわな」
さきほどエミリオを嫉妬の視線で射殺そうとばかりに笑顔で睨んでいた先輩娼婦達の方がよほど怖い。エミリオは素早く呪文を口にし、懐から小さな小刀を取り出して威嚇する悪魔に投げつける。
悪魔は気にせずエミリオにとびかかってきたが、ナイフに触れた瞬間、無数の青白い光に巻き付かれて動きを止められる。
「果物ナイフみたいだろ? それで聖剣なんだから笑うよな」
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアア――――――――――――!!!!」
悪魔は断末魔を挙げて暴れまわる。しかしその体は壁や窓、家具すら触れることはできない。魔力が低い者に関しては声すら聞こえないだろう。
この悪魔には実態がないのだ。干渉ができるのは【生きている者の精神】にだけ。最終的にはその宿主を操り、自分の体にしてしまう。まさに悪夢の悪魔だ。
無数の光の帯は数を増やし、悪魔に巻き付きながら青白い光の玉となった。悪魔が見えなくなった途端、光の玉は徐々に小さくなり、呻く声すら聞こえなくなる。
光が収まった頃には、悪魔の姿や気配はもはや微塵も残されていなかった。
***
「サイファ様、おはようございます」
「ミリー」
「はい?」
「夢を見た……ミリーと一緒の時は夢など今まで見なかったのに……」
レグサスがその日もエミリオに起こされた。その顔は今までで一番晴れやかで、まさに憑き物がおちたような清々しい表情をしている。
「悪夢ですか?」
「いや、違う。良い、夢だった。悪魔にとりつかれていた私を、天使が助けてくれる夢だ」
「まぁ、それは素敵ですね」
「天使は君によく似た男だった」
「あら、おほほほ、そうですかそうですか」
エミリオはとってつけたように上品ぶって笑った。
レグサスは自分に起きた異変に気付いているらしく、己の中にある何かを探るように黙り込んでいる。
「サイファ様、何となく、悪夢はもう見ない気がしませんか?」
「……あぁ、私もそんな気がしている」
「では試しに今夜はお屋敷でお休みになってみてください」
「!? し、しかしそれは……」
「悪い夢を見たらすぐ、馬を飛ばしてこちらにきてくだされば良いのです。ね?」
悪魔がいなくなった今、レグサスは普通に寝ることができるようになっているだろう。もし悪夢を見るとしてもそれは連日続くことはない。
レグサスには穏やかな日常を取り戻してもらえるだろう。しかしエミリオの提案にレグサスは不機嫌そうに眉を顰めていた。
「しかしそうなったら、ミリーは他の客を取ることになるだろう?」
「は? いやまぁ、そう、なるんですかね?」
エミリオは演技を忘れて間抜けな顔で返事をする。レグサスの言動がよくわからないしわかってはいけない気がした。
「だ、大丈夫です。何なら今夜はどんなお客様もお断りします……!」
「借金があると聞いた」
「え、あぁ、そうでしたね」
そういえばそういう設定だった。マルティナあたりが喋ったのだろうか。最近やたらとニヤニヤしながらこちらを見てくるのが気になっていたところだ。
「その借金を、もし私が返したら……ミリーはその……」
レグサスが歯切れ悪く喋る様子にエミリオはあえて追及せず、だんまりを決め込んだ。
そうしているうちにレグサスが勝手に憂いを帯びたような表情でふうと息をつく。
「いや、相手の気持ちを金で買うなんて無様だな。やめておこう」
「そうですね。よくわからないけど最低だと思います」
「ぐぅっ!!!!」
不穏な気配を感じたエミリオは最低という言葉を力強く口にした。それを聞いたレグサスは胸を抑え、歯を噛み締めて呻いている。何やってんだ将軍。
「で、では念のため今夜の金をあらかじめ払っておく。そうすればミリーは客を取らずに済むだろう?」
