雨はいまだ止まず
「失礼します!」
ガチャ!
ナグの声とドアの開く音で私達は弾かれたように離れる。
馬車の端と端ほどの距離が開いた。
「…どうされました?」
「なななんでもないわ…!」
全速力で疾走したかのように心臓が鼓動を打つ。
な、なんだったんだ、今のは??
スチュワートはというと顔が赤く肩で息をして視線が泳いでいる。
私達は平静ではなかった。
「従者の具合は…相変わらず悪そうですね。」
じろっとナグはスチュワートを見る。
スチュワートもナグを睨む。
あ、なんか元気になった?
「医師を連れて来ました。」
言ってナグの後ろから熊のような男が現れる。
「どれどれ見せてみろ」
医師はスチュワートを細かく診察する。
「ナグが言っていた痺蝶の毒にやられたってのは本当みたいだな。」
医師が言う。
「かなり無茶したのか?それとも体質か?
本来はここまで酷くなるような事はないのだが。」
どうなのだろうか?
私は彼と離れていた時の行動をよく知らないし、毒耐性の有無なんて考えた事もない。
「痺蝶は億単位で群れていた。そのせいで吸い込んだ毒も多かったのでは?」
「億単位とはにわかには信じられないな。」
男は肩を竦める。
「王都へ向えばわかるわ。蝶の死骸が重なっているのだから。」
私の言葉に医師は顔をしかめた。
「こっちにはこなかった…。運がよかった…」
医師は心底ほっとしたかのように言う。
「しかし、今後体調を崩した者がこの休憩所に来た時に解毒薬がないのは痛いな。」
「…解毒薬なんてあるの?」
「ああ…あ、これ熱冷ましの薬湯。とりあえず応急処置だが飲んでおけ。」
私は医師から薬湯を受け取りスチュワートに飲ます。
「リズさん自ら!?従者如きの為にそのような真似をし…」
「ナグ、うるさい。」
私は一睨みでナグを黙らせる。
ナグは唇を噛んでスチュワートを睨みつける。
「で、解毒薬だが、この休憩所にはないが、薬草自体はこの森に自生している。
道から外れたところにあるからこの休憩所にいる騎士の一部を纏めて採取に向かわせる。まあ、行って帰って一日だな。」
「遅い!」
私は舌打ちと共に医師を糾弾する。
それでは遅い、遅すぎる。
「スチュワートは重症よ!?それまで持つの!?」
「それはこの男の体力次第だな。」
その体力がない。
移動と熱で体力は限界まで削られていた。
「そう言われても距離的にそれが最速だ。」
「私も行くわ!」
「は?お嬢ちゃんが?」
「私が行けば帰りは転移魔法で時間が半分に削れる。」
「お?嬢ちゃん魔法使いか?」
「ええ。」
見てわからない?と聞こうとして今はローブを着ていないことに気づく。
いや、着ていても着方次第では魔法使いに全く見えないのだが。
「だが、この雨だぞ?そうでなくても森は過酷だ。大丈夫なのか?」
「問題ないわ」
私は即答する。
スチュワートが死ぬくらいなら森の一つや二つ踏破してやる。
「なら、向こうの詰所で騎士達が集まっているから行きな!」
「ありがとう!」
私はローブを着てフードを被ると馬車から降りて走る。
「待ってください!私も行きます!」
私の後をナグがついてくる。
詰所には五人程の騎士が額を寄せ合い地図を見ながら相談をしていた。
「失礼します。」
そこに私達が乱入し彼らは私達に注目する。
「おや、お嬢さんどうしたんだ?」
一番年上と思しき白髪混じりの騎士が問いかけてくる。
「医師から貴方方が薬草を採取しに行くと聞き同行を求めに参りました。」
「お嬢さんが?」
「一応、冒険者でもあります。」
「ランクは?」
「F」
「じゃあダメだ。Fランクは森へ入る事は禁止されている。」
「だから、護衛の貴方達。」
言って私は彼らを指指す。
「冗談じゃない、こっちは薬草を採取で手一杯だ。」
「この雨のせいだとしたら謝罪するわ。」
「何言ってる?」
「この雨を降らせたのは私だと言ってるのよ。」
「は?」
男が惚けて後ろのナグを見る。
「事実です。私はそばで見てました。」
ナグの言葉を受けて騎士は私を見る。
「加えて私は転移魔法が使える。私が行けば時間が半分に短縮出来るわ。」
その言葉に他の騎士がざわつく。
「それが本当なら…現時点ではFランクだが実質Cランク魔法使いということか。」
「寧ろナグが足手まとい…。」
「うるさい!」
騎士の一人の茶々にナグが反発する。
「わかった!ここは現場判断で貴女の森探索を許可しよう!」
「ありがとう!」
「では、席を」
言って騎士の一人が椅子を二つ用意してくれた。
それに着席する私達。
そして机に広げられている地図を見る。
地図は緑の絵の具で大半が埋め尽くされており端っこに尺と方角が記載されている。
あ、この茶色の線が道で真ん中の円状の空白地帯は現在位置である休憩所か?
