第18話 薔薇の花びらを浮かべて
気がつけば、調査に出向いたはずの私達の方が、波動のデータやら何やら調べられて、立場が逆転してしまった。
「はわわ! 思ったよりも、急ピッチでデータを整理しないといけないみたいですねぇ、ガブロ様」
「思ったよりも時間がなさそうだから、ちょっと召喚魔法で助っ人を呼んで、テキパキ終わらせましょう」
「はぁい」
ガブロさんの指示でマーリナイトさんが、錬金用のゴーレムを複数呼び出した。小柄でのほほんと見えていたマーリナイトさんだが、こんな高位召喚を使うとは、やはり異種族は侮れないというところだろう。
「それじゃあ、今日のところはこれで。高波動実験とは別に、魔法鉱石の作成はきちんとしておくから。ギルドの人達にはそう伝えておいてくれると助かるわ」
「分かりました、ガブロさん。調査書類も受け取りましたし。後日改めて……」
「えぇ。時間はごく限られているわ。慎重な決断を……それと、その肉体は極めて高波動の霊体にしか過ぎないから、無理をかけないようにね」
帰りのバスの窓から沈む夕日をぼんやりと見つめていると、クルルが心配そうに顔を覗き込んできた。もう、宿泊施設側のバス停に到着したようだ。早く、降りなくてはいけない。
「紗奈子お嬢様、大丈夫ですか? 顔色が優れないようですし、今日は早めに休んだ方が……。書類の提出は僕がしておきますから」
「ごめんね、ボーッとしちゃって。お言葉に甘えて、休ませてもらおうかな?」
宿泊施設のロビーでクルルと別れて、借りている一人部屋のベッドに身を落とす。ポスンッと軽い音がして、まるで肉体があるかのように錯覚してしまう。が、実のところこの肉体は波動による霊体で、飲食などは出来るものの夢の産物だそうだ。
(この肉体は、極めて高波動の良く出来た霊体か。要は、私っていばら姫のように眠り続けていただけなんだわ)
私の頭の中はいつの間にか、地球へと帰るか帰らないかの選択肢のことでいっぱいになっていた。地球への帰還を選ぶと、もう二度とこちら側の世界には戻って来れない片道切符だ。
猶予が数日間あるものの、砂時計がサラサラとこぼれ落ちるように、残り時間は減り続ける。
何も決断出来ない自分を情けなく思いながら、疲れが溜まっているのか意識は遠く深く沈んでいった。
* * *
次に目が覚めた時は、色とりどりの薔薇が咲き乱れる庭園の中にいた。花々の声が聞こえてきて、私を惑わす。
『探して、探して。赤い薔薇を探して』
『いない、いない。何処にもいない。ガーネット・ブランローズ嬢だけ何処にもいない』
青い薔薇、黄色い薔薇、黒い薔薇、ピンクの薔薇、橙色の薔薇、虹色の薔薇……。あらゆる色の薔薇が咲いているように見えて、不自然なほど定番の赤い薔薇と白い薔薇が見当たらない。
「赤い薔薇と白い薔薇だけが見つからないなんて、まるでガーネット・ブランローズの存在だけが欠けていると言いたいみたい」
この庭園が言わんとしているのは、私の転生体であったはずの御令嬢【ガーネット・ブランローズ嬢】が未だに正式な形で実存しない比喩表現なのだろうか。
『見つけて、見つけて。ガーネット・ブランローズ嬢のアイデンティティは何処?』
『赤い薔薇がおめかししている。白い薔薇がおめかししている。白粉でめかし込んだ可愛いあの子は何処にいる?』
薔薇柘榴の異名を持つガーネットは赤い薔薇を彷彿とさせるし、ブランローズというファミリーネームは白粉でめかし込んだ白い薔薇をイメージさせる。
「けれど、この異世界には……本当の意味ではガーネット・ブランローズ嬢は存在しない。ここにいるのは、異世界からやってきた憑依者とも取れる私だけ。本物のガーネット嬢のうち一人は女神像、一人はいばら姫のように永遠の眠りについている」
まるで、本物ではない私は『ここに居るべきではない』と警告されているようで、やはり地球へと帰還するのが正しいのだろうと察するしかない。
