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19/23

交差する未来

今日の最低気温は氷点下にまで落ち込んでいた。

昨日から日本列島に入ってきた寒気の影響で気温は下がる一方だ。

明後日のクリスマスイヴには平野部でも雪が積もるかもなんて予報が出ている。

ホワイトクリスマスなんてとてもロマンチックだし期待してしまうけれども、こういうのって大騒ぎするだけで大して降らなかったりするんだよね。

その日のためにとヒールの高い靴を買ったので、積もられると逆に困るなあ……



「ねえ知ってる?あの噂。」

「あれでしょ?私も見た見た。」


なんだろう…学校へと歩いている生徒達がみんなコソコソしながら話をしている。

なんだろうと気になりつつも、学校へと急いだ。




「マキちゃん。ちょっと良い?」



職員用の下駄箱で靴を履き替えていると菊池君から声をかけられた。

なんだかとても神妙な顔付きだ……

情報処理室へと連れていかれ、中に入るとパソコンの前で玉置君が座っていた。


「なんなの?どうしたの二人とも?」


二人の張り詰めたような雰囲気に肌がピリピリとしてきた。

玉置君が隣に座ってと指で示すので、わけも分からずに椅子に腰を下ろした。




「昨日からQちゃんねるに相澤先生のスレが立ってるんだ。」




えっ……相澤先生、の?



Qちゃんねるとは日本最大の匿名掲示板サイトのことである。

あらゆるジャンルの専門掲示板があって使い様によっては便利なサイトなのだが、書き込み内容が過激なことからネガティブなイメージを持たれがちだ。


実際、巨大サイトであるが故の無法地帯になっているのが現状だ。



「なんでそんなところに相澤先生のスレが立つの?」



スレとはスレッドの略語で、数ある掲示板のジャンルの中で、相澤先生のことだけを話題にして語るページが作られたということである。



「先ずはこれを見て。某SNS上にアップされてた女装ファッションショーの動画を見た人からのレスなんだけど……」


玉置君はパソコンのキーボードを素早い手つきで操作すると、画面上にそのメッセージを表示させた。




───この教師、桐生 智之じゃね?




……きりゅう ともゆき?

相澤先生の下の名前は確かに智之だけど……


「玉置君。桐生 智之って?」



────桐生 智之。

日本最大の勢力を誇る指定暴力団・神戸川中組の二次団体である桐生会の組長、桐生 卓三たくぞうの一人息子。



画面上の文字を読んでも、すぐには理解することが出来なかった。



「生年月日が一致してるし、幼い頃に亡くなった母親の旧姓が相澤だ。桐生 智之は相澤先生とみて間違いない。」



相澤先生が、ヤクザの…息子?

だって……

相澤先生はそんなこと、私には何も……

息がしづらくなって胸に手を当てた。

この動機がなんなのか、自分でも自分の気持ちが整理しきれない……

菊池君が私の背中を優しくさすってくれた。




「マキちゃん覚えてる?俺がヤクザから金をゆすられてたのを相澤先生が助けてくれたこと。」




……はっきりと覚えてる─────



ヤクザが菊池君を脅して、自分の姪への慰謝料だと言って百万円を要求してきたんだ。

姪がやりすぎだからもう止めてと頼んでも、組が絡んでることだから無理だと言っていたのに、相澤先生が電話をしたらすぐに取り下げたんだ……


私だってあの時は変だと思った。

でも、相澤先生は何度聞いてもはぐらかすばかりで……



相澤先生の素性が自分より格上の組長の息子だったのだとしたら、あのヤクザがなぜすんなりと身を引いたのかが納得出来た。




「そのレスに興味を持った特定厨がいたんだろうね。すぐさま調べてQチャンネルにこのスレを立てたんだ。」





───今ウワサの3次元ルイ先生こと相澤先生。実はヤクザの息子、桐生 智之だった。

都内で高校教師とか?人に物教えるって何様??

偉そうに先生だとか草生えるわwwwwww




なんなのこの悪意の塊のようなスレ……

実際の相澤先生のことなんてなにも知らないくせに。

ヤクザの息子ってだけで、なんでここまで言われなきゃならないの?

