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過ぎゆく追憶


「真木先生、そこムラになってるから塗り直して。」

「真木先生、よく見て、3mm歪んでる。」

「真木先生、喋ってる暇があるなら手を動かして。」



玉置君と一緒に作業をしてみてわかったこと。

普段は必要以上のことはしない省エネ主義なくせに、一旦スイッチが入っちゃうとトコトンやらないと気が済まない質とみた。


「玉置君てさあ、小姑みたいに細かいって言われたことない?」

「真木先生は思考が単純で不器用なくせにアバウトで、子供っぽい見た目の割にはオヤジ臭いってよく言われない?」


カウンターパンチみたいに倍になって返ってきた。

的確すぎてぐうの音も出ない。

頭の良い人に意見するもんじゃないな……


私がうろ覚えで描いたいい加減なラフ案は、玉置君が寸法入りで丁寧に書き直してくれた。

玉置君て絵の才能もあるんだよね……

それはまるで、子ヤギが狼に見つからないようにと隠れていた、童話に出てくるような屋根のあるデザインの振り子時計だった。



「振り子時計って、シックなインテリアって感じで素敵だよね。」

「真木先生…なんもわかってないね。」



1583年。かのガリレオ・ガリレイは、振幅の大小とは無関係に周期が一定であるという振り子の等時性なるものを発見した。

それにより、それまでは狂うのが当たり前だった機械式時計が、一定周期で連続振動する時代へと変わるのだ。

ガリレオは等時性を活用した振子時計を考案するが完成には至らず、彼の死の14年後に振り子を用いた最初の振り子時計が発明された。

振り子時計は単なるお部屋の飾りなのではなく、誕生から数世紀に渡って最も正確な時計として用いられてきた、素晴らしい発明品なのだ。


……と、玉置君から力説された。



「もっと時間があれば時計の部分も作って振り子と連動させれたのに。」


時計って時間があれば作れるもんなの?

もしかして玉置君の頭の中は無数の歯車で出来ているのかも知れない……














明日はいよいよ文化祭本番だ。


「真木先生さようなら〜。」

「時計作り頑張ってね〜。」

「さようなら。気をつけて帰りなよー。」


最後の仕上げを終えたクラスの子達が、明日を待ちわびながら次々と帰って行く……

窓の外を見ると薄暗くなってきていた。


家庭科室で行われているカレー作りも、そろそろ仕込みを終える頃だろう。

カラーセロハンで作ったアンティークなステンドグラス風に仕上げた外観も、なかなかの出来栄えだ。

教室は配膳と喫茶店部分を分けるために、間に突っ張り棒で作ったパーテーションがレイアウトされている。

そのお店部分にはカフェカーテンやテーブルクロスや小物を無事にセッティングし終えた。

接客組の衣装もバッチリだ。


あとは振り子時計のみなのだけれど……


玉置君は振り子の動力部分の取り付けを行っていた。

相変わらずの無表情なのだけれど、黙々と作業を続ける額には汗が滲んでいた。

集中している玉置君の心を乱したくはないのだけれど、そろそろ生徒は帰らなきゃいけない時間だ。

間に合うのかな……



「ねえ、玉置くっ……」

「出来たよ。」



……って。えっ、出来たの?


出来上がったという振り子時計を改めてマジマジと見てみたけれど、凄い完成度だ。

木製の長い胴体の部分に大きな黄金色の振り子を収め、壁の中央に高々とそびえ立っている……

ただの教室が、一気に大正ロマン溢れる重厚な喫茶店へと変貌した。



「このゼンマイを巻いたら振り子が動くけど…真木先生やってみる?」

「私が巻いてもいいのっ?」


緊張しつつも付属のネジでゼンマイを巻くと、チクタクと振り子が左右に動き出した。

凄い…本物みたいに動いてるっ!

これ、私も手伝ったんだよね?なんて感動的なのっ。

これはスマホで写真を撮って友達に自慢せねば……じゃないや、動画だ動画っ!



「真木先生……慌て過ぎ。」



あ……



スマホを持ってわちゃわちゃとはしゃぐ私を見て…玉置君が、笑った──────




「玉置君が笑ってるっ!」

「……俺だって面白かったら笑うよ。」


「口を片方だけ上げてニヒルに笑うのかと思ってたっ。」


失礼なことを言ってしまい玉置君からジロリと睨まれた。

だって、思いの外可愛い笑顔でビックリしたんだもん……

貴重なお宝ショット…もうちょっと見たかったな。




「笑顔の作り方は姉から教わったんだ。」




玉置君がポツリと呟いた。


今の玉置君の笑顔……そう言われればあの写真の笑っているお姉さんそのものだった。




「笑顔の素敵なお姉さんだったんだね。」

「……うん…最後まで笑ってた。」




言葉はとても寂しげなのに、左右に揺れる振り子を見つめる玉置君の瞳はなんの感情も持たないビー玉のように冷たく光って見えた。



「時間て残酷だよ。どんなに足掻いてみても、この振り子みたいに一定の周期で無機質に進んでいく。」



玉置君の横で、愛らしく笑っていたお姉さんはもうこの世にはいない……

一人残された玉置君は、この二年間…どんな思いで過ごしてきたんだろう……






「忘れていくんだ。思い出したいのは、そんなことじゃないのに……」







──────玉置君……?