そしてところどころに文字が書き込まれている。
全ての筆記が異なるし、新しい記載古い記載が混濁している。
「地図は各休憩所、野営地に保管されています。
そして、長きに渡り騎士達が情報を書き込んだまさに命そのものです。」
ナグが横で補足する。
成る程、使い込まれた古さがこの地図にはある。
騎士達の血と汗と涙の結晶か。
「我々はこれより、休憩所を出て道を南東方向に外れる。
そこから半日、この大岩を超えた先に目的の薬草が自生している。
採取を終え次第….」
「リズよ」
「リズ殿の魔法で帰還。これが大まかな流れだ。」
白髪混じりの騎士がざっと説明する。
「途中予想されるトラブルって何かある?」
「モンスターとの遭遇。この雨だ、普段とは違うモンスターとの遭遇が考えられる。」
「例えば?」
「巨大蚯蚓」
「うげ。」
ミミズ….。小さくても無理なのに巨大って。
万一見かけたら火炎系の魔法を問答無用でぶちこんじゃうかもしれない。
「大地が緩んで地中にいるモンスターが顔を出す可能性が高いんだ」
「そうなの….」
「大丈夫です、私が必ず守ります。」
「うわ!ナグがかっこつけてるー」
「うっさい!」
「と、いうかこんな大雨降らせる魔法使いならナグの出番ないって。」
「ガイ!うるさい!」
ガイと呼ばれた騎士にナグはからかわれる。
「お前達、静かにしろ。騎士たるもの常に紳士に、だろ。」
『は!』
騎士二人が白髪混じりの騎士に言われて態度を改める。
「では、準備が整い次第行くぞ!」
「雨用の装備だ、普段より軽装になる分モンスターに対する防御力が落ちる。
それを念頭に置いて準備をしろ!」
『は!』
白髪混じりの騎士の号令で他の騎士達が動く。
「すみません、私の分の装備をお借りできませんか?」
ナグが白髪混じりの騎士に申し出る。
それに答えて騎士は装備室なるものの場所を教える。
「すみません、装備変更の為しばらく席を外します。」
ナグが一礼して離れていく。
それと入れ違いになるように医師が現れた。
「薬草は取りに行けそうか?」
「ええ。」
「そりゃよかった。」
「スチュワートは?」
「あの後簡易治療所に運んだ。今は薬湯が効いたか寝ている。」
その言葉に私はほっとする。
「だが、かなり毒が回っているようだ。
毒消しは急いだ方がいい。」
「わかってる。」
「本来は軽い痺れ程度の毒なんだがな。大量に吸い込むと体質によっては重症化する…。
いい勉強になったわ。」
医師の言葉に私は彼を睨む。
「私の物で勝手に学ばないでちょうだい」
「まあまあ、そういうなって」
医師は肩を竦める。
「私が戻るまでスチュワートの面倒をしっかり見ていなさい。
いいこと?これは命令よ?」
「命令って…どれだけ上から目線なご令嬢だよ。」
私より上の令嬢はいませんが何か?
