内緒のキス
雀だ。雀が二匹、仲睦まじく鳴いている。
羨ましい。恋人同士だろうか……
首と腰が凄ぶる痛い……
相澤先生を待っていてテーブルで寝てしまい、そのまま朝を迎えてしまったからだ。
晩御飯を食べそびれたしお風呂にも入ってない。
相澤先生、まだ帰って来てない。
連絡もないし、いくらなんでも変だよね?
もしかして…なにかあったんじゃ……
胸がドクンと波打ち、言い様のない不安が広がった。
手元に置いてあったスマホが鳴り響いた。
相澤先生からのSOSじゃないかと慌てて画面を開いた。
「学校来る時俺の着替え持ってきて。」
………無事なのかよ。
一晩中ほっつき歩いてなにしてたの?
心配したのにっ…なんで私がこんな横暴野郎に振り回されなきゃなんないのっ!
まだ朝早い時間だったので校内は静まり返っていた。
学校の中庭のベンチに、相澤先生は長い足を投げ出すようにして座っていた。
私を見つけて二っと笑い、片手を上げた。
「おはようございます相澤先生。」
これでもかってくらい無愛想にスーツの入った紙袋を差し出した。
「スーツだけ?朝ご飯と弁当は?」
「そんなの知らないです。」
「えーっ!俺今すっげぇ腹減ってんのに!」
「だからそんなの知らないです!」
私だって昨日はお腹空かして待ってたんだよ!!
ムカついて相澤先生を睨むと体中に小さな傷があるのに気付いた。
それは長い爪で引っかかれたような痕だった。
もしかして昨日帰って来なかったのって─────
「……その傷…昨日はさぞかし激しかったようですね。」
「あ?まあいきなり抱きついたからビックリしたみたいだな。最初は逃げられたけど、一晩かけてようやく慣れてくれたよ。」
なにそれ…そんな情事聞きたくないっつーの!!
「相手の方は随分気性の荒い方みたいですね。」
「歳いってるわりには元気なやつでさあ、参ったよ。」
年上?熟女?……まさか不倫?
「相澤先生がそんな節操のない人だとは思いませんでした!」
「マキマキ…おまえなんか勘違いしてない?ネコだよ。」
「いや〜んとかバカ〜んとかいうネコでしょ?!」
「ネコはネコだよ!バカはてめえだっ!!」
相澤先生の服の首元から、茶色いトラネコがニャ〜と言いながら顔を出した。
「おまえが大声出すから起きちまっただろ。」
ネコって、ネコ?本物?
えっ、このネコと相澤先生は一晩中ニャにしてたの?
訳が分からず混乱していると、中庭に一人の生徒が走ってきた。
「相澤先生っ!」
「おう、田口か。捕まえたぞ。」
ネコキャリーを持って駆け付けたのは二年B組の女子生徒、学級委員の田口さんだった。
そのネコは田口さんが近寄ると尻尾を立てながらスリスリし始めた。
「チャトラ〜良かったあ!!」
えっ……どういう事?
田口さんがこのネコの飼い主??
「田口からメールが来てさ。家で飼ってるネコが逃げたから助けて欲しいって言われたんだ。」
聞けば昨日相澤先生がコインランドリーにいる時に田口さんからメールが入ったらしい。
田口さんが学校から帰ると閉め忘れたのか窓が開いていて、飼い猫のチャトラがいなくなっていた。
慌てて探したのだがどこにも見つからないし、暗くなってきたしで心細くてどうしていいか分からず、相澤先生にメールをしたのだ。
相澤先生が昨夜帰ってこなかったのは、田口さんの代わりにチャトラを探してあげていたからなのだという……
「相澤先生っ本当にありがとうございました!」
「校長先生には話し通してあるから、今日はチャトラと一緒に授業受けな。」
本当に困った時に頼りにしたのが、親でも友達でも誰でもなく……
相澤先生だったんだ──────
田口さんは嬉しそうにチャトラを連れて教室へと向かっていった。
──────きっと……
相澤先生ならなんとかしてくれるって思ったんだろうな……
「……一晩中寝ずに走り回ってネコを探すだなんて、体壊しますよ。」
いくら頼りにされたからって無茶しすぎだ。
ご飯も私への連絡も忘れて必死に街中を駆け回る相澤先生の姿が浮かんだ。
「田口の家は母子家庭でさ…家で一人でいる寂しさをずっと慰めてくれてたのがあのチャトラだったんだ。」
相澤先生は生徒ひとりひとりの個人的な事まで全部把握している。
生徒とは一定の距離を置く教師が多い中で、相澤先生は自分の事のように深く関わろうとしていた……
「田口にとってはチャトラが家族なように、俺にとっては生徒が家族だからな。」
─────相澤先生って………
「……なに?ジロジロ見て。」
…………似てる───────
「俺の生着替えそんなに見たいの?」
「見たくないです!てか、今ここで着替える気ですか?!」
「ちなみに副担任のマキマキはペットな。」
「はあ?なにその扱い酷い!!」
────兄貴だと思って、なんでも言えよ。
私の恩師が言ってくれた言葉……
すこーしだけ、ちょび──っとだけ、
似てるって…思った────────
それでなんでまた一緒の布団に寝ることになってんの?
