第01話 初恋の面影〜リーア視点〜
――あれから何年の時が経ったのか。
私の初恋の女性ロードライトガーネット嬢は、親同士が決めたいわゆる許嫁だった。王位継承権に遠い側室の子という立場に生まれた私『リーア・ゼルドガイア』だが、やはりゼルドガイア王家の血を引く男として結婚相手は周囲の人間が決めていた。
先入観も何の疑問も抱かずに、彼女にほのかな恋愛感情を芽生えさせていた私は今よりずっと純粋だったのだろう。
彼女との最後のティーパーティーの記憶は、私の胸に深く深く刻まれている。本来ならば美しい思い出となる恋の蕾の日々、今となっては私を苦しめる甘い悪夢だ。
「はい、リーア。このお菓子、東方のお土産よ」
「可愛いお菓子がいっぱいだね。それに今日は随分と調子がいいみたいで安心したよロードライト」
「うん。お父様が東方の薬師さんから、たくさんよく効く飲み薬を貰ってきたから。このお菓子は頑張ってお薬を飲んだご褒美なの」
(ロードライトのお父様、東方に行っていた理由は貿易の仕事だけでなく、彼女のために薬を注文していたのか)
どちらかというと虚弱体質気味な彼女をお兄さんらしく守るという義務感を子供ながらに持っていた。なるべく身体に負担をかけぬよう配膳作業を引き受ける。
「さっそく並べようか……ええと」
「苺入りの大福、胡桃ゆべし、金平糖、ケーキはカステイラ。今日のお茶会は、いつもよりちょっぴり東方テイストになったでしょう」
テーブルの上には予めメイドが用意してくれた軽食があるから、空きスペースにお土産の東方菓子を上手く並べなくてはいけない。
「東方ではお食事の前に挨拶してから食べるんですって」
「うん、聞いたことあるよ。確か、いただきますっていうんだよね。東方風お茶会なら、挨拶も倣わないと……では……いただきます」
「いただきまーす」
西方文化権の私達には馴染みのない食事前の挨拶をして、ティーパーティーが始まった。今思えばティーパーティーというより子供特有のちょっとしたおままごと感覚だったのかも知れない。
「へぇ。胡桃ゆべしはこちらのターキッシュ・ディライトにちょっと似てるね。この砂糖菓子は飴玉とは違って、ギザギザが特徴かな。味はどんなだろう」
「ふふっ。キラキラしてて宝石みたいでしょ。東方のお殿様もこのお菓子が好きだったんですって。リーアも王子様なのだから、きっと金平糖のこと気にいるわ」
「王子様……か。王位継承権は殆ど無い王子だけど。でも、ロードライトにとっての王子でいられるように頑張るよ。ん……随分と甘い!」
この時ロードライトガーネット嬢が教えてくれてた豆知識は本当だったようで、【金平糖】は、偉大な天下人や美しいお姫様が好んでいたそうだ。
だからといって彼女が私に王になって欲しいと願っていたのか、お姫様になりたかったのかは今となっては謎のままだ。
『じゃあね、リーア。また明日、遊ぼう!』
『あぁ、ロードライト。気をつけて帰るんだよ』
あの時、夕焼けに消えた彼女を、行くなと呼び止められたら。何かが違っていたのだろうか?
* * *
「ロードライトッ! 行っちゃダメだっ! はぁ、はぁ、はぁ……あぁ。また、夢か」
後悔の念は、大人になってからも時折荒れ狂うように度々私を襲い、過呼吸などの体調不良の日は薬に頼るようになった。
仕方なしに、サイドテーブルの灯りのみをつけて、引き出しから常備薬と化した薬のケースを漁る。動悸息切れに効くいわゆる【万能薬】で、ロードライトガーネット嬢の父親が東方に赴き買い付けていたものと同一のものだ。
今、ゼルドガイアにこの薬が流通しているのはおそらく愛娘のロードライトガーネット嬢がキッカケだろう。それなのに、彼女はその恩恵を受けることが出来ない。
(あの別れの日に何気なく食べた金平糖とはまるで違う。せめてこれが甘いラムネだったら、可愛げがあっただろうか。いや、自分への戒めか)
無理やり水で流し込んだゴツゴツと硬い薬。喉を通過するたびに粘膜をぐいぐいと削るように痛く、常用してしばらく経つのに未だに異物感が拭えない。
「けほっけほっ……。相変わらず、キツイな。良薬口に苦しとは言え、あんな子供の頃にロードはこの苦さに耐えていたのか」
(彼女を想うたびに、つらい、胸が痛い……けれどこれ以上、考えすぎてはいけない。眠ろう。眠ってしまえば、また朝日が私を迎えに来る。私にはまだ、弟を守るという生きる理由がある。ここで私までダメになることは出来ないんだ)
そのまま再びベッドに倒れ込み、強制的に体を休ませていく。
遠い昔の愛しい人を振り返る機会は、年齢を重ねるごとに減っていったはずだった。しかしながら、『早く嫁を……』と周囲に急かされる年齢になるにつれ、消えた私の許嫁の姿が残像のように蘇るのだ。
それは、運命の悪戯か。
ギルドマスターとしての仕事が軌道に乗ったある日、ロードライトガーネットと瓜二つの少女が鏡の向こう側の世界から転移してきた。
少女の名は、紗奈子。地球という名の異世界より転生してきた俗に言う異世界転生者で、転生後はあちら側の世界にはまだ残る貴族の公爵令嬢『ガーネット・ブランローズ』としてしばらく暮らしていたらしい。
だが自らが転生者であることを自覚してからは、紗奈子は運命を断ち切るという伝説の【乙女剣士】を目指しているという。
(サナ……彼女は、もしかするとロードライトガーネット本人なのだろうか。そんな確証は何処にもないが、可能性がゼロという訳でもない)
* * *
サナが私のギルドに所属しての初めてのクエストは、弟の特別任務と時期が重なり離島で行うことになった。ギルドマスターが特定の団員に入れ込むのは良くないが、今回は特別任務という言い訳もあり見送りのためフェリー乗り場まで自ら足を運ぶことが出来た。
初恋の少女ロードライトガーネット嬢に似た彼女が、あどけない表情で私に手を振る。
「ありがとうリーアさん、行ってきますっ」
次第に遠くなるフェリー。名残惜しい気持ちを波の音がかき消していく。私の弟であるアルダー王子のために集まった見送りの人々も現地解散し、残されたのは私とボディガード役の青年のみとなった。
(行ってきます……か。彼女は必ず戻ってくる。そう信じて、私はここでやるべきことをしなくては……!)
必ず戻ってくるのは、果たしてサナか、初恋のロードライトか。焦燥と共に沸き上がる感情は、風にさらわれて消えていった。




