第14話 お帰りなさい、ロードライトガーネット
多分、未知の女神様との邂逅は一瞬だったのだろう。光が強く輝いたと思ったら、目の前の景色が変わっていく。
『鏡の向こうからの長い旅はやがて終着を迎える。あぁようやく辿り着いたのね、お帰りなさい。ロードライトガーネット!』
(ロードライトガーネット……それは、誰? まさか私のこと?)
「……サナちゃん、しっかり」
「紗奈子お嬢様、大丈夫ですか。放心状態のようでしたが……」
私だけが別の景色を見ているという訳ではなく、儀式の場に立ち合ったクルルとアルダー王子も一緒だ。皆一様に、地下教会の礼拝堂から一転して突然開かれた美しいその庭園に心も魂も魅入られた。
「はっ……ごめんなさい。アルダー王子、クルル。つい、ぼうっとしてしまって。ロードライトガーネットって呼ばれた気がして」
「サナちゃん、何故その人の名前を……。いや、今はそれどころじゃないか」
何かを言いかけて話を止めるアルダー王子。ロードライトガーネットという人物を知っているようだが、あまり話したくないようだ。
さて、今目の前の問題はこの庭園が何処であるかだ。
色とりどりの薔薇の花はブランローズ邸の園を彷彿させるし、清らかな噴水が心地よい水の音を奏でていて心安らぐ空間だ。ブランローズ庭園との大きな違いは女神ガーネット様の像が無く、その代わりに『ゴルディアスの結び目』のモニュメントが鎮座していること。
「ここは……一体、何処なのかしら? 来たことがあるかというとそういう訳でもなく、でも懐かしいような……」
「紗奈子お嬢様、おそらくここは心象風景をリアルに再現した異空間だと思います。最も魂が馴染みやすいように、既視感のあるブランローズ庭園に近しい場所に構成されているのかと。見て下さい、あのゴルディアスの結び目を」
「確かに、ブランローズ庭園にはガーネット嬢の女神像はあってもゴルディアスの結び目は無かったものね」
石像は定番の天使像があちこちにあるが、やはり女神像らしきものは見当たらず……すると遠くに見えるテラスに人影が……。円形のカフェテーブルに懐かしい銀のティーセット、気がつけば美しい女性が『お茶を一緒に……』と手を招いている。
「サナちゃん、クルル君……どうやらオレ達、お茶会に招かれたみたいだよ。どうする? ここでお茶することが、女神ルキア様との洗礼と繋がるのか……。サナちゃんの意見も聞きたいし。クルル君はどう? エクソシスト的に何か感じる?」
フレンドリーな性格が売りのアルダー王子が、やや警戒しながら手招きする女性の元へ行くか否か悩んでいる。すると、迷う気持ちを察しているのか、茨がシュルシュルと伸びて来て私たちの行手を阻む。
『行ってはいけない。引き返してっ』
『いいえ、このまま進んで。真実を知るの』
聞き覚えのあるような、既視感のある少女の声がこれ以上進むのを止める。だが、もう一人の少女はそれに反発し、進むのを促す。
「どうしよう……これは最後通告なのかしら。未知の異空間で罠かも知れないお茶会に参加するのは、勇気がいることだけど」
「幸い、一人きりではなく、こちらは三人もいるんです。何となくですが三人寄れば文殊の知恵で、万が一の場合にも対処出来そうな気がしませんか?」
「そうよね、クルルの言う通りだわ。先に進みましょう。いえ、進まなくてはいけないのっ。だから、この茨はここで断ち切るっ」
ザシュッ! ザシュッ!
絶え間なく道を阻む茨を剣や魔法で薙ぎ払い、私達三人はやっとの思いでお茶会のテーブルへと辿り着いた。
* * *
「ようこそ、我が癒しの庭へ。先程の茨の妨害は貴方達因果の表れ。剣を奮って疲れているでしょう……まずは一息ついて下さいな。貴方達の魂をこの場所に落ち着かせなくてはいけません。精霊のお茶で魂の浄化を……」
お茶会の主催者である女性は珍しい淡い紫色の長い髪で目鼻立ちが整った端正な顔立ちだ。そして絶えず微笑んでいるその表情からは人間離れした余裕を感じさせる。
(ブランローズ庭園に似て非なる別のどこか。ゴルディアスの結び目が見守りように光溢れるこの庭園は女神ルキア様のお庭なの?)
