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ゆっくり侵食

私はベッドから上半身を起こす。

そして息をひとつ吐いた。

まずはこの記憶の精査だ。

ゆっくりでいい、ひとつずつ見ていこう。

それはとても怖い。

見終わったら私は私ではなくなっているかもしれない。

しかし、このままではいられない。

得体の知れない何かを頭の中で飼えるほど肝は座っていない。


私は目を閉じて…


コツコツコツコツ…


目を閉じたら遠くで足音がした。

頭に響く音ではなく間違いなく私の耳が拾った音だ。

…?

違和感を覚えた。

しかし、何かはわからない。

私は目を開けてドアを見る。

この足音はこの部屋に向かってきていた。

通り過ぎるかもしれないが多分この部屋に用があるのではなかろうか。

この規則正しい足音の主は…


トントン


予想通り部屋の前で足音は止まりノックの音が代わりに響く。

「…どうぞ」

部屋の前で暫し動揺の気配。

私がまだ目覚めてないと思ったのだろう。

しかし、予想に反して声がした。

だからわかりやすい動揺の気配がした。

そんなところか。

「失礼します。」

中に入ってきたのは予想通りの人物。

我が家の執事スチュワートだ。

執事の制服をカチッと着こなす彼は優雅で洗練された動きしかみせない。

慌てるなんて事は絶対にしない、完璧な執事である。

王家に仕えるように要請があったなんて話もちらりと聞いたことがあったがここにいるという事は誤情報なのだろう。

しかし、彼ならばと思わせる美丈夫がスチュワートだ。

「お嬢様、ご気分は?」

「頗る悪い。」

正直に答えた。

しかし、彼は表情ひとつ動かさない。

「誠でございますか。お嬢様にお会いにいらっしゃった方々にご挨拶をお願いしたいのですが。」

たった今、具合が悪いっていったのに強制ですか。

実に不快だ。

私は苛立ちの表情を隠しもせずスチュワートを見る。

彼はどこ吹く風で飄々と立っている。

「具合が悪いの。後日にして貰って。」

「そうは参りません。」

「どういうこと。」

「ランバルト殿下がお見えです」

「最悪。」

「…は?」

彼らしくない声がしたがそちらを向くのも面倒で私は頭に手をやる。

なんでこれからもうひとつの記憶の精査という一大イベントをこなそうとしている時にやってくるのか。

相手が格下貴族なら追い払えるが殿下ではそうもいかない。

それに用件もわかっている。

もうひとつの記憶の精査も嫌だがこの用件も嫌だ。

「逃げたい…」

私は窓に目をやる。

青空が広がっていた。

もし魔法が使えるのならば物語に出てくる魔女のように飛んで逃げてるのだが。

「お、お嬢様….?」

スチュワートが声をかけてきたので私はため息をついた。

記憶の精査と王子の用件。

天秤にかけてみたらまだ王子の用件の方がましと出た。

諦めて会うとするか。

「会います。応接間にお通しして。

我が領地特産の紅茶葉でおもてなしを。」

「は、はい。」

何故か彼らしくもなくどもりながら一礼して部屋から出て行く。

なんなんだろうか。

「…あ。」

首を傾げて考えれば答えはすぐに出た。


私らしくないのだ。


いつもの私なら、王子の来訪と知れば何を差し置いてもお会いした。


なのに、来訪を告げられた第一声が最悪とな。

しかもこの私が逃げたいなどと言った。

この自分より低い爵位持ちの人間はゴミ屑以下と言って憚らない、どころか王家すら見下す私が、である。

よく言えば貴族としての矜持を高く持ち悪く言えば高慢な私が逃げたいだ。

彼にしてみれば震天動地の沙汰だったのだろう。

平静を保てたのはさすがかもしれない。


パタパタ…

パタパタ…

パタパタ…

「急いで!」

「あの我儘娘がまた怒鳴る!」

「わかってるわよ!」

「ずっと寝てればよかったのに!」

「ほら、部屋についたわ。息を整えて!」


また足音。

今度は複数。

そして話し声。

特に意識してなくても耳が拾う。

これはメイドの足音と会話だ。

とても急いでいるのは王子を待たせているからか、はたまた遅いと私に怒鳴られるのが怖いからか。

間違いなく後者だろう。

私はメイドが粗相をすれば場合によっては容赦なく折檻してきたから。

折檻されたくないメイドは必死だ。

ドアの前で足音が止まる。

そして彼女の息が暫く続く。

息を整えているのだろう。

そして、ノックをする。

「どうぞ」

「失礼します。お支度の手伝いに参りました。」

先程の口の悪さは微塵もなく私に一礼する3人のメイド。

「頼むわ。」

「は、はい!」

私の言葉にビクッと3人はしたがすぐに仕事に取り掛かる。

おどおどビクビクしながらもドレスルームのドアを開ける。

「どちらのお召し物をお着せしましょう。」

言われてちらっと中身を見る。

煌めくドレスの数々。

公爵令嬢である私に相応しい美しいドレスしかここにはない。

全て私が自分の目で選んだ一級品だ。

この全てが私の自慢。


…の筈だった。


今の私はこれらに全く興味を抱けない。

その事実に私は内心慌てる。

自分が自分でなくなっていく。

そう感じて。

間違いなくこの心の変化はもう一人の誰かの記憶の影響だとわかっているから。

