第05話 その予感は海の風に運ばれて
――海の風が、アルダー王子のペンダントを揺らす。悪い予感を感じたというペンダントの飾りであるメダイユのひび割れは、魔法により辛うじて修復されている。
「アルダー王子、大丈夫?」
「あぁ、風が強いからペンダントが揺れているだけだよ。さっ急がないとね」
多分、アルダー王子の笑みはようやく作った笑顔だ。まるで私達のこの歩みも、どうにかして成り立っているかのよう。
さて、薔薇柘榴島は、基本的に魔法国家ゼルドガイア領土である。港は全部で4箇所あり、そのうちの二つは海軍の拠点となる軍港としての役割も果たしている。そして、軍のうちの一つはゼルドガイアであるが、もう一つは東方連合国のようだ。
「へぇ、島全体のガイドを改めて確認すると、気づかなかった情報も載っているわね。私達はゼルドガイア領土のギルドに所属しているから、訪問する施設はそちらにしないといけないわ」
「まぁ今回のギルドクエストは東方の支援な訳だから、東方連合の施設にも後日挨拶に行くようだろうけどね。これは、次期国王としての外交でもあるのかな?」
「そっか、アルダー王子も次期国王陛下になるためいろいろと気を遣っているのね。仮にもよその国の施設にオファーなしで行くわけにもいかないし、自国の軍を介してからの訪問が無難かも」
目的地に近づくにつれて、港の景色が徐々に穏やかなものから海軍関連の施設や船に切り替わっていく。倉庫の他に造船所もあり、ここで船のメンテナンスなどを行っているようだ。
ゼルドガイア領土には海域はなく、この巨大な湖で活動するのであれば軍の名称は『水軍』の方が正しい気がする。が、国境を越える内海と呼んでも差し支えない大きさの湖は海とほぼ変わりなく、軍の呼び方としても海軍呼びが定着している。
「わぁ随分と大きな船だわ、軍艦ってやつね。あっ……ゼルドガイア領土の海軍の中心施設ってあれかしら?」
海軍拠点らしき施設の門にはゼルドガイアの国旗が風に揺られ、その出入り口を軍服の衛兵が二人守っていた。ほぼ間違いなく、ゼルドガイア領土の関連施設であることが予想された。
「我が国の国旗があるし、多分あの建物で合っているだろう。ん……サナちゃん、どうしたんだい」
「えっと、ごめんなさい。あの国旗、よく見たら模様が何だか私の記憶と違うのよね。ゼルドガイアの国旗ってもっとシンプルなデザインであの蛇は入っていないような」
「蛇、というとヘルメスの杖ことかな。帝国から完全独立した時に、大賢者様がヘルメスの加護を賜ったと言われていてね。国旗にはヘルメスの杖が記されているんだ」
やはり、ここはパラレルワールド。私が知っているゼルドガイアの国旗には記されていない『蛇の杖マーク』が入っていて、時代の変遷が異なる世界線だった。私達が訪問してきたことに気づいた衛兵が、『アルダー様っ』と声をかけて来て話は一旦中断。
「ようこそ、お越しくださいました。本日は海軍の視察で……?」
「いや、今日は東方地域の物資支援のクエストに来たんだ。支援と言っても炭坑作業はホビット族の方がプロだし、我々は彼らをサポートするためにモンスターを排除する作業がメインだ。ここを今日のクエスト拠点として利用しても?」
これまでのアルダー王子はフレンドリーな言葉遣いが主だったが、軍関連の施設ではほんの少し雰囲気がよそ行きだ。
何というか『我々〜』とか『利用しても?』とかの言い回しなんかは非常にリーアさんっぽい。やはり兄弟、普段は違っていてもいざというときの対応なんかは、似たところが多いのだろう。
「もちろんでございます! アルダー様。クエスト関連ですと書類を作るのにしばしお時間を頂きますが。どなたが手続きをなされますか?」
「あぁ。それなら僕がお嬢様やアルダー王子の分も行いますよ。いくらクエストだからと言って、流石に雑務をお二人にさせる訳にはいきませんから」
「ロビーラウンジではコーヒーのサービスがございます。そちらへどうぞ……」
雑務慣れしているクルルが、手続きを代行してくれて奥の部屋へ……。クエスト受付が終わるまで、事務員さんの勧めでロビーラウンジでコーヒーを頂きながら待機することに。
* * *
海軍自慢のコーヒーは、名店に引けを取らないほどの芳醇な香りが特徴だ。私はブラックコーヒーは飲めない人なので、ミルクと砂糖たっぷりで頂いているが、アルダー王子はブラック派のよう。セットのチョコレートケーキも程よい甘さ、ホッとひと息つけたお陰で、緊張がほぐれてきた。
(ヘルメスの杖というと、ファンタジーか何かの武器としても時折登場する装備品。けど、実物を拝見したことは今のところ無いわ。この世界にも実在しているのかしら)
ふと先程話題に出た例の杖に興味が湧いて来て、もう少し詳しく話が聞けないかと再び話を戻す。
「そのヘルメスの杖っていうのは、やっぱりゼルドガイア領土内で保管しているの? それとも実物じゃなくて、何かの比喩表現とか」
「一応、ヘルメスの杖のレプリカと呼ばれる武器は、旧ギルド本部の重要装備武器保管室で大切に保存されているはずだよ」
「旧ギルド本部……リーアさんが今いるかも知れない場所よね。ごめんなさい、リーアさんのこと心配しているのに、また不安な思いさせて」
そもそもここに来たきっかけは、リーアさんの魔力が込められたお守りが壊れてしまったことから出た不安だったはず。
「ううん。流石にリーア兄さんの身に異変があれば、ゼルドガイア領土内の軍関連施設にもそのうち連絡があるだろうし。一般宿泊施設を拠点にしてしまっては、極秘情報の場合だと情報伝達がされないからね」
「そうやって考えると、このまま一般宿泊施設には戻らずに、長期滞在場所をこの海軍の施設に変更した方が無難かも知れないわ」
「ごめんね、サナちゃん。オレがリーア兄さんに関して神経質だからさ。けど、上の兄も若い年齢で亡くなっているし、リーア兄さんのことも心配なんだ」
「アルダー王子……」
それ以上はもう会話が続かなくて、私もアルダー王子も無言のまま静かに時が過ぎるのを待った。気がつくとコーヒーは一杯すべて飲み終わっていて、そろそろ手続きも済んだかなと思い始める。
「お嬢様っアルダー王子っ。大変です!」
しばらくして、その沈黙を破ったのは私でもアルダー王子でもなく、奥の部屋で手続きをしているはずのクルルだった。
「えっ一体、何があったのクルル?」
「ゼルドガイア本土の旧ギルド本部に、魔族から襲撃があったとの連絡が。今、リーアさん達の無事を確認しています」
「旧本部襲撃、兄さん……!」
お守りのペンダントをアルダー王子が握りしめる。彼が感じていたその予感はやはりあの時、海の風が運んだものだったのだろうか?




