第06話 氷の断罪イベント
「うわぁ広い客室、船の旅ってどんな感じか想像つかなかったけど。一般向けの船って割には、結構豪華なのね。あら……?」
ようやく着いた船の客室、荷物を机の上に置いてホッと一息しながら部屋を見渡すと、大きなダブルベッド。どうやら、カップルや新婚さん向けの部屋を手配されたようだ。
(どうしよう。流石に、ヒストリア王子と同じベッドで、眠るわけにはいかないし。予備の寝具を借りてくるとか?)
「ごめんね。一番高い客室を頼んだら、ダブルベッドになっちゃったみたいだ。安心してよ、紳士としては紗奈子を傷つけるような真似は、しないからさ。予備の寝具があるか、訊いてくるね」
「う、うん。ありがとう」
優しく微笑みながら、私の頭をポンポンと撫でて寝具を借りにいくヒストリア王子は、確かにゼルドガイア随一の紳士と呼んでいいだろう。けれど、その反面自分に女性としての魅力がないような気がして、複雑な心境である。
しばらくすると、船員さんが予備寝具を運んできて、ヒストリア王子の分のベッドを作ってくれた。
「婚前旅行だから、てっきりダブルベッドだと思ってしまったのでしょう。いやぁ、すみませんね。ゼルドガイアの信仰に厚い人たちは、婚前交渉はしない主義なのを失念しておりました」
「まぁ体裁上とはいえ、洗礼を受けている者は、そういう行為を避ける傾向にありますね」
ベッドの骨組みとなる台に、ベッドメイキングを施していく。元々はソファとして使用する台を、ちょっとアレンジするとベッドになるという仕組みだ。
新たなベッドを作りながら、船員さんがゼルドガイアの教会信者の信仰心について語り始めた。
基本的にゼルドガイアの貴族は、幼児洗礼を受けている者が多いが。だからといってヒストリア王子のように、本当に真面目で信仰に厚い人には滅多に出会わない。
「それに、同行者として守護天使様の目があるとは。何か祈りを捧げる目的で?」
「ええ、親類が病に倒れまして。快復を願う巡礼に行くので、さすがにそういう行為は控えなくては。チップはこれで……」
本当は、アルサルの肉体そのものは仮死状態なので、病に倒れたという表現が合っているかは微妙だが。ヒストリア王子としては、病気快復を願う巡礼設定で通すつもりのようだ。
話のついでのようなスマートな仕草で、ヒストリア王子がすかさず船員さんにチップを手渡す。
すると、一般的なチップの相場よりもかなり高額だったのか。船員さんは大きく目を見開いてから、後生大事そうにチップを懐にしまった。一歩間違えると、何かの口止め料に誤解されそうだが、ヒストリア王子としては普通のチップなのだろう。
「それにしても、お若いのにご立派です。いやぁお嬢さんは大切にされていて、良かったですね。では、良い船旅を……」
「ありがとうございました!」
私は船員さんにどう話しかけていいのか最後まで分からず、終始無言のままヒストリア王子の隣で会釈したのみだった。
前世が日本人であるから、旅先では愛想を良くした方が良いと思い込みがちだが。実は、独身女性が旅先でにこやかに従業員に振る舞うのは、あまりよく思われないという。俗に言う『異性を誘っている』状態と勘違いされるため、マナーの範囲内で接して必要以上にお愛想を振りまかないのが無難だそうだ。
そう言う観点から見ると、案外乙女ゲームに登場する悪役令嬢が、不必要に愛想を振りまかないのも納得か。むしろ、貞操観念の高い良いお嬢さんといったところだろう。バス内でアルサルに関する悪い噂を散々聞かされたせいで、頭が疲れてしまい、そのままダブルベッドにぽすんと倒れる。
「ふう。ごめんね、ヒストリア王子。予備のベッドを使わせちゃって。ふかふかで寝心地がとてもいいから、なんだか申し訳ないけど」
「いやこう言う時は、レディファーストだからね。それに船の進行方向に頭の位置が合っていれば、健康状態には問題ないだろうし」
予備ベッドは隣に設置されているため、眠る時はヒストリア王子と並ぶことになる。けれど、同じベッドの中で眠るよりも、貞操観念は守られていると言っていい。
(ヒストリア王子は、本当の意味で私を大事にしてくれる。なのにどうして私は、アルサルのことを好きになってしまったのだろう? 彼は、他の女性と既に肉体関係を持っていたのに。もし、そのことに気づいていたら、私は最初から……)
隣のベッドで横になって、こちら側を向き微笑むヒストリア王子は、金髪の前髪がほんの少しだけ乱れていて。まるで、お昼寝中の天使様みたいだ。
傷ついた私の心がヒストリア王子に傾いていくのに、それほど時間はかからなかった。
* * *
順調に思えた船旅だったが、途中湖の凍結により滞在期間が延びることに。雪のせいでは仕方がないと諦めていた五日目の夜、突然警報音が船内に鳴り響く。