「え? そ、そうですね?」
それで来なければレグサスは損しかしていないが、将軍は金持ちだろうから痛くも痒くもないだろう。エミリオは曖昧に頷いた。
「ミリー、ありがとう」
「いえ、どういたしまし……」
レグサスは恭しくエミリオの手の甲に口付ける。ではな、と優しい笑顔で部屋を出ていった。まるで王子みたいだな~とエミリオは他人事のように考えた後、手の甲を何度も引っかいた。ゾクゾクするし、なんか、すごく、痒い。
「まぁこれで会うこともねぇし。ライアンも文句ねぇだろ」
その日の夜、将軍がこの店を訪れることはなく、ミリーは『楽園』から姿を消した。きっちり前日分までの給料を受け取って。
***
「お疲れ様。将軍も完全復活したし無事任務完了だよ。いや~エミリオ様様だね」
「よきにはからえ」
何でも屋の仕事が終わり、エミリオはライアンからも報酬を受け取った。一日宰相権と書かれた紙はその名の通り、一日だけ宰相になれるライアン手作りの引換券である。職業を極めたいエミリオにとって、こういった責任ある職は最も手が出し辛い。スキルのために短期間だけさせてくれとは言えないからである。
そこで宰相を父に持つライアンに相談したところ、この券が生まれた。ライアンの依頼をこなすたびに一枚この券がもらえる。10日分ほど貯まったら現宰相に習って宰相ごっこをする予定だ。スキルもそれなりに貰えるだろう。
「そうそう、将軍がミリーっていう女性を探してるらしいよ」
「は? もう問題なく眠れるはずだろ?」
原因だった夢魔を倒し、レグサス将軍は悪夢から解放されたはずだ。なぜわざわざ探すのか、思い当たるふしがあるエミリオは顔を青ざめさせる。いやよもやまさか……。
「花束持参で探してるらしいよ。何でも東の国から輸入したモモの花の花束らしい。珍しいよね」
「……最悪だ」
モモの花言葉は「あなたのとりこです」「あなたに夢中です」。どっちにしてもろくでもないものだと察しがついた。
長きにわたり彼を支配してきた悪夢から救った女性。きっと、天使か女神にでも思えたに違いない。
しかし残念ながらエミリオは男で、天使でも女神でもなく、勇者である。出来るだけ早くミリーを忘れてもらえるよう祈るほか無い。
「ところでエミリオ、娼婦をやっていてスキルは取れたの?」
「取れたぞ」
「だよね……え!?!? とれたの!? 嘘でしょう!? 冗談だったのに……!? ……ん? まさか……」
「娼婦の仕事はしてねぇよ!? 分かって言ってんだろうけど女子スキルは取れないからな!?」
エミリオは娼婦としての仕事をこなしていないにも関わらず、とあるスキルが身についていた。ライアンは驚愕の目でエミリオを見つめており、その目は『お前娼婦しとったんかいな』と雄弁に語っている。
しかし残念(?)ながら、エミリオが授かったスキルは娼婦のものではない。
「え、じゃあ何のスキル手に入れたの?」
「父親スキル『寝かしつけ』」
レグサス将軍を眠らせ続けていたせいか、エミリオには新しく父親(父性)というスキルが生まれていた。(ちなみに女性がとった場合は母親(母性)というスキルになる)
ライアンはそれを聞くやいなや、口を掌でがっちり押さえ、体を曲げて全身が震わせ始める。
「おい、誤魔化せてないからいっそのことちゃんと笑え」
「あーーーーっはっはっはっはっはっは!!!」
ライアンの素直な大爆笑にエミリオはげんなりした。お前のせいだろうが! と憤ったローキックは無事ライアンの膝裏に直撃したが、ライアンは一瞬で身体強化魔法を使ったらしくピンピンしている。
いつもなら嬉しいはずなのに、エミリオは手に入れたスキルに何とも複雑な気持ちになるのだった。
職業の大渋滞を起こしている勇者の話でした。
長文になってしまいましたが、少しでも楽しんでもらえたら幸いです。