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彼氏彼女の天邪鬼  作者: 自堕落
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最悪の出会い

この世界は残酷だ。


俺が生まれた時期……バブルが崩壊し日本経済が破綻した。


高校進学時……親が知人にだまされ莫大な借金を背負い自殺。


そして、就活時……リーマンショックが起こり世界は未曾有の大混乱に陥った。


何とか就職した職場では……先輩同士の派閥争いに巻き込まれ、ことあるごとに「ゆとり世代」と言われ蔑まされた。


自ら築いた家庭で、百年の愛を誓った家内すらも……子供を置いて、他人の男と共に出ていった。









もう何も信じたくない。信じられない。

俺は,もう…………何も期待しない。









 俺の名前は藤田 裕次郎。

歳は二十八歳でバツイチの子持ち。学生結婚をしたが、お互いの感性の違いから妻とはあえなく離婚。

今は都心の四葉総合商社に勤めている。

いつもの朝。目が覚めた俺はベッドから起き上がり、重い身体を動かし洗面台へ向かう。

顔を洗い終えた後、朝食を用意するため台所に向かった。朝食は至ってシンプルで、トーストにイチゴジャム、ハムエッグとサラダをテーブルに並べる。

皿を並び終えると、子供を起こしに子供部屋へと足を運ぶ。

廊下をパタパタと響かせ、子供部屋の取っ手に手をかけ中に入りカーテンを開く。本来であれば妻の役目だが、妻がいない我が家にとってはこれが朝の流れになっていた。

 そして、静かに寝息を立てて良く眠っているのが俺の自慢の一人娘。

藤田 雫。小学校二年生だ。茶色髪の肩までかかったセミロングに、ぱっちり二重。鼻筋も通っていて唇はあひる口ときたもんだ。我娘ながら、芸能人すら顔負けの美少女である。きっと、俺に似たんだな! うん。などと考えながらも雫を起こす。

「おーい、朝だぞ。起きろー」

「……すぅ――」

返事がない。――ったく、誰に似たんだか。苦笑しつつも仕方ないのでもう一度呼び起こす。

「し、ず、く、さーん。朝ですよ――。起きないと今日の晩ご飯は、雫の嫌いなレバーにしますよー」

「んん、やだぁ――……」

言うと、雫は目を擦り布団から起き上がる。しかし、まだ眠いのか半目状態である。気持ちがわかる分まだ寝かせてやりたいのが親心というものだが……いかん。

俺は雫を男手ひとつで育てると決めたからには立派に育てねば――。当分は俺の目標だ。

「おはよ。ご飯出来ているから顔洗っておいで」

「う~ん、ねむい」

俺は雫の頭をポンポンと軽くたたき、部屋を後にする。 

しばらくすると、顔を洗い終えた雫がリビングに入ってきた。テーブルの指定位置に座ると、向かいの席に俺が座り一緒に朝食をとる。

娘との何気ない会話。意外にもここちよかった。そして俺はそれとなく学校のことも聞いてみる。

「学校の方はどうだ? 楽しいか?」

「うん。とっても……ねぇ、お父さん?」

「どうした?」

「……ううん、べつに、何でもない」

 雫は顔の表情を一瞬暗くし、すぐに笑顔に戻った。

このときの俺は……娘のその些細な表情を読みとれないでいた。きっと最近仕事が忙しく、構ってあげられないからだと安易な考えでいたのだ。

「そうだ。今度また雫がテストで100点とったら好きなものを買ってやるよ」

雫は俺の答えを聞かずして返事をした。

「ほんと!! 絶対だよ。パパと雫の約束だよ」

「ああ。雫にはいつも寂しい思いをさせているからな。約束だ」

そう言って、俺は雫の小さな小指を掛け合わせ優しく微笑んだ。だが、この約束が果たされることはなかった――。


 雫と共に自宅を出た俺は、最寄りのバス停でバスに乗ると駅へ向かう。電車に乗り変え、ギュウギュウに詰められた満員電車の中で物思いに耽っていると、ふと目線が動いた。

俺の隣にいる女性がなにやら震えている。良く見みると男性が女性のお尻を触っているのが見て取れる。……間違いなく痴漢だ!

よくある話だとは思ってはいたが、間近でその光景を見ると良い気持ちにはならないものだ。

俺は小さなため息を吐き、見て見ぬ振りをしようとも思ったが、もし雫が成長し同じ目にあったら頭がおかしくなり痴漢野郎をぶっ殺すだろう。そう思ったら動かずにはいられなかった。

すぐさま俺は痴漢している男の腕を掴み、声を荒げようとした! が、その瞬間、被害者の女性は俺の腕を掴み周囲に大声で言い放った。

「この人痴漢ですっ!」

彼女の言葉に周囲がざわめく。

だが、俺の手には本当の痴漢をした男の手を掴んでいるため、その男の手も自然と振り上がる。

俺と彼女はお互いの顔を見合って言葉を発した。

「「――えっっ!!」」


×                 ×               ×


「本当に申し訳ありませんでした!!」

痴漢と見間違われた俺に、被害者の彼女が頭を下げる。

ブラウン色のセミロングより、やや長めのカールかかった髪を揺らし、頭を下げた時のほのかに香るシャンプーのいい匂いがする。服装は見事なまでにスーツを着こなしていて、たしかに痴漢被害を受けるような見事なまでのルックスだ。

彼女の名前は谷原 美咲。

透き通るようなきめ細かい肌に、二重瞼の大きな瞳。鼻筋も通っていて、薄い桜色の唇にはグロスが塗られキラキラと輝いている。まず、間違いなく美人の部類に入るだろう。年齢は俺より二つ下で、彼女も通勤するため電車に乗っていて被害にあったようだ。

「まったく、助けたのに痴漢扱いするなんて!」

駅長室で俺の声が響く。彼女は深々と頭を下げるも、俺の怒りは収まらない。

「もし、他の人が証言してくんなきゃ冤罪になる所だった!」

実際、痴漢の冤罪になったら言い逃れは出来ない。潔くやってもいない罪を背負うしかない。映画にだってなるくらいだしホント……なんとかならないのかあれは?

