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困惑の恋愛事情


「じゃ〜んっ。玉置君、大正ロマン喫茶のラフ案描いてきたよ。」

「…………」


「花柄の布でカフェカーテンとかテーブルクロスを作って、中央に柱時計を飾ってみました〜!」

「…………」


「でねっ、振り子時計にしたいんだけど動くように出来ないかな?」

「………俺……今、保健室のベッドで寝てるんだけど?」



そんなの見りゃわかるよ。

どうせいつものサボりじゃん。

玉置君は私からスケッチブックを渡されると、気だるそうにしながら上半身を起こした。

振り子時計は教室にある丸い時計を利用したなかなかの自信作だ。


「こんなデカい時計二人じゃ無理だよ。真木先生、不器用そうだし。」


くっ…失礼な。その通りなんだけど。


「風邪で休みだった二人は来週から復活するし、柿ピーは見てくれだけで弱いから明日の一回戦で敗退するよ。」

「……それって、教師が言って大丈夫なの?」


「だから今日の放課後、一緒に材料買いに行こっ。」



私の誘いにも玉置君は相変わらずの無表情だ。

嫌だから返事をしないのか、どうしようかと悩んでくれているのかさえわからない……



「あら真木先生。今日の飲み会には不参加なの?教頭先生に目え付けられちゃうわよ〜。」



睦美先生がカーテンの向こうから話しかけてきた。

そう言えば今日はそんなのがあったっけ……


教師という職業は飲み会が多いと思う。

それは授業以外の仕事の多さや、生徒やその保護者、同僚や上司等の複雑な人間関係によるストレスを発散するためなのかも知れない。

都合が悪ければ断っても全然大丈夫なんだけど……

今日は教頭先生の誕生日祝いも兼ねてるからな〜。

50代でオールドミスの教頭先生は、私や花先生のような若い女性教師に対しての風当たりがただでさえきつかったりする……



「じゃあ玉置君。明日の土曜日にっ……」

「土日は用事があります。」


ですよね〜……月曜日には材料を揃えておかないととても間に合いそうにない。

私一人じゃなにを買えばばいいのかもわからない。

動く柱時計、良いアイデアだと思ったんだけどなあ……



「……わかった。俺が今日買っとくから。」



えっ……今、なんて?

玉置君はゴロンとベッドに横になると、頭から布団をすっぽりと被った。


「だから今すぐ保健室から出て行って。」

「玉置君いいの?任せちゃっていいの?ありがと〜!!」



「うるさいから出て行けって!!」



結局保健室からポイと追い出されてしまった。

玉置君、表情は相変わらずだったけどなんだか照れているように感じた。


なんだ…案外、良い奴じゃん。

























山のような雑務を終えて急いで飲み会の会場に行くと、店の前に酒樽がドドンと積み上げられていた。

もしやと思って入ってみると、日本全国の日本酒を取り揃えている日本酒にこだわりのある居酒屋だった。

凄い…あの幻の酒と言われている、福井県にある老舗の酒蔵の大吟醸まで置いてある……



日本酒には大きくわけて9種類ある。

大吟醸とはその中でも最高ランクのものを言う。


大吟醸は精米歩合が50%以下でなければ名乗れないという決まりがある。

この精米歩合とは、玄米を削った残りの部分の割合を指してお……



「マキマキ。そのくだり、全くいらねえから。」



な、なんだとーっ!

好きなことのウンチクくらいちょっとは語らせてよねっ。

相澤先生のケチ。



「真木先生は日本酒がお好きなんですか?」


人懐っこい笑みで話しかけてくれたのは用務員のコマさんこと駒井こまいさんだ。

もう70を過ぎていて、孫も3人いるらしい。

コマさんが飲みますかと言って持ってきてくれたのは、あの幻の大吟醸だった。

飲まいでかっ!!


「コマさん。こいつにあんまり飲ませないで下さい。酒乱なんで。」


酒乱だなんて人聞きが悪い。

今日は教師も職員も合わせると50人近くが参加していた。

なのになんでよりにもよって相澤先生が隣なんだろう……

監視されているみたいですっごく飲みづらい。



「やーだ、とも君。相変わらず真木先生には超過保護なんだからあ。」


安定のセクシーさで私達の間に入ってきたのは睦美先生だった。

お酒に酔っているのか肌がほんのり火照っていて、胸元がいつもよりも何割か増しで膨らんでいるように見えた。


あれっ…今、睦美先生……相澤先生のことをとも君て呼ばなかった?

