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乙女の危機

私にも同期の先生がいる。

花野はなの 智美ともみちゃん。22歳。担当教科は社会。

通称、花先生。

お嬢様育ちでとてもおっとりとした天然キャラだ。

今はお互い慣れない教師生活でバタバタしていてゆっくりと話す時間はないが、いつか飲みに行こうねと約束している。


そしてこの花先生の教育係が桐ヶ谷(きりがや) 拓巳たくみ先生。34歳。

三年A組担任。担当教科は英語。

頭脳明晰でセンスも良く、大人の魅力に溢れているところが女子生徒にとても人気がある。




この二人は私と相澤先生が並んで座る席の、通路を挟んだ後ろの席に居るのだが……



「相澤先生、今日も彼女の手作り弁当ですか?」

「……ええ。まあ……」


桐ヶ谷先生が珍しく相澤先生に話しかけてきた。

相澤先生の顔がわずかに険しくなる……

なんか相澤先生って桐ヶ谷先生のこと嫌ってるっぽいんだよね。

桐ヶ谷先生は家がお金持ちらしく、学校にはベンツで車通勤しているし着ているスーツもフルオーダーだ。

特にそれを鼻にかけている様子はないのだが……

同じ英語担当だからライバル視しているのかな?


花先生も興味ありげに相澤先生のお弁当を覗いてきた。


「なんか相澤先生のお弁当のオカズって…真木先生のと似てませんか?」


ギックゥ!!

相澤先生と二人してビクついてしまった。

一応盛り付け方とか切り方を変えてはいるのだけれど、元々は同じオカズだ。

料理をする人から見たらバレバレなのかもしれない。



「……私、お弁当作りの本見てしてるから、もしかしたら相澤先生の彼女さんも同じの見てるのかも〜。」

「そういや俺の彼女も見てたな。365日のどっきゅんオカズ作り♡ってやつ。」


「そ…そう、それです……」


相澤先生…もうちょっとマシな題名思いつかなかったの?



「真木先生。その本、今度私にも貸して下さいね。」



ないよ…そんな本。

花先生おっとりしてんのに追い込んでくるね……



相澤先生が私の机に紙切れを渡してきた。

開いてみると「今日はどっきゅんな中華が食べたい」と書かれていた。


なにノリノリでリクエストしてくれてんだよ……














八宝菜、青椒肉絲、回鍋肉……中華って言われてもいっぱいある。

相澤先生はなにが食べたいんだろう?

今日はカレーのつもりで材料だって買ってあったのに、なんで私、言われた通りにしてあげてるんだろう……

まるでご主人様の言いつけを守る忠実なペットだな。すっかり相澤先生のペースだ。


まあこれも次の給料日までだし、その日が来たらのしつけてたたき出してやるっ。





スーパーに向かう大通りを歩いていると、反対側の歩道に菊地君が歩いているのが見えた。

隣にはこないだ菊地君が酷い振り方をした彼女がいて、その二人を囲むようにチンピラ風の怖そうな人達が5.6人、列を作って歩いていた。


「私にこんなことしてタダじゃ済まないからねっ!!」


去り際に彼女が捨て台詞のように吐いた言葉を思い出した。

まさか…これから菊地君を袋叩きにする気じゃ……

いやいやそんなこと…これからみんなで仲良くカラオケとかボーリングに行くんだよね……?


