ロクデナシ
「なんでこんなに歩かなくちゃいけないのよ!」
ミキの声が山道に響き渡る。
「しょうがないだろ? だって電車もバスもないんだ。しかも俺たち中で誰も車なんて運転できないし」
半年ぐらい前から交通機関などは止まってしまっている。都会の方は最近まで動いていたようだが、いまでは日本のどこを見ても電車やバスなどの乗り物を見ることができなくなっている。
「そうだよ、わがまま言わないの、ミキはいっつもそうなんだから」
「でももう疲れたわ! 休みましょうよ」
「さっき休んだばかりじゃん、ミキはいっつも威勢がいいのは最初だけだよね」
「もっとなんかなかったの? なんかすぐに行ける移動手段とか」
「お前が自転車に乗れないっていうから歩きになったんだろう?」
そう最初は自転車で行く予定だったのだが、ミキが自転車には乗れないと言いだし、結局その案は却下さ
れた。おかげで俺とリョウは重たいキャンプ道具を二人で持たなくてはいけない羽目になった。
「うぐ、だっておかしいじゃない? あんな車輪が二つついてるだけの乗り物がなんであんなまっすぐ走れるのよ!」
「いや僕にキレられても、そんなもん走るんだからそこは認めようよ」
「そうだよーミキはいっつも文句ばかりなんだから」
「もうユキまでこいつらの味方をするの? そっちがその気なら私にだって考えがあるわよ?」
「どうせくだらないことだろ? ミキの考えは基本アホだからな」
「誰がアホよ! いいわ目に物を見せてやるわ、覚えてなさい」
ミキは拗ねてしまったのかどんどんと先へと行ってしまった。
「あれは確実に何も考えないであの発言をしたね」
「ああそうだな、たぶんあと十分もすれば何もなかったかのように話しかけてくるぜ」
「そうだねぇ、ミキはいっつもこのパターンだから」
昔から変わっていない、そういえば聞こえはいいかもしれないが要するに七歳のころから成長していないのだ。
「でもたしかに少し疲労は溜まってきてるな」
教会を出発して十日、歩き続けているのでもうリョウの住所の県まで来ている。近くの交番で聞いたところその住所まではあと二~三日で着くらしい。
「まぁね、疲れてないっていえば嘘になるね。でも楽しいからいいや」
「そうだね、楽しいね」
久しぶりのこの感覚、ああ楽しいってこういう事なんだ。俺が求めていたのはこういう事なのかもしれないな。
「なに話してるのよ? さっさと行くわよ!」
はるか前方にいるミキの声が聞こえる。
「ほらもう忘れてるぜ」
「だな、ほんとミキは扱いやすいとうか、単純というか」
俺たちは重いキャンプ道具を担ぎ直し、速足でミキの後を追う。みんな疲れてはいたけどその顔には笑顔が浮かんでいた。
「おかしいなここらあたりのはずなんだが」
山を越えて四日が経った。もう紙にかかれている住所の付近まで来ているはずなんだが、一向にそれらしい建物は見えない。
「住所を間違えたか? でもここら辺であってるよな」
あたりに立っている標識や地図を確認するが住所はたしかに今俺たちが居るあたりを指している。
さすがに俺はリョウを誘った日のことを思い出す。もし何もなかったら? もう二週間ほどを移動に費やしている。このまま何もないというなら俺たちはこの大事な一か月という時間を無駄に過ごしてしまうことになる。
「この住所に意味はなかったのか?」
ふと思ったことが口に出てしまった。こんなことをつぶやいたって何の意味もないのに。
「大丈夫だよたっくん。この住所にはちゃんと大事なものが待ってるから」
ユキはとても優しい声でそんなことを言った。
「え?」
俺はミキの意外な言葉に聞き返してしまった。
「ううんなんでもない」
「おう、そうか」
俺はそんな言葉で自分の感情を誤魔化す。でも何でもないならなんでお前はそんなに悲しそうな顔をしているんだ? そんな疑問が俺の頭から離れなかった。
「さすがにこんだけ探して何もないと本当にこの住所に意味があるのか不安になってくるね」
「本当ね、タクミこの住所で本当にあってるの? この住所に何もありませんでしたーなんてことになったら私許さないからね」
「まぁもうちょっと探してみよう、きっと見つかるはずだから」
俺は自分にも言い聞かせるようにそんな言葉を言った。
「ねぇみんなーここになんか裏道見たいのがあるよ?」
ユキが廃屋の横に小さな道を見つける。その道は建物の陰になっていてまだ夕方だというのに暗く、淀んでいた。
「ナイスだユキ! 褒めてつかわそう」
「えっへん私こういうの得意なんだ」
何が得意なのか全くわからないが、ここはユキのおかげで道を見つけることができたのであえて何も言わないことにした。
俺たちは暗く狭い道をひたすら進み続ける。一分も歩いただろうか、さっきまで通っていた道とは裏腹に広く、夕日で明るく照らされているひらけた場所に出た。そしてそんな場所に世界から切り離されてしまったかのようにひっそりと佇むボロイアパートが一棟建っていた。
俺はアパートにかかれている住所と紙の住所を見比べ間違っていないことを確認した。
「ここで合ってるよな、でもここがリョウにどう関係があるんだ?」
一見ボロイことを除けばただのアパートに見える。こんな普通のアパートに何があるというんだろう?