睦美先生は相澤先生の頬っぺを人差し指でツンツンとつついた。


「睦美先生…茶化すの止めて下さい。」

「冷たいんだからあ。昔みたいにムッチーって言ってよお。」


この二人が昔からの知り合いだとは知らなかった。

目の前で仲良くじゃれ合う姿に、なぜだか胸がチクリと傷んだ。

睦美先生は私と目が合うと、髪をかきあげながらクスっと笑った。


「私ねえ、前に保健医として勤務してた学校が相澤先生が通ってた高校だったの。」


えっ……睦美先生が、相澤先生の高校の時の保健室の先生?!



「それは秘密にしとけって、俺、言わなかったっけ?」

「あら言っちゃった〜うふ。」



この二人って特別な関係でもあったのかな……

イケメン男子高校生とセクシーな年上の保健室の先生って…ありすぎてエロすぎるっ。



「マキマキ勘違いすんなよ。睦美先生、俺と同い年の息子いるからな。」


………はい?


「ちょっととも君っ!それ絶対言っちゃダメなやつ!!」

「知るかっ!」


もうっ!と言って睦美先生は怒りながら別のテーブルへと行ってしまった。

26歳の息子がいるだなんて…睦美先生っていくつなんだろ……

さすがに息子と同い年の子は恋愛対象にはならないよね。

あれ?なに私、ホッとしてるんだろ。



これじゃあまるで……──────




「マキマキ顔赤いぞ。もう酔ったのか?」

「ま、まだコップ2杯しか飲んでないのに酔いません!」


「だよな〜。熱でもあるのか?」


相澤先生がゴツゴツした大きな手で私のおでこを触った。

節ばっている割には意外とスラッと長くて綺麗な手。

この手に触れられることなんて慣れてるはずなのに……

一気に顔が真っ赤になってしまった。


「ト、トイレ行って来ます!」


相澤先生から逃れるように慌てて席を立った。

どうした私!

なに意識しちゃってんのよっ!





「ホッホッホ。相澤先生も罪作りな男ですな〜。」

「……なんのことですか、コマさん……?」














私が女子トイレに入ると、すぐ後から花先生が走りながら入ってきた。

お酒が苦手な花先生は飲み会にはいつも不参加なのだが、今日はさすがに断れなかったようだ。

もしかして酔っているのだろうか…顔が少し赤い。


「花先生、大丈夫?気分でも悪いの?」

「大丈夫ですよ。むしろお酒のおかげで高揚してますっ。」


花先生は私の手を両手で強く握りしめると、思い詰めたような表情でジッと見つめてきた。


「真木先生お願いですっ。席を譲って下さい!」


私の席を……?

花先生の顔がカーッと赤くなっていった。



「……好きなんです。だからチャンスだと思って……」

「えっ…好きって………」





……相澤先生を───────?!





「今なら好きな人にも積極的に行けそうな気がするんです。真木先生…応援してくれませんか?」

「応援て…あのっ……」



私…なにを動揺しているんだろう……

あのおっとりとした花先生から、こんなにも真剣にお願いされているのに。

素直に応援する気になれない……



「花先生があんな…口が悪くて自分勝手でデリカシーもない男を好きだなんて、意外だなあ……」

「そうですか?誰よりも大人びてるし謙虚だし渋いですよ。」


「それに人使い荒いし、机の上なんかぐっちゃぐちゃだし……」

「常に周りをよく見ていて気遣いが出来る方ですし、学校中をとても丁寧に清掃されてますよ?」



なんだか話が噛み合っていない。

花先生が好きな人って………誰?




「そんなの、コマさんに決まってるじゃないですか〜。」





……─────そっちぃ?!!



先程も紹介したが改めて言おう。

用務員のコマさんこと駒井さんはもう70を過ぎていて、孫も3人いるらしい。

もう一度言う……70を過ぎているのだっ。



「私、年上じゃないとダメなんです〜。」



年上過ぎじゃね?

