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危ういバイト


──────えっ…ここ?


菊地君のバイト先のお店の前で早くも尻込みしそうになった。



場所が歌舞伎町だしAuroraって名前だし、夜のバイトかなとは思ってはいたけれど……




1回深呼吸してから店のドアを開いた。

一歩中に入ると目がチカチカするほどのイルミネーションと鏡張りのエントランスが出迎えてくれた。

そこを抜けると天井から降ってきそうなほどの豪華なシャンデリアに、宮殿に置いていそうな煌びやかな客席が目に飛び込んできた。

まさに、異次元ワンダーランドといった雰囲気だ。



そう、ここはホストクラブだ。



なんで菊地君…ホストクラブなんかでバイトしてんのよ……

学校帰りの灰色の生真面目スーツで女一人でこんなところ…場違いすぎて泣けてきた。



キラッキラのキープボトルが飾られたボトル棚を横目に、案内された席へとギクシャクしながらも座った。

白いスーツを着こなしたセイヤと名乗るホストが、人懐っこい笑顔で料金説明をしてくれた。


初めてお店に訪れた私のような客は、初回料金たったの三千円、90分飲み放題でホストクラブを楽しめるのだそうな。

高い料金をぼったくられるイメージがあったからホッとした。



「あの、ここで菊地 翔太って子は働いていますか?」

「翔太ってショウのこと?なんだあ、君もショウ目当ての客だったのかー。」


セイヤは大袈裟なくらいガックリと落胆した。

名刺まで頂いて親切にしてもらったのに悪いことをしてしまった。


「あのっ…私はこういう者で……」


私も名刺を渡そうとしたら思いっきり笑われてしまった。

セイヤはこの仕事を三年しているが、名刺を渡されたのは初めてらしい……



「ショウは入ったばっかりなのに凄い人気なんだよね。指名になるけどいい?呼んできてあげるよ。」





周りを見渡すと二人組の若い女の子が多かった。

みんなデートで着るような可愛らしい格好をしていて、ホスト達とお酒を飲みながら会話を楽しんでいた。

私…完璧に浮いてるな……





「誰かと思ったらマキちゃんじゃん。」



菊地君は長い髪を後ろに緩く流し、光沢のあるタイトなスーツに身を包んでいた。

高校の制服をダボッとオシャレに着こなすいつもの菊地君と違って、凄く洗練されていて大人っぽい……

ゴージャスな内装にだって全然引けを取らない菊地君の存在感につい見惚れてしまった。

……て、惚けてる場合じゃないっ!


菊地君は私の向かいにある丸椅子に腰を下ろした。



「これ飲んだら帰りな。こんなとこマキちゃんには似合わないから。」

「菊地君こそ。」


「ここは高校生でも18歳ならバイトOKの店だよ?」

「そういう問題じゃなくて!」


菊地君は手馴れた手つきで水割りを作ると、グラスに付いた水滴を綺麗に拭き取ってから私に手渡してきた。


「……菊地君はアルコール飲んでないよね?」

「飲まないよ。そういう法に触れることはしてないから安心して。」


そう言って菊地君は微笑みながらウインクをしてきた。

菊地君のホストっぷりが板につきすぎてて心配なんだけど……

奥の席でエコーの効いたマイクでホスト達が歌い始めた。

なにを言っているのか早口でよく聞き取れないんだけど、ボトルを頼んだ時に付いてくるシャンパンコールというものらしい。



「俺のことはもう気にしなくていいよ。学校辞めてホストやるから。」


飲んでた焼酎の水割りを盛大に吹きそうになった。

なにを言ってるの菊地君?

ホストは慰謝料を稼ぐために仕方なくしてるんじゃないのっ?


「俺ん家すっげえ貧乏でさ。だから昔っから金持ちになりたかったんだよね。俺ならホストで十分稼げそうじゃん?」


売れっ子ホストなら年収何千万も稼げると聞いたことがある。

確かに菊地君ならホストの才能ありそうだとは思うけど……


「……サッカーはもういいの?プロ目指してたんでしょ?」


ずっと笑顔で接客していた菊地君の顔が一気に曇った。



「なんだ…マキちゃんも知ってんだ……」



菊地君は組んでいた足を直すと、スーツのパンツの裾をたくし上げて私に見せた。


「左右の太さが違うのわかる?利き足を怪我して筋肉がゲッソリ落ちたんだ。」


遠目でも太さが違うのがわかった。

手術のあとだろうか…右足首には大きな傷跡が残っていた。



「でも怪我は治ったんでしょ?」

「怪我が治ってももう無理なんだよ。」


「無理じゃないよ。諦めなければ……」

「無理なんだよ!!」



私の言葉を遮るように菊地君は叫んだ。

華やかな店内で私達だけが重く冷たい空気に包まれていた。

先程シャンパンコールをしていたテーブルでは、ドンペリを一気飲みするホスト達の騒ぐ声が聞こえていた。

別の世界の出来事のように聞こえる……




「マキちゃん。あのドンペリ10本飲めって言われたら飲める?」


あれを…10本?