悔しくって涙が出そうになった。




「でもさあ玉置。相澤先生って名前も変えてるってことは、ヤクザの家とは縁を切ってんじゃねえの?」


「ああ。だからこんなのクソスレだよ。親がヤクザだろうが犯罪者だろうが子供にはなんの罪もないって擁護するレスが大半だし。」



でも……と言って玉置君は下唇をきゅっと噛んだ。



玉置君がキーボードを叩いて次に見せてくれた画面は、相澤先生が通っていたとうい緑ヶ丘高校の裏サイトだった。

日付は10年も前のもので、そこにはたちばなという女子生徒が学校辞めた理由が話題に上がっていた。




「相澤先生が過去に関係したある事件が掲示板に暴露されたことで、非難中傷のレスが一気に増えて炎上したんだ。」




橘さんが辞めた理由は集団強姦だった。


市内の繁華街にたむろしていた半グレと呼ばれる少年グループに襲われたのだ。

そして、その現場には桐生…相澤先生もいた。

相澤先生は犯行に及んだ半グレの中心的メンバーだったのだ。




信じられない。

信じたくはないのだけれど──────




裏サイトに載っていた一枚の写真。

半グレメンバーらしき少年ら15人ほどが写っていた。



その中に…まだ幼い顔立ちの………





「……相澤先生っ……」






鋭いナイフで貫かれたかのような痛みが心臓に走り、目の前が真っ暗になった。



「マキちゃんっ?!」





私はそのまま、意識を失ってしまった──────

























目を開けると、白くて長いカーテンが風になびいて揺れているのが見えた。

ここはどこだろうとボーッとしながら考えていると、睦美先生が顔を出した。



「真木先生、気分はどう?」



そっか…ここは保健室か。

気分?あれ、私なんで保健室なんか……


倒れた理由を思い出してガバッと起き上がった。



「真木先生、急に動いちゃダメよ。」

「相澤先生どこですか?!私、確かめたいこことがっ……」



「相澤先生なら帰ったわ。」




………帰った?

まだ昼前だよね……

午後から明日の終業式の準備があるのに?



