第31話 運命の分岐ルート
ブランローズ邸の自慢である魔法庭園は、ほんのりと花々や石像をライトアップしており夜も美しい。今夜は特にいつもよりも夜の景色が、煌めいて見える気がする。茶番と呼ばれるかも知れないが、『乙女ゲームのシナリオ』を演じきり、私はアルサルと、もう1人のガーネット嬢はヒストリア王子と結婚することになった。
アルサルに肩を抱かれながら、彼の住む庭園を管理するための館へと向かう。庭園管理の館は、それなりの広さで地球の感覚でいうと4LDKの一軒家くらいの大きさだ。もちろん、一階部分は庭園管理の事務所として使うから、私とアルサルの住まいは二階部分となるけれど。それでも、地球の感覚で新婚生活を送る家と考えても充分な広さと言えるだろう。
魔法の庭をいつでも眺められる洋館……ここが私達の新しい住まいとなるのだ。
私がパラレルワールドからやって来た『もう1人のガーネット・ブランローズ嬢』であることをお父様に告げると「なんとなく気づいていて、前世を思い出すブローチをプレゼントした」とのこと。どんなに容姿が似ていても、それがパラレルワールドの同一人物であっても、魂が違うものなら別人だ。それに、親は自分の子供の区別くらいつくのだろう。
けれど、心優しいお父様は、私がこの世界のガーネット嬢でないことを認識した上でこう仰ってくれた。
「紗奈子、お前もガーネット・ブランローズであることには変わりないんだよ。結婚後の方針決まるまではしばらく、アルサルの住む庭園管理のための館で暮らしなさい。もし2人が良ければ、そこで新婚生活を送ってもいいし……移動しないのであればゆっしり暮らしても良い。いろいろあったし、先のことはのんびり考えよう」
「お父様……本当にいいの? 私、パラレルワールドのガーネットなのに。前世の記憶を持つ紗奈子なのに……! ありがとう、本当にありがとう」
ふと、噴水コーナーを横切り数日前にヒストリア王子からキスの予行練習を受けたことを思い出す。彼は、乙女ゲームのトロフィー的王子様なだけあって、とても優しくカッコ良かった。けれど、あの美麗な天使の微笑みは私ではなく元々この世界にいる『ガーネット・ブランローズ嬢』に向けられたものだった。
だから、彼のことは忘れてしまうのがいいんだ。あの素敵な恋のレッスンのすぐ後に、アルサルにキスをされてそのまま恋人になった私。ヒストリア王子は、本当に好きな男性が誰なのかよく考えるようにとアドバイスしてくれたけど、私は考えるよりも先に口付けをくれた男性を選んだ。
アルサルは、大人のステップである『口付け』に興味があった私を、素敵な話術と柔和な仕草でスムーズに手を引いてエスコートしてくれる。
「お疲れ、ガーネット。いや、紗奈子。これで、今夜は安心してお前と初夜を迎えられる。愛しているよ……キス、していいか」
そうか……ついに、初夜を迎えるのか。前世の紗奈子も繰り返されるタイムリープの間も、私はすべての初めての純潔をアルサルに捧げているようだった。いつまでも、私が乙女としての花を頑張って咲かせても……口付けもハグも殆どしてくれなかったヒストリア王子より、少し早い時期に花を摘んでくれるアルサルを選んだのだ。
ヒストリア王子は私のことを幼いと考えて、抱くようなことは絶対にしなかった。純潔は結婚するまで必ず守るようにと、いつでもお説教と配慮をしてくれた。それは、彼が自分自身に言い聞かせるようにしていたとは、当時の私は知る由もない。
アルサルの唇が……何度も口付けを交わした男性の唇が、そっと私の唇を捉える。きっと、こうして綺麗な場所でキスをして衝動をお互い抑えられずに、今宵は純潔を喪う甘い痛みを味わうのだろう。
「……アルサル、私……」
本来ならばここで、「私も早くあなたと初夜を迎えたい」と了承の意を囁くのが円滑に純潔を捧げるための暗黙のルールなのだろう。けれど、本当に一瞬だけ……私の脳裏にヒストリア王子の哀しげな微笑みが浮かんでしまう。
私は、何度も彼を裏切りアルサルに純潔を捧げた。きっと何度タイムリープをしても、彼への裏切り行為が私達の安定した未来を許さずに贖罪として、不幸が待ち受けるのだ。
確かにヒストリア王子に婚約破棄を宣言されたものの、その実はきちんとした手順を踏んでいない。結納金を返していないし、関係者の全てにもきちんと連絡出来ていない。おそらく、とても世間の認識は中途半端な状態だ。そもそも、ガーネット嬢が2人同じ世界に存在しているという紛らわしい設定だが、それをもっと関係者に認識してもらう必要がある。せめて、いろいろな手続きや連絡事項を済ませてから、アルサルと正式な婚約をして……それから初夜でも良いのではないか。
「ん、どうした紗奈子。具合でも悪いか、歩き疲れちゃったか?」
「ごめんなさい、アルサル。今夜のパーティーって、いろいろあったでしょう? その、心も身体もボロボロだし……初夜はもう少し待ってくれる? それに私、心の準備がまだ出来ていないの」
おそらくこれは、今までのタイムリープとも前世の紗奈子とも違う解答だ。雰囲気とキスに流されて、毎回、毎回、アルサルに純潔を捧げて来た私なりの、新たな解答。
そして、毎回裏切ってきたヒストリア王子へのせめてもの償いの気持ち。いっそのこと私とアルサルの結婚はヒストリア王子がもう1人のガーネットと正式に結婚してからの方が良いのかも知れない。
そんな風に考え始めると、まるで乙女ゲームの分岐ルートを選択したかのごとく、何かが変化した。
「紗奈子、分かった。けど、お前は近いうちにオレが貰うからな……。今日は、何もしないから2人で一緒のベッドで眠ろう……せめて、お前が側にいることを確認したい……」
「アルサル……うん、それなら……」
恋人同士が一緒のベッドで眠って何も起きないのは至難の業だと思うが、以前宿泊施設に泊まった時に同室であったにも関わらず手を出されなかった記憶があるため、それなりに信用して承諾する。
だが、その答えすらおそらく間違えているのだろう。すぐ近くまで、誰かが全速力でで向かって来ている音が聞こえてくる。
「はぁ……はぁ……。やっと、追いついたっ! 紗奈子、アルサル」
「ヒストリア王子?」
「あ、兄貴……一体、どうしてここに」
額に汗を流しせっかくの王子様衣装を乱して、それでも全速力で走り抜けて来たヒストリア王子は、いつもよりも男らしく感じた。
――ついに、本当の意味での私達の終わりの見えない『メビウスの輪』が断ち切られようとしていた。




