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トリミング  作者: 天之屋エニシ
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 もう、どの位の時間が過ぎたかな。

 背中方向に引く力は、大きくも小さくもならず一定。でも、休みなく働いているせいか、ハンドルを握る手が痺れてきた。多分これは、コンクリート片で躓いて自転車から放り出される際に生じたものだな。だから、油断して力を緩めれば、思いっきり道路に叩きつけられるに違いない。

 幸か不幸かこの状態はそう長く続かない。経験上わかる。

 世界、自転車、自分の身体、それぞれ時間の流れ方がズレているけれど、これはじきに終わる。でもそれは、折角一時停止している自転車事故を再開するのだから、大怪我する結末を迎えることも意味している。


 あぁ、お尻が浮いてきた。そろそろ限界だ。

「セキとムが組になって沢山ひっついてる。多分これはトキだね。やっぱり、時間の流れをもてあそぶ能力だよ」

「えっ?」

 この声は?

 試しに首に力を入れてみる。ちょっとだけ動いた。

 やっぱり、朝の迷子の先輩だった。展開したゲーム・スフィアを両手でしっかり持って、何やらせわしげに操作している。

「危ないな。この状態で無造作にトキをノゾいたら、この少年吹っ飛ぶぞ」

 今度のは聞いたことのない声だ。

 もう少し首をひねる。

 左手に木刀、右手にコンビニ袋を持ったおっさんが立っていた。年齢は四十代位かな。ぼさっとした黒髪、ぼんやりした目と尖った鼻、頬はけ、口はかすかにニヤついている。着慣れすぎてよれている灰色のスーツ姿に、どこか既視感を覚えた。いかにも学校の先生然としているからかな。

「じゃあ、ムをできるだけ真ん中に集めるから、それで化物を作ってクッション代わりにするってのはどお?」

 おっさんに話しかけているようだけれど、先輩はゲーム・スフィアから片時も目を離していない。

「それは良いアイデアだ。さっそくやってみよう」

 慣れているのか? おっさんはそんな雑な対応にも平然と応えて、ボクの方をじっと見据える。

 先輩のゲーム機を操る動作が、猛烈に速くなった。

 ゲーム・スフィアは移動用のボタンやレバーが無く、ジャイロ機能で操作する。だからその姿は、まるで手掴みしたドジョウを逃すまいと慌てふためく少年のように見えた。

「それにしても、残業で寄った先にこんな場面が待っているとは予想外だったよ」

 おっさんは木刀を腋に挟み、やれやれといった感じの口調でぼやく。そうして自由になった両手は、コンビニ袋からさらに小袋を取り出した。

「わたしだって、不審少年Aがこんな時間まで学校に残っていて、なおかつ自転車に跨ったまま空間に貼り付いているなんて驚きだよ」

「不審少年Aって。先輩にだけは言われたくないです」の抗議は、声にならなかった。口は動かなかったから。

「さて、そろそろこっちの準備はできたけど。コウさんの方は?」

「僕の方もOKだ」

 小袋の中身は、チョコが掛かったオールドファッションドーナツだった。おっさんは、滑稽な格好で静止しているボクを小馬鹿にするように、そのドーナツの穴からこちらを覗き見る。

「それじゃあ、実行」

「よし来た。刮目せよ!」

 おっさんは、右手を摘むような形にして、さっきまで覗いていたドーナツの穴に指を突っ込む。何かが、引っ張りだされた。

 あの小さな穴から出てきたとは思えない大きさの、摘み出したとも思えないほど整った漆黒の球体。

「うわっ」

 出てきた物の形を認識した次の瞬間。ボクの身体は空中に引き上げられた。

 止まっていた、コンクリート片に躓いて、自転車が前輪を軸にして傾き、遠心力で身体が夜空へ引き上げられる、一連の運動が再開されたんだ。

 アニメのキャラクターが、落下の速度を少しでも遅らせようと空中で平泳ぎをする気分が、少し理解できた。妙に引き伸ばされた落下中の時間感覚。ボクは、打ちどころを良くしようと身をよじる。

 ざくっ。ビーズクッションに突っ伏したような感触。あの球体のものか? ぼんやりしていると、感触は、右側面から右半身に及び、徐々に全身を包み込んできた。

「コウさん、早く化物を拡散して」

「おっと、そうだった」

 先輩とおっさんの声が、耳栓を通したように小さくくぐもって聞こえた。包み込む感触が変わってきた。密度が、あらくなったようにザラつきだす。肌が、砂の中をゆっくり落ちていくように擦られる。

「いてっ」

 軽い衝撃。ボクの体は、球体を通過し、道路のアスファルトに到達した。

「大丈夫か少年」

「うっ、あまり大丈夫ではないかも……」

 打撲と擦過傷さっかしょうで、痛いところだらけだ。けれど、いつまでも道路に寝ているわけにもいかない。フラつくけど、頑張って起き上がり、声のした方を見た。ドーナツのおっさんと目が合う。

「命拾いしたな少年。僕のノゾいた化物に落下しなかったら、今頃君は骨折して病院行きだ」

「アイデアを出したのは、わたしだけどね」

 その言葉を機に、今度は先輩がいると思う方へ視線を移す。

 先輩はまだ、ゲーム・スフィアを操作していた。残念なような安心したような、複雑な気分だ。

「うん、セキは自然消滅した。もうトキの影響は残っていないよ」

 締めくくるように言うと、先輩はゲーム・スフィアを球体状に畳んで顔を上げた。

 瞳の奥にボクが写る。黒の世界の鏡像に、意識が吸い込まれる。

 今、世界と同じ時間の流れに帰ってきたばかりなのに。これじゃ、元の木阿弥だよ。

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