「仕方ないだろ。俺の布団が行方不明なんだから。」
そりゃ丸一日コインランドリーに置きっぱなしだったらどっかいっても仕方ないよね?
普通あんなデカいもん頭からすっぽり忘れる?
「こういう場合、片方はソファーで寝ませんっ?」
「その肝心のソファーがこの家にはねえんだろーが。」
「若い男女が一緒の布団なんて…なにかあったらどうするんですか!」
「安心しろ。それは無い。」
「襲わないなんて女性に対して超失礼ですからっ!」
「……おまえは俺に襲って欲しいのどっちなの?」
もうもうもうもうっ!
ムッかつく〜!
女として意識してないってそうハッキリ言わなくてもいいのに!!
「昨日走り回ってクタクタだから俺はもう寝る。嫌なら寝るな。」
「それ私の布団ですから!!」
壁の方を向いて横になっている相澤先生と背中合わせになるようにして私も横になった。
今日は満月だったっけ……
部屋に差し込む月の光がとても綺麗だ。
月の色は黄色に見えるのに、月明かりに照らされた風景は青味がかって見えるのだから不思議よね。
青色に包まれた部屋が、静けさをより際立たせる……
この世界にいるのが私と相澤先生だけのように思えてきた。
「相澤先生ってなんで教師になろうと思ったんですか?」
「……俺?………マキマキは?」
反対に聞き返されてしまった。
教えてくれないんだ。言いたくないのかな……
「私は……高校生の時に尊敬出来る先生がいたんです。」
「どうせ若い先生でおまえは惚れてたんだろ?」
「なっ、なんですかそれ?!」
……図星だけど。
私は自分の身の丈以上の偏差値の高校に入ってしまった。
その高校を選んだのも、密かに憧れていた男の子がそこを受けるって聞いたから死に物狂いで勉強したんだ。
でもその男の子は落ちて……
目的を失った私は、家からも遠い大して行きたくもなかった学校に抜け殻のように通っていた。
いくら頑張っても下から数えて一桁台の成績に自暴自棄になりながら……
そんな私をいつも気にかけてくれたのが一年生の時の担任の先生だった。
その先生がいなかったら無事に高校を卒業することなんて出来なかっただろう……
「その先生に少しでも近付きたくて教師を目指したんです。」
「不埒な理由だな〜。」
「うるさいです!どうせ私はっ……」
「マキマキらしい可愛い理由でそれもアリだと思うよ。」
か、可愛い?
別に姿形を褒められたわけではないのだけれど、私に向けて可愛いと言ってくれた相澤先生の言葉に無性に照れてしまった。
結局告白することなく卒業してしまったけれど、それで良かったと思っている。
その先生も今は結婚して子供も生まれたと聞いた……
「……相澤先生はどうして教師になりたいと思ったんですか?」
もう一度聞いてみた。
相澤先生のことが少しでも、知りたいって思ったんだ。
「ああ…俺か─……」
今度ははぐらかさずにちゃんと答えてくれるのだろうか……
背中越しに私の心臓の音が聞こえてしまうんじゃないかと思うくらい緊張してきた。
しばらくの沈黙のあと、相澤先生は布団の上でゴロンと寝返りをうつと私の方に体を向けた。
「……マキマキ…俺さあ……」
くか〜。
「このタイミングで寝れるってすげえなコイツ……」
はい、すいません。
寝ちゃいました……
私、温かいお布団てダメなんだよね。すぐ睡魔に襲われる。
誰かと一緒に入るお布団て凄くポカポカしてて気持ちイイんだもん。
相澤先生は軽くため息を付くと、私の耳元に顔を寄せた。
「ずっと一人だったから、やり直したかったんだよ。」
囁くようにそう言うと、私の頬に
そっと…キスをした───────
ベッドの脇に置いていたスマホから起床時間を告げるアラームが鳴り始めた。
いつものように手を伸ばそうとしたけど動かせない。
うん……なんか重い………?
私…また後ろからがっつりホールディングされてる。
一度ならず二度までもっ……
「相澤先生!!」
「……う〜ん。あと五分……」
なにこれ、また寝ぼけてんの?
私はもそもそと相澤先生の腕の中で体の向きを変えようとしたのだが、足で押さえつけられてしまった。
「……動くなよ。寝ずらい。」
しっかり起きてんじゃん……
私の事なんだと思ってるわけ?
あ、抱き枕か。
……って、納得してどうするっ!
とにもかくにも給料日までこんなことを毎日されようもんなら身がもたないっ。
ネットでもフリマアプリでもなんでもいいから安い煎餅布団を買って相澤先生の顔面に叩きつけてやる!!