「まあまあお客様。彼女もこう謝っていることですし、許してあげてはどうですか?」

俺の言葉を遮るように、駅員がもの腰柔らかく言ってきた。

「ともかく、もう少し状況を確認してから行動を起こしてくださいよ。でないと誰も助けてくれませんから」

言い終わり、俺は自分の腕時計を見た。

現在時刻は8時30分を過ぎようとしていた。げっ、時間がない。

「もう、用件は済みましたよね? 俺はこの辺で失礼します」

「ハイ。ご協力ありがとうございました」

駅員からお礼を言われ扉に手をかけようとした瞬間――俺の後ろから彼女の声が聞こえた。

「ちょっと待ちなさいよ。確かに勘違いしたのは私が悪いけど、もう少し言い方って物があるんじゃないの?」

うわっ……めんどくせ――!! でたよ女特有の過程論重視!!

プレゼンは通らなかったけどウチなりに精一杯頑張ったし、また次の機会もあるから頑張れ自分。バカか! 自分酔いにも程があんだろ。現実見ろ現実。

そう思っていると、不意に彼女の言葉に反論してしまう。

「言い方? 言い方ねぇ……なら言わせてもらいますが、貴女も被害者ですけど俺も被害者なんです。現に冤罪と分かった今、この場では貴女を名誉棄損で訴えることもできる。つまり、現状は俺が被害者で貴女は加害者です。わります?」

「それが何? 仮にそうだとしても女性にはもう少し優しくしてもいいんじゃない? 貴方の人柄やモラルを疑うわよ」

彼女はプルプル震えながらも、俺をキッと睨み反論してきた。お、おっかねー! だが、冤罪を張り付けておいてここで引くほど俺はやわじゃない。

「そういう時だけ女女言うのやめて貰えます? 男女平等が俺のモットーなもんで。あと、モラルやら人柄とか仰いましたけど、目上に対しての口の聞き方がなってない貴女が、モラルや人柄を口にするのは、ふふっ滑稽ですよ」

言い終えると、彼女の眼は涙ぐんでいて今にも俺を刺しそうな黒いオーラを放っていた。

「この最っ低野郎」

今まで聞いたことのない低い声のトーンで俺に言い返した彼女。俺もそんな彼女に睨み返す。俺たちのやりとりを見て、沈黙を続けていた駅員が見兼ねたのか割って入ってきた。

「ひ、一先ず落ち着いてください。とりあえず被害の有った女性の方は、これから警察の方が来ますので調書をとらせて頂きます。男性のお客様はもう戻られて結構ですよ。ご協力ありがとうございました」

駅員が言うと彼女は別室に移され、俺はと言うとそうですか……とだけ言い残し駅長室を後にした。

現在時刻は8時44分。ああ、これはまず間違いなく遅刻だ……。


× × ×


 駅での出来事から数十分後。俺は駅を降りすぐさま走ったが、会社に間に合うわけもなく当然遅刻した――。

そして、今に至る訳だが……はぁ、今日は朝っぱらから運がない。

「江崎課長。本当にすいませんでした!」

「まぁ、そういう事情なら仕方ないか……まったく、お前も災難だな」

「……はい、今後は気をつけます」

スッと俺は深く頭を下げる。そして、俺と対面しているこの男こそが――上司の江崎 守課長だ。

身長は俺より頭一つ分ぐらい小さく、小太りで、年齢は三十八歳でいわば日本のお父さん型と言っていい。

残念なのが髪の毛が生えているということぐらいで、幸いにして幸運なのは江崎課長の機嫌が良かったこと。きっと奥さんが珍しく優しかったのだろう。昨日うちの会社の給料日だしなナイス奥さん。

 内心そう思っていると、江崎課長はゴホンっと咳払いをし口を開いた。

「……ところで、藤田係長。明日の土曜日なんだが、悪いが私の代わりに出勤してもらう。私は夕方の新幹線で武田次長と名古屋へ向かわねばならんからな」

 げっ! 休日出勤かよ。……最悪。心の中でそう思いつつも江崎課長の一瞬だが表情が少し強張ったのが気になった。本来であればただただ命令に従うのだが――。

「わかりました。しかし、武田次長や江崎課長が出向くとは珍しいですね」

「なんだ唐突に? 私がいなくて不安か?」

「……いえ、べつにそう言うわけでは……」

「私だって今回ばかりは気が重い。だが、仕事上どうしてもと言う訳にはいかんのだよ……」

窓から外を見ながら発言する江崎課長。確か……上にトラブルがあったことは小耳に挿んではいたが、今回の出張と関係しているのだろうか? 