「理事長に呼ばれて、事態が収まるまで自宅待機を命じられたのよ。」


職員室には掲示板を見た人からの嫌がらせと抗議の電話が鳴り止まず、生徒達も騒いでいて授業どころではないらしい。


「真木先生も帰りなさい。校長先生には体調不良って伝えといてあげるから。」



私が寝ている間に、事態はますます最悪な方へと向かっていたのだ……

私、なにをしてるんだろう。

呑気に寝てる場合じゃないのに……

相澤先生に電話をかけてみたけれど、何度かけてもずっと話中だった。

掲示板に、携帯電話の番号まで晒されてしまったのだろうか……



「まったく……これじゃあ10年前となにも変わらないじゃない。」


睦美先生は窓を開け、苛立ちながらタバコを口に加えると火を付けた。

タバコを吸う睦美先生を見たのは初めてだった。




「私……相澤先生の一番近くにいたのに、なんにも知らなかった。」



相澤先生が物心がついた頃には母親がいなくて、家でずっと一人だったって知っていたのに。

それ以上相澤先生の過去に踏み込もうとはしなかった。

相澤先生といられることが嬉しくて毎日うかれていたんだ。

自分は相澤先生にとって特別な存在なんだって思ってた。


なにも…知らなかった。

なにも話してくれなかったはずだ。



私が、頼りなかったんだから──────






睦美先生は煙を勢いよく吐き出すと、高校の時の相澤先生のことを私に話してくれた。





相澤先生は高校では自分の父親がヤクザの組長だということは隠して過ごしていたらしい。

それはヤクザの息子だからということでずっと孤立した毎日を過ごしていたから。

普通の人と同じように学校生活を楽しみたかったのだ……


高校での相澤先生はとても人気があった。

本来の性格は明るいし面倒見は良いし、なによりあの見た目だ。

男子にも女子にも慕われていて、常に大勢の仲間に囲まれていたのだという。


そして…橘 まゆみという同じクラスの女の子と、真剣に付き合っていた。



入学して半年が経ったある日、相澤先生が通う緑ヶ丘高校にガラの悪い連中が訪ねてきた。

そいつらは相澤先生が中学生の頃に、寂しさから入った半グレグループのメンバーだった。

しばらくは一緒につるんでいたものの、盗みや恐喝などの素行の悪さを知った相澤先生はすぐに抜けたのだ。



でも、半グレメンバーはそれを許さなかった。



相澤先生に対する嫌がらせは毎日のように続いたのだが、ある日、決定的な事が起こってしまった。

掲示板で暴露されたあの事件だ。

睦美先生がその日、病院に駆けつけて見た事実はこうだ。



橘 まゆみは服こそボタンがちぎれて乱れてはいたが、それ以上は何もされてはいなかった。

一方、相澤先生は大怪我を負い、一時は意識不明の重体だった。



報復として無理矢理犯そうとした半グレのやつらから、相澤先生は命懸けで彼女を守ったのだ─────



でも…彼女のお父さんは相澤先生を見舞いに来た桐生会の組員を見て、相澤先生がヤクザの息子なのだと知った。

「娘はヤクザの息子なんかと付き合ったからこんな目にあったんだ!!」

病室で激高して罵る父親に、相澤先生は何ヶ所も骨折した体で、組員が止めるのも聞かずに土下座をして何度も謝った。




学校でも相澤先生の親がヤクザなのだと知れ渡り、今回の事件も相澤先生が主導でやったんだろうと根も葉もない噂が流れた。


相澤先生は一切の言い訳をせず、退院後も学校に行くこともなく、辞めてしまったのだという……






その時の相澤先生の気持ちを考えると、悲しくて涙が止まらなかった。

やっと見つけた居場所が、いとも簡単に壊れていく……

相澤先生は必死で守ろうとしたのに…その思いはなにひとつむくわれることはなかったのだ……




睦美先生はタバコの火を灰皿でもみ消すと、ため息をつきながら髪をかきあげた。




「心配なのは……今回も言い訳を一切せずに辞めちゃうんじゃないかってこと。」




相澤先生が学校を辞める?





そんなっ……─────────















「相澤先生っ!!」



急いで家に帰って相澤先生の名前を呼んだが、家の中はしんと静まり返っていた。

相澤先生の荷物がない……

リビングの机の上には、相澤先生の字で書かれた置き手紙があった。

震える手でそれを持ち上げ、床にへたり込んだ。





「迷惑かけれないから出るよ。ごめんな。」





これは…なにに対してのごめん……?

相澤先生はなにに対して謝っているの?

ヤクザの息子だと秘密にしてたこと?

私を一人残して家から出たこと?

私を泣かしてしまったこと?


クリスマスイヴの約束が、守れそうにないから……?




確かめたくて電話をかけたけれど、電源が切れているとのアナウンスが虚しく流れるだけだった。








なんで……


なんでなにも言ってくれないの………




言い訳してよ……相澤先生─────────

























体育館では全校生徒を集めての終業式が行われていた。

いつもと同じ、なにも変わらない終業式。

そこに相澤先生がいないということ以外は……

いないことがこれからも当たり前のように続いていくのだろうか。

そう思うと辛くて……

一晩中泣いたのに、また目の奥がジンと熱くなってきた。


校長先生が壇上で話をしている最中、体育館の扉が開いてPTAの保護者が大勢流れ込んできた。



「一体どういうことなのか説明してっ!!」

「こんな危険な教師がいるだなんて聞いてないわっ!」



どうやら相澤先生のことが書かれたQちゃんねるの掲示板を見て抗議をしに来たようだった。

掲示板では高校の時に起こした事件を始め、強盗で少年院送りになっただとか女子生徒に手を出しているだとか、あることないことが書かれまくっていた。

あんなの…全部信じる方がどうかしている……


静かにしていた生徒達もザワつき出した。

教頭先生が会議室へと案内しようとしたのだが、今すぐ相澤先生を辞めさせろと口々に言い始め、収拾がつかないほどの大騒ぎとなった。

おば様パワーに対応に当たった先生達が圧倒される中、私はPTA会長である奥様に話しかけた。


「あのっ…相澤先生はそのような教師ではありませんので。生徒も動揺しておりますし…とりあえず、会議室で誤解を解かせて頂けませんか?」


この人は教育評論家で、毒舌コメンテーターとしてテレビでも活躍している。

決して怒らせないようにと教頭先生からお達しが出ている要注意人物だ。

先ずはこの人を説得しないと、収まるものも収まらない。



「あなたは確か、相澤先生のクラスの副担任よね?」



会長は眉間に深いシワを寄せながら、値踏みするかのように私のことを上から下までジロジロと睨みつけてきた。


「随分相澤先生の肩を持つのね。まさかいかがわしい関係なのかしら?」


……い、いかがわしい?

私と相澤先生は教師同士で付き合ってはいるが、人から責められるような関係ではない。

相澤先生は仕事とプライベートはきっちり分ける人だし、職場での私への態度は誰よりも厳しく、的確に指導をしてくれている。


「まさか学校でふしだらな行為をしてるんじゃないわよね?ああやだっイヤらしい!!」


この人は一体なんの想像を膨らませているのだろうか?

付き合ってませんと否定をしたらいいのだろうけれど、嘘を付くのも違う気がする……

かといって真面目にお付き合いしていますと宣言したところで、火に油をそそぐのが目に見えていた。


その後も会長の妄想は止まらなかった。

なぜだか私が槍玉に上がっているのを耐えていると、誰かが私の肩を後ろからそっと支えた。



「おばさん。あんまりマキちゃんのことをいじめないでくれる?」



き、菊池君……?