「お、お嬢様…?」

私が黙りこくってしまい、メイドの一人がおどおどと声をかけてくる。

私の機嫌を損ねたら折檻。

どうするのが正解なのか彼女達は測りかねているのだ。

「好きにして。」

「はい?」

「貴女達が選んで。」

「しかし!」

悲鳴のような声を彼女達はあげる。

なんでそんな声を…ってあれか。

私は虫の居所の悪いと彼女達に服をあえて選ばせる。

そして、それを散々貶した挙句に折檻するのだ。

実にする。

私にとってはいい思い出だけど、彼女達にしてみれば最悪なものだろう。

だから、悲鳴をあげたのだ。

はあ…。

私はため息をついた。

彼女達に選ばせてもいいが、説得が面倒だ。

なら自分で適当に選ぼう。

私はゆっくりとベッドから降りてドレスルームに近づく。

彼女達が身を竦める。

一瞬眉を顰めるが、それすらどうでもいい。

私はドレスルームの前に来て目の前の手を伸ばせばすぐに触れる事の出来た一枚をぺいっとメイドに投げつけた。

「これ。」

「は、はい!!」

「髪飾りはいかが致しましょう?」

「アクセサリーは?」

「少しは自分で考えて…」

「も、申し訳ありません。」

「そ、それでいかが致しましょう?」

ちっともわかってない。

私は目眩を覚える。

一瞬鞭をくれてやろうかとも思ったが、そんな体力すら今は惜しい。

私はため息をついて宝石箱から適当にアクセサリーと髪飾りを選んで投げつける。

「靴は…」

「それで。」

顎で指した。

もう、彼女達とのやりとりが面倒。

元々私は自分を着飾る事が好きだった。

頭から足の先まで完璧に着飾る。

それが私だ。

故にメイドに選ばせるなど折檻が目的の時しかしなかった。

だから1から10まで彼女達は聞いてくる。

自業自得と言えなくもない。

そんな思いがよぎるが心の奥底に沈める。

こんな風に思うのももう一人の誰かのせいだ。

こんなの私ではない。

着飾る事に喜びを見出せない私は一体誰なのだろう。

そう考えこんでいる間にメイド達は黙々と作業をしていく。

時節口を開いたかと思えば口紅の色はどうするかとか髪はどのように結えばいいかとか作業に必要なことばかり。

一秒でも早く仕事を終えたいという感情と私の怒りを買いたくないという感情がひしひしと伝わる。

その感情が煩わしく苛つくが、すぐにどうでもいいと見切りをつけられるようになった。


無駄口を叩かず最速で準備した私は適当なのに綺麗だった。

自画自賛であるがそれは事実である。

黄金の髪をルビーの髪飾りで結い上げ、白のデコルテがあいたドレスには純金の首飾り。

適当だからアクセサリーの数も少ないし、ドレスもシンプル。

しかし、圧倒的な美の前にはさしたる問題にはならなかった。

美の女神ディアナの再来などと謳われる私はこの美を手に入れる為に努力を惜しまなかった。

元々着飾ること、美しくなる事が大好きではあったがランバルト殿下との婚約が決まった時からさらに熱をいれるようになった。

あの美しい王子の隣に立つのだから自分も美しくあろうと血の滲むような努力をしたのだ。

その結果に私は満足していた。

今はその美に興味が持てないが…。

「準備終わりました。」

「そう、ではスチュワートを呼んで。」

「はい。」

部屋の外で待っていたのか彼はすぐに部屋に入ってきた。

「では、ご案内致します。」

私はスチュワートの後に続いて部屋を出る。

それに追随するメイド3人。

向かう先は応接間。

殿下が私を待っている。

私は重い足を引きずるようにして歩く。

一歩、二歩、三歩。

ぐるり。

「ひっ!?」

私は急に立ち止まり後ろを振り向く。

偶々真後ろにいたメイドが顔を引きつらせこわばる。

「な、なにか粗相を…」

メイドがごにょごにょ言うが無視する。

先程感じた違和感。

私はメイドを押しのけ部屋のドアを見る。

ドアは樫の木を使った分厚く重たいものだ。

壁だって厚みがある。

…聞こえるわけがない。

足音もメイドの話し声も聞こえるわけがないのだ。

実際、今まで聞こえてなかったじゃないか。

「お、お嬢様?」

「あははは…」

私は乾いた笑い声をあげる。

笑っているが泣きそうだ。

心だけじゃない、体までもがもう一人の誰かに乗っ取られようとしている。

これを恐怖と呼ばずして何を恐れればよいのだろうか。

「お、お嬢様…?」

スチュワートが声をかけてくる。

ああ、本当に煩わしい。

なんでこのタイミングで殿下は来るのか。

考えたいことがたくさんあるのにそれが許されないのは本当に煩わしい。

私は声をかけてきたスチュワートを睨む。

完全な八つ当たりだが使用人とはそういう役目を果たしてあたりまえだ。

心を落ち着かせる為に折檻のひとつもしたいが、時間がない。

私は笑い声を止めて行くように促した。

スチュワートとメイドは気味の悪いものをみたような顔をしていたが仕方ないだろう。

そんな些細なことより、私は殿下に会ってさっさと用事を済ませてゆっくり考えたい。

そういう思いで私は応接間の扉の前に立ち…話し声が聞こえ、ノックしようとしたスチュワートを無意識で止めた。

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