庭園は入り組んだ迷路のようになっていたが、次第に分岐点が無くなり一つの道となって出口へと誘導している。ゆっくりとしっかりと、確かな足取りで出口を目指すと一気に景色が拓けて、見覚えのあるブランローズ邸の中庭に辿り着いた。
てっきりパラレルワールドを抜けたのかと思いきや、執事やメイドの姿はなく、人のいないドールハウスのようだった。
「えっ……ここは、ヒストリア王子達がいる世界の方のブランローズ邸じゃない? けど、誰もいない。造りものの世界のようだわ……」
「いいえ、ここはわたくし薔薇の女神像ガーネットの領域。そして、わたくしを祀るブランローズ庭園をモチーフにした心象風景ですわ」
ようやく私に声をかけた人物は、正確には既に人ではなく女神像として神格化されたはずのガーネット・ブランローズ嬢だった。
「あ、貴女は……!」
「お久しぶりね、早乙女紗奈子。ご一緒にティータイムでも如何? それに、もう一人……ゲストを招いているのよ」
色白の肌に美しい赤い髪、私と似ているが大人びた表情は女神そのもので、私と彼女が別の存在であることを痛感させられる。生まれついての品位の高さが、彼女からは滲み出ていた。
そして、彼女の背後から『もう一人のゲスト』が姿を現す。そのもう一人のゲストこそが、私と融合し運命を共有する『いばら姫』だ。
「サナ、ようやく会えたね。一緒に最後のお茶会……しよ!」
再会したロードは、年よりも幼い無邪気な笑顔でかつての断罪の悲劇を一切感じさせない。やはり彼女も私とは似て非なる別人なのだろうと、体感せざるを得ない。
* * *
まさか、地球への帰還を決断する直前に、私、ガーネット、ロードの三人でお茶会をすることになるとは思わなかった。けれど、三人が何かの形で魂を共有している仲なのであれば、私の独断で地球への帰還を決めることは出来ない。
多分、私達は本当の意味で運命共同体なのだ。
「お嬢様方、ようこそいらっしゃいました。御令嬢のティータイムを取り仕切って二百年、さぎ精霊一族にお任せ下さい!」
白いうさぎ精霊の執事とメイドが、パーティーの準備を一瞬でしてくれるという。モフモフとした毛並みと小柄な背丈の彼らに、テーブルをセットするのは難しいのでは無いかと不安になったが、彼らが手にしたのは青や黄色の風船だった。
「イッツ、ショータイムッ!」
ぽんぽんぽん! と、風船が次々と弾け飛んで、ティータイムセットがあっという間に完成する。ここは心象風景だというし、魔法はお手のものなのだろう。
「まぁ! まるでうさぎさん達のマジックね」
「うふふ、見た目的にはイースターっぽさもあるわよね。さ、うさぎさん達も頑張ってくれたことだし、お茶を頂きましょう。紗奈子も席について……」
「う、うん」
うさぎ達が用意したティータイムセットから、スコーンやクリームチーズを選んで『薔薇の花びらの砂糖漬け』を浮かべた紅茶で愉しむ。
「この薔薇の花びらの砂糖漬け……とっても可愛いらしいわね、サナ」
「ええ、赤い花びらが紅茶の中で広がって……あら、そういえば。この薔薇の花びらだけ赤い色だわ。この庭園には赤い薔薇は存在していなかったのに」
「ふふ。わたくしが思うには、赤い薔薇は存在していないのではなくて、深窓の令嬢の如く閉じ込められているだけなのでしょう。いつか花開く日を待っているのです」
赤い花びらが白い砂糖で化粧を施された姿は、まさに『ガーネット・ブランローズ』と呼ぶに相応しい。
(ようやくこの庭園で赤い薔薇を見つけたけれど、こんな形で出会うなんて。そうか、ガーネット・ブランローズはこんなに近くにいたのね)
ようやく見つけた私にとってのガーネット・ブランローズ嬢のアイデンティティは、かつて庭師アルサルが慰めのために用意してくれた『薔薇の花びらの砂糖漬け』だと気づく。
ガーネット・ブランローズ嬢の浮遊する薔薇の花びらは、まるでかつての恋心のように頼りないものだった。