ただ一つ言えることは、その後ろ姿はとても疲れているように見えた。

すると、江崎課長は顎に手を当て深く考えて込んでいる。そしてふと俺の方に眼を向け言葉を発した。

「お前にもそろそろ話す時期かもしれんな。今日のスケジュールはどうなってる?」

「はい。午前中に伊藤主任から送られるA社の企画チェックと、子会社であるB社の視察。午後からは提携を結んでいるE社D社への挨拶回りをしてきます」

「……そうか。さすがその歳で係長にまでなった男だな」

「恐れ入ります! これも課長が私を引っ張ってくれたお蔭です」

「ハハハハ謙遜するな。君が頑張ったからだ」

 言うと、よしっと小声で一声掛け席を立った。ズボンポケットから携帯を取り出し誰かと連絡をとる。少し敬語口調になってはいたものの、あまり気にしない素振りをみせた。少しすると携帯をしまい俺に言った。

「少しついて来てくれ、重要な話がある」

行先は告げられていないが、言われるがままついて行く。営業課のオフィスを抜けエレベーターに乗り一つ上の階を目指す。上の階へ向かうということは、きっと部長クラスかそれ以上の人達との対面なのだろう……。と、するならばよほど重要な話だ。しかし、係長に過ぎない俺に上のクラスが話すことなんてあるのか? 嫌な予感がする……。そうこう考えているうちにエレベーターは上の階に到着した。

 エレベーターを降り、廊下を抜けると木目の立派な一つの扉が見えてくる。その扉に江崎課長がコンコンっとノックをした。

 「お疲れ様です。江崎です。入ってよろしいでしょうか?」

「……入りなさい」

「失礼します」

 江崎課長と入ったと同時――。俺の目に移りこんだ光景は異様だった。右手前の椅子には笹原課長、反対の席が空席、左奥に武田次長、左奥に山本部長。そして、この場での重役たちのトップに君臨するのが中央に座る滝本常務――。

 オイオイ! マジかよ? こんなの圧迫面接以来じゃないか……勘弁してくれ。俺はごくりと喉を鳴らし強張った表情になっていると、江崎課長は重役達に会釈し自分の席へと座る。と、同時に座席がすべて埋まり回りは異様な空気を醸し出した。

当然だ――。うちみたいな上場企業で活躍し、尚、中堅やそれ以上の人物ならK大やT大などの高学歴で狡猾じゃないとエリート連中の中を勝ち抜きその座に着けない。そんな化け物じみた連中がこうして介しているのだから常務や部長以外からすると、油断ならないのだろう。

 そう考えていると、江崎課長が目で挨拶しろと合図をしてきた。

「お久しぶりでございます。こうして上司の方々と接点を頂戴し光栄に思います。滝本常務や山本部長に措かれましては、初見になりますので改めてご挨拶申し上げます。第一営業課で係長を務めさて頂いております藤田です。以後、お見知りおき頂ければ幸いです」

 言い終え深々と頭を下げると、一番初めに開口したのが滝本常務だった。

「……完璧な挨拶じゃないか。江崎君も良い部下を持ったな」

「光栄にございます。藤田は私が面倒を見てきただけの成果はございました」

次いで、笹原課長が言う。

「身内贔屓ですかな? いやはや、それにしても江崎課長が羨ましい。私もうかうかとしていられませんな」

 笹原課長の答えに今度は江崎課長が返す。

 「何を仰っているのです? そちらには内藤と坂本がいるではありませんか?」

 「いやぁ、そちらの藤田係長に比べたらうちの二人はまだまだですよ。ま、最も今後楽しみではございますが……」

 笹原課長がほくそ笑んでいると、次に言葉を発したのは武田次長だった。

 「……ともかくとして藤田君! 最近君が頑張っていることは、ここにいる私達……皆、誰もが良く知っている。そこで提案があるのだが――どうだろうか?」

ついに本題に入ったか! しかし、上役っつーのはどうしてこう前置きが長いんだよ。 改めて見てみると幹部連中が武田次長の言葉で表情が険しくなった。こっからは慎重に進めてかないと面倒なことになる。俺は頭の中で言葉を選び冷静に対処する。

 「提案でございますか? それはどのような内容でしょうか?」

 「いやなに、お見合いでもどうかと思ってね? 君は奥さんと別れてから色々と大変だろう? 子供だっている。ここらでもう一度身を固めるのも君の為だと思ってね」

 ――お見合い? 冗談じゃない。雫はまだ小学二年生の低学年だぞ! この大事な時にお見合いなんて出来るわけねーだろ! 女はもうこりごりだし、雫と俺は幸せだ。――妻と別れたあの日から、俺は雫を男手一つで立派に育てると決めたんだ。だからこそ、仕事を頑張った。雫に貧しい思いをさせないように、他家にだしても恥ずかしくないように……それなのに上役は軽く言ってくれる。

それに、何故今更お見合い話なんて出る? 俺みたいな×がついてる奴より、笹原課長が言っていた将来的に幹部候補で、独身の坂本や内藤達がいるじゃないか? このお見合い話は何かが可笑しい――。

「……とてもありがたいお話では御座いますが、私には小学二年生の娘がおりますので、返答は致しかねます。×がついております私よりも、笹原課長の部下の坂本や内藤の方が今回は適任だと思いますが?」

「そうかも知れないが、私は君に言っている。君はまだ若い。今はそれでいいかもしれないが、数年後、数十年後と時がたった頃に君は今の一人娘に世話をかけていいのか?」

 武田次長は優しく諭しながら言うが余計なお節介だ!

