第03話 リスタートはお姫様抱っこから
――白い花が、芽吹いて風に揺れる。
「ここは、何処? 確か、私は雨宿りの里で途切れた橋の修繕の現場まで行って、そうしたら光の橋が現れて。そうだわ! タイムリープの記憶のカケラに誘われて、気がついたら橋を渡ってしまったんだ」
異世界に転生してから公爵令嬢として、何度も何度も同じ時間軸を繰り返していた。たった一人の愛する人を決めるために、メビウスの輪のように巡り巡る因果もついに終わりを迎えるらしい。白いスニーカーにブレザーの学生服という本来の早乙女紗奈子の姿で、新たなる一歩を踏み出す。
「行かなくちゃ、ここで立ち止まる訳には行かない」
長く長く、永遠にも思えた光の橋は、いつしか長閑な田舎の風景へと姿を変えていた。一本道のその先には、素敵な薔薇のアーチが見える。きっとあれが、私のゴールでありスタート地点なのだ。後ろを振り返るが、そこには例の光の橋は無かった……それどころか、一緒にいたはずのカズサとも逸れてしまった。
きっと彼には別の場所で、またいつか会えるだろう。それはおそらく、そんなに遠くない未来に。
『おかえりなさい……早乙女紗奈子、これが最後の貴女自身。紗奈子・ガーネット・ブランローズとして生まれ変わる最後の純潔。その身を清めて、私の元へいらっしゃいな』
赤や白の薔薇で彩られたアーチくぐると、まるで心も身体も全てが生まれ変わるように私がリセットされていく。
黒く長い自慢の髪は、緋色の艶のある長髪へ。現代日本のブレザーの制服はスカートを翻して、小洒落た水色のワンピースに。白いスニーカーは、リボン付きの清楚なローヒールへと姿を変えていった。
そして、夫ヒストリアに捧げたはずの純潔は……汚れを知らない無垢な『乙女』へと甦る。
アーチを抜け切ると早乙女紗奈子の姿は消え去り、似て非なる紅い髪のご令嬢『紗奈子・ガーネット・ブランローズ』転生していた。
天使が見守る噴水を横切り、薔薇園の奥へと進むとそこには一人のご令嬢の姿。色とりどりの薔薇を鑑賞できるテラス席で、午後のティータイムを嗜んでいる。彼女は、乙女ゲームの悪役令嬢として登場する『本来のガーネット・ブランローズ』だ。
「あら、お久しぶりね。紗奈子……ご機嫌よう。どう? これが最後の転生になるけれど、覚悟はよろしくて」
「ガーネット、えぇと……覚悟って?」
「決まっているじゃない! どの男性に運命の純潔を捧げるか、その最後の選択ですわ。今までは、夢の中でまるで純潔を捧げたような気になっていたけれど、次だけは違う。本当に、貴女自身の魂の純潔をたった一人の男性に捧げるのだから」
ガーネットは、いかにも悪役令嬢といった風格のちょっぴり意地悪そうな笑みを浮かべたのち、少しだけ寂しそうな瞳でテーブルに重ねられたメッセージカードを手に取った。見覚えのあるメッセージカードに、思わず背中がヒヤリとする。
「ねぇ、もしかしてそのメッセージカードって……」
「そうよ、ここにあるメッセージカードの一枚ずつが、ヒストリア様の失恋の証。貴女がヒストリア様を裏切り、別の男性を選ぶ度に彼が薔薇の花束と共に残した別れのメッセージカード。タイムリープの果てに行き場を無くした未練の品が、この庭園をより一層華やかにしているの……皮肉なことね」
未練の品、それはメッセージカードだけではなくガーネットの周囲に飾られた花瓶の薔薇や、天使のモニュメントなども含まれているのだろう。
「未練……じゃあ紅茶に浮かべられた薔薇の花びらは、アルサルが作った薔薇の砂糖漬け?」
「えぇ。何も未練の品を遺しているのは、ヒストリア様やアルサルだけじゃないわ。エルファムさんからは金の髪飾り、クルルからはこのティーセット、カズサからは護身用の小さな守り刀。私と貴女の身の回りのものは、パラレルワールドとしてかき消された彼らの恋心ですの」
「ガーネット、貴女は彼らの思い出を全て噛み締めているのね」
何気なく身につけていた金の髪飾りや、身近なお茶の道具にもそんな秘密があったなんて想像すらしていなかった。ここで彼らの思い出と暮らすガーネットは、行き場のない切ない気持ちを無駄にしないよう過ごしているのだ。
「それが、私に出来る彼らへの償いですもの。現世では亡くなっているはずの私が、貴女の前に現れられるのは実家の庭園に飾られた女神像として存在しているからですわ。女神としての奇跡を起こせなくても、見守る役割くらいは務めていかなくては」
その凛とした眼差しは、彼女が女神像ガーネットとしての使命に誇りを持っている証拠だろう。女神として生きるガーネットとの会話にもタイムリミットがあるのか、次第に景色が揺らいできて現実に引き戻される。
「うぅ……意識が、遠のいて……」
「行ってらっしゃい、紗奈子。最初の約束、守ってくださいな。私をガーネット嬢を幸せにしてくれるという約束、貴女が幸せを手に入れることで果たして……もう一人の私、紗奈子!」
「ガーネット……」
* * *
やがて私の意識は、現世に覚醒し……懐かしいブランローズ邸のテラスでゆっくりと目を覚ました。どうやらお茶の時間に倒れてしまったらしく、気がつくと婚約者のヒストリア王子に抱き抱えられている。えっ……ヒストリア?
「紗奈子、大丈夫かい、紗奈子!」
「う、ううん。ここは……? まぁヒストリア! 私、一体どうして」
久しぶりに見るヒストリアは、金髪碧眼の天使がそのまま青年になったような麗しさで思わずクラクラしてしまう。
「前世が見えるというブローチを身につけたら、魔力に当てられて倒れたんだよ。軽い脳震盪を起こした状態らしいから、しばらく安静にしないと。部屋まで運ぶから」
細い見た目のわりに意外としっかりと筋肉のついているヒストリアは、私を軽く持ち上げていわゆるお姫様抱っこのポーズで歩き出した。メイドのクルルや騎士団長のエルファムさん、庭師アルサルが心配そうに見つめているが、正式な婚約者だけあって他の男性を介入させない。
「あの、ヒストリア……このまま部屋に?」
「今日は、何もしないから……安心して」
思わずキスできそうな距離で囁かれて、再び目を瞑るとおでこに柔らかい唇の感触。
――おでこの口付けは親愛の情。私とヒストリアの関係はスタート地点に戻り、けれど今までとは違うときめきが待ち受けているのだ。
彼の腕の中で、私はベッドに辿り着く前に再び目を閉じたのだった。
 




