04:出発は週末の早朝に
「僕達が今回泊まる予定の宿泊施設は、東の都からやって来た人達が開業している『あやかし温泉旅館・お稲荷様こんこん支店』だ。風の噂によると実は店主達をはじめ、みんな狐系のあやかしの血を引いているという」
「おっおうっ! 実はも何も、支店名からしてバリバリアピールしてるし、本人達も隠さず営業してるんじゃないか?」
もはや旅館名からして『あやかし温泉旅館』しかも支店名が『お稲荷様こんこん支店』だ。おそらく営業する側としては、あやかしが運営する温泉旅館で、尚且つお稲荷様がいることをバリバリアピールしているのではないだろうか。アルサルが一般論を言うと、ヒストリアは「分かってないなぁ」と言った感じで首を横に振った。
「フッ……それが、奥ゆかしい東の都の民は、そういう部分はひた隠しにして営業しているんだよ。体裁上は人間が運営していることになっているが、普通の温泉旅館とはひと味違う別の顔を持っていてね。通行手形の発行を決める権利を持っているんだ」
魔法国家ゼルドガイアは大陸の中心に位置しており、一見すると海外旅行もラクラクに見えるが実は区域によっては通行手形が必要となる。それぞれの国の中に、指定モンスター区域が存在し、安全のために他所の国民は立ち入り不可としているのだ。ハイランクの魔導師や剣士なら、試験官に技能を見せて通行手形を取得すれば良いのだが。
「そういえば、あまりにも出没するモンスターのレベルが高い地域は通行手形なしでは、余所者は旅行すら許可されないのよね。東の都は、有名観光地だけなら私でも行けるはずだけど」
「うん。乙女剣士の修行が出来ると噂の区域は、全部通行手形なしでは足を踏み入れることすら難しい。それに、東の都には陰陽術に長けた人達がいて、この国の情報とは違う内容で転生者についても何か分かることがあるだろうし。もし、紗奈子とアルサルの向こうでの肉体がまだ生きているなら、助かる方法もあるかも知れない」
いつになく、真剣な表情になり万が一の可能性を語るヒストリア王子。おそらく、地球の肉体が無事だった場合には、私達を帰してくれるつもりなのだろう。それが、ベストな選択肢だと信じて。
「えっ……私達の肉体が、生きている可能性……。そっか、それに転生者について詳しい人達が東の都にいるのね。どうする、アルサル……通行手形を取得して東の都へ行きたい?」
「正直って、もう地球に戻ることなんて考えたこともなかったな。ほら、一応この異世界なら庭師っていう仕事もあるし紗奈子とだって上手くいってる。事故から助かったとして、どれくらい回復に時間がかかるか不明だし。地球で不安定な生活を送るなら、このままこの異世界で2人で幸せにやっていった方がいいかなって……」
「アルサル……」
紗奈子は自分達の肉体が地球で生存している可能性なんて、ほとんどないと思っていた。ヒストリア王子は優しくて素敵な人だが、その彼と離れることになったとしても紗奈子とアルサルの2人は地球へと戻った方がいいのだろうか。こうして、美味しく3人ですき焼きを囲んでいることが、まるで事故の間に夢見ている幻のように言われてしまうと、胸が苦しいのである。また、アルサルの言う将来が不安というセリフも紗奈子の胸にズキズキと響いた。
「ごめん、アルサル。何か、気になるようなことを言ってしまったみたいだね。良かれと思って、お節介だったのかも。やっぱり、お酒が入ると口が軽くなってダメだなぁ。気をつけるよ……」
「いや、ヒストリアのせいじゃないさ。オレ達のことを考えて助言してくれているんだろう」
アルサルこと朝田先生は、地球時代は紗奈子の家で下宿している大学生だった。彼の実家は地方のお金持ちで地主さんだったらしいが、両親が離婚した際に身寄りがなくなった。両親が双方とも再婚してしまい、すぐに新しい家族が形成されたからだ。
朝田先生は高校を退学することも考えたらしいが、九歳年上の腹違いのお兄さんが学費を肩代わりしてくれたそうだ。若くして地方都市で経営者をしている兄の元へは行かず、進学希望の大学近くに受験を兼ねて下宿先を探す……それが紗奈子の家である。実質、彼の保護者的存在は腹違いのお兄さんだったのだろう……朝田先生はお兄さんの負担になることをいつも気にしているようだった。
(そういえば、地球の家族はどうしているんだろう? お父さん、お母さん、茶トラ猫のミュウちゃん。朝田先生のお兄さんだって心配しているはずだ。この異世界でヒストリア王子がいろいろとアルサルの世話をしてくれているみたいに、地球のお兄さんもきっと……)
紗奈子と朝田先生は、もう何年も1つ屋根の下に暮らしていたし、紗奈子が恋愛出来る年齢になるとすぐに恋人になった。兄妹のような恋人のような2人は、共依存と呼ばれても仕方ない距離感……家ではべったりしていた。
2人は縋るように毎日キスを交わしていた。おはようのキス、おやすみのキス、恋人同士の内緒のキス……朝田先生の心の溝を埋めてあげたかったのかも知れない。紗奈子の両親は、どう見ても恋人の2人に関係は問わず、その代わりに『紗奈子を大学に進学させるとお金がかかるし、朝田君に貰ってもらおう……』なんて夕食どきに話していた。そう……今夜みたいに、すき焼きとかを食べながら。
「アルサル、紗奈子。通行手形はともかくとして、温泉旅館には家族旅行として行こう。もし、アルサルの気が地球という星に帰りたくなった時に対応出来るように。出発は週末の早朝だから……よしっシメのおうどん作るからねっ」
「わぁ……私あんまりシメって食べたことないの!」
通行手形取得の気持ちが固まらないまま、週末の早朝に例の温泉旅館へと3人で遊びに行くことになった。
 




