選ばれなかった庭師アルサル目線:01
――ある日の穏やかな昼下がり。
腹違いの兄ヒストリアとその妻である紗奈子が、新婚旅行に旅立って数日が過ぎていた。有名庭師デイヴィッド先生に弟子入りしたオレは、兄夫婦の庭を流行りのデザインに改築すべく、師匠とともに造園作業に勤しんでいたわけだが。
「アルサル様っ! デイヴィッド様っ! 大変でございますっ。ヒストリア様と紗奈子様が……旅行先でトラブルに見舞われたそうで……」
「えっ……トラブルって、まさかまた変なモンスターやら何やらに襲われたっていうのか」
慌てた様子で邸宅の庭に駆け込んできたのは、紗奈子のお付きをしていたメイドのクルルである。確か紗奈子が嫁いだ時にお役御免となり、故郷に帰らさせられたはずだが、非常時の召集だったのかメイド職に復帰したようだ。息を切らして胸を抑えた様子から察するに、よっぽどの緊急事態のよう。いや、よく考えてみればここしばらくの間、平和すぎたくらいなのだから、いつも通りの展開がやってきたと言えるだろう。
「うぅ……それが、それが。ヒストリア様は呪いの力が降りかかり、意識が戻らず。紗奈子様は守護天使様とお薬の原料を採りに出かけられて、辺境の里に閉じ込められて……。あぁっ! やっぱり、ブランローズ公爵家は呪われているでしょうかっ。お嬢様が呪いのブローチを誕生日プレゼントに貰ったあの時に、私がもっと悪魔祓いを頑張ればこんなことにはっっ!」
「落ち着けっ落ち着けよ、クルル」
紗奈子が呪いのブローチを誕生日プレゼントに贈られたのは、もう数ヶ月も前のことだし。それがきっかけで、自分が転生者であることに気付いてしまったのだ。あのブローチ事件がなければ、現在の『異世界転生者・紗奈子』は存在し得ないのである。
「そ、そうだよ、キミ。お茶でも飲んで、少しひと呼吸してから対策を練ろう」
「えぇいっ悪魔め、何処にいるっ? このクルル、我が信仰心に変えてでも悪魔の本性を見つけ出して、成敗してやるわぁああああっ。何のためにエクソシストのこの僕が女装までして、お嬢様のお付きのメイドをしていたと思うのだっ! てやぁああああっ」
「だから、落ち着けっ! てゆうか、お前やっぱり男だったのかよ?」
今度はお団子に結んだ頭を強く抑えて、手にした十字架のペンダントで何やらぶつぶつと呪文を唱えるクルル。しかもキレ気味に実は自分がエクソシストで、尚且つ女装した男だということを暴露し始めたあたり、相当切れているようだ。
(クルルの奴、オレに色目すら使わないと思っていたけど、エクソシストとして派遣されていた女装の特派員だったのか。もしかすると、今目の前にいるデイヴィッド先生の正体が堕天をした天使、即ち悪魔であることに勘付き始めたのかも……。二人が揉めないように、気を付けないと)
まずは室内へとクルルを誘導しようとしたデイヴィッド先生が、呪文を聞いて一瞬だけ、ビクリと肩を震わせた気がする。もしかすると、結構強力な効力の呪文を目の前で唱えられてしまったのかもしれないが、幸いデイヴィッド先生は悪魔祓いされなかったようだ。
「取り敢えず、今の状況を把握したいから、室内の落ち着いた場所で話し合おう」
* * *
実は、エクソシストの特派員で尚且つ女性ではなく男性だったというメイドにクルルをミルクティーで落ち着かせ、一息ついた頃。紗奈子が辺境の里に閉じ込められている現状に関する正式な資料を携えて、ブランローズ公爵家お抱えの爺やさんが話し合いの席に加わった。
「実は今朝方、ヒストリア様のお抱え執事と伝書精霊で、細かく連絡を取りましてな。国の上層部には大したことはないという報告をしているが、予想よりも危なそうだから救援を要請したいとのこと。しかも、守護天使のフィード様が里の女神様に気に入られてしまったとかで、どうしてもフィード様と夫婦になりたいのだとか。橋を落としたのも多分、作為的ではないかとの意見も」
「フィード様まで巻き添いなんて……確かデイヴィッド先生は、フィード様と面識があるんですよね」
「ああ、まぁね。古い顔馴染みだよ……今ではすっかりオレの方がオジさんだけど、昔は彼らの方がちょっぴりお兄さんだったくらいだ。そうか、橋か……魔法技術を用いた建築方法を使わないと、里に渡る橋は作れないだろう」
どうにも、この乙女ゲーム異世界は、悪役令嬢というキャラクター設定だった『紗奈子・ガーネット・ブランローズ』嬢を幸福な女性にしたくないらしい。彼女を苦しめるべく、どう逃げ果せても破滅ルートが追いかけてくるようだ。
楽しい新婚旅行のはずが、夫のヒストリアは紗奈子を庇い大怪我をした挙句、呪いをかけられて眠りっぱなし。そして紗奈子の方はというと……土砂崩れの影響で橋が落ち、山奥の辺境の里に閉じ込められて、ヒストリアの元に戻るに戻れない状態だという。彼女を守るはずの守護天使フィード様に至っては、まさかの女神様からターゲットにされて、最大のピンチの様子。
「ヒストリアが呪いのせいで倒れて、入院。紗奈子は薬草を取りに向かい、辺境に閉じ込められている。しかも守護天使様は女神様に気に入られて、里に残留を促されている……そこまでは理解しましたが……その辺境ってそんなに危険な場所なんですか」
「危険……というより、異世界転生者にとっては居心地が良過ぎて、本来の家に帰って来なくなるという不思議な因縁の場所なんだそうです。また、一説によると今回のように短期間滞在の予定だった者が、アクシデントに巻き込まれて定住する羽目になってしまったり。しかも、村の宣伝としてこんなキャッチフレーズが……紗奈子様が異世界転生者であることを考慮すると、どうしても嫌な予感がして……」
曇った表情で、爺やさんがスッと一枚の紙を手渡してくれる。辺境の里を観光客向けにアピールするためのチラシは、スローライフ系ゲームを彷彿とさせる田舎暮らしに誘う内容のものだった。
『ようこそ、最後の輪廻で訪れる雨宿りの里へ……』
けれど、爺やさんが指摘する通り、異世界転生者としてはかなり気になる宣伝文句。
「最後の輪廻、か。異世界転生者にターゲットを絞って、何かしていそうな里ではある」
「女神様に落とされた橋を修復するなんて、建築家の腕の見せ所……だよな。行くしかないみたいだろう、アルサル」
端正な顔立ちを少しだけクシャリと歪め、黒髪をかき上げながらニッと笑うデイヴィッド先生。その表情は、まるで難しいゲームを攻略しているプレイヤーのような眼差しだった。同性ながら思わず見惚れてしまいそうなその仕草、随分と余裕ありげで、流石は堕天使といったところ。
ヒロインに選ばれなかった側のキャラクターである庭師アルサルとしては、二人と距離を置いてようやく心機一転しようと奮闘していたのに。きっと、因縁の女神様が呼んでいるんだ……オレのことも、そして堕天使であるデイヴィッド先生のことも。
このシナリオは、オープニングもチュートリアルもとっくに超えてしまった新たな乙女ゲームそのもので。登場人物であるオレ達に、リセットする選択肢なんて用意されていないのだ。
 




