第08話 誓いの言葉を天使は聞いた
私とヒストリア王子がタイムリープの末に辿り着いた時間軸は、ちょうどガーネット嬢の誕生日パーティーが終わり、私とガーネット嬢が個別に存在していることが判明した数週間後だった。
カーテンの隙間から朝の日差しが射し込んできて、目覚まし時計に頼らなくても自然と目が覚めた。私が寝ている間ずっと腕枕をしてくれていたヒストリア王子の顔が目の前にあって、自分が彼と婚姻関係になっていると再確認する。
(あれっ……ここは、そうかヒストリア王子と私の寝室だわ。一緒に暮らし初めてしばらく経つんだっけ)
隣ですやすやと寝息を立てるヒストリア王子に気を使いながら、ベッドからゆっくりと起き上がる。まずは寝室に併設されたシャワールームで汗を流し、身支度しやすいようにガウンを羽織った。洗面台には可愛らしいピンクの薔薇の花が飾られていて、新婚生活に潤いを添えている。
鏡をふと見ると私とよく似た深紅の髪色の少女が、白い素肌にガウンをかけて幼い目をパチクリとさせていた。
(今後もこの早乙女紗奈子によく似た【ガーネット嬢の身体】が、私自身の肉体となるんだ)
本来ならばそろそろアルサルとの同棲話が持ち上がる頃だったが、今回の時間軸ではヒストリア王子と同棲を開始していた。まだ大学生のヒストリア王子だが、器用に勉強とギルドの仕事を両立している。
新婚生活を送る場所は、市街地近くにある魔法ギルド関連の研究の館だ。物件の所有者はゼルドガイア王室で、ヒストリア王子が個人で使っており別荘のような扱いなのだろう。
最初は慣れなかった夫婦の寝室も、ようやくぐっすり眠れるようになって、ここが私の寝室だと認識出来るようになった。
しばらくすると夫であるヒストリア王子が目を覚ましたようで、金髪をクシャリと手で弄りながら小さなあくび。いつも完璧な王子様だけど、油断している貴重なプライベートの姿は私だけのもの。
「お早う、ヒストリア。昨日は夜更かししちゃったけど、よく眠れた?」
「ん……お早う、紗奈子。よく眠ったから昨日の疲れはないけど、あれっもうこんな時間か。身支度しないと」
そう呟いてヒストリア王子は、程よく筋肉のついた腕をしなやかに伸ばして、軽いストレッチしながら眠気覚ましを行う。
「ふふっ朝食はこれから作るから、ゆっくりシャワーを浴びてていいわよ」
寝室を出てダイニングスペースに向かう途中で、何人かの使用人とすれ違う。皆ヒストリア王子のお世話係のはずだが、新婚生活を邪魔しない程度のサポート役に徹してくれている。
「お早うございます、紗奈子様。今朝もブレックファーストは紗奈子様が自ら?」
「お早う、やっぱり新婚さんだしヒストリアには私がご飯を用意してあげたいの。この館で働く人たちのお仕事を奪っちゃって申し訳ないけど。でも買い出しを代わりにしてくれるのは助かるわ」
使用人達との朝の挨拶を済ませて、日課の朝食作りに励む。プライベート用のダイニングキッチンは、程よく広くて使いやすい。卵を割ってミルクをたっぷり混ぜて、フライパンにかけるとバターに馴染んでジュっと心地よい音が響いた。幾つかの料理が出来たら、ダイニングテーブルに朝食を並べていく。
この館は生活スペースや魔法研究スペースに加えて広いお庭と大きな図書室、プライベート用のプールも完備されている。駐車スペースには、ヒストリア王子の愛車であるスポーツカーと高級車が二台と運転手が使うお仕事用の車が一台。何度かタイムリープしているはずだけど、ここに住むのは初めての展開で人生が先に進んだことを実感せざるを得ない。
(これまでのタイムリープは何度やり直しても、コカトリス討伐前に戻っていたのに。新たな断罪の魔物が登場したから、コカトリスのフラグはもう追いかけて来ないのね)
ヒストリア王子と送る新婚生活は、アルサルとの暮らしとは細かく様々な部分が異なっていた。信仰深いヒストリア王子は朝起きるとお祈りの時間を設けて、今日の食事があることを神に感謝する。穏やかで変わらない生活のリズムを今日も明日も、ずっと繰り返していけるように祈るのだ。
「天にまします我らの神よ、本日の糧を与えてくださったことに感謝致します。アーメン」
食事を感謝するお祈りは、敬虔な信者なら当たり前らしいが、私はまだ慣れていない。金髪碧眼の王子様が神に祈りを捧げる姿は、本物の天使かと思うほど。お祈りのほとんどはヒストリア王子に任せて、私は相槌のようにアーメンと唱えるだけだった。
「アーメン。今日のブレックファーストは、トマトとお豆のスープを加えてみたの」
「うん、紗奈子もこうやってちょっとずつ料理を覚えていくと良いね。毎朝助かるよ……んっ美味しい」
二人で囲む食卓のメニューは、いわゆる英国風ブレックファーストというもので、この異世界でも普通に馴染んでいるものだ。トーストにバターとストロベリージャム、定番のスクランブルエッグとカリカリベーコン、ソーセージ、ハッシュポテト、トマトと豆のスープ、フレッシュサラダ、オレンジジュース、ダージリンティー。
料理は不器用ながらも、使用人にはさせずに毎日私が担当させてもらっていた。ここもアルサルとの新婚生活との違い、以前のルートでは料理上手なアルサルが料理を殆どこなしていたため私の出番は少なかった。
「今日は守護天使様達と、教会本部に時間軸調査の報告に行くんだ。その後は所属ギルドの書類整理、少し帰りが遅くなるかも知れないけれど、夕食は家で食べるようにするから」
守護天使様と一緒にお仕事と言うと地球人は驚くかも知れないが、この異世界では守護天使様は石像としてだけでなく、実際に目に見える姿で存在している。信仰や誓いは例え話や内心のみのものではなく、もっとリアルに形のあるものなのである。
「分かったわ、今日の夕食は背伸びしてビーフストロガノフに挑戦しようかな?」
「あはは、楽しみにしてるよ。ところで紗奈子の今日の予定は……ブランローズ邸に呼ばれているんだっけ。アルサルと久しぶりに顔を合わせることになるし、いろいろと心配だ」
ここまで穏やかな笑顔だったヒストリア王子だが、やや警戒したような雰囲気を漂わせ始めた。私の実家であるブランローズ邸には、庭師として働くアルサルが居るはず。タイムリープ前の時間軸では悲劇的な展開で仮死状態となっていたアルサル、偶然が重なりタイムリープが成功したためアルサルも生存している。
けれどまだこのタイムリープの時間軸では、私はアルサルと顔を合わせていない。今日がタイムリープ後初めて、アルサルと会う日となるのだ。
「大丈夫よ、ヒストリア。私もうアルサルとあなたの間で、揺れ動いたりしないわ。神様に誓って貴方だけよ」
「ありがとう、僕も紗奈子だけだって誓うよ」
私達の会話を見守るように守護天使像が、リビング奥の祭壇で佇んでいた。愛を誓う言葉をしっかりと聞き届けるように。




