第14話 雪溶けを待つ、凍てつく心
季節はすっかり、冬。
結局、いつの間にか定住してしまうという因縁の地『雨宿りの里』に土砂災害で閉じ込められてから、三ヶ月が経った。年越しまでには夫ヒストリアの元へと帰りたいという願い虚しく、新年をこの地で迎えてしまった。随分と住み慣れた宿泊施設の一室、窓を開けると晴れてはいるけど雪がまだ積もっている。
「ようやく、雪の降り方が落ち着いたわね。今日はクエストに行けるかしら?」
ポツリと、独り言を呟いてみる。当たり前だけど、返事はない。本当だったら、何気ない呟きにヒストリアが優しく相槌を打ってくれるはずだ。けれど、夫であるヒストリアとは今もなお、離れ離れである。
一つだけ良かったことを挙げるとすれば、ヒストリアの意識が戻り快方に向かっているとの連絡があったことだろうか。
コンコンコン!
木のドアをノックする音が響く。この宿泊施設において、直接部屋の前まで用事を伝えに来る人物といえば、守護天使のフィード様だけだ。一応、異性ということで遠慮しているのか、部屋には入らずドア越しの会話となった。
「おはよう紗奈子。伝達なんだけど……支度が出来たらギルドカウンターに来てくれるかな? ギルドマスターから話があるって。僕は緊急で臨時の用事が出来たから一緒に行けなくて申し訳ないけど」
「おはようフィード様。分かったわ。ギルドカウンターね、ありがとう」
「ごめん、いろいろと気を遣わせちゃって。それじゃあ……」
臨時の用事というのは、おそらく女神様絡みであることは窺えたけど、あえて追求しなかった。閉鎖されているこの里において、女神様の御加護を頂けるように住人に代わり話しを通すことが出来る守護天使フィード様の存在は大きい。そして人間である私は未だに、女神様と直接お会いすることは出来ていない。正確には、女神様は人間の目で認識することは出来ず、【女神様の祝日のみ】そのお姿を拝見できるのだという。
「さてと……メイクもしたし、着替えたし……あとはコートを羽織って。そろそろ行かないと」
今日の装備はラベンダーカラーのフード付きダウン、冬仕様のカジュアルワンピースに黒い厚手のタイツ、ブーツは雪に対応したものだ。動きやすいように赤い髪はポニーテールに結いあげて、メイクは『雨宿りの里』手作りのナチュラル素材のセットで仕上げた。敢えて剣士らしさを挙げるとすれば、霊魂にも効果があるという短い刀くらいだろう。
『紗奈子、今日も可愛いね』
夫のヒストリアはいつも身支度を終えた私の姿を褒めてから、優しく口付けてくれていた。それすら遠い遠い、夢の中の出来事のように感じてしまう。
一応、女性らしく身なりを整えたものの、それを褒めて欲しい彼は今この場にいない。鏡の中に泣き出しそうな顔を見たけれど、それでも前に進まなければいけないのだ。
* * *
「紗奈子ちゃん、朝からわざわざ悪いわね。ほら、紗奈子ちゃんって土砂災害の直前から、ずっとウチに泊まっているでしょう。ウチとしては宿泊代が毎日支払われてありがたいんだけど、長期滞在になるなら生活を考慮して、仮住まいを紹介してやれって不動産屋が……」
「長期滞在って、やっぱり雪が続いているから、橋を作り直す計画が頓挫しているってことですか」
今年に入ってから雪の降る日が増えて、橋を立て直す計画は一時的に中断しているらしい。はじめのうちは初雪の美しさに心が奪われたものの、山間部特有の積もり方でちょっぴり厄介だ。
伝書精霊から届く書面によると、アルサルとデイヴィッド先生が建築魔法で早く橋を完成させるつもりらしい。天候さえ良くなれば、二ヶ月くらいで橋が完成したはずだけど。
「まぁ、今は一月で冬真っ只中じゃない? 春の雪溶けまでは無理だろうし、そのあと橋を完成させるってなると、建築魔法を駆使してもあと半年くらいはこの状態なんじゃないかって。あっ……でも食堂なんかは他所で暮らしても、今まで通りギルド割で使えるし、温泉だって安くしとくよ」
「ここの温泉がずっと使えるのは、嬉しいです。美肌効果が高いから」
節約と美容が、両方維持できるのは本心で嬉しい。ブランローズ家からゼルドガイア家に嫁いできた際の持参金は、夫のヒストリアに預けているし。
現在のクエスト収入は、乙女剣士に就任した際に作った東の国の口座に振り込まれている。偶然とはいえ、東の国出身者であるスメラギ様に弟子入りしていたおかげで、この国の口座を自分自身が所持していたことは幸いだ。生活の基盤が、スムーズに作ることが出来たから。
まるで【雨宿りの里】に長期滞在することすら、乙女剣士になった時点で想定されていたような気さえしてしまう。
「……王族に嫁いでいるご令嬢が、ずっと宿泊してくれればウチの価値もさらに上がるんだけど。不動産屋もさ、移住者がいなくて困っているんだと思うから……一時的に協力してほしいんだよ。公爵令嬢御用達となれば不動産屋の名も上がるしさ……上等のコテージを災害割引で紹介するって言うから。朝食が済んで落ち着いたら、観に行って来てくれるかい?」
「分かりました。長期滞在になるなら、移動を検討します」
作り笑顔で良い返答をしたもののあと半年、そんなに耐えられるだろうか。
ヒストリアの声を聞くことが出来ない、あの綺麗な顔を直接見ることが出来ない、優しい金色の髪が、青い瞳が……思い出に変えられるのが怖い。
まだ来ない雪溶けが、胸の痛みを凍てつかせてしまいそうだった。




