第18話 銀狼が呼ぶのは私か否か
地下礼拝堂の階段を上り一旦施設建物から外へ出ると、既に夕陽が落ちる頃。想像以上に時間が経過してしまったらしい。ギルドでリーアさんに挨拶してから帰ろうとしたが、別の用事で既にギルドマスタールームから退室されているとのこと。
「リーアさん、本当に忙しいのね。せめて、女神ルキア様から聖品の祝別を頂いた報告だけはしたかったわ」
「けど別の用事って。あっ……そういえば今日は……」
タイトなスケジュールのリーアさんの様子でアルダー王子も何かを思いだしたらしい。
建物出入り口ではいつまでも戻らないアルダー王子を心配していた王宮の使いの人達が待機していた。
爺やさん、猫耳メイド、騎士や魔道士の護衛隊が其処彼処から現れて、あっという間にアルダー王子は囲いの中だ。
「アルダー様っ。いつまで経っても礼拝堂から戻られないから皆心配していたんですぞ。礼拝堂と言いつつ、実は何処かへ遊びに行ってしまわれたのかと。今宵は夜会がありますゆえ、そろそろ準備を」
「まさか、流石にそこまでチャランポランじゃないよ、爺や。いい加減、信用してほしいな」
それぞれの世界に似た人物が三人いる法則からすると、アルダー王子に似ているのはあの女好きのアルサル。チャランポランじゃない、と言われても信用出来ないのは何となく理解出来る気がする。アルダー王子の方はオレ様っぽいアルサルに比べると、愛嬌があるというか、人懐っこいキャラクターだが。
「では……サナさん、クルーゼさん、我々はこれで。いずれお二人にも夜会の招待状を用意しましょう」
「さっアルダー王子、夜会に間に合わなくなると大変です。緊急でリーア様が夜会に出席して時間稼ぎしてくれるそうですが、それでもギリギリのギリ、なスケジュールでございますよ」
わざわざギルドの仕事を早く切り上げてリーアさんが不在となった理由は、夜会に間に合わないであろうアルダー王子をフォローするためか。私の洗礼の儀式に立ち合わなかったのも、アルダー王子が万が一間に合わなかった場合に備えてのことだと推測される。
「うわぁ……押すなよ。そもそも明日クエストなんだから、今回の夜会は顔見せ程度しかしないぞ。サナちゃん、クルル君、また明日」
「えぇアルダー王子、ご機嫌よう」
「お気をつけて!」
慌ただしくアルダー王子を車に押し込んで、一行は王宮への大通りへと去っていった。おそらく夜会のスケジュールが本当にギリギリと迫っているのだろう。
「行ってしまわれましたね、アルダー王子。さて、僕も紗奈子お嬢様のお付きとして役割を果たしましょう。無事に帰宅できるように、全てにおいても今出来ることをやるだけ……なのかも知れません」
「ふふっありがとうクルル。今日はいろいろあったけど、これまでも流れに任せてなんとかやって来ただけだし。悩んでも仕方がないわよね」
あたりを見渡すと、夕暮れ時の慣れない街に戸惑ってしまいそうだ。もし地球に戻らず、ヒストリア王子やアルサル達の元へも戻らずにここを拠点として暮らすのであれば……。いずれこの街並みがホームとなるのだろうか。
「えぇと、行きはリーア王子が迎えにくれたから馬車と徒歩だったけど。夜道なのにエルフの森まで徒歩で帰ると危険かしら」
「礼拝堂のワープゲートは、試運転なので今回は使えませんし、夜道は慣れない道で推奨しかねます。ちょうどバス停が向こうにありますし、行ってみましょう」
夜会デーと称した露店が幾つも出店されており、今日の人の多さに拍車をかけているようだ。冒険者から観光客、一般住民まで人が行き交うストリートは、昼間よりもさらに大勢の人がそれぞれの目的のため往来していた。
『エルフの森方面行き、発車致します。定員オーバーのため次のバスをお待ち下さい!』
クルルの提案でバスに乗ろうとするも、人がぎゅうぎゅうでもはやドアに入ることすら叶わない。『夜会デー』の影響か、王宮行きのバスも行列が途絶えず、バスターミナルで待機すること自体大変になりそう。
「この混み方は、地球の都内の電車でよく見られる帰宅ラッシュと似たものがあるわね。激混み時にぶつかると、一本電車を見送ったり迂回ルート出来る別の線を使ったりもしたっけ」
「懐かしいですか、地球が。お嬢様はやはり、地球に……」
地球の様子と異世界の様子を比べるなんて、今まで殆どなかったのに。やはり、ルキア様に見せられた地球のヴィジョンが及ぼす影響力は大きい。
「ううん、ちょっと思い出しただけよ。冒険者専用のギルドバスは、クエスト初日の明日以降じゃないと私達は使えないし。はぁ……仕方がないわね。今日は諦めて歩いて帰りましょうか」
「そうですね、お嬢様。そうだ……手、繋ぎましょう。迷子にならないように」
「クルル……」
女の子みたいに可愛くて華奢なクルルからキュッと握られた手は案外大きくて。しっかりとした指が、『やっぱり男の子なんだ』と実感させられる。
(初代乙女剣士のサナとクルーゼ王子もこういう感じで、徐々に距離を縮めてやがて恋心に結びついたのかしら。クルルが優しいからって、甘えすぎちゃダメよね)
* * *
大通りを抜けると次第に人の流れから遠ざかっていき、同時に夕陽は完全に降りて空も地上もすっかり暗い。エルフの森まであと少しだが、意外に道のりが長く感じるものだ。
「うぅ……聖堂に入ってしまえば強力な結界があるから安全だけど、よく考えてみたらエルフの森って結構危険よね。危険な野生動物とか普通に暮らしているんでしょう」
「まぁ森の中には管理のエルフ族がいらっしゃるみたいですし、野生動物もお腹をよっぽど空かせない限り街には近づきませんよ。あともうすぐですから、大丈夫ですって」
すっかり人通りが少なくなって、おそらく私とクルルの二人きりであろう状態になると、クルルが思い出したようにある報告をくれた。
「そういえば、すぐに女神ルキア様の庭園にワープしてしまって伝えそびれていたのですが。実は地球の書籍やゲームなどの情報は聖堂のワープゲートを介して一時的に取得出来るようなのです。具体的には紗奈子お嬢様の地球でのアカウントを利用することになりますが」
「えっ……そうなの、クルル。じゃあ、地球のガーネット嬢が書いたっていうシナリオもこちらの世界でも読めるかもしれないわね」
「はい。あくまでも架空のストーリーとして誇張した表現も多いと思いますが、紗奈子お嬢様の今後を決めるヒントになると思います」
思いもよらない情報を得て、早く聖堂に戻りたい気持ちが高まると同時に何処からともなく、『アオーン、アオーン』と狼の鳴き声が聞こえてきた。いつかヒストリア王子と共に襲撃を受けた日のことがフラッシュバックする。
「クルル、今アオーンって。あれって狼なんじゃ……」
「お嬢様、止まって!」
ガサガサガサ……シュッ!
すると私がトラウマで怯えている瞬間を見計らったように目の前に一匹の銀狼。
『グルルル……ガゥウウ……! ロードライト、ガーネット。戻ッテ来たのか。ロードライト、ガーネット』
言葉を発する銀狼、おそらく何かの眷属か。そしてロードライトガーネット嬢とは、リーアさんの幼くして亡くなった婚約者の名前。
――銀狼が呼ぶのは私か否か。答えが出る前にその牙が襲いかかるのだった。