「……玉置君。思い出したいことって……?」





振り子のチクタクと動く音を遮るようにして、騒がしい足音が近付いてきた。


「真木先生ヘルプ〜!材料切るのが間に合わなーいっ!」


カレー作りの担当をしている生徒が泣きついてきた。

下準備をする十分な時間は取っていたのに、材料を届けてくれる業者が渋滞に巻き込まれて予定の時間をかなりオーバーしてしまったらしい。


「相澤先生に言ったら真木先生にも手伝ってもらえって。」

「あっ…でも……」


玉置君の方を見ると床にちらばった工具の後片付けをしていた。


「ここは俺がやっとくよ。真木先生は家庭科室に行ってあげて。」

「う…ん、ごめんね玉置君。戸締りもお願い出来るかな?」


玉置君に鍵を渡してから、後ろ髪を引かれる思いで教室をあとにした。





せっかく玉置君がお姉さんのことを話してくれたのに……







玉置君が思い出したいことって……


一体何なのだろう────────























家庭科室に行くと、カレー独特の香辛料の香りが部屋中に漂っていた。みんな必死になってスパイスを煮込んだり、野菜を切ったりしている。

日頃から料理なんてしない子達ばかりだから包丁を持つ手が危なっかしい。

私が慣れた手つきで玉ねぎをみじん切りにすると、拍手されてしまった。


「お疲れ〜あとどんだけだ?」


相澤先生がジャージ姿でやって来た。

文化祭の時は正門には巨大なアーチ型の門が飾られるらしく、男の先生はその準備にと借り出されていたのだ。

もう時間も遅いので、生徒達は全員帰らすことにした。




相澤先生…あとは俺達に任せろと偉そうに言っていたくせに、誰よりも危なっかしい手つきだな……


「相澤先生、左手は猫の手にして下さいよ。」

「なんだそれ?マキマキって…料理だけは器用に作るよな。」


だけってなに?

褒められてるのかけなされてるのかよくわからないんだけど。


「両親が共働きで帰りが遅くて、お腹を減らした兄がうるさかったんでよく作ってあげてたんです。」

「あー…おまえって男兄弟いそうな性格してるもんな。」


「まあ弟も二人いましたけど…あとは全員女でしたよ。」


相澤先生の手がピタリと止まった。

何人いんのと聞かれたので8人兄弟ですと答えたら包丁を床に落とした。あっぶないっ!


「私、田舎に住んでたんで。」

「田舎でも多過ぎるだろ!」


田舎から一緒に出てきたなっちゃん家は12人兄弟だったんだけどな……

家に帰ると必ず誰かしらいて、うるさいくらいに賑やかな家族だった。

思春期に入ると常に兄弟のいる環境が疎ましくて嫌気がさしたことが度々あった。

こっちに来て思いがけず一人暮らしとなり、初めて周りに音がしない静かな生活を手に入れた……


「私にはたくさん兄弟がいるけど、誰一人欠けて欲しくないです……」


自分があの騒がしい空間に、どれほど救われていたのかが身に染みてわかったんだ。


……って言っても、一人暮らしは相澤先生が転がり込んできたせいで1ヶ月ほどで強制終了させられたんだけど……

すぐ裸になったり私のことを毎日抱き枕代わりにしたり……相澤先生の存在感は兄弟達より強烈だ。




「俺は一人っ子だったからなあ。物心着いた頃には母親もいなかったし。」


えっ……

相澤先生の過去の話を聞いたのは初めてだった。

今の相澤先生しか知らない私にとって、そんな寂しい過去があるだなんて意外だった……





「最初から一人なのと、途中でいなくなるのとじゃ全然違うんだろうな……」





─────もしかして………


相澤先生が私の作ったお味噌汁で毎日幸せそうな顔をするのは、家庭の愛情に飢えているからなのかな……






「相澤先生はお味噌汁の具だとなにが一番好きですか?」

「なんだよいきなり。」


「豆腐ですか?大根ですか?キノコ系だったらなにか一番好きですか?」

「……おまえが作るのだったらなんだって好きだよ。」


「私にがっつりと胃袋掴まれてますね。」

「うるせえよっ。」


私がケラケラと笑うと、相澤先生は人参を乱切りにしながらすねたように唇を尖らせた。




これからも毎日……

相澤先生に温かいお味噌汁を食べさせてあげれたら良いのになあって…思った──────














どうにか下準備が終わり、後片付けをしていると遠くで鈍く響く音が耳に聞こえてきた。

相澤先生も気付いたようで、ピクっと体を動かすと音のした方向に顔を向けた。

何度も何度も、その音は暗くなった校舎で鳴り響いていた。


「相澤先生、なんの音でしょうか?」


激しく物がぶつかり合い、なにかが壊れるような音……

得体の知れない音にだんだんと不安になってきた。

他の先生方も帰ったし…学校にいるのはもう私達くらいのはずなのに……

まさか……泥棒?