そもそもドンペリなんて飲んだことがない。


「無理でしょ?諦めなきゃ出来るってもんじゃないんだ。」

「でも、菊地君はっ……」


「もう教師でも生徒でもないんだから帰れっ!」



私を拒絶する冷たい口調……


顔を逸らす菊地君が

またあの泣きそうな顔になった──────




なんでそんな顔するの?


今にも……

崩れそうじゃない………






「……菊地君。ドンペリ持ってきて。」



そんな顔して、そんな見え透いたウソを付かないで。



「はあ?マキちゃんなに言って……」

「私お酒大好きなの。10本くらいペロッと飲めるから。」


「ふざけてんの?飲めるわけがない。」





菊地君が本気でホストをしたいなら止めたりしない。

でも──────




「いい?私が10本飲んだら、菊地君は諦めずにもう一度サッカーをするの。」





────こんなの……

自暴自棄になってるとしか思えないから!







私は挑むように、菊池君を真っ直ぐに見つめた。

菊地君からはまだ、拒絶するようなピリピリとした空気が伝わってくる……



「いいけど…途中で酔いつぶれたらマキちゃんのことお持ち帰りするよ?」


菊地君はスタッフにドンペリを一本注文すると、私の目の前のテーブルに乱暴に置いた。




「なにされても文句言わないならどうぞ挑戦して。」




シャンパンコールが鳴り響く中、菊地君は挑発的な目をして私のことを睨んでいた。














一本二本とボトルを注文する度にホスト達が周りに集まって来て騒ぎ立てる。

正直ウザイ。

俺らもなんか飲んでいいですか〜とホスト達が聞いてくる。

どうやら金持ちだと思われているようだ。

セレブがこんな飲み方するかってんだ。


特にこの隣に座ってるトラオってホストはなんなの?

歳いってるしカッコ良くもないし口臭いし言ってくる言葉がいちいち寒い。

肝心の菊地君は他に指名が入るもんだから、シャンパンコールの時にちょこっとテーブルに腰掛けにくる程度。

たまにこっちを見てる菊地君と目が合うけど、若干引き気味だし……


誰のために飲んでると思ってんだあ?!



「マキちゃん酒飲みじゃね?どこ出身?」

トラオ、うるさいっ。


「……徳島。」

「酒豪のとこじゃん。うどんも美味いんしょ?」


酒豪は高知!うどんは香川っ!


「ドンペリ追加!トラオ、チェンジ!!」


故郷の四国をゴッチャにされたことが頭にきてトラオを蹴り飛ばした。

ダメだなこれ…私かなり酔っ払ってきてる。

私の隣には最初についたセイヤが座ってくれた。

心配して水を持ってきてくれたのだけれど、もう一滴も入る気がしない。


「セイヤ君…私今何本飲んだ?」

「う〜ん…5本、かな。もういいんじゃない?」


全然足りない。まだ半分じゃん。

でもちょっとでも刺激が加われば吐きそう……

これ以上は無理かも知れない…眠気まで襲ってきた。




「セイヤさん代わります。あとは俺が相手するんで。」

「ほらマキちゃんしっかりして。ショウ来てくれたよ。」



日本酒なら軽く二升は平気で飲めるのに……

ドンペリは飲みなれてない上に発泡酒だからお腹が膨れるし酔いやすい……

菊地君の肩に項垂れるようにして寄りかかってしまった。



「マキちゃん、もうギブアップしたら?」



菊池君がヤラシイ手つきで私の首筋に触れた。


「そんなに俺とホテル行きたい?俺結構タフだから、マキちゃん次の日立てなくなるかもよ?」


吐息がかかるほどに耳のそばで囁かれ、背筋がゾクゾクっとしてしまった。


「ちょっ……近い。」


押しのけようとしたけれど手に思うように力が入らない。

菊池君はクスっと笑うと、私の首筋に淡く口付けをしてきた。

頭がほわっとしてこのまま身を委ねたくなってくる……


……って、ダメダメこんなの!

生徒とそんな関係になったら教師なんか間違いなくクビになる。



「ちょっと菊地君っ本当に止めて!」

「文句は言わない約束じゃなかったっけ?」



押し倒すように覆いかぶさってくる菊地君に、怖くて目をつぶってしまった。

縮こまっている私の頭を、菊地君はぽんぽんと優しく撫でた。



「わかったマキちゃん?タクシー拾ってあげるから、歩けるうちに帰りな。」




………菊地君?