しかし、万が一私が戻る前にスチュワートに何かあればこの医師、マジで殺す。
「リズさん」
そこにナグがやってくる。
「お待たせしました。」
彼は鎧を金物製から革製に変えている。
腕には雨具を持っていた。
私は白ローブがあるので雨具は不必要。
遅れて五人の騎士が雨具を纏った状態で現れる。
ナグも同じ雨具をさっと羽織った。
雨具は黒いテカテカした皮コートのようなものだった。
皮だから逆に水を吸いそうだが…。
「火鼠の皮コートだからああ見えて水はけは良好。
騎士の雨具御用達の品です。」
ナグが私の不思議そうな顔を見て教えてくれる。
火鼠が何か知らないが、多分モンスターなのだろう。
その皮素材で作った品ならきっと防御力も期待出来るだろうし、一石二鳥か。
「じゃあ、行ってくるわ。」
「おー、必要量はまあ…百株もあればいいだろう。
頼んだぞ。」
「了解した!では、行こう!」
私達は雨の中、詰所を出た。
雨のせいで気温もぐっと下がっている。
暖かい飲み物が欲しくなるが、今は我慢だ。
私達一行は休憩所から出て予定通り道を南東に外れる。
道から外れて数分で草むらに道が隠されてしまった。
こうなると完全に森の中。
モンスターの領域内だ。
獣道すらない、道無き道をひたすら進む。
先頭は白髪混じりの騎士。
彼が羅針盤を持ち地図を片手に方向を定め進んで行く。
他の騎士達は左右前後をそれぞれ警戒しモンスターに備える。
完璧な布陣に異分子として潜り込んだ私達は後方から邪魔にならないよう、足手まといにならないようついていく。
特に体力には全くといっていいほど自信がない。
雨もあり比較的ゆっくり進んでいるが、実はついていくので精一杯だったりする。
「大丈夫ですか?」
石に足をとられて転びかけた私をナグが支えてくれた。
「大丈夫。問題ないわ。」
私は彼の手を払い騎士達の行進に食らいつくようにして進む。
こんなことで泣き言を言ってる暇はないのだ。
スチュワートが待っているのだから。
雨は弱まる気配は一向になく、フードを目深に被っても目に雨雫が吹き込んでくる。
顔はびしょ濡れだ。
しかし、誰もその事に文句は言わない。
想定内の出来事だからだ。
通行に邪魔な木の枝を時節切り落としながら先へと進む。
「……ここで、一度休憩だ」
白髪混じりの騎士が言う。
雨の中では満足に休憩など取れるわけもない。
だけど、疲れていた体は木に背を預けてもたれ込むように座り込んだ。
ローブは汚れて泥のシミが目立つ。
やはり白は汚れが目立つ。
疲れに意識を向けるとよけい疲れるのでどうでもいい事に目を向ける。
「ここまで二刻半。モンスターに全く出会わなかったな。」
白髪混じりの騎士が私に白湯とパンを渡してくれた。
ありがたく受け取りゆっくりと飲み食べる。
モンスターが出ない。
素人な私的には喜ばしい事だが彼らは違う。
そういえば、あの蝶々もモンスターが出ない中で突然に現れた。
「それに、本来群れないはずの痺蝶が億単位での襲撃。
はっきり言って異常事態です。」
ナグが発言する。
「ここ数日やってくる冒険者や商人が口を揃えてモンスターが出ないと言っていた。
…これは今までにない何かがある前兆かもな。」
何かってなんなのか。
さっぱりわからない。
まあ、何が起こっているかなんて私にはどうでもいい話だ。
とにかく今はスチュワートの為に薬草を取ること。
そしてこの森を二人で無事に抜けること。
私の望みはそれだけだ。
私は白湯を飲み干した。
「よし、休憩終了!先に進むぞ!」
私は冷えた体を軽くさすって立ち上がりそして歩き出した。
段々と歩き方のコツをつかんだ。
足元を見過ぎると余計に疲れる。
数歩前を見る。
肩で息をしない。
前を歩く騎士と同じ場所を歩けば足をとられる可能性が低くなる。
まさか公爵令嬢たるこの私がそんな事を学ぶ日がくるとは思わなかった。
私が普通の令嬢なら今頃屋敷でスチュワートが入れた紅茶でも嗜みながら読書でもしていただろう。
しかし、私は普通から逸脱してしまった。
最早普通には戻れない。
ならば、普通ではない行いにも慣れなければならない。
私は私が思い描く普通から一歩一歩離れていくイメージで前に進む。
その間も騎士達が警戒を怠りはしないが今のところモンスターは出てこず、警戒は無意味であった。
いや、警戒をしているからこそ出ないのかもしれないのだから一概に無意味と切り捨てるのは愚かか。
そうこうしているうちに約一刻半。
地図に書いてあった大岩に到着したのだった。




