「お迎えにあがりました。お嬢様」
目を開けたら、知らない天井だった。
……という小ネタはさておいて。
「え、なにこれ? どういうこと?」
昨日は自分の部屋で眠りについた筈。
なのに、目に映るのは知らない天井。起き上がってみても、見覚えのない家具ばかりだ。
「ここ、どこ?」
パニックになりながら、窓へと駆け寄る。そこにも、やはり見覚えのない景色が広がっていた。
(ここは、この世界は)
瞬間、どっ、と記憶が流れ込んで来た。
そう、『この世界の』記憶が。
(そうだ!! ここ、『リリカル♡メモリアル』の世界で、私は……!)
悪役令嬢『セリア』の侍女だった……!
そう確信した途端、へたへたと腰が抜けてしまった。
震える手をぐ、と握り締めながら、状況を整理する。
『リリカル♡メモリアル』。通称「リリメモ」。
いわゆる女性向け恋愛シミュレーションゲームである。中世ヨーロッパにも似た世界観の下、攻略対象たちと恋愛をしたり、己の能力を高めたり……まあ、ストーリーとしては王道なのでここで多くは語らない。
そして先述した『セリア』とは、主人公の行動を事あるごとに妨害するライバル……もとい、「悪役令嬢」と言われる立場の登場人物である。性格は高飛車で厭味ったらしく、事あるごとに「貴族として……」と常識を主人公に説く口うるさいキャラ。プレイした当初は、「なんだコイツ」と反感を持ったものだが、プレイするにつれて、その魅力に引き込まれてしまった。
言い方はキツイものの、内容は貴族世界を生き抜くために必要不可欠なものばかり。さらには婚約者である第一王子を想う健気さも持ち合わせている。もちろん容姿……銀色の流れるような髪に、切れ長のアイスブルーの瞳、白い肌に桜色の唇……と、これまた美麗で、ツボを突かれてしまったものだ。成績だってトップ……ヒロインが現れてからはその座を脅かされていたが……をキープするという、まさに才色兼備を絵にかいたような人物である。
と、気が付いてからというもの、セリアの言うことなすことが、所謂「ツンデレ」にしか思えなくなってしまった。ツンデレ、その属性は個人的に非常に大好物な要素の一つで。何とかセリアと仲良くできないか、と何度もプレイを繰り返したが、彼女に与えられた『結末』はどれも残酷なもので。
(婚約解消される『だけ』なのはまだいい方だ。確か、昨日プレイしていたルート……いや、記憶だと)
ざあ、と血の気が下がった。
学園主催のパーティ、そこで第一王子に婚約解消を告げられ、さらにヒロインに嫌がらせをしていたという濡れ衣を着せられ、奴隷に墜とされる。そしてこの世界の奴隷はオークションにかけられ、売り飛ばされることも知っている。
(そんな、そんな事……)
許してたまるか!!
慌てて身支度を整え、枕元にある剣を自然に取る。そう、全てはセリア様をお守りするために、侍女として、そして騎士として鍛錬を積んで来た記憶がある。そして、転生前の自分には、剣道二段、という実績まである。
何とかなる……いや、してみせる!
その決意を胸に、ドアを勢い良く開けた。
「さあさあ、本日の目玉商品!! 奴隷に堕とされた元貴族の令嬢です!! 皆様振るって救いの手を!!」
小さな檻の中に囚われたセリアは、仮面越しに好色な視線に晒されるのを必死に堪えていた。不安、悲しみ、悔しさ、そうした負の感情に飲み込まれないように、必死にその視線を見返してみせる。どんな逆境に陥ったといしても、貴族としての誇りを忘れてはならない。
。
破格、とも言える値段が次々と吐き出されるのを、どこか別の世界のように感じながら、唇を結んで必死に耐える。
ああ、どうしてこんな事に。
あの人……レイナが学園に編入してきてから、僅か半年。婚約者であるハンスは、すっかり彼女の虜となり、王国主催のパーティで婚約破棄を言い渡された。それだけならまだしも、レイナに危害が及ぶことを恐れたのか、悪事を捏造され、家は崩壊。一家死罪になりたくなければ、奴隷に身を窶せ、と言われては、選択の余地などなく。セリア以外の家族は、辺境の地へ追放、という形で処分された。
(お父様、お母様……)
頭を過ぎるのは、心から愛してくれた両親のこと、そして。
(クレハ……)
物心付いた時から、一緒にいてくれた侍女のことだった。
傭兵に連れ去られる自分の名を呼んでくれた時の悲痛な声は、今でも鼓膜に焼き付いて離れない。
楽しい時も、悲しい時も、全て彼女と分かち合って来た。そこには、身分を越えた『絆』が確かにあった。
ふとした時に、彼女にこんな質問をした時がある。
『ねえ、クレハ。この先どのような事があっても……』
それに彼女は、これ以上ない優しい笑顔で。
「1億ゴールド!! さあ他にないか!!」
カンカンッ!