 もし、仮にそのような結果となってもそれは俺の人生で、雫に迷惑がかかるなら一人で老人ホームに入れば済む話。他人にとやかく言われる筋合いはない。

 「武田次長がそこまで私のことを思ってくださるのは非常に光栄です。しかし、なにぶん先のことですので私にはわかりません。ですが、仮に武田次長の仰る通りになったとしても、それは私の運命でございます」

「しかしだな――」

「――その変でいいだろう武田君。彼はかなり賢い……返答を見る限り察しはつく」

 武田次長が言いかけたのを山本部長が遮る。やはり真意は別にあったか、本題に入る素振りを見せ真意は別で隠す。本当……つくづく嫌になる! 俺は山本部長の方を見る。

すると、山本部長は滝本常務に目で合図を出し、滝本常務もそのサインに頷く。そしてゆっくりと口を開いた。

「すまないね藤田君。君を騙すような真似をしてしまって、じつは先週……佐藤社長が中国南京支社からベトナムに向かう途中に亡くなられた」

 ――社長が亡くなった!! 入社式でしか覚えてはいなかったが……確かに年齢を考えれば自然だ。だが何故それを俺なんかに? 佐藤社長が亡くられた件と俺とのお見合い……ダメだ。良く考えても話が見えない。

「申し訳ありません。突然のお話にどう反応していいか――」

「なに気にすることはない。本来であれば係長程度の人間とは直接関係ない話だからな。……だが君だけは違う。それが今回君を呼んだ最大の理由だ」

 そう発言する山本部長を前に、俺はまじまじと見る。

「はっきり言おう。今回の件で前代未聞のお家騒動が起きた。つまり、内部が三つに割れたと言うことだ」

 ――なるほど、これが最近噂になっていた元か……あながちデマではなかったようだ。

 尚、山本部長が続ける。

「佐藤社長のご子息ご息女は三人。長男の佐藤 雄介は、これを機に攻勢に転じ、海外市場を増やそうとする過激派。

次男の佐藤 駿は、最近売上が低迷しているのを良いことに、内部改革を無理やり行い組織を縮小しようとするもう一つの過激派。

最後は長女。佐藤 美穂には我々が与している。今は亡き佐藤社長の路線を受け継ぐ穏健派だ」

山本部長は深いため息を吐き目をぎゅっと瞑る。そして、一息ついてから言葉をつづけた。

「長男に新井副社長が、次男には渡辺専務が――そして、長女にはここに居る滝本常務が就いた。佐藤社長の遺言は今のところないが、持ち株は長男が三十一%、次男が二十六%、長女が十四%で状況は最悪だ」

この場にいる誰もが顔を俯かせる。……仕方ない。長男とは倍以上の株差が切り開いている。とてもじゃないが、勝つ見込みがほとんどない。

 突きつけられた現実に頭を捻っていると、さらに絶望的な言葉を山本部長が口にした。

「周知のとおり長男は中国支部を任されており、既に投資家たちを味方につけたようだ。次男も同じくドイツで、長女側についた我々も動きださねばならん。――この意味がわかるかね?」

真摯な眼差しで山本部長は俺に問う。伊達に俺も中間管理職を経験してないわけじゃない。だから山本部長の言わんとしていることぐらいは理解できる。

「はい。故に佐藤社長の死を内外に秘め、ある程度の体裁が整った形で世間に公表しようというわけですね。と、なれば次の株主総会までに外部の味方をつけねばなりません。だからこそ武田次長や江崎課長の出張が増えていると考えられます」

「……見事だ」

俺の問いに山本部長が少し安堵する表情を見せる。今回のお家騒動で相当疲れているようだ。恐らく、先ほど江崎課長が疲れて見てとれたのはそのせいだろう。この場に座る人達皆が疲れている。そう思いながら目線を移すと滝本常務が口を開く。

「故に――今回のお見合いが胆になってくる。勝手で悪いが君の写真を先方に見せたところ、そのお嬢さんが君の事をえらく気に入ったみたいでな。ここに先方のお見合い写真が三枚ある。君も見てみるといい」

そう言うと江崎課長伝でお見合い写真を手渡された。

「……失礼します」

 気が乗らないまま一つ目のアルバム写真を見る。一人目の女性は加藤 梨沙。年齢は二十六歳と俺より二歳離れていて、玩具のことなら加藤へカモーンのCMでお馴染みの加藤玩具メーカーのお嬢様。スタイルも良く、趣味は乗馬と絵に描いたようなお嬢様っぷりだ。……けど、顔思いっきり整形してねーか? 鼻筋とか目とかで大まかに分かっちまう。こうゆう類の女は、自分の美容に金を懸けるし、人口美人でもモテるためすぐ浮気とかするタイプだ。とてもじゃないが1枚目は無理だパスしよう……。

次は村瀬製菓のご令嬢だったか? と、思いつつ俺は1つ目のアルバムを閉じ、二つ目のアルバムを見る。

 ――これは、流石に……。少し引きながら写真を見る。その写真に写りこんでいたのはふっくら? とした女性。

 いや、人は見かけで判断するなとはいうが……そのセリフはちょっと待って欲しい! 何故かというと、アメリカでは体系管理が出来ていない人は面接で落とす企業がある。体系管理がまともに出来ない人に仕事管理が出来る筈がないとのこと! よって、今回もパスしよう。

 今のところ食指が動かされるものが全然ない。俺自身があまり乗り気じゃないのも関係しているが……。そう思い最後のアルバムを見る。

 お、なかなか悪くない! セミロングの髪に、二重瞼の大きなたれ目。そして、モデル並みのスレンダーな体系だ。だが、それよりも目を引いたのが、彼女があの大手老舗百貨店、伊藤商事の孫だということだ。うちの会社も確かにデカいが伊藤商事ほどではない。常務クラスともなると太いパイプを持ってらっしゃる。と、感心しているとふと、俺の頭に電流が走る。……なるほど、そういうことか! これですべて察しがつく。

 これが俗にいう政略結婚ってヤツだ! どおりで変に違和感を覚えたわけか。 だが、待てよ! と、言うことは俺の意思関係なく半ば強制的にお見合いをしなくちゃならないのか? ……そんなの嫌だ! なんとか上手く切り抜けられる方法はないのか……? しかし、ここでこの話を断れば、融資は受けられることもなく、俺のクビも簡単に飛ぶ! 考えろ! 考えろ!考えろ! 考えろ! 考えるんだ俺っ! 

