1-1 誕生日①
初投稿。徒然なるままに不定期投稿します。よろしくお願いします。
※2020/02/12 加筆修正
真面目に人生を歩んできたつもりだった。
自慢にもならないが、法を犯したことは一度もない。
20歳を迎えるまで飲酒はしていないし、タバコは吸ったこともない。
もちろん自分以外の未成年に対して、俺の目の届く範囲でそれらをさせたこともない。
どんな車通りのないところであっても信号は守ってきたし、1円単位でネコババも着服もしたことがない。
立ちションだってしないし、不倫だってしていない。
……大学時代に酒に呑まれて浮気したことはあるが、付き合っていた彼女からの号泣ビンタと別れ話を喰らったことで清算されているはずだ。そもそもその一度の過ちが原因で今こうなっているのだとしたら、俺は声を大にして神という存在を罵ってもいいのではないだろうか。
しかも浮気は犯罪ではないし、泥酔していたのだから情緒酌量の余地があったと自己弁護したい。
もしかして、この開き直った考え方が原因なのかもしれない。なんて筈があるか。
罪に対して罰が重すぎるだろ。いい加減にしろ!
なんだかんだでその浮気相手である亜希と結婚して早13年目。すくすくと健全に育ってくれた娘の詩子は、今日10歳の誕生日を迎え、家族水入らずの誕生日会を行う筈だった。
そんなことを考えていると、目の前のそれは触手を蠢かせた。
ホワイトな会社であるにも関わらず、会社に1泊、2泊、3泊……休暇が足りない、なんて番町で皿屋敷な愚痴があちこちで溢れる今日この頃。俺の有給休暇取得も当然のごとく時季変更権が行使されるのは明確で、動物園に行く予定を反故にされた詩子の涙目上目遣いに心が抉られながらも出勤した。小悪魔女子スキルを高レベルでものにしているとは、我が娘ながら恐ろしい。
でもお父さんだって詩子と動物園ではしゃぎたかったんだ。ペンギンを愛で、ホワイトタイガーに癒され、触れ合いコーナーでウサギをモフりたい人生だったんだよ!くそ!
やばい、思い出しただけでHP削られていく。やめて、俺のHPはもうアブソリュートゼロよ!
お菊さんにも憐れまれるであろう(言いにくいな)状況に、溜息を漏らしつつパソコンを立ち上げる。
普段は月に20時間の残業で「今月は忙しかった」と嘆いているくらい時間的余裕のあるプロジェクトであったのだが。トロイの木馬に乗った王子様が気まぐれにやってきて爽やかに微笑まれただけで、俺たち平民社員は真っ青な顔で対応に追われることになる。
といっても実際に忙しくしているのは多部署のセキュリティ部門の人間と、数日間の仕事が綺麗さっぱり失われ、タスクが詰まり出したプログラマーたちであるのだが。
俺は中間管理職として、対策本部というなの懲罰房で正しい頭の下げ方を反復練習する日々である。
休日をサクリファイスした甲斐もあって、納期までに完成させる目処は立った。
あとはプログラマー達が過労と言う名の死神に魅入られない様に、産業医と牛乳に相談しなくては。
早速、カルシウム不足でイライラがマックスになっていそうな部下達に、牛乳とコッペパンを配って回る事にする。
「あれ。先輩?今日は休みじゃ無いんすか?」
大量に買い込んだメグ牛乳とコッペパン(ジャム&マーガリン)が入った袋を抱え、朝一のラウンドを実施しようと立ち上がった時に、部下の1人が出勤と同時に声をかけてきた。
「おはよう石渡。今日も遅刻だな。なんでそんなに悪びれていないのか是非教えてほしいな」
「いやぁ。今日お休みと伺ってたので。神妙な顔する準備してなかったっす。さーせん」
「え。いつもと変わんない気がするけど。神妙な顔してたの、今まで?」
びっくりしすぎると倒置法になるよね。文章構成力がなくなって、単語のつなぎ合わせになるせいだろうねきっと。
「そんな事より、しいちゃんの誕生日どうしたんすか。ドタキャンすか?しいちゃん泣かせる様なら、俺絶対許さないっすよ?」
「え、なんなの?俺の娘とどう言うご関係なの?怖いよお前」
「お父さん、これ誕プレっす。伝言は『10歳の誕生日おめでとう。あと6年だね。72ヶ月だね。2191日だね。身を清めて待ってるから。愛してるよ』でお願いするっす」
取り敢えず誕プレと言う名の猥褻物を無言ではたき落とす。やばいよこいつ。何がやばいって、やばい以外の感想が出ないもの。思考が全部やばいで埋め尽くされてるもの。
「娘はお前のこと待ってないから。俺の嫁になるって言ってるから。俺も重婚する覚悟決めたから」
おっと、他の部下達が引いたのを感じるぞ。何故だ。
「うっわー。痛いっすよ先輩。流石に引くっす。大人しく俺に託すことをお勧めするっす」
石渡が汚物を見る様な目で、さらに目線を逸らしながら自席に向かう。解せぬ。
まぁいいや。ラウンドしつつ牛乳とパンを配って回ろう。
……何故かばっちぃものを触る様に摘んで受け取られた。うん。石渡の野郎絶対に許さねぇ。詩子に有る事無い事吹き込んでやる。まぁでも全員受け取ってくれるんだね、ツンデレ達め。
さて、今日も懲罰房で進捗報告&謝罪タイム。その前にコーヒーブレイクで休憩室に。
一応分煙とはなっているものの、喫煙室を開閉するたびに煙が流れ込んでくるため、休憩室もタバコの匂いがきつい。まぁ、肩身が狭そうに吸ってる姿は哀れを誘うのできつくは当たれないが。きついのにきつく当たれない。今回のは上手いこと言った。え、言えてない? 無念。
まぁ、そんな事より詩子の機嫌を取るためのお土産を考えなければと、携帯を取り出す。
『娘のご機嫌とり お土産 スイーツ』でネット検索をかける。
……それっぽいものがヒットしないな。もしかして、検索下手すぎ?