お付きの白い翼を携えた精霊はおそらく執事役なのだろう……座席に座った私達にお茶を淹れてくれる。勧められるまま葡萄のような果物入りのお茶を一口飲むと、甘酸っぱさと共に魂がストンッとこの場に落ち着いた。不思議な光景に夢の中でさらに夢を見ているような気持ちでいるとついに女性が語り始めた。
「ここまでよく頑張りましたね、サナ。付き添い役、ご苦労様でしたクルーゼ。そして次期国王候補アルダー……民に寄り添う貴方の行い良い心掛けですわ。私はルキア、神聖ミカエル帝国時代より光の道を見守る女神です」
「女神ルキア様……貴女が」
やっぱりという気持ちもあるけれど驚きとが隠せない。人間からのちに女神像になったガーネット嬢とはお話することはあっても、生来の女神様との会話は今回が初。感覚とか価値観が人間とは異なっているだろうし、不安な気持ちが沸いてきた。クルルもアルダー王子も私と同じ心情なのか、それぞれ落ち着かない様子。
「ふふっ。三人とも硬くならなくてもいいのよ。ここはすべての魂にとっての安寧の庭。彷徨える魂は着地点を見失うと、いずれ天にも地にも居場所がなくなるのです。このタイミングで蘇生術の契約に気がついたアルダー王子は、真の王に相応しい勘を持っているのやもしれません」
「あはは……何となくサナちゃんを見ていたら今にも消えそうというか、居ても立っても居られない気になっただけで」
照れながらその時の気持ちを説明するアルダー王子だが、私が今にも消えそうに見えていたとは意外だ。しかも良い勘……とは? 一体、今の私はどのような状態なのか。
「女神様、このタイミングでって……。私の魂はそんなに危ない状態だったのですか? 今は不思議なくらい気持ちが安定しているのですが……」
「それに、鏡の向こう側からこちら側にやって来たのは僕も同じです。一応エクソシストなので、教会との契約が自動で終わっていましたが。紗奈子お嬢様には何かそれ以外に秘密があるのでしょうか?」
「えぇ……鏡の向こう側からの移動だけではそこまで急を要する訳では無いですからね。サナとクルーゼの大きな違い、それは異世界から魂がやって来ている者とそうでない者の違いです」
鏡の向こう側のパラレルワールドからの移動はそれほど問題ではなく、魂の元が異世界転生者であるか否かということだろう。私以外にはアルサルも異世界転生者に該当しているけどこの場にはいない。だから、周囲の人は私と同じように地球からの転生者が多いのかと思っていたけど、どうやらクルルという人は生粋の異世界人であるようだ。
「サナ、貴女が地球で倒れてからその魂は女神ガーネットが書き記したデータを通じて、辛うじてこの世界を泳いでいました。ロードライトガーネット嬢の鏡であるガーネット・ブランローズというアバターに魂を潜り込ませることで、なんとか形を失わずにいた。しかし、それもそろそろ限界なのです。貴女は貴女自身の魂としてどのように魂を生き直すのか決めなくては」
「えっ……ロードライトガーネット嬢、それってどういう……?」
「これからお見せする映像は、貴女の地球における今の状態です。貴女が本当に異世界に転生するかどうかが決まろうとしているその瞬間に、こうして私の元へと導かれた意味、しっかり心に刻んで下さい。いいですか……」
おもむろにルキア様が庭園の天使像に向かって手をかざすと、青い星地球が浮遊ヴィジョンに映し出された。映像は徐々に地球、日本、東京……とクローズアップされて、やがて私の家の近所にある大型病院に切り替わる。
(私、もうとっくに地球での命は尽きたものだと思っていたけど、まさか……!)
俯瞰の目で映像は次第に鮮明になり、早乙女紗奈子と記された病室が現れた。