相澤先生が見に行ってくると言うので私も後ろから付いていくことにした。





音がしていた本校舎を回ってみることにした。

職員室や会議室のある1階に異常はない。

三年生の教室が並んでいる2階も不審な様子は見当たらなかった。


「もしかして外からの音だったんですかね?」

「……嫌な予感がする。」


相澤先生は険しい顔付きで二年生の教室がある3階へと階段を上った。

相澤先生の予感は的中した。

二年B組が準備した大正ロマンの喫茶店が、ボロボロに壊されていたのである。


外観のカラーセロハンで作ったステンドグラスも、教室の間に突っ張り棒で作ったパーテーションも、カフェカーテンやテーブルクロスもビリビリに破かれていた。


「ひどい…いったい誰がこんなこと……」


明日のためにとみんなで頑張って作ったのに……

あまりの惨状に息が止まる──────




「……マキマキ、最後に教室出たの誰だ?」



えっ…最後って……

相澤先生の射抜くような鋭い目に、言うのを躊躇ってしまった。

相澤先生は教室のドアのカギの部分を指さした。


「カギが壊されてない。最後カギ閉めたの誰だ?」

「そんなの…ただ閉め忘れただけですよ。」


「偶然閉め忘れて、偶然うちのクラスが狙われたのか?」


なにを言っているの相澤先生……?

心臓が変な感じにバクバクと脈打ってきた。

生徒を疑うだなんて酷い…そんなの相澤先生らしくないっ。



「こんなにめちゃくちゃに壊してった犯人が、あれだけ偶然壊さなかったと思うか?」



相澤先生が見た目線の先には、壁の中央にそびえ立つ振り子時計がチクタクと揺れていた。



「これだけが無キズだなんてどう考えてもおかしいだろ?」

「相澤先生っいい加減にして下さいっ!!」



いつも無表情で、一緒にいてもなにを考えてるんだか全然わからなかった。

冷たい人間なのだと思われても仕方がないのかも知れない……

でもっ、亡くなったお姉さんのことは凄く好きで、本当は優しい子なんだってのは…辛いほど、伝わってきたんだ。



「あいつは、これだけは壊さなかったんじゃなくて、壊せなかったんだよ。」

「……違う…玉置君じゃない……」



必要以上のことはしないのに、振り子時計は夢中になって作ってた。

完成した時は、一緒に笑い合ったのに……




「あれからなにも起きなかったし、おまえには言わなくていいかと思ってたんだけど……」


相澤先生はためらいながらも話を続けた。




「俺、あの時…本当は見たんだよ。」




あの時───────


相澤先生はエレベーターで降りていった犯人を、階段で追いかけていった。

私と村岡さんが一階のロビーに着いた時には、相澤先生はもう犯人はホテルを出たあとで見失ったと言っていた……



「本当は…犯人がホテルから出てすぐに帽子とマスクを外した時に、横顔を見たんだ。」



村岡さんを脅してホテルに呼び出し、相澤先生を陥れようとした卑劣な犯人は───────






「……玉置だった。」






………そんなっ──────


足元がグラグラと渦を巻いて地中へと引き連り込まれるような感覚がした。

あれも、玉置君がしてただなんて……



「なんで玉置があんなことをしたのかがわからなくて、あいつの生い立ちを調べるようなことをしてみたけれど、結局、なんも理解してやれなかった。」


考えれば考えるほど、闇が深すぎてわからなくなる……



「今回のことも全く意味がわからねえ……」



相澤先生は深いため息を付きながらも、掃除道具入れからほうきとちりとりを取り出して私に渡してきた。



「……相澤先生、玉置君のことは探さないんですか?」

「まずはこの教室をなんとか修復してやらないと。明日の朝、クラスのやつらが登校してきて悲しむ顔なんて見たくねえからな。」




相澤先生の言葉が胸にコトンと滑り落ちた。



そうか……


もしかして玉置君は─────





「……マキマキ、どした?」

「相澤先生。私に、玉置君のことは任せたって言いましたよね?」


私は相澤先生にほうきとちりとりを突っ返した。



「じゃあ最後まで私に任せて下さい!ここは相澤先生にお任せしましたっ!」

「えっ…ちょっ、マキマキ?!」



呆気にとられている相澤先生を教室に置いて、私は玉置君を探しに行った。














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