「顔色が悪いがどうした? ……まさか、この話を聞いて断るつもりではないよな?」

「いえ、あまりの光栄なことにきっと身震いしているのでしょう? なんせ彼は若いですから。ハハハハハ……」

 俺への戸惑いに不快感を覚え威圧してくる山本部長。それを必死で庇う江崎課長。この重苦しい空気を変え、且つ、相手の主導権を握らせない方法は一つしかない! こうなれば掛けだ! 会社を成功へと導く英雄か、会社を潰す反逆者か……。王侯将相いずくんぞ種あらんや! 

 「……はい。江崎課長の言葉どおり光栄のあまり身震いしておりました。このお見合い話は喜んでお請いたします」

 言うと、この場にいる全員が安堵の表情を見せた。だけど、ここで終わらせるわけにはいかない! 

「それと、一つお聞きしたいのですがこのお見合い話が上手くまとまりましたら私は出世できますか?」

 問いに、山本部長が嬉々として返答する。

「もちろんだ! 君だけじゃなくここにいる志を共にした皆が昇進する。特に功績の多い君には次長クラスの席を与えるつもりだ。……成功すればの話だが、他に何か望みでもあるのか? 遠慮なくいいなさい」

 「では、この私を常務にしてください!」

 俺の返答を前にこの場にいる皆が一瞬言葉を失う。当然だ。一介の中間管理職がいきなり役員にしろっつーんだから、驚くのも無理はない。これぐらいして貰わないと割にあわないんだよ! 

 目線を動かし辺りを見る。一番早く反応したのが武田次長だった。

「おい藤田! 貴様言うに事欠いて自分が何を言っているのかわかってんか?」

 次いで笹原課長が怒鳴る。

「江崎! お前がしっかり教育しないからこんなことになってんだぞ!」

 その次は、江崎課長が静かに怒る。

「藤田お前……場と状況を少しは考えてから発言しろ! それぐらいわからんお前でもないだろう!」

 そして、山本部長が皮肉を搗く。

「ハハ――。藤田君も面白いことを言う! 私がこの椅子に座るのにどれだけ苦労したか……」

 そんな中、静観していた滝本常務が口を開く。

「落ち着きなさい! きっと彼にも考えがあるのだろう? 話してみなさい」

 沈黙の空気の中、皆の視線が一点に集まる。ここでの答えが俺のこれからの人生を左右する。だからと言って、気押されてたまるか!

「今回の件で重要なのは、お見合いを必ず成功させることです! 一つ間違えれば私だけでなく、ここにいる全員が辞職しなければなりません。しかし、一介のサラリーマンが生まれながらのお嬢様を満足させる地位、権力、名誉、その全てが劣っています。今の年収が六百万しかない中でどうやって彼女を満足させられるでしょうか? 彼女との交際費については全面的なバックアップをお願いします。

 それと、私の常務志願についてお話し致します。今回の件で相手はかなりの見返りを求めてくると思われます。株の保有数はもちろん、その他のことについても、相手側が要求するのは想像に難くありません。ですが、親族ならば話は別です。親族が役員の一翼を担えば相手をけん制しつつ、同盟をさらに強化できます。地位や名誉で相手を判断するのは愚かなことですが、昨今の若い女性に綺麗事は通じません。結婚を視野に据えるなら尚更です。――以上の理由から、私が常務に就くのが妥当かと思われます」

 一瞬だがその場の空気が静まり返る――。その後、上司たちがお互いに言葉を掛け合っていた。

「たしかに……」

「藤田係長の言うことにも一理ある」

「今や我々の面目をどうのこうの言ってられませんからな――」

 流れが変わり場の空気が一変する。古来より、何かをやり遂げた者はきっとこのように流れを自分に惹きつけた者だけが成功者としての名を連ねる。今回の俺の言い分は完璧に的を得ている。疑い用はないはず……。

 そう思っていると滝本常務が口を開いた。

「……いいだろう。君の言い分は正しい。だが、失敗したときの覚悟は出来ているね?」

 鋭い目つきで俺を見る滝本常務に俺は堂々とした態度で挑む。

「はい。当然できております」

「――なら、くれぐれもミスを犯さずやってみるといい。成功したら約束どおりこの席を君に譲ろう。私が保証する」

「ありがとうございます。ご期待に沿えるよう最善を尽くします。では、仕事がまだ残っておりますので、名残惜しくはありますが失礼いたします」

 挨拶を述べ、廊下を歩きエレベーターに乗る。見事なまでに頭が空っぽだ……。高揚感やプレッシャーのせいでもあるだろうが、人間は何かしらの極限状態まで陥ると途端、脱力感に襲われる。……どんな仕事でも、仕事は疲れる――。