しばらく目で追っていると、狭い路地に面した古い雑居ビルの中に入っていった。

あの中でなら例えなにがあったとしても外に漏れることはないだろう……



…………嫌な予感がしてならない。



私は信号が青に変わるのを待って、菊地君のあとを追いかけた。










ひとつしかないエレベーターを見ると三階で止まっていた。

非常階段で三階まで上がると、細い廊下を挟んでスナックやバーの看板が書かれた扉が並んでいた。

まだ開店前だからどのお店も閉まっていて静かだ。

菊地君はどこにいるんだろう……


探していると、一番奥にある店の扉が開いたので慌てて柱の影に隠れた。

出てきたのはあの彼女で、そのままエレベーターに乗ると雑居ビルから出て行ってしまった。

何度も後ろを振り返り、とても暗い表情をしていた彼女の様子も気になったのだが、今は菊地君の方が先だ。

奥の扉が少し開いたままだったので、そろっと近付いて中を覗いてみた。


薄暗い店内を怪しげな色の照明が照らしていた。

壁も椅子も年季が入りすぎてボロボロで、もう長いこと使われてなさそうだった。

その奥で菊地君がチンピラ達を相手に両手を広げて立っていた。



「どうぞ。気が済むまで殴れば?」



なにを言ってるんだろう……あんな大勢に殴られたら怪我どころじゃすまない。

チンピラの一人が菊地君の胸ぐらを掴んで殴りかかろうとした。




「スト────プ!!」




思わず出ていって叫んでしまった。


「暴力をしてはダメです!!」


あまりにも場違いな私の登場にみんな目が点になっている。

公共広告機構のCMに出てくるキャッチコピーのようなセリフに、自分で言っときながら赤面してしまった。



「なんだてめえ。」



チンピラの一人がドスの効いた声で聞いてきた。

白地のストライプのスーツに黒いシャツにど派手な赤いネクタイ……

テカテカのオールバックにゴテゴテのロレックスの時計。

なによりもこの人、顔がすっごく怖かった。

きっとこいつがボスだ……

気持ちはすでに泣きそうだけど、ここで怯むわけにはいかない。


私は菊地君のそばに駆け寄って腕を引っ張り、自分の元に引き寄せてから答えた。



「菊地君の高校の教師です!」


「はあ?てめえが教師だとお?」



私の目の前にずいっと出てきた強面ボスに悲鳴を上げそうになりながらも、毅然とした態度で身構えた。



「姪っ子がいつもお世話になっております。」



ボスが私に向かって深々と頭を下げた。


「へっ…あの、いえ……」


姪っ子って、あの彼女のこと?

この人はあの子のおじさんてこと……?

見た目よりとても礼儀正しいその姿に、一気に拍子抜けしてしまった。



「ごめんなさい。私、てっきりそっち系の方なのだとばかり……」

釣られてペコペコと頭を下げる私に、菊地君が大きなため息を付いた。



「何言ってんのマキちゃん。こいつらモノホンのヤクザだよ。だから早く帰りな。」



えっ…ヤクザ?!

今時こんなにわかりやすいヤクザがいるのっ?

よく見ればボスのシャツの隙間から和彫りの入れ墨がチラチラ見えている。

周りにいる舎弟の中には小指が無い人までいるし……


でもヤクザだからといって偏見は良くない。そう悪い人ばかりでもないはずだ。

現にこのボスは穏やかそうな人だし……



「俺が姪に酷いことしたからぶっ殺してやるんだってさ。」


全然穏やかじゃないっ!

顔から血の気の引く音がした。


「ぼ、暴力は良くないと思いますっ!」


私の言葉にボスは口角を上げてニッコリと微笑んだ。

こんなゾッとするほど怖い笑顔を見たのは初めてだ。



「安心しな先生、暴力は振るわねえよ。今の世の中、堅気に手を出したら厄介なんでな。だからこれで手を打ってやる。」



ボスが差し出した紙を見てみると、そこには通知書と書かれていた。


「姪っ子は深〜く傷付いたからなあ。精神的苦痛に対する正当な慰謝料請求だ。」


長たらしい文章の下に慰謝料の金額が書かれていた。

部屋が薄暗くてよくわからない。

ええと…いち、じゅう、ひゃく、せん、まん………



──────ひゃ、百万円?!




