第07話 もう一度、タイムリープの魔法を
東方への旅路の途中に舞い降りてきた氷鳥に手も足も出ない状態で、善戦虚しく魔力切れを起こしてしまうヒストリア王子。不可能にも近しい強敵は、まるでゲームで喩えると不死身ボスに当たってしまったかのような、煮え切らない戦闘だった。
そこで私は、不自然すぎるほど続く旅の足止めの正体に気付いてしまった。
「これって、まさか。乙女ゲームの新しい断罪イベント?」
「紗奈子、一体どういうことだ。別のゲームのシナリオが、僕達に降りかかっているというのか」
「ええ、確信はないけれど。この行き場を塞がれている感じは、断罪イベントとしか思えないもの。どうしようこのままじゃ、アルサルを救い出す前に私もヒストリア王子も、みんなみんな死んじゃうっ」
恐怖で泣き出す私をヒストリア王子はキュッと抱きしめて、耳元で内緒話をするかのようにある計画を囁く。
「ねぇ紗奈子、もし今のシナリオが乙女ゲームの断罪イベントであれば、おそらくゲームオーバーを迎える直前にタイムリープの魔法が使えるはずだ。けど、ひとつだけ約束を守って」
「えっ……タイムリープって、以前の断罪のたびに行われていた魔法? 条件ってどういうこと」
「僕はあくまでも【乙女ゲームのトロフィー的王子様】だから、タイムリープの魔法は恋を成就させることを目的にしなくてはいけない。約束して欲しいんだ……次のタイムリープこそはアルサルよりも僕を選ぶって。それだけで、僕は自分の限界を超えて魔法を使えるから」
自分自身のことを【乙女ゲームのトロフィー的王子】と認識するヒストリア王子は、私やアルサルのような異世界転生者にはない悲壮な雰囲気が漂っていた。そもそも転生者が多いと推測されているこの魔法の異世界において、ヒストリア王子とは一体何者なのだろうか?
私はこの異世界においては、ガーネット嬢という公爵令嬢のアバターと魂を同一化した新たな存在。庭師アルサルは本来ならば生まれて来れなかったはずの王の隠し子に地球人である朝田先生の魂が入った存在。紗奈子もアルサルも身体は異世界の肉体だが、その中身は地球人の魂が宿っている。
紗奈子、アルサル、ヒストリア王子という三角関係のメンバー構成のうち二人は転生者なのだ。けれどヒストリア王子だけはこの異世界の純然たる王子様、乙女ゲームのトロフィー的存在。
金髪碧眼の整った顔立ちと細身ながらバランスの良いスタイル、アルサルとは似て非なる麗しい天使のような貴公子。まるで御伽噺に出てくる架空の存在のようでいて、彼は喜怒哀楽を持つ生身の人間だった。
(ヒストリア王子を選ぶということは、私は地球へと戻ることを諦めることになる。けど、地球に戻ってもアルサルが……朝田先生が、他の女性とそういう関係だった事実は拭えない。辛い失恋が確定している地球より、私以外の女性と既に関係を持っているアルサルよりも。私だけを見てくれるヒストリア王子を選びたい)
「うん……! 約束する。私、もうアルサルのことで泣いたり傷付いたりする人生は、終わりにしたい。この異世界でずっとずっと、ヒストリア王子と幸せに暮らしたい」
「……! ありがとう、紗奈子。例えキミが将来、神様に導かれて僕と道を分つ日がきたとしても、今の言葉は一生忘れないよ」
ヒストリア王子が手にした杖に蒼色の光が宿り、部屋の床に複雑な星模様の魔法陣が展開されていった。
* * *
ゆらゆらと意識が揺らめき始めて、タイムリープの魔法が始動し始める。私とヒストリア王子の肉体は行き場を失い、魔法の書と魔道具が整然とする何処かの研究室へとワープしていた。
一瞬不安になったが、すぐにここがヒストリア王子の魔法研究室であることに気づく。研究の合間に使っていたであろうシングルタイプのベッドに二人で腰をおろし、タイムリープの魔法が完成するのを待つ。
「タイムリープの狭間で、ヒストリア王子の研究室にワープしたのね。時間が戻ろうとしている。一体、どの時間軸を目指すのかしら?」
「おそらく、ガーネット嬢の女神像をブランローズ邸の庭で眠らせた頃だろう。或いはその数日後か、キミとアルサルが婚約をするというフラグそのものを一旦、破棄しなきゃいけないから。やっぱりちょっと不安かな、アルサルはいい男だからさ。それに僕よりも、キミに対して積極的だ」
「ヒストリア王子、私ね……」
ほんの少しだけ、ヒストリア王子の瞳に絶望にも似た寂しさが見えた。私が言葉の続きを言おうとすると、それ以上は何も聞きたくないのか、その唇で全て塞がれてしまう。
「ん……あっ……ふっ」
「紗奈子、好きだよ。ずっと」
触れ合う唇は次第に激しくなり、熱く混ざり合っていく。この口づけは乙女剣士の契約でもなければ、婚姻の誓いでもない。私とヒストリア王子の個人的な、二人だけの秘密の口づけ。
不安定な身体を守るために二人でベッドへと沈み、さらに深い口づけを交わす。
どうせ時間を超えて移りゆく身、本音を隠す服はもういらない……私の剥き出しになった心をヒストリア王子の大きな手が優しく撫でた。先ほどの氷鳥から受けた冷たい身体を、お互いの肌に残された熱で温め合う。
心に隠していた甘い蜜をヒストリア王子が吸い上げると、恋の花びらが開き始めた。乙女の庭園に辿り着いたのは、庭師アルサルではなくヒストリア王子だった。
「もうダメ、頭がクラクラする。私、私……」
「タイムリープの魔法の影響で苦しいかも知れない。もし、痛かったら言って」
二人の間を隔てていたアルサルへの罪悪感が、メリメリと音を立てて飲み込まれていく。
――ヒストリア王子の大きな愛情を心の中に完全に受け入れた瞬間、アルサルへの想いが『プツッ』と鈍い音を立てて途切れた気がした。それは私の赤い糸が、ヒストリア王子と結ばれたことを意味するのであった。
タイムリープの揺らめきが体を圧迫し、中でうごめき自分の意思と関係なく暴れるような感覚。苦しさのあまり、ヒストリア王子に助けを求める。
「はぁ……苦しい、助けて」
「大丈夫だから。大好きだよ、紗奈子……!」
改めて見るヒストリア王子の頼もしい男性としての顔。タイムリープの波間で肉体が反発し、荒い呼吸が、吐息が、耳元で響く。
「もっとキスして」
永遠に続くかと錯覚しそうな熱い口づけは、一人の男性に全てを捧げるための決意。
(苦しくて、熱くて、悲痛な心。これがヒストリア王子の本当の想い。ごめんなさい、今まで気づかなくて)
「ヒストリア王子、私……」
「紗奈子、愛してるよ。だからもう、アルサルのことは忘れて」
「私もあなたのことが……好き」
全力疾走したような苦しさで、意識が遠のいていく。
お互いの心臓の音を胸に響かせながら、やがて穏やかな眠りについた。タイムリープの魔法が、最終段階を迎えたようだ。
――翌朝、目を覚ますとタイムリープは、見事に成功済みで。私とヒストリア王子は、初夜を迎えたばかりの新婚という設定になっていた。
 