乾いた木槌の音が、現実に引き戻した。
「では、落札とさせていただきます! 哀れな元令嬢に救いの手を差し伸べたのは、この御方!!」
おおっ、と歓声があがり、黒い仮面、そして同じ色のマントを羽織った男が、下卑た笑みを浮かべて舞台へとあがり、こちらへと歩み寄ってきた。
目を反らしたくなる衝動を必死に堪え、きゅ、と拳を握り締める。それが男の嗜虐心を刺激したらしく、仮面の奥の瞳は、ますます厭らしく細められた。
「愛い娘よ」
柵の間から、汚らしい手が伸びてくる。
いや、やめて。
触らないで。
誰か……!!
来もしない助けを求めた。
その筈だった。
ざわり。
俄かに会場が騒がしくなった。
ギンッ!! ギンッ、ギンッ!!
『貴様、何者っ……ぎゃあっ!!』
『くそっ、通すなっ……ぐあああっ!!』
扉の向こうから聞こえる、金属音と悲鳴。それは徐々に大きくなってくる。
「なに? 何なの?」
「何が起こってるんだ?」
不穏な騒めきが会場を満たした。
その時。
バンッ!!
大きな音をたてて、扉が開いた。
そこに立っていたのは。
間違える筈がない。
「クレハ!!」
その名を呼べば、クレハはにこり、微笑んでくれた。
「お迎えにあがりました。お嬢様」
「……っ!」
ぽろり、と涙が頬を伝うのが、分かった。
支配人らしき男が、血相を変えて叫ぶ。
「だ、誰か!! この不届きものを捕まえ」
「誰もいないよ」
チャッ
血塗れの剣が、男を指し示す。
ビシャッ!
それを振り下ろせば、血しぶきが床を濡らした。
「……大した事なかったね」
にぃ、と口角を吊り上げ、ぺろ、と舌なめずりをするその姿は。
壮絶、という他はなくて。
「きゃああああああ!!」
誰かが甲高い悲鳴をあげたのをきっかけに、我先に出入口へと客たちは逃げ出した。それはもちろん、支配人らしき男と、自分を買い取った男も例外ではない。
静寂が会場に満ちたところで、クレハはゆっくり、ゆっくり、とセリア……主の元へと歩いていく。
カツン……
そして檻の傍で立ち止まり、剣を振り上げた。
ガシャン!!
呆気なく壊れた鍵を尻目に、キィ、と扉を開く。
「お嬢様」
そう呼ぶと、セリアはゆっくりと首を横に振った。
「もう私は、お嬢様ではないわ」
その言葉に、クレハは目を見開き、そして細める。
「それでは、どこへでも行けるし、何でもできますね」
「そうね」
くすくす、と二人顔を見合わせて、笑いあう。
「ねえ、クレハ。昔した、約束を覚えてる?」
もちろん、覚えている。
蘇った記憶といえど、忘れてたまるものか。
『この先どのような事があっても、私と一緒にいてくれる?』
『はい、お嬢様。私はいつまでも、貴方と共に』
「お嬢様……いや、セリア。私と一緒に来てくれる?」
差し伸べられた手を、迷うことなくセリアは取った。
「もちろんよ、クレハ」
そしてセリアは、頬を染めて言葉を続けた。
「ねえ、気付いてた? ……私、貴方のことが好きなの。恋愛対象として、ね」
「えっ!?」
クレハの目が、大きく見開かれた。セリアはアイスブルーの瞳を伏せる。
「突然、このような事を言われても困るわよね。でも、ハンス様よりも、貴方の事を大切に思う気持ちが、どうしても止められなかった」
ごめんね、とセリアは一筋の涙を零した。
すると。
「セリア」
その涙を、クレハは指で拭いとる。
「私も、セリアのことを、お慕い申し上げております。……心から」
ああ、そうだ。
守るべき対象以上の存在となったのは、あの約束をしてから。
命を捧げるのは、昔も、そしてこれからもセリアただ一人だけだ。
「クレハ……嬉しい……!」
「セリア」
胸に飛び込んで来たクレハを、セリアは優しく抱きしめる。
心臓の鼓動が高鳴り、胸が熱くなるのを感じた。
ああ、なんて愛しい。
しばらくの後、身体を少しだけ離し、微笑みあう。
「さあ、行きましょう」
「ええ」
繋ぐ手に力を込め、二人は歩き出す。
それがどんな道であっても、歩んでいけるだろう。
二人一緒なら。
これはまさにプレイヤー自身が切り開き、導き出したエンディング。
この先の未来は、まさに神のみぞ知る。
(終)