50は離れている。

これが世に言う枯れ専てやつか……


















「なんで勝手に席移動してんだよっ。」


相澤先生がムスッとしながらも私の隣に腰を下ろした。

理由を言っても誰も信じないと思うよ……

元いた席の方をチラッと見ると、花先生が嬉しそうにコマさんにお酌をしていた。

コマさんは昨年、長年連れ添った奥さんを亡くしているので今は一応は独身だ。

大丈夫っちゃあ大丈夫なんだけど……



「マキマキそれ何杯目?」

「相澤先生いちいちうるさいですよ。小言いうならあっちに行って下さい。」


「はあ?おまえ酔ったら誰彼構わず抱きつくだろーが。」

「誰彼構わずなんてしませんよ!私はっす……」



……そうだよ。

……私は、好きな人にしか抱きつかない。


自分の記憶にはあまり残っていないのだけれど、一緒に飲んでいた友達らに言われた。

マキは鈍いし奥手だけど、酔うと本能で行動するようになるからわかりやすいよねって……


そう、好きな人にしか…抱きつかないはずなのに……



「……私ってそんなに相澤先生に抱きついてますか?」

「かなりな。おまえあんなこと他の男にするなよ?襲われるぞ。」


相澤先生はそう言うと私の頭を小突いた。

俺以外には抱きつくなと言われたようで、全身の血が沸騰するくらい熱くなってきた。

今日に限ってしつこいくらいに私の隣に座るのはそういうことだったんだ……


私はお酒で散々やらかしてきた。

初めて出来た彼氏も、1回飲みに行っただけで振られてしまった。

相澤先生にも迷惑をかけたのに、嫌われるどころか酔った私を守ろうとしてくれている。

なにこの優しさ……嬉しすぎるんだけど………


ちょっと待って……

これって私……



「マキマキまた顔が赤いぞ。酔ったのか?」



相澤先生の顔がやたらと近い。

どうしよう……

抱きつくどころか、無性にキスをしたくなってきた……



「……マキマキ。どした?」



二人で見つめ合っていると相澤先生のスマホが鳴った。

どうやら生徒から電話がかかってきたようだ。

相澤先生はすぐ戻るから飲むなよと言って廊下へと行ってしまった。



私、本当にどうしちゃったんだろう。


相澤先生と睦美先生にヤキモチ焼いたり花先生の言葉に動揺したり……

今なんて脈拍と体温がヤバいくらいにうなぎ登りになってしまった。


今日はなんだか変だ……

きっとこの、幻の大吟醸のせいだよね?



だって私が……






私が相澤先生を好きだなんて───────









「有り得ないっ!」

「なにが有り得ないんですか、真木先生?」





いつの間にか桐ヶ谷先生が隣に座っていた。


さっきまで一番奥の席で教頭先生と飲んでいたと思うんだけど……

教頭先生は酔うと説教をするので誰も一緒に飲みたがらない。

桐ヶ谷先生はその嫌な役をいつも引き受けてくれるのだ。

まあ仕事も私生活も完璧な桐ヶ谷先生なら説教される心配がないのだけれど……

私なら飲む暇もないくらい言われまくるだろうな……



「真木先生、この後飲み直すのに付き合ってくれませんか?」

「……私と、ですか?」


「ええ。真木先生と二人なら楽しく飲めそうなので。」



桐ヶ谷先生と二人っきり……

お誘いなら何度も受けたことがある。いつもならここで相澤先生の邪魔が入るのだけれど……


案の定、私のスマホに相澤先生から電話がきた。



「マキマキ、俺今から田口のとこのペット探しに行くから、会費立て替えといて。」

「えっ、チャトラまた逃げたんですか?」


田口さんは以前、小さな頃から飼っているネコのチャトラがいなくなった時に相澤先生に見つけてもらった。

今回もチャトラなのかと思いきや、新しく飼い始めたインコのピッピが逃げたらしい……

鳥って飛ぶよね?そんなの捕まえられるの?

下手すりゃ落ちて死んじゃわない?



