例えばこんな婚約破棄イベント
* 2021年1月30日、作品タイトル改題しました。旧タイトル『悪役令嬢改め、乙女剣士参ります!』。新タイトル『転生公爵令嬢改め、乙女剣士参ります!』。
魔法国家ゼルドガイアは、広大な大陸の中心に位置しており、王族達は強い魔力を有することで名を馳せていた。既に文明の利器に手を染めて、魔法という技術を失っている国が多数ある中、錬金国家と並び古代の技術を継承する歴史ある国だ。
その歴史を継承するゼルドガイア王家の血を引きし者は、『王族』という社会的地位のみならず、黒魔法や白魔法、時間魔法などを操り、魔導士ギルドを統括していた。実力でも魔法国家の上位を揺るぎないものにする彼らに、国民達は畏怖と尊敬の念を抱く。
――その王族の中でも、天から寵愛されし光の熾天使と謳われているのが、第三王子ヒストリアである。金髪碧眼の端正な顔立ち、バランスのとれたしなやかなスタイル、聡明かつ品の良いユーモアにも溢れ……。社交界のご令嬢達は皆、十九歳の若き大賢者ヒストリア王子に夢中だった。
「1度だけでいいから、ヒストリア王子とダンスを踊ってみたい。あの美麗な天使に微笑まれることが、世の女性の憧れなのに……」
そのような若いご令嬢の願いも虚しく、ヒストリア王子には幼い頃に決められた許嫁が存在していた。
嫉妬と羨望の眼差しを一身に浴びる彼女の名は、『ガーネット・ブランローズ嬢』だ。花も恥じらう十七歳の少女である公爵令嬢ガーネットは、宝石のような赤い髪と白薔薇のような美しい肌を持ち、その輝きはまるで女神と見まごうばかり。
そして、世の嫉妬と常に孤独な戦いをしなくてはならない彼女には、常に批判の手紙や王子との別れを促す電話、誹謗中傷が後を絶たない。
そして、いつしか噂はまるで真実であるかのように誇張されて……ガーネット・ブランローズ嬢は『悪役令嬢』と呼ばれるようになっていた。
残酷な運命の歯車に、愛し合うガーネット嬢とヒストリア王子は引き裂かれる。やがて、断罪の魔物コカトリスにより『ガーネット・ブランローズ嬢』は物を言わぬ石像となった。可哀想な彼女は、女神像として乙女の儀式を行う泉の守り神として封印され……彼女は哀しみにくれて愛しい人の助けを待つ。
「いつか、ヒストリア様が石化を解く錬金の秘薬を手にして、わたくしのことを助け出してくださると信じていますわ」
しかし、彼女の願いは虚しく洞窟の中で独り言のように零れ落ちた。外の世界では、時間を巻き戻すタイムリープが何度も何度も行われ……。ガーネット嬢という存在は、パラレルワールドからやってきた異世界転生者の魂を持つ『もう1人のガーネット・ブランローズ嬢』にとって変わっていたのだ。
さて、魔法国家ゼルドガイアにはいわゆる都市伝説が3つほど存在している。
1つめは、この大陸は『恋に狂った闇の賢者の手によってタイムリープを繰り返している』という噂。2つめはこの時間軸と並行して存在する『もしもの世界・パラレルワールド』が存在するという噂。そして3つめは、王家の王子と永遠の愛を誓うことで運命を断ち切る『乙女剣士』の噂である。
いずれの噂も真実であるかは、皆その目で見るまで、信じている者は少なかったのだろう。
あの日、永遠に続くかと思われたタイムリープの果てに始まった『もう1人のガーネット嬢』の十七歳の誕生日パーティー。
――その最中に、運命の婚約破棄イベントが行われるまでは。
* * *
月明かりと星々がダンスを踊るように瞬く、煌びやかな夜。ブランローズ邸では、1人娘であるガーネット嬢の十七歳の誕生日パーティーが行われていた。出席者の中には、ガーネット嬢の友人知人、父であるブランローズ公爵と親しい貴族達、この国の魔法大臣や隣国の大使などの姿も。
もちろん、婚約者である第三王子ヒストリアの姿もあった。出席者達は皆、『そろそろ2人の婚約発表が行われるのでは?』と、そわそわした様子。だが、天使と謳われるヒストリア王子が珍しく意を決した様子で壇上に登り、高らかに宣言を放つ。
「魔法国家第三王子ヒストリア・ゼルドガイアの名において、ここに宣言しよう。僕は……パラレルワールドから入れ替わっていた『もう1人のガーネット・ブランローズ嬢』こと『前世の記憶保持者である紗奈子』との婚約を破棄するッッ!」
……静寂が一瞬にして、ざわめきに変わる。婚約破棄だけならまだしも、パラレルワールドからやってきたというのは、どういう意味なのか。まるで、ガーネット嬢がこの世界に2人いるかのような言い回し。
そもそも紗奈子という名は『東の都』の人間のような名前だが、ガーネット嬢の前世の名なのか……? 突然の出来事に、疑問は後を絶たない状態だ。
清らかな心を持つ熾天使と崇められていたヒストリア王子だが、ガーネット嬢との愛を裂かれるあまり、ついに気が狂れてしまったのか。それとも言い訳しているだけで既に、ヒストリア王子には別の女性が……?