「……藤田君。君はどうやらとんでもない傑物を生み出してしまったな」

「いえ、この度はウチの藤田が大変失礼いたしました!」

「いや、いい。頭を上げなさい。フッ……彼を見ていると青かった自分たちを思いだしたよ。……佐藤社長」


× × ×


  お昼を知らせるチャイムが鳴り各々と昼休みをとり始める。俺はというと午前中に視察したD社の報告書をまとめている。朝、無駄に時間を上司にとられたため、休憩時間をずらしているのだ。だが、ハッキリ言おう! 休憩時間を貰えるのはまだいい方で、入りたての新人君は休憩時間などを切り詰めて仕事を進めねばならない。仕事に慣れれば自分のペースが理解できるのでちゃんと一時間は貰えるが、慣れないとその半分ぐらいしか休憩がとれない。……かくいう俺自身もそうだった。

「立花さんちょっといいかな?」

「あ、はいっ」

 お昼時になると、俺は部下の立花さんを呼びつける。彼女の名前は立花優子。一昨年入社し、今では立派に仕事をこなしている。彼女のいい所は、プライベートよりも仕事を優先する今時にしては珍しい娘だ。

 彼女は返事をすると、艶やかな黒髪を揺らし甘い香水を漂わせ俺の前にトコトコと可愛らしく来る。俺は自分の内ポケットから三千円を取り出し彼女に渡す。

「これでいつものヤツを買ってきてくれないか? もちろんお釣りは君の好きなデザートを買ってくるといい」

「いつものやつですね。了解しました! あと、毎度ありがとうございます」

 言うと、彼女は上機嫌で近くのコンビニへ向かう。このいつものと言うのは、月に数回ほど休憩もままならない新入社員にお弁当とコーヒーをご馳走しているのだ。お蔭で受け取った新入社員は喜んで仕事に精を出してくれている。これぞ一石二鳥だ。

 そして彼女のお昼はいつもコンビニへ向かうため物の次いでと言う訳だ。

「――よし。大体こんなもんでいいだろう。伊藤主任」

「――はい!」

 勢いよく返事したのは、俺の部下である伊藤 裕也。年齢は俺より三十二歳で俺の五歳年上だ。彼は所謂中途採用組だが、抜群の成績を収めていたので俺が上がるのと同時に彼を推薦した。今では俺の右腕として頼もしい存在だ。ちなみに、チャームポイントはメガネだとか! 

「俺はこの後、休憩を取りがてらそのまま外回りに行ってくる。江崎課長は武田次長と夕方から名古屋へ出張に行く予定だ。もし用事があるなら連絡入れて欲しい」

「了解しました。いってらっしゃいませ」

 彼にそう告げると、俺はビジネス鞄を片手にオフィスを抜けていく。今日は朝から格段に疲れたこともあり、お昼ご飯は少しリッチにしようと決めていた。

 野菜をふんだんに使ったフレンチにしよう。女子力高いと思われるかもしれないが男もたまには食べたい時もある。そう思いながらエレベーターに乗り1階の出入り口へ向かう。

 すると、受付で何かしらごねている人を見かけた。

「ちょっと! なんで会えないんですか? お願いします伊藤さんに合わせてください!」

「申し訳ございません。伊藤からは先約のない方はお断りするようにと指示を仰せつかっておりますので、どうぞお引き取りください」

「そこを何とか……お願いします!」

  見ると、若い女性が受付嬢に伊藤と会わせてくれるように懇願していた。伊藤? 伊藤とはウチの部署の伊藤のことか? 俺は確かめるべく受付へ向かった。しかし、どこかで会ったような記憶が……。

「お疲れ様。何か揉めているように見えるけどどうしたの?」

「あ、お疲れ様です藤田係長。実は、先ほどかこちらの方が伊藤主任に合わせるように求めておいででして……」

「げっ! 今朝の屁理屈野郎! 何でアナタがここにいるのよ?」

 ――っ!! まさに青天の霹靂! どおりで見たことあると思っていたら通勤途中に出くわした冤罪女! コイツ人の職場に押しかけておいて第一声がそれかよ……。

「ええ、ここは私の職場ですので。――失礼ですがお客様、伊藤は多忙を極めておりますので日を改めてはいかがですか? そもそもアポ無しでくるのは少々……いや、かなり失礼だと思いますが? こちらも予定がございますので」

「アナタに関係ないじゃない。それと、アナタ伊藤さんを知っているの? 多分、アナタの上司にあたる方よ。お願い! 伊藤さんに会わせて貰えるよう取り計らって頂戴」

この女……謝るどころか反論した上に人に頼みごとまで押しつけてくるなんて! どこまで図々しい女なんだっ! しかもこの俺を伊藤の部下だと思っていやがる。ハッ、厚顔無恥とは良く言ったものだ! 

「先ほども申し上げたとおりウチの伊藤は多忙を極めておいでですので……それと、ウチの会社を良くご存じないようですからお教えしますが、伊藤は私の部下です。そこのところお忘れなく」

聞くと彼女は顔がみるみる真っ青になっていった。

「……うそ、うそよ、そんな……信じられない……」

「では、私は仕事がありますのでこれで失礼――」

 言いかけると彼女に後ろから突然服を引っ張られた。俺はうおっと声をだしバランスを崩したが何とか耐え抜いた。この女マジでウゼーッ!