「もうすぐお開きだろうからまっすぐ帰れよ。道草禁止な。」



相澤先生はそう言うと電話を切った。

私は子供か……



「では真木先生。解散した後に駅前のドコムで待ち合わせをしましょう。」

「えっ…ちょ、桐ヶ谷先生?」


桐ヶ谷先生は穏やかに微笑むと教頭先生の待つテーブルへと戻って行った。

あの教頭先生の相手をしてもらっているわけだし、飲み直したい気持ちはわかる。


少しくらいならいいよね……



相澤先生は朝まで帰って来れないだろうから、バレることもないだろうし……

















桐ヶ谷先生と待ち合わせをして連れてこられたお店は、オシャレなワインバーだった。


ワインにピンキリがあるように、ワインバーにもピンキリがあると思う。

桐ヶ谷先生行きつけのワインバー……客層をざっと見渡しても富裕層向けのセレブな店に間違いない。



「真木先生は赤、白、泡ならどれが好きですか?」

「そうですねえ……」


日本酒には詳しいけどワインはあまり飲んだことがない。

メニューを見てもチンプンカンプンだ。

実は苦手だったりするんだけど、今さらそんなことを言えるわけがない……

桐ヶ谷先生が頼んでくれたのは甘くて飲みやすい赤ワインだった。


「それは初心者の人でも飲みやすいワインなんですよ。」


確かに、ジュースみたいだ。

一気飲みしてしまったけれど、これっていくらくらいするんだろ……


「あの、桐ヶ谷先生…これ、お高いですよね?」

「気にしなくていいですよ。おごりますので。」


ウインクをしながら言うもんだからドキンとしてしまった。

余裕のある立ち振る舞いとか女性への配慮だとか、桐ヶ谷先生ってホント大人だよね……

派手な顔立ちではないけれど、一重で切れ長な目とか薄い唇とか……バランスの取れた中性的な顔立ちで、高貴で品のある雰囲気を持っている人なんだよね。

生徒の間で熱狂的ファンが多いのもうなずける。



桐ヶ谷先生がここはフードも美味しいんですよと言って、女性に一番人気のメニューと白ワインも頼んでくれた。



ワインは同じ産地や醸造年で作られていても、味や香りが微妙に違ってくる。

ワインバーでは、その時にしか出会えないワインとの一期一会の楽しみが沢山味わえるのだという……



「白も、真木先生には甘い方のが良かったかな?」

「いえ。これもすっきりとしてて美味しいです。」


ワインもなかなか面白くて味わい深いな。

その後も勧められるがままに飲んでしまった。





「真木先生とは一度ゆっくりと話がしたかったんです。」



なんだか酔っ払ってしまった。

熱っぽい視線で私を見つめる桐ヶ谷先生がボヤけて見える……


「言おうかどうか迷っていたのですが、やっぱり…聞いて欲しくて……」


なんだろ…まるで今から誰かに告白するみたいなセリフだな……

桐ヶ谷先生がグラスを持っていた私の手を、包み込むようにしてそっと握った。




「真木先生……」




えっ、ちょっと待って。

これってまさか……────────





「好きなんです。」





──────桐ヶ谷先生がまさかっ……






「……相澤先生のことが。」








まさか私のこ…と………


…………って、はい?





「……すいません桐ヶ谷先生。私、耳が馬鹿になったみたいで……」

「いえ多分合ってますよ。私、相澤先生が好きなんです。」



────────はいぃ?!



「き、桐ヶ谷先生。それは、あのっ……恋愛的な?」

「ええ、もちろん。」



いやいや、なんで?

二人って仲悪いよねっ?!

桐ヶ谷先生!乙女みたいに恥じらわないで!!

反応に困るからっ!!




「私が相澤先生が赴任してきたばかりの頃に、随分意地悪をしてしまったんです。」

「意地悪…ですか?」


「ただ、振り向いて欲しかっただけなんですけどね……」



なんかそれって…小学生が好きな女の子にするやつじゃ……



「真木先生と仲良くしてたら相澤先生って私にも話しかけてくれるでしょ?すいません、利用するようなことをしてしまって。」

「……いえ、全然。お気になさらず……」




なんだか力が抜けてテーブルに頭を打ち付けてしまった。

桐ヶ谷先生ってもしかしたら私のことをと思った私って、なんておめでたいのっ!




「真木先生に聞いてもらえて少しだけスッキリしました。諦めなきゃいけないのはわかっているので……」





桐ヶ谷先生………


桐ヶ谷先生ほどの人が結婚出来ない理由…そういうことだったんだ。


「……もう、帰りましょうか真木先生。話を聞いて頂いてありがとうございました。」


さっきまですごく大人に見えていた桐ヶ谷先生だったのに、落ち込んでいる姿が失恋して悲しんでいる女子中学生のように見えてきた。

お勘定を終えて店を出た桐ヶ谷先生の背中を、勢いよくバシンと叩いた。



「桐ヶ谷先生、もう一件行きましょう!今度は私がおごりますっ。」



戸惑う桐ヶ谷先生を、私が行きつけの立ち飲みの串カツ屋さんへと引っ張って行った。

桐ヶ谷先生はこういう店は初めてだったようだが、美味しいと連発していたので気に入ってくれたようだ。






しかしなんなんだろうなこの学校は……


恋愛事情がカオスすぎる。













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