「こんな金額高校生に払えるわけないでしょ?!」

「こちとら先生が連帯保証人になってくれても構わねえんだぜ?」


保証人って…ようするにお金を肩代わりする人……


「若い女だったらいくらでも金稼ぐ方法はあるよなあ?生徒のために文字通りひと肌脱いでやれよ。」


獲物を捉えたかのようなその鋭い眼光に、一瞬で背筋が凍りついた。

やっぱりこの人はヤクザだ……


ボスは私のことを舐めまわすように見ると、髪の毛を一掴みして匂いを嗅いだ。



「先生は関係ねえだろ!離れろっキモいんだよ!!」



菊地君が私を守るようにボスを後ろに突き飛ばした。

ボスは後ろによろけながらも、すかさず菊地君の胸ぐらを掴むと膝で腹を蹴り上げた。

鈍い音とともに菊地君の体が吹っ飛ばされた。


「菊地君!!」


壁際まで飛ばされた菊地君に駆け寄ったけど、痛さで息も出来ないような状態だった。


「ちょっと!暴力は振るわないんじゃなかったの?!」

「足を上げたらたまたま当たったんだよ。なあみんな、見てたよな?」


ニヤニヤしながら舎弟達はうなずいている。

舎弟の一人が身動きの取れない菊地君の手を取り、親指に朱肉を押し付けると書類に拇印させた。


「これで契約成立だ。きっちり百万払ってもらうぜ。」


ボスは床に倒れたまま苦しそうに喘ぐ菊地君を見ながらいやらしく笑った。

こんなの…ただの弱いものイジメじゃない。

ヤクザが高校生相手にすることなの?


──────……あったまにきた!!


部屋に乾いた音が鳴り響いた。

私がボスの顔に向けて思いっきり平手打ちをしてやったのだ。




「でっかい蚊が止まってたわよ?ありがとうは?」





舎弟達が私に襲いかかろうとしたのだがボスが静止した。


「こりゃまた…随分おもしれえ先生だなあ……」


そう言ってニヤッと笑うが全然目が笑っていない。

私の体のスレスレのところで立ち、血走った目で私のことを見下ろした。


「いいか先生。期限は1ヶ月だ。その坊やが払えなかったらあんたの体で払ってもらうからな?」

「望むところよ。」


ボスは舎弟を引き連れて部屋から去っていった。

一先ず、この場はなんとか切り抜けられたようだ。




「菊地君、立てる?」


まだ痛がっていた菊地君を肩で支えてビルから出た。

近くにあった公園のベンチに座らせて買ってきたお茶を飲ませてあげると、ようやく痛みが治まってきたようだった。

骨や内蔵には異常はないようだった。良かった……



「……普通、ヤクザの顔なんて叩かないよね?」


……ごめんなさい。

私、昔からカッとなると性格が振り切れちゃうんだよね……

下手すれば殺されてたよね。気を付けないと……



「殴らせて終わりにするつもりだったのに。マキちゃん、なにややこしくしてんの?」

「あんなのに殴られたら死んじゃうよっ?」



「いいんだよ…俺なんか死んでも……」




……菊地君……?



また…あの時と同じような泣きそうな顔をする……


菊地君はベンチから立ち上がると、帰ると言って一人で歩き出した。



「菊地君。私、貯金あるから心配しないで。」

「あんな奴らに百万払ってそれで済むって本気で思ってんの?」



言われてみれば確かにそうだ。相手はヤクザだった。

それにボスのあの目……

思い出して身震いしてしまった。

冷酷に、骨の髄までしゃぶってきそうだ……



「お金は俺がなんとかするから。マキちゃんはもう関わらなくていい。」



百万なんて大金、高校生がなんとか出来る金額じゃないっ。

警察とか弁護士に相談する?

でもあの書類…公正に書かれたものだった。

菊地君は無理矢理とはいえそれに拇印してしまっている……



「マキちゃん。相澤先生にはこのこと絶対に言うなよ。」

「……相澤先生?」


そうだ、相澤先生ならなんとしてくれるかもしれない。

しれないのに、なんで……?




「相澤先生にはこれ以上迷惑かけたくないんだ。」





追いかけようとしたのだけれど、もう一人にしてと拒絶されてしまった……




去っていく菊地君の背中が凄く


孤独で…泣いているように見えた───────
















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