第30話 『画面の向こうにいる時から、あなたのことが好きでした』
ヒストリア王子の提案は、パラレルワールドからの来訪者『もう1人のガーネット・ブランローズ嬢』という説明しづらいポジションになってしまった私を強制的にみなさんの前で認識させる作戦だった。
「そのことなら、僕に考えがある。その乙女ゲームのシナリオを僕達で演じてみないかい。みんなの前で婚約破棄を宣言する『追放ルート』とやらをさ。きっと、全ての面倒な説明も勢いだけで解決出来るよ。ちょっとだけ手を加えれば……ねっ!」
「手を加えるって……ヒストリア王子、一体何を演じようというの?」
* * *
月明かりと星々がダンスを踊るように瞬く、煌びやかな夜。ブランローズ邸では、1人娘であるガーネット嬢の十七歳の誕生日パーティーが行われていた。出席者の中には、ガーネット嬢の友人知人、父であるブランローズ公爵と親しい貴族達、この国の魔法大臣や隣国の大使などの姿も。
もちろん、婚約者である第三王子ヒストリアの姿もあった。出席者達は皆、『そろそろ2人の婚約発表が行われるのでは?』と、そわそわした様子。だが、天使と謳われるヒストリア王子が珍しく意を決した様子で壇上に登り、高らかに宣言を放つ。
「魔法国家第三王子ヒストリア・ゼルドガイアの名において、ここに宣言しよう。僕は……パラレルワールドから入れ替わっていた『もう1人のガーネット・ブランローズ嬢』こと『前世の記憶保持者である紗奈子』との婚約を破棄するッッ!」
……静寂が一瞬にして、ざわめきに変わる。婚約破棄だけならまだしも、パラレルワールドからやってきたというのは、どういう意味なのか。まるで、ガーネット嬢がこの世界に2人いるかのような言い回し。
そもそも紗奈子という名は『東の都』の人間のような名前だが、ガーネット嬢の前世の名なのか……? 突然の出来事に、疑問は後を絶たない状態だ。
清らかな心を持つ熾天使と崇められていたヒストリア王子だが、ガーネット嬢との愛を裂かれるあまり、ついに気が狂れてしまったのか。それとも言い訳しているだけで既に、ヒストリア王子には別の女性が……?
突然の婚約破棄宣言、一緒だけ肩を震わせたガーネット嬢に出席者一同は同情しつつも、誰もヒストリア王子に意見を言うものなどいない。この国の権力に中枢にいるヒストリア王子に、逆らえるものなどこの場にいないのだ。
――皆がそう考えたその時だった。
「その言い方は、ちょっと説明不足なんじゃないか……兄貴。いえ、第三王子ヒストリア……あなたが美しい令嬢を婚約破棄するのなら。この『パラレルワールドのガーネット嬢』は、このオレ……アルサル・ゼルドガイアが頂こう! 永遠の愛を誓う花嫁として」
大人しくこの場を見守っていた出席者達の注目が、一斉に新たに現れた若者へと集中する。肩を震わす『もう1人のガーネット』改め、『紗奈子』をそっと抱きとめながら、優しく微笑むその美青年は、かねてより国王の隠し子と噂されていた庭師のアルサルだった。
ヒストリア王子に負けずとも劣らない端正な顔立ち……いや、アルサルは身なりを整えると髪の色や目の色以外はヒストリア王子にそっくりなのだ。王族のように着飾り、堂々とヒストリア王子と対峙するアルサルはまさにもう1人の王子そのもの。
金髪碧眼の麗しいヒストリア、亜麻色の髪に飴色の眼のアルサル。2人は、腹違いの兄弟であるにも関わらず、色違いの双子のようだった。
「その紗奈子という前世の記憶を持つガーネット嬢が、パラレルワールドからやって来たのなら、本物のガーネット嬢はどこに……?」
アルサルが『紗奈子』を連れて会場を後にしようとすると、出席者の1人である隣国の大使がヒストリアに質問をぶつける。
「そ、そうです……ヒストリア王子。アルサルどのと紗奈子嬢が結婚されるのはともかくとして、あなたはどうされるのですかっ?」
「ふっ……心配には、及びませんよ。ねっ……ガーネット嬢」
「ええ、ヒストリア様。わたくし、タイムリープの影響でずっと女神像にされていましたの。ようやく外に出られてスッキリしていますわ」
ヒストリアの隣に並ぶ美女は、正真正銘ガーネット・ブランローズ嬢その人だった。前世の記憶を持つとされるもう1人のガーネット嬢より、若干大人びて見える。
「が、ガーネット嬢が……2人ッ? そんなパラレルワールドが存在していたというのは、真実だったのか?」
