第12話 いつか交差する運命の輪
洗礼儀式の提案はギルドの正式なものとして受理されて、私はこの世界における神と契約することになった。ギルドクエストにおいて洗礼儀式を済ませるで生じるメリットは、万が一の時の蘇生魔法が効きやすくなること。デメリットは敢えて挙げると、パラレルワールドの住人である私とこちら側の神の繋がりが深くなることで、元の世界との繋がりが多少薄れるということだ。
「洗礼を受ける前の予備知識として、サナにこの小冊子を渡しておくよ。ゼルドガイアにおけるゴルディアスの結び目の言い伝えをまとめたものだ。まぁこの建物の地下に設置されているゴルディアスの結び目は、いわゆる儀式用のレプリカなんだけどね」
リーアさんが棚から取り出した小冊子には、表紙にメビウスの輪のようなマークと聖母のイラストが載っていた。おそらくメビウスの輪に似たマークがゴルディアスの結び目、聖母のイラストにも意味があるのかも知れない。
「レプリカということは、本物が何処かにあるということですか? もしかして、タイムリープや断罪の因果を解くことが出来るかも」
「言い伝えを信じるなら、神聖ミカエル帝国の本拠地だった国の神殿にあるらしいけど。ゼルドガイアからはかなり距離があるし、本物の公開はしていないんだ。今すぐサナが実物を見るのは難しいかな……神殿と縁が深い英雄ジークに嫁がれたルキアブルグ公爵のご令嬢すら、一度しか本物を見たことがないそうだから」
「えっ……英雄ジークの伝説って、架空のストーリーじゃなかったんですか? まさかこちら側には、ご本人がいらっしゃるなんて」
私が住んでいたパラレルワールドでは架空の存在とされる英雄ジークの名が、実在人物としてリーアさんから出るとは思わなかった。もしかすると、鏡の向こう側の世界の英雄譚が御伽噺として伝えられているのではないかと疑ってしまう。
するとアルダー王子が私の疑問について、詳しく解説を始める。
「オレ達の世界にも英雄ジークの伝説は御伽噺として伝えられているんだけど、それとは別にドラゴンを倒した英雄やその息子にジークの名を継承させる伝統があるんだ。だから、旧帝国領のルキアブルグ家公爵令嬢と結婚したジークさんが、イコール伝説の人物という訳ではなくって。けど、凄腕剣士の息子さんで本人もドラゴンを討伐するくらいだし、実在のジークさんが父親譲りの凄腕英雄であるには違いないよ」
「このパラレルワールドにおける英雄の名前の定番がジークさんなのね。よく考えたらパラレルワールドとはいえ、遥か昔の御伽噺の英雄が現代に生きているわけないし」
御伽噺の英雄譚と実在のジークは別人、けれど英雄と呼ぶに相応しい男やその親族にジークと名付ける。今回話題に挙がったジークさんは、いわゆる二世ポジションの英雄らしい。お父様から剣技を引き継いでドラゴンを退治したのなら納得の展開だ。
「ふふっ。伝説の乙女剣士と同じ赤い髪で同じ名を持つキミが、そんな感想を持つとは意外だけどね。皮肉なことに乙女剣士が断ち切ったとされるゴルディアスの結び目は旧神聖ミカエル帝国神殿が所有するにも関わらず、乙女剣士本人はレプリカしか持たないゼルドガイアにやって来た。すぐには因果が断ち切れないジレンマを現しているようだ」
さらにリーアさんがアルダー王子の解説を補うように、旧神聖ミカエル帝国中心地の現状を教えてくれる。そして、乙女剣士の因果解消への道のりが近くて遠いということも、さりげなく示唆していた。
「乙女剣士の目標って、何となく目に見えないものだと思っていたんです。それに旧帝国の神殿は私のいた世界では既に取り壊されていたから……ゴルディアスの結び目が現存していなかったのね」
「そうだったのか、サナ。まさか鏡の向こう側では旧帝国の神殿そのものが失われていたとは。色々思うところもあるだろうが、今は神との距離を縮めることに専念しよう」
緊張をほぐすように、リーアさんが私の頭を優しく撫でる。乙女剣士が断ち切る予定のゴルディアスの結び目は、ここからは遠い旧帝国中心地にあるのだからそこまで硬くなる必要はないのだろうけど。抽象的な目標だった運命を断ち切るという乙女剣士の設定が、こうして目に見える形で表現されるとは思わなかったので動揺するのも仕方ないと自分を励ます。
ソファに座りながらゆっくり深呼吸して、ゴルディアスの結び目の小冊子を捲る。旧神聖ミカエル帝国の神殿の写真や英雄像なども説明とともに記載されていた。
【ゴルディアスの結び目について】
ゴルディアスの結び目を解消する方法は、大まかに分けて二つあるとされている。
一つ目は伝説の剣士のように、ゴルディアスの結び目そのものを断ち切る方法だ。無理難題であろうと、果敢に立ち向かいついにはその結び目を斬った剣士は、後世に伝えられる英雄となった。
各時代の英雄がゴルディアスの結び目を断ち切ったとされるが、一風変わった例はゼルドガイアに伝えられる乙女剣士の物語だろう。乙女剣士は女性でありながら剣技を磨き、果敢に運命を断ち切ったというエピソードからも印象に残りやすい。
二つ目の方法は、祈りによってその結び目を優しく解き、心のわだかまりを解消する方法である。異世界の教会では、聖母に祈りを捧げることで難題を解消する【結び目をほどく聖母の祈り】が有名だ。
だが、人間関係のいざこざや家庭の平和を願う系統であることから、英雄譚のような形ではなく信仰の手引きなどに記載されることが多い。御伽噺において神聖ミカエル帝国の公爵令嬢が、自らの拗れた婚約問題を解決した際に用いたとされている。
「神聖ミカエル帝国にゴルディアスの結び目……か。私がいた世界では遠い遠い神話のような世界だったけど、このパラレルワールドでは旧帝国の神殿が現存していて未だに繁栄している。そんな世界で神の加護を受けるという事は、私も神話の世界に一歩近づくということ?」
「サナ、キミは私にとってはとっくに神話の世界の住人だよ。だって私の住むゼルドガイアではもう百年以上もの間、本物の乙女剣士にお目にかかった人はいないのだから」
寂しそうにリーアさんから告げられる言葉を受け止めるように隣でアルダー王子が『鏡越しの世界がそれぞれ神話に必要な設定を分けて引き継いでしまったみたいだ』と、呟く。
そしてそれは、『二つに分かれた鏡の世界は元は一つの世界だったのではないか』という疑問を私の心に深く根付かせる。
――いつか運命の輪が、交差する予感を残して。