どうしたものかと考えあぐねていたら、喫煙所から出てきた部長と目が合う。
「……何故出社してるんだ?お前は」
「……おはようございます部長。え、俺知らないうちにクビになってました?」
ていうか定時の開始時刻から30分以上経ってるけど。今まで気づかれなかったのか俺。
影薄いの?むしろ濃いでしょ。今朝もみんなから注目されてたし。悪い意味で。
「家族を大切にできない奴に大切な顧客を任せることはできん。時間休取得で帰りなさい」
「いや、しかしこの後対策会議が……」
「お前の代わりなどいくらでもいるんだ。ほら餞別だ。さっさと出て行け」
「部長、言い方。言い方で台無しですよ……。でもありがとうございます」
『お誕生日おめでとう 詩子様』と書かれたご祝儀袋を投げ渡される。お金を投げるんじゃありません!
中身お金じゃないかもだけど。まぁ何であれ、詩子の誕生日を祝ってもらえるのは嬉しい。石渡以外なら。
というか、部長はカッコつけてるつもりなんだろうなぁ。挙げた方手をヒラヒラさせながら去っていく(もちろん、反対の手はズボンのポケットに突っ込まれている)姿は、なるべく煙が流れない様に素早く喫煙所か出てくる時より哀れを誘った。
そんなこんなで出社から1時間で退社できたので、亜希に変わって予約してあった誕生日プレゼントとケーキを受け取りつつ帰宅する。今までの10年なんかを振り返り幸せを噛み締めながら不覚にも泣きそうになり、道行く人に怪訝な目で見られながらも自宅へとたどり着く。
……この時、部長に帰らされなければ。休憩室に行かなければ。
ケーキとプレゼントを取りに行くため、亜希と詩子は出かけていたはずだ。
そもそも忖度せず、当初の予定通り出かけていれば。もしくはトロイの木馬に乗った王子様が現れなければ。
この後の悲劇は、回避できていたのではないだろうか。
たらればの話なんて、意味はないのだろうけど。そう考えずにはいられないのだ。
子育て10年を感謝して亜希にもなにか贈ってやりたいな、などと考えながら門扉を通過し、玄関のドアを開ける。「ただいまー」と我ながらご機嫌な声で帰宅を告げ、5Mほど先にあるリビングを窺う。
リビングへ続くドアの向こうで、茶色い泥のような何かが躍動していた。
誕生日会の飾り付け……であればセンスを疑う。例えそんな亜希でも好きだけど!
というか、ファンタジーな生物に見えてしまう。マッドマン。直訳で泥男。
よくできてんなー、なんて呑気に考えてながら靴を脱ぎかけたその時。
泣きながらこちらに駆け寄ってきた詩子の腹を、茶色い物体から伸びた触手が貫いた。
意味がわからない。意味はわからないが、助けないと。詩子を貫いている触手をどうにかしなくては。どうにかって、どうすればいいんだろう。抜かなきゃ、触手。あ。出た、倒置法。これはまともに頭が働いてないな。
ファンタジー世界?マッドマンなのか?
でもこれ。まずいんじゃないか、多分。
え、これ……死ぬんじゃないのか?
あれ?
えっと、どういう事だ。
そうだ。亜希は。亜希はどうした?
吐血した詩子を慌てて抱きしめる。
「大丈夫、大丈夫だからな?」なんて、なんの意味もない言葉をかけながら亜希を探して視線を彷徨わせる。
見える範囲にはいない。家の中を探したい衝動に駆られたが、亜希をどうしていいかわからず、その場から動けなかった。
家に居ないでくれ。出かけていてくれ。
……ああ、でも。
誕生日の娘に留守番させて、1人で出かけるような母親ではないよな?
そして、詩子が一人で逃げてきたということは……。
まるでその疑問に答えるかのように、マッドマンが蠢いた。泥が独りでに蠢きながらゆっくりと近づいてくるその現実離れした様子に、意図せず苦笑が漏れる。
なんだよ、これは。なんなんだよ、こいつは。相手を把握しようと、「顔」でも見ようとしたのだろうか。視線は無意識のうちに、天井近い高さまで伸び上がっているマッドマンを登頂していた。
頂上、もしくは頭頂部にあたる部分。それを目にした瞬間絶望し、「真面目に人生を歩んできたつもりだった」なんて以下冒頭部。
俺が目にした「それ」とは、もはや人の形を成していない亜希の、無残な姿だった。