突然の婚約破棄宣言、一緒だけ肩を震わせたガーネット嬢に出席者一同は同情しつつも、誰もヒストリア王子に意見を言うものなどいない。この国の権力に中枢にいるヒストリア王子に、逆らえるものなどこの場にいないのだ。
――皆がそう考えたその時だった。
「その言い方は、ちょっと説明不足なんじゃないか……兄貴。いえ、第三王子ヒストリア……あなたが美しい令嬢を婚約破棄するのなら。この『パラレルワールドのガーネット嬢』は、このオレ……アルサル・ゼルドガイアが頂こう! 永遠の愛を誓う花嫁として」
大人しくこの場を見守っていた出席者達の注目が、一斉に新たに現れた若者へと集中する。肩を震わす『もう1人のガーネット』改め、『紗奈子』をそっと抱きとめながら、優しく微笑むその美青年は、かねてより国王の隠し子と噂されていた庭師のアルサルだった。
ヒストリア王子に負けずとも劣らない端正な顔立ち……いや、アルサルは身なりを整えると髪の色や目の色以外はヒストリア王子にそっくりなのだ。王族のように着飾り、堂々とヒストリア王子と対峙するアルサルはまさにもう1人の王子そのもの。
金髪碧眼の麗しいヒストリア、亜麻色の髪に飴色の眼のアルサル。2人は、腹違いの兄弟であるにも関わらず、色違いの双子のようだった。
「その紗奈子という前世の記憶を持つガーネット嬢が、パラレルワールドからやって来たのなら、本物のガーネット嬢はどこに……?」
アルサルが『紗奈子』を連れて会場を後にしようとすると、出席者の1人である隣国の大使がヒストリアに質問をぶつける。
「そ、そうです……ヒストリア王子。アルサルどのと紗奈子嬢が結婚されるのはともかくとして、あなたはどうされるのですかっ?」
「ふっ……心配には、及びませんよ。ねっ……ガーネット嬢」
「ええ、ヒストリア様。わたくし、タイムリープの影響でずっと女神像にされていましたの。ようやく外に出られてスッキリしていますわ」
ヒストリアの隣に並ぶ美女は、正真正銘ガーネット・ブランローズ嬢その人だった。前世の記憶を持つとされるもう1人のガーネット嬢より、若干大人びて見える。
「が、ガーネット嬢が……2人ッ? そんなパラレルワールドが存在していたというのは、真実だったのか?」
「いや、それよりもタイムリープが本当だとしたら一大事なのでは……」
「紗奈子という女性は、これからどうなるんだ。彼女も途中まではガーネット嬢として暮らしていただろう。今更、婚約破棄だなんて。追放か?」
「だからこそ、アルサルどのと結婚されるのでは? 噂ではアルサルどのは隣国王家の血も引いていらして、新しい国を建国するという話も……」
出席者達が困惑する中、会場の伴奏を担当していた楽師達が退場するアルサル達を見送るように、新たな曲を演奏し始めた。
――そして、すべては解決したと言わんばかりに始まるダンスパーティー。
* * *
「お疲れ、ガーネット。いや、紗奈子。これで、今夜は安心してお前と初夜を迎えられる。愛しているよ……キス、していいか」
「……アルサル、私も愛しているわ。早くあなたと……。んっ……はぁ……そろそろ、室内に……」
「あぁ……行こう」
ブランローズ家自慢の魔法の庭園で、安堵のキスを交わすアルサルと紗奈子。身分を隠すために庭師としての顔も持つ彼の家は、この庭園の管理を行う館だ。
もうすぐ、彼の部屋で初めての夜を迎えられる。
(ようやく、断罪ルートを回避出来た。これで、きっと明日はハッピーエンドを迎えるはずだよね)
もう1人のガーネット・ブランローズである『早乙女紗奈子』は、アルサルの優しい腕に抱かれながらここに至るまでの経緯を振り返っていた。