第03話 彼女の夢を見届けるために
私とヒストリアを取り囲むように現れた闇色のモンスターは、幽霊のような実体の整わない姿から一転、銀色の毛並みが輝く狼に姿を変えた。
「えっ……変身した? それともこの狼の姿が、本来の形だというの?」
慌てて辺りを見渡せば、既に神域手前の小道は空間閉鎖されていて、黒いオーラのモヤで塞がってしまっている。どうやらこの狼モンスターとのバトルは、俗に言う強制イベントというものらしい。東の都近辺の地域は、私がプレイしていた乙女ゲームと同一設定の別のゲームの舞台のはず。
けれど、そのゲームをプレイする前に異世界転生してしまった私からすると、目の前の狼モンスターが一体どのくらいの強さなのか見当もつかない。
「ふんっ貴様らでも認識しやすいように、姿形を変えるなど我等にとっては造作も無いこと。そしてそれは、貴様らとても同じではないか……お互いが認識しやすいように、極力、地球時代の肉体と似た姿を保とうとしている。そこの娘、異世界転生という魂の変動をまだ理解しておらぬようだな」
狼は意味ありげにヒストリアの方をチラリと見ては、わざとらしく『地球時代の肉体と似た姿』という言い回しをした。まるで、私だけでなくヒストリアも異世界転生者であるような、含みのあるセリフ。
いや彼らの言うことが事実であれば、ヒストリアはほぼ間違いなく地球に肉体を持つ転生者なのだろう。
(けど、地球時代の肉体と似た姿って。ヒストリアは、アルサルと色違いの双子と言ってもおかしくないほどそっくりだわ。そしてアルサルの地球時代の姿は彼らの指摘するように、確かに朝田先生をそのまま異世界人として蘇らせたような感じだし。ということは、ヒストリアにそっくりな人物が地球にもいる?)
「ねぇ、ヒストリア。私、地球時代のことは、途切れ途切れにしか思い出せないんだけど。ヒストリアと私って、もしかして……地球にいる時から知り合い?」
「ごめん、紗奈子。実は僕も少し地球という存在に違和感を覚えていたんだけど。僕が転生者であるかは頑丈な鍵でロックされているみたいに、思い出せないんだ。まるで、何かのタブーのような」
ほんの一瞬だけ……辛そうな表情で前髪から見え隠れている額の辺りを手で軽く抑えるヒストリアは、二十歳そこそこの王太子様というより、もっと大人の男性の表情に見えた。その大人の男性特有の色気のある仕草は、異世界の王子様ヒストリアではなく、地球にいる誰かの姿と被る。
(あれっ……一体、誰だっけ。私、やっぱりヒストリアと前世で会ってる。でもどうして記憶に蓋がされているの?)
* * *
現役女子高生だった私と接点のある大人の男性なんて、数が限られているはずだけど。学校でもなければ、朝田先生のように下宿人というわけでもない。接点が最も出来なさそうなイレギュラーな出会いの人物の姿がチラリと浮かんだ。
その男性、歳の頃は二十代後半から三十歳前半といったところ。日本人の血は四分の一か、もしくはそれ以下か。ほとんど白人と呼んでも良いほどの白磁の肌は透けるように澄んでいて、金髪に近いベージュ色の髪は御伽噺の王子様のよう。
一度だけ、彼とデート紛いの交流をしたことがあった気がする。朝田先生に他の女性の影が出てきて、私は凄く泣いて、家にいられなくなって。家で同然で新幹線に乗って、地方都市の彼の住まいに貰った住所を頼りに押し掛けて……。
普通だったら、ひとまわり以上歳上の男性の家に押し掛けるなんて、大胆なことしないけれど。私と彼は、ただならぬ因果を背負っているような、そんな気がしたから。
『紗奈子ちゃんは、亡くなった婚約者にそっくりだ。ユキ君より早く出会っていたら、僕がプロポーズしていたのに。ユキ君と破局したら、僕が紗奈子ちゃんをお嫁さんに貰ってあげるから、安心してねっ』
下宿している朝田先生の様子を見に、時折その人はうちに遊びにきていた。腹違いの弟である朝田先生の高校から大学までの学費を負担したのはお兄さんである彼だ。私と朝田先生が恋仲っぽくなったこと知りながらも、そんな風に思わせぶりなことを囁く彼はどこか腹黒い王子様だと思った。
『ヒストリアさん、前もその婚約者さんのお話していたよね。そんなに私に似てるの? ガーネットさんって』
『うん……キミがもう少し、大人になったら多分ね。ほら、このゲーム……ガーネットの遺作なんだよ。うちの会社で作ったもので、シナリオはガーネットが担当したんだ。ガーネットをモデルにしたご令嬢も登場するから、キミのあげるよ。販売するまで時間がかかったけど、結構ヒットしてるんだよ』
『うわぁ! どうしても手に入らなかった限定スペシャルエディション完全版だっ。ありがとうっ』
彼が……彼こそが、あの乙女ゲームの天使のような麗しさとふとした暗い闇を孕んだヒストリア王子のモデル本人なのだから。そしてプレイヤーの恋敵となる悪役令嬢ガーネットこそが、彼の亡き大切な恋人ガーネット嬢その人の忘れ形見。
『自分はみんなの憧れの王子様と婚約しているのだから、悪役でいいわ。けどね、誰かが隠しルートを攻略して……悪役令嬢ガーネットのことも幸せにしてくれたら。それはそれで素敵なことだと思う』
と語っていたガーネットさんは、そのゲームのシナリオを担当していたが、製作途中で帰らぬ人となった。三部作のシナリオは遺稿として保管されて、ゲーム会社の代表であるヒストリアさんがシナリオの推敲を引き継ぐ形が採用された。
販売延期を経てようやくお披露目となったゲームは、乙女ゲーム市場の中ではかなりヒットしたけれど。その完成形をガーネットさんが見届けることはなかったのだ。
『キミがこのゲームをプレイしてくれたら、きっとガーネットも喜ぶよ。たくさんの人に、ゲームを届けるのが彼女の夢だったから』
* * *
シュッ!
「よそ見か、随分と余裕だな。小娘」
「きゃあっ」
ガキィインッ! 鋭い爪の攻撃を護身用のプラチナダガーで、咄嗟に受け流す。
「大丈夫か、紗奈子。今は、前世の僕達が誰であろうと、この試練を切り抜けなくてはいけない。いいね」
「うんっ。分かってる!」
走馬灯のようにグルグルと記憶が蘇ったものの、すぐさま今の状況に引き戻される。この異世界がどのようなカラクリだとしても、今の目の前にある現実がこの異世界である以上、私は今の自分自身の肉体を守らなくてはならない。
「彷徨える魂よ、関所の試練と言っても容赦はしない。お前達のこの世界での身体を維持する魂の気力が足りなければ、大人しく向こうの世界へと帰ってもらう」
「ここで中途半端に強制送還されたら、ゲームのクリアが出来なくなっちゃう。私にはまだやることがあるの……だから意地でもログアウトはしないわ。悪役令嬢ガーネットを幸せにする……隠しルートを見つけるまでっ」