菊池君からおばさんと言われ、会長の顔は怒りでカーっとどす黒く染まった。

頭から角が出るんじゃないかと思えるほどに、怒りを露わにした人を私は見たことがない。

ものすっごくヤバいのではないだろうか……



「菊池君。おばさんだなんて失礼ですよ。こんなに素敵なマダムなのに。」


桐ヶ谷先生が会長の肩を後ろからそっと支えながら現れた。

突然のことに驚く会長に、桐ヶ谷先生は妖艶に微笑んでウインクをした。


「ああ…本当だ。僕はなんて失礼なことを……心からお詫びを申し上げます。お美しいマダム。」


菊池君は私をポイと放り出すと、マダム……じゃなかった、会長の手をうやうやしく握りしめ、自分の顔に近づけて頬ずりをした。


二人の色男に挟まれ、マダム等と持ち上げられた会長は一気にヒートダウンし、顔を赤らめながらモジモジとしていた。




菊池君と桐ヶ谷先生のこのやり取り────

芝居ががっているなと感じるのは、私だけではないだろう……











玉置君が大きな紙袋を五つ持って現れ、PTAの人達の前にドスンと置いた。




「一年399名。二年397名。三年398名。OB185名。計1379名。これが俺達生徒からの、相澤先生への意思です。」




紙袋の中には、相澤先生を辞めさせないようにと願う、全校生徒と卒業生の名前と住所が書かれた署名が入ってあった。



「玉置君……こんなのいつの間に?」

「二年B組の皆で協力して集めたんだ。」



二年B組の方を振り向くと、クラスの子達が手を振ったりガッツポーズをして見せてくれた。



────みんな………


ヤクザの息子だと知っても、あんなネットの噂じゃなく、相澤先生を信じてくれたんだ……

生徒達の強い思いに、抑えていた涙が溢れてきてしまった。

保護者達はお互いに顔を見合わせ、気まずそうな空気が流れ始めた。





「相澤先生の自宅待機はあくまでも身の危険を案じてのことです。」



コマさんが壇上のマイクの前に立っていた。

いつも作業着なのに仕立ての良さそうなスーツを着ている……

髪も綺麗に整え、銀縁の眼鏡を付けていた。


「真木先生は知らないんですね。コマさんがこの学校の理事長なんですよ。」


キョトンとしている私に桐ヶ谷先生が教えてくれた。

コマさんが理事長?!

ずっと用務員のおじいさんなんだと信じて疑わなかった!!


教育の現場を任されいるのが校長先生で、経営の責任者が理事長である。

学校のトップである理事長が用務員の仕事をしているだなんて……

私、飲み会でいっつも酔っ払ってはコマさんに軽口叩いてたんだけど……




「私は相澤先生の素性も過去にあった出来事も全て理解した上で彼を雇いました。もし、問題があったとしたらそれは私の責任です。」


コマさんは高い壇上から失礼しますと言うと、最敬礼のような深いお辞儀をした。



「彼を辞めさすのなら、どうか私を辞めさせて下さい。」



PTAの人達はとんでもないと全員が首を振って恐縮した。

最初に乗り込んできた勢いは既になく、中には騒ぎ立ててごめんなさいと謝る者まで出てきた。



「私は相澤先生のことを、この騒ぎが落ち着いたら復帰させるつもりでいます。宜しいですね?」


柔らかな物言いだけれども、コマさんから漂う有無を言わせぬオーラに、保護者達はうなずくしかなかった。

コマさんて…凄い人だったんだ……




でも、落ち着くのはいつになるのだろう……?