「……なら、お願い! 少しだけ、少しだけ時間を頂戴! 私の話を聞いて欲しいの!」

「はぁ……お喋りしたいなら他所でやれ! 会社に私情を持ち込むな! あと、さっきも言ったが伊藤はいま――」

「違う! 伊藤さんじゃなくていい! アナタが良い……どうかお願いします!」

「……無理だ。俺にも先約がある。悪いが君に割く時間はない」

 断ると彼女はグイッと近づきボソボソと耳打ちしてきた。その内容とは、もし時間を割いてくれいないなら今朝のことを会社に広めるというのだ! 最悪だ! とうとう脅しに掛かってきやがった! 普段の俺なら脅しなど絶対屈しないのだが、滝本常務達と約束した手前、ここで問題を起こす訳にも行かず、それに受付前でもあるためさっきから周囲に見られている。ぐぬぬ……殴りたい。

「ちっ、わかった! なら今日の十九時にもう一度会社に来い。話ぐらいは聞いてやるから今朝の件はもう二度と持ち出すなよ」

「もちろんです。ありがとうございます。」

 彼女は満面の笑みを見せ背を向けた俺に何度もお辞儀をする。が、全く嬉しくない!

 ――でも、疑問は残る……なぜ彼女はああまでして伊藤に会いたがっていたのか? 彼女の同行を知る限りだとプライドが高く自尊心も強い。 本来なら絶対こんな真似はしないだろう。

 彼女の名札を見たときは、確かに伊藤が管轄しているウチの下請け会社だ……。俺は右ポケットから携帯を取り出し伊藤に連絡する。

「あ、もしもし、藤田ですけど伊藤主任にお電話代わって貰えますか?」

俺は通話をしながら会社を後にする。もうすぐ、秋が近いため、乾燥した風が体に沁みる。電話を待っている間、受話器からいつもの待ちメロが流れる。

「あ、伊藤主任? いきなりで申し訳ないんだが、ちょっと伊藤主任が管轄している下請け会社で調べて欲しい会社があるんだけど? 多分、会社名は……」

 伊藤主任に要件を伝えて電話を切る。 だが、伊藤主任から面白いことを聞いた。――なるほど、そういうことか! 

 挨拶回りを終えた俺は、会社に戻り書類整理をしていた。ふと、時計に目をやると十九時に回ろうとしていた。俺は携帯を取り出し愛しの愛娘に電話をする。

「あ、もしもし、雫。……ごめんな、お父さん少し仕事が長引きそうなんだ。 今度また早く帰れるように頑張るから――」

「お父さんの嘘つき! ばかっ! きらいッ!!」

 電話に出るや否や怒った雫に電話を切られてしまった。ああああああああああっ!!! 娘に嫌われてしまった……。それもこれも全部あの女のせいだ  はぁ、帰りに雫の大好きなハーゲンダッツでも買って帰るか。

 落ち込んではいるものの、約束の時間が迫っているためうかうかしてられず帰り支度を始める。

「じゃあ、伊藤主任後を任した。お疲れ様」

「「「お疲れ様です」」」

 伊藤主任を始め、まだ残る社員たちに挨拶を告げ、帰宅の途につく。タイムカードを切り、オフィスを抜けエレベーターに乗る。いつもなら仕事が終わったこの時間が一番テンション上がるのだが……彼女と待ち合わせしているためテンションは上がらなかった。

 ICカードをかざし、警備員に挨拶を終え、ゲートを抜けたところで彼女が待っている姿を捉えた。彼女もこっちに気付いたようで軽く会釈をする。

「お、お疲れ様です。藤田係長……」

なんという手のひら返しだ。これだから女は信用できない! 彼女のオドオドした態度に、微笑を浮かべつつ言葉をかける。

「……お前、今更遅せぇよ! とりあえず、ここだと会社の人の目もある。近くに店を予約してあるからそこで話を聞く」

 彼女ははいと小さく返事をし、黙って俺の後をついてくる。予約してあるお店は俗にいうお洒落居酒屋だ。少しばかり値は張るが落ち着いて話すぶんには持ってこいの場所だろう。

「……着いたぞ! ここでなら落ち着いて話せるだろう? ただ、カップルが多いが変な勘違いするなよ?」

「――なっ、仕事で来ているのでそんな勘違いしませんっ! ありがとうございます!」

 動揺するかお礼言うのかどっちかに絞れよ……やっぱ、この女はやりづれーな! 席に案内された俺たちはメニューを見てとりあえずドリンクとつまみを頼む。しばらくすると、生中とカシスオレンジが運び込まれてきた。つーか、取引先の親会社である元担当の上司の前で酒を頼むなんて……俺なら絶対しないけどな。だが、変に気を使われるよりいいか? などと考えていたら彼女はカクテルを一気に飲み干し、口を開いた。

「……今朝は大変失礼致しました。私の勝手な言い分で藤田係長にご迷惑をおかけしました」

 彼女はそう言うと深々と頭を下げる。 やっと謝ったか……本当は許したくないが個室とはいえ女に頭を下げさせるのはあまり気が進まない。

「本来なら許したくないが、いつまでも根に持っていたくないから許してやる。それで、話というのは?」

 すると、彼女は姿勢をただし涙ながらに懇願する。

 「お願いします! わが社との契約を打ち切らないで下さい。御社との契約が切れたらウチの会社が潰れてしまいます! ですから、どうか!」

「……無理だ。お宅の会社が月に何件不良を出したと思っている? 月に三件だぞ! こっちがいくら改善令を出しても一向に良くなってないじゃないか?」

 俺が言うと彼女は頭を上げ、俺から視線をずらした。

「それは……少し事情がありまして……」

「その件については、伊藤からは話は聞いてる。お宅の桑山部長が会社の金を横領し、設備投資もせず劣悪な環境で従業員を酷使したのが原因なんだろ? だが、そのおかげで多少ではあるがウチに損害を与えたのは事実だ! 恨むならそんな奴を部長にした自分の会社を恨め」