スタッフに手を上げてタクシーを頼もうとした菊池君の腕を引っ張った。

驚いた表情を見せる菊池君と目が合う……



「誰がギブアップなんて言った?」


「……マキちゃん……?」





「私は……諦めないからっ!!」






ここで止めたら私は菊地君を見捨てたことになる。

そんなことをしたら私はこの先……



教師だなんて名乗れないっ─────!!






「ドンペリ、もういっ……」



次のボトルを注文しようとした時、目の前に立つホストとバチっと目が合った。

着ているのはベーシックなスーツなのに、ただならぬオーラを放つ堂々とした佇まい……

これは…ダントツでこの店一番のイケメンだ。


「さては、ナンバーワンだな?!」

「誰がナンバーワンだクソが。よく見ろ、俺だ。」


聞き覚えのあるこの口の悪さは相澤先生?

ちょっと待て…なんで居るんだ?幻覚?幻聴?

頭がクラクラし過ぎて考えがまとまらない。



「俺の情報網を甘く見んなよ……まあマキマキがへべれけ状態でいるのは斜め上の展開だったがな。」


相澤先生は向かいにある丸椅子にドカッと腰を下ろした。



「で、なんでこんなに飲んでんだ?」



私は説明が面倒だなあと思いつつも、相澤先生に菊地君とした約束のことを話した。


「いくらなんでも無謀すぎるだろ?もう止めとけ。」


「諦めたらそこで試合終了だよ?サッカー部顧問のくせにアンパンマンの名言を知らないんですかあ?」


「それバスケの漫画な。それに言ったのは安西先生な。」



ふんぞり返って相変わらず偉そうな態度だ……

なによ、ちょっと自分が生徒から人望が厚いからって威張っちゃって。




「すいませ〜んっボトルもう一本追加で───っ!」

「ちょっとマキちゃん!」


私の追加注文に菊地君が青くなった。


「なんだ菊池?自分で言い出したくせに引っ込みがつかなくなってるって顔してんな。」

「本気で10本飲もうとするなんてイカれてるっ!」


「そのイカれた女にこんなに飲ましてんだ。男ならちゃんと約束守れよ。」



ねえ…このイカれた女って私のこと?

ムッかつくんですけど!!




「俺にもボトル10本持ってこい。全部一気に飲み干してやるよ。」

「なっ……相澤先生までなに言ってんの!正気っ?!」


私は、焦る菊池君を押しのけて相澤先生に突っかかった。



「ちょっとお!私が飲むんだから相澤先生は引っ込んでてっ!」

「なんでおまえがキレてんの?」


「イケメンだからなんでも許されると思ってるでしょ?調子に乗ってんじゃねえわ!」

「俺…おまえのために飲むんだけどわかってる?」


「言っとくけど私は負けないからなあ!!」

「酔っぱらいが。俺が勝つに決まってんだろ。」



相澤先生はボトルを口に咥えると上に垂直に上げ、ノドに流し込むようにしてあっという間に空にした。

惚れ惚れするくらいの見事な飲みっぷり……

周りのホストやお客さんからも一斉に拍手が湧き起こった。

相澤先生…ホストとしても充分やっていけるんじゃないの?


はっ…なに敵に見とれてんだっ。

私もやってやる!


6本目に手を伸ばそうとした時、横からボトルを取り上げられた。






「もう止めろよ…なんなんだよ二人して……」






……………菊池君…………?




「人の気も知らないで…勝手すぎるだろ。」





ボトルを持つ菊地君の手は小さく震えていて

その目からは……


涙が、こぼれ落ちていた──────






「辛いんだよ。すっげえ辛いのに………」





何度も見た、菊地君の今にも泣き出しそうな顔……

切なくて苦しくて……

どうしてあげたらいいのかわからなかった。




でもやっと……






「また……頑張りたくなってくるだろ………」







……やっと泣いてくれた────────







菊地君は右足を抱えながら声を震わせて泣いていた。


怪我は治ったのに思うように動かなくなってしまった自分の右足……



本当はずっとずっと……


心の中の憤りも未練も迷いも全部、



涙と一緒に

吐き出したかったんだ──────







「どうしようもなくて辛いなら俺にぶつけてこい。全部受け止めてやるから。」


相澤先生は泣いている菊地君の頭をガシガシと乱暴に撫でた。

私も、堪えきれない感情が押し寄せてきてボロボロと泣いてしまった……



「そうだよ、菊地君。私も…いるからね。」


「……マキちゃん。」



菊地君の涙を拭いてあげようと近付いたら、力強く抱きしめられてしまった。


「ありがとうマキちゃん。すっげえ嬉しいっ。」



待って、菊地君っ今それをされると……





………うっぷ──────





ドンペリ5本がマーライオンみたいに出た。











※マーライオンとは


シンガポールにある、上半身がライオン、下半身は魚の像。口からは勢いよく水を吐いているよ♡















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