「えっ何?」
『緊急信号です。氷鳥が船の周辺を旋回しており、辺りが氷付けになる危険があります。お客様は安全のため、客室から出ないようにご注意下さい』
「氷鳥の渡り? 確か、わざわざ飛空挺やハイキングコースを避けてこの船を選んだのは、ドラゴンの渡りや雪山を避けるためだったわよね。なのに、船のコースを選んでも、似たような危険に遭うなんて」
「ドラゴンと比べると各段に安全な生き物のはずだけど、雪に加えてさらに湖を凍らせられたら、身動きが完全に止まる。早めに対処しないと」
先ほどまでゆったり進んでいたはずの船の動きが止まり、交戦状態に入ったと予想が出来た。時折、グラグラと船の内部が揺れて、危険な感じだ。
『現在、船員が氷鳥を追い払っておりますが、氷鳥の数が多く苦戦中です。剣士や魔道士などの、資格を持ったお客様の援護を募っております。ギルド冒険者レベル中級以上の方は、ご協力お願いします』
普段は地球とよく似たこの異世界を平和に考えがちだが、結局のところバトルファンタジーベースの世界観なのだろう。乙女ゲームの舞台になっているのが不思議なくらい、旅行にはモンスターが付き纏う模様。
現在緊急募集中のギルド冒険者レベル中級以上ならば、ギルドマスターのヒストリア王子はもちろん私でも参加可能。
「よし、魔法で氷鳥を追い払ってくるか。紗奈子は危険だから、ここで……」
「えっ。待ってヒストリア王子。私も参加したいけど……」
そう言いかけて、ふとセリフが止まる。通常の剣技くらいなら、乙女剣士のチカラを発動しなくても出来るが。高レベルな剣技は、ゼルドガイア王家の契約者とキスすることでしか発動出来ない。そして、私の仮契約者であるアルサルは現在仮死状態だ。
となると、もう一人の仮契約者であるヒストリア王子に、手の甲へと口付けてもらえれば発動が出来るはずだが。
「僕と紗奈子が、仮契約の口付けを交わしたのは、かれこれ3ヶ月以上も前だ。そろそろ契約更新期間だし、手の甲にキスをしたからといって発動出来るとは限らない。殆どアルサルがパートナー状態だったし、唇同士の口付けですら、発動出来るかどうか」
ヒストリア王子が小さな黒い手帳をパラパラと捲って、契約魔法の規約の項を確認する。確かに、契約魔法が仮契約の場合は、3ヶ月から4ヶ月ほどで効果がなくなるとの記述。その後は、発動のたびに口付けをするか、パートナー変更に該当する場合は『本契約として純潔を捧げる』しかないそうだ。
「えぇっ? 仮契約って3ヶ月くらいしか持たないの。こんな規約があったんだ。アルサルがパートナーと見做されているなら、口付けだけじゃ発動しない可能性もあるのね」
「多分ね、僕らの契約は仮ってくらいだし。最近倒れたばかりのアルサルの手前、僕たちが『本契約』を交わすのは、もう少し時間を置いてからじゃないと。気のせいかも知れないけど、アルサルの魂が見ているような気がするし。倫理的にちょっと。僕だけで、戦ってくるから……!」
ストイックな性格のヒストリア王子は、乙女剣士の契約をすぐに行うのに抵抗があるらしい。私は部屋で待機させられて、ヒストリア王子は他の魔導師達チカラを合わせて氷鳥との戦いに挑む。
「アルサルの魂が見てる……か。お願いよ、アルサル。見ているならこれ以上、意地悪しないで」
数時間後、『特別な聖なる剣技』でないとボスレベルの氷鳥は倒せないらしく、あえなくヒストリア王子は撤退。珍しく、かなりの魔力を消費しているようだ。客室に戻ってきたヒストリア王子を、ベッドで休ませる。
「ごめん、あの氷鳥。ボス格のやつだけ、何故か魔法が効かないんだ……!」
「そんな。かなり高レベルのヒストリア王子の魔法が効かないなんて、そんなのってあるの。どう考えてもおかしいわ」
背筋に冷たいオーラを感じているのは、アルサルの霊魂のせいではなく氷鳥が放つ冷気の様子。みるみるうちに船内は冷たくなり、緊急警報が改めて鳴り始めた。
『ボスの氷鳥は、因果を具現化した特別なモンスターと想定されます。内部魔力により、一時的にバリアを発動しました。三日間以内に、対処を行わなければ船が沈む可能性がございます。因果を特別な剣技で断ち斬るために、救助を呼んでおりますので、客室内で待機してください』
先ほどよりも状況が悪化していて、急いでなんとかしないと。ここで大人しく待機していても、三日後には全員氷付けだ。
特別な聖なる剣技なら倒せるらしいが、思い当たるものが乙女剣士の断罪斬りの剣術しか浮かばない。つまり、氷鳥は普通のモンスターではなく、『因果を具現化したもの』と言える。
因果、特別な剣技、断ち切る、このキーワードはもしかすると。
「これって、まさか。乙女ゲームの新しい断罪イベント?」
 