Qちゃんねるでは相澤先生関係のスレは乱立していて、非難中傷のレスも増える一方だ。

学校の周りではゴシップ誌を取り扱う記者らしき人までウロウロとしている……


「年が開けたら落ち着くのかな?」

「でも…一度ネットに流れたことって消せないんだろ?」

「相澤先生がずっと悪者のままだなんて嫌だよ……」



再び生徒達に動揺が広がる中で、菊池君が壇上へと上がった。




「こんにちは。三年A組の菊池 翔太です。」




菊池君は礼儀正しく挨拶をすると、マイクに向かって自分のことを語り始めた。



「俺は二年生の夏に、右足に大怪我を負いました。」



菊地君はこの学校にはサッカーのスポーツ特待生で推薦入学してきた。

17歳以下のサッカーのナショナルチームであるU-17にも選ばれるほどの実力の持ち主だった。

将来も有望視され、いずれプロになるだろうと言われていたのに……


「怪我は治っても前みたいな調子には戻らなくて……そん時はもう、サッカーは辞めようと思ってた。でも、相澤先生がなかなか諦めてくれなくて……」



自暴自棄になって問題行動ばかり起こすようになってしまったこと。

それでも相澤先生がしつこいくらいに練習に誘ってきては付き合ってくれたこと。

退学になりそうになっても、必死で庇い続けてくれた相澤先生のことを、菊池君は切々と話し続けた。



「こないだスポーツ推薦の合格通知をもらったんだ。俺は大学でもまた大好きなサッカーが出来る。相澤先生には感謝してもしきれない……」



そこまで言い終えると、菊池君は目をつむってゆっくりと深呼吸をした。

相澤先生は菊池君から合格したと聞かされた時、自分のことのように喜んだ。

あの相澤先生が目にうっすらと涙を浮かべてたんだ……


菊池君は静まり返っていた体育館に響き渡るように、両手で演台をバンと叩いた。





「俺は……このことを実名でQちゃんねるに書く。」





生徒達が一気にザワついた。


Qちゃんねるは日本最大の匿名掲示板であり、膨大な数のユーザーがいる。

日々炎上騒ぎが起き、特定厨や特定職人が次のターゲットを求めて徘徊しているような場所だ。

教頭先生が慌てて菊池君に駆け寄った。


「止めなさい菊池君!そんなことをして問題が起きて、せっかくもらえた合格が取り消されたらどうするの?!」


教頭先生の言う通りかも知れない。

わざわざ実名を暴露するだなんて、自分からエサをあげるようなものだ。




「わ、私も……」



一人の女子生徒が遠慮気味に手を上げた。

二年B組の田口さんだ。


「私のうちは母子家庭で…母親は昼も夜も休まず働いてるから一人が当たり前だった。家にはいつもネコのチャトラしかいなくて……」


なんでも引き受けてくれる田口さんは、お母さんが頑張ってくれているから私もつい頑張っちゃうんだよね〜と言っていた。



「でもそのチャトラが逃げちゃって、相澤先生が一晩中駆けずり回って探してくれたの。大人の人に頼っていいんだって…初めてホッとした……」



今度はすぐ横にいた男子生徒が手を挙げた。

図体ばかりデカい、泣き虫柿ピーだ。


「俺も…体裁ばっかり気にして誰にも本音言えねえんだけど……相澤先生にはなんでも話せるんだ。いつも何時間でも叱咤激励して聞いてくれることをQちゃんねるに書くよっ!」



教頭先生がヒステリックに止めるのも聞かず、そのあとも次々と実名で書くと名乗りを上げる生徒が現れた。





みんな相澤先生が戻ってきて欲しいと願っている。

黙って去らなければならなかった、10年前とは違うんだ。


そうだよ……



相澤先生がいないことを、当たり前になんかにさせちゃいけないっ──────




「玉置君、相澤先生への誹謗中傷が書かれた掲示板て消すことは出来ないのかな?」


私はすぐ横にいた玉置君の腕にしがみつきながら聞いてみた。

匿名だからって好き勝手に嘘ばかり書かれた掲示板を放っては置けない。



「削除依頼なら出来るけど、大勢の人が既にコピーしてるだろうからね。完全に消すことなんて不可能だよ。」



一度流れてしまった情報はネットの世界を永遠に漂うことになる。

頭ではわかってはいたけれど……



「でも、上書きすることなら出来る。」

「……上書き?」


「デタラメな悪評に確かな情報を提示して、一つ一つ論破するんだ。それは間違ってますってね。」



騒がれている今だからこそ、正しい情報をデマと同様に拡散させることが出来るのだという。


「でも人手がいる。なんせ膨大な量だから……」


我が桜坂高校にはパソコン部がある。

パソコン甲子園と呼ばれる全国高等学校パソコンコンクール にて、毎年本選へと出場している強豪クラブだ。


そしてその顧問が──────



「桐ヶ谷先生っ!」

「もちろん協力しますよ。部員に緊急招集かけますね。」



私はパソコンが苦手だ。

スマホでさえ怪しい時がある……

でも……でもっ、後ろからサポートくらいなら出来る!


「玉置君!私はお茶くみとか肩もみとか、なんでもするから任せてっ。」


常に無表情な玉置君が珍しく吹き出した。

た、玉置君……?

玉置君はコホンと咳払いをすると、気合を入れて言った。




「今夜が勝負だ。一気に流れを変えよう。」





























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