「……ですから、桑山は首になりましたし人事の方も大分変更致しました。だから、どうかもう一度チャンスをください」

「……だめだ」

「どうしてですか? 貴社とわが社の社長はかなり前から親しかったハズです! ウチの社長が何度も貴社に伺っているのに、どうして門前払いなのですか?」

 あぁ、そうか……彼女の会社はウチの社長が亡くなったのを知らないのか。……伝えてあげたいのは山々だが、まだこの事を外に漏らすわけにはいかない。

「親交があるからこそ、ISOも習得していないお宅の会社に仕事を流していた。そもそも何故、谷原さんがそこまで必死になるのかがわからない? 入ってまだ間もないだろうし、まだ若いから転職だって十分考えられる。……それとも、俺を抱き込んで出世したいとかか?」

 今の発言を聞いて彼女は目に涙を貯めて反論した。

「……出世したい? ふざけんなっ! 私は今の仕事にポリシー持って取り組んでます! アナタから見たらただのどこにでもある下請け会社ですけど、私達からしたら凄くアットホームで、ここまで私を育ててくれた恩のある会社なんです。 だから、今回は人選に失敗したけど、でも、私が何としてでも守りたい場所なんです」

 暗く俯き、涙を流しながら懸命に訴える彼女。彼女の言わんとしていることも分からなくもない。美しい愛社精神だ。だが、これはあくまで仕事でありビジネスなんだ! 情けどうのこうの言ってられない! 信頼関係は築くのが難しいが、一回でもその関係を崩すと容易に修復できる訳がない。特に仕事関係なら尚更だ!

「そんな綺麗ごとが本当に通じると思っているのか? 今回の件はどうあがこうが無理だ! 諦めろ」

「――もう、いいです。勝ち組のアナタには一生理解出来ないんでしょうね。だから、弱者の痛みもわからないんでしょう? もう、アナタには頼りません……お時間いただきありがとうございました」

 そう告げると彼女はお金を置き、小さなカバンを持って席を後にした。

くそっ……一体なんだってんだ! 勝ち組? それこそふざけんな! 俺の就活時はリーマンショックの影響で、どんなにいい大学を卒業しても簡単に就職なんてできなかった。履歴書を大量に買って、企業説明会に何十回と受けてやっとの思いでこの職場に入社したんだ! その途中、自分が世間や社会から必要とされてないんじゃないかと自暴自棄に陥ることも多々あった。

現に、就職してもいじめやいびりが蔓延る中、何とか耐えて勝ち抜きやっとの思いで中間管理職の椅子に座れたんだ。それを簡単に勝ち組という一つの括りに纏めるんじゃねーよ! こっちにも立場や責任がある。勝手な判断で会社に迷惑をかけるわけにはいかない! だというのに……なんでこんなにモヤモヤするんだ!

「すいませーん! ハイボールロックで下さい!」

変にむしゃくしゃした俺はその日、浴びるほどお酒を飲んだ。

 次の日の朝、気が付くと俺は自宅のベッドにいた。うっ! 頭が痛い! 昨日さんざん酒を飲んだせいだろう。とりあえず、顔を洗いに起き上がる。するとキッチンからいい匂いがする。――誰だろう? お袋でも来ているのか? 不思議に思いキッチンへと向かうと俺は信じられない光景を目の当たりにする。

「なんで……お前がいるんだよ?」

「あら、おはようございます藤田係長。昨夜は随分とお酒を飲まれていたようで、ゆっくり眠れましたか?」

そう、朝起きるとそこには谷原美咲がいた。彼女は髪をポニーテールにし、俺の愛用するくまさんエプロンを着け朝食を作っていた。

 彼女は、堂々とした態度で返答してきた。

「――理由なら、そこにいる雫ちゃんに聞けばいいじゃない? 雫ちゃんおはよう」

 俺が茫然としていると、目を擦りながら起きてきた雫が教えてくれた。

「おはようございます……美咲お姉ちゃん。お父さん昨日の夜すごく酔っていて、美咲お姉ちゃんがおぶってくれたんだよ!」

 そうだったのか! 確かに夕べは久しぶりに記憶が飛ぶほど飲んではいたが、まさかよりにもよって彼女に助けられるとは……不覚だった。

 何が目的だ? 昨夜の件か? しかし彼女は昨日怒って先に帰ったはずじゃぁ……、どちらにしろ彼女に借りを作ってしまった。ダメだ、まだ頭が痛くて深く考えられない。

 俺がげんなりしているも雫は言葉を続ける。

「お父さん人に迷惑かけたら駄目っていつも雫に言うけど、お父さんも他の人に迷惑かけたんだから美咲お姉ちゃんに謝って!」

 ぐっ……わが娘ながら正論過ぎて反応できない。しかしここで雫にちゃんとしないと教育上よくない気が……。

「――昨夜はご迷惑をかけて、大変申し訳ありませんでした」

すると、彼女はクスクスと笑い微笑んでいた。

「どういたしまして。ふふっ、これから面白くなりそうですね? ふ、じ、た、か、か、り、ちょ、う」

「……最悪だ」

 ――こうして、俺達それぞれの捻くれた恋愛事情が始まっていく。



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