「いや、それよりもタイムリープが本当だとしたら一大事なのでは……」
「紗奈子という女性は、これからどうなるんだ。彼女も途中まではガーネット嬢として暮らしていただろう。今更、婚約破棄だなんて。追放か?」
「だからこそ、アルサルどのと結婚されるのでは? 噂ではアルサルどのは隣国王家の血も引いていらして、新しい国を建国するという話も……」
出席者達が困惑する中、会場の伴奏を担当していた楽師達が退場するアルサル達を見送るように、新たな曲を演奏し始めた。
――そして、すべては解決したと言わんばかりに始まるダンスパーティー。
* * *
「これで、良かったんだ……。これで……僕も紗奈子もアルサルも……そして、ガーネット嬢も」
ダンスを楽しむお客様達をぼんやりと眺めながらも、不思議な焦燥感にヒストリア王子は襲われていた。自分で婚約破棄イベントを提案したくせに、ヒストリア王子の心はボロボロだった。紗奈子はあの後、アルサルとどうなるんだろう……どうせあの男は手が早い。
紗奈子をいろいろ言いくるめて、雰囲気で騙して今夜のうちに純潔を奪うんだろう。あの可愛い紗奈子を……バカと純粋は紙一重、乙女ゲームの王子様に夢中だったオタクに片足を突っ込んでいるウブな少女は、いつだってあのスケコマシ野郎に『大人の女』にされてしまうのだ。
(悔しい、悔しい……何だろうこの感情は……。紗奈子も紗奈子だ……乙女ゲームとやらに夢中になっていた頃は、僕の攻略に必死だったはずなのに)
ヒストリア王子が悩んでいると、女神像から人の姿に戻ったガーネット嬢がひとこと。
「ねぇ、ヒストリア様。眉間にシワが寄っておりますわよ……珍しい。どうしたのかしら?」
「えっ……いや、すまない。カッコ悪いところを見せて……何だろうねこの気持ちは」
せっかく戻って来てくれた婚約者の前で、イライラとした嫉妬心を見せてしまうなんて王子失格だ。
「はぁ……おバカさんですわね。きっと、その気持ちは『恋』ですわ。あなたはもうとっくの昔に、紗奈子に恋をしているんじゃないかしら?」
「そ……それは! そのっ……!」
残念なことに図星である……女神像ガーネット嬢のことは、自然消滅した元カノくらいの感覚で。ヒストリア王子の心は、とっくに紗奈子に射抜かれていた。
「ねぇ……ヒストリア様。やっぱり、わたくし女神像でいた時間が長すぎたみたい。そんなに長く現世にいられないの。本物の治療薬を貰ったところで、多分もう……わたくしの身体は……」
「ガーネット、そんな……馬鹿な! じゃあ君はもうすぐ……」
「ふふっ。せっかくですし、女神像に戻り精霊様や守護天使様と恋愛してみますわ。わたくし、実は結構モテますのよ……あぁイケメン薔薇精霊ローゼット様からの告白、受けちゃおうかしら? だからわたくしの石像は、ここの魔法庭園にずっと飾ってくださいな。ごきげんよう……ヒストリア様……男を見せてくださいね」
優しく微笑むガーネット嬢は、本当に女神様のようだ。しばらくすると、会場の人々が見守る中で……ブランローズ嬢は物を言わぬ石像になった。きっともう永遠に、彼女は石像から人間には戻らないのだろう。
「ありがとう……ガーネット嬢。僕は、僕は……男を見せるよ」
アルサル……いや朝田先生が紗奈子を言いくるめて、あれこれした後だとしても……仮に紗奈子が純潔を失ったからって。
そんなことで諦められないほどの熱い情熱……それが大人の恋だ。ヒストリア王子は、観衆が声援をかけて見守る中、惚れた女を奪い返すために走り出した。
「頑張ってヒストリア王子、女神像ガーネット嬢の気持ちを無駄にしちゃダメですよ!」
いつの間にか、紗奈子がヒストリア王子とアルサルのどちらを選ぶかが賭けの対象になっていた。女神像ガーネット嬢との最後の約束を叶えるためにも……全速力で走り抜ける。
「もう僕は甘ったれじゃない! ワンナイトラブで永遠を誓わせる詐欺師野郎と戦う、成熟した大人の恋が出来る男だ!」
――奪われた女は奪い返す、それが腹黒王子の異名を持つ僕の生来の姿なんじゃないか?
そして、今にもあの男に純潔を奪われそうな……流されやすくておバカさんで、オタクに片足突っ込んでいる世間知らずな可愛いあの子に……紗奈子に伝えるんだ!
――この乙女ゲームのトロフィー的なイケメン王子ヒストリア・ゼルドガイアは、「画面の向こうにいる時から、あなたのことが好きでした」って。