「ねぇ郵便受けのところ見てみてよ」
ユキの言葉に反応しみんなの視線が一斉に郵便受けへと注がれる。
「にし……わき?」
かすれていて読みにくくなっているがそこにはたしかに西脇という文字が書かれていた。
「なんで僕の名字と同じ名字の人がシスターが書いた住所の場所に居るんだ?」
偶然とは言い難い、同じ名字で俺たちが孤児だということを考慮するとおのずと答えは一つに絞られてくる。
「ははっはははバカな、そんなわけないよ。そんなことがそんな事が、あははははははははあり得ない。あり得ないんだよ! こんなことがあるわけない! 今頃知ってどうしろっていうんだ? こんなこと……こんなこと!」
「落ち着け、まだそうと決まったわけじゃないだろう」
こう言ってはみたがもうその答え以外に辿り着けない。
「落ち着け? 落ち着けるかよ! 今頃どうしろっていうんだよ? シスターもシスターだ。なんでこんなものを残したんだよ! 知らない方が良かった! 知りたくもなかった!」
たしかにシスターはこんなものを残したんだ? 俺たちはあのままで幸せだった。あれ以上の環境は望ん
でなどいなかったのに、このままでもよかったのに。
「大丈夫だよ、リョウ。これはリョウにとっても大事なことだと思うよ? ここにリョウが忘れてたものがあると思うよ? だから大丈夫だよ、大丈夫」
ユキの優しい声が響く。ユキ、声はこんなにも優しいのになぜ顔はそんなに悲しそうなんだ?
「会った方がいいのか? それが僕にとって大事だと?」
「大事だよ、とっても大事なんだよ」
「ふぅー、そうか。ユキがそこまで言うなんてとても大事なことなんだな」
不安そうな顔でそんなことを言う亮、こんな不安そうな顔をしたリョウを初めて見た。だからこそ俺は友達として勇気づけてあげなくてはならない。
「大丈夫だ。別に何かあったとしても俺たちが居る。お前の居場所はたしかにここにある。だから安心して行って来い」
「そうよ! そんな不安ならすぐに帰ってくればいいわ! でも何もしないのはダメ、それだけは絶対にダ
メだからね」
「行って来て、きっとリョウにとってここは大事な場所だから」
俺たちは全員同じ意見のようだ。そんなみんなの意見を聞いて亮は心を決めたようだ。
「じゃあ行ってくるよ」
そういってリョウはアパートの階段を軋ませながら上って行った。
僕は物心がついたときには親が居なかった。それが当たり前のことだったし、別にそれがおかしいとも思わなかった。親が居なくてもシスターがいたし、兄妹が居なくても家族はいた。僕はそれで充分だったし、それ以上は望まなかった。
しかし今になってそれが覆るなんて思ってもいなかった。できることなら知りたくなかった。いや親が居ると知った今でも知らなかったことにしたいとも思っている。
「でもそういうわけにはいかないよな」
後ろを振り返ると三人の姿が見えた。ああこれは戻れないよな、いまさらこのままで良いですなんて言えないよな。
僕はギシギシと軋む階段を上る。にしてもボロイな、うちのアパートといい勝負かもしれない。
僕はさっき郵便受けで確認した番号の部屋へと向かう、奇しくも僕の部屋と同じ部屋番号のようだ。
「はぁ、こんなところまで……本当に嫌な気分だ」
ああ、嫌でも親がここにいるということを痛感させられる。はぁ本当に憂鬱だ。
やっとのことで部屋の前に辿り着く。ドアをノックするかしないかでとても迷う、いやしなきゃいけなないんだが、どうしてもできないというか。
「あああああ、もうここまで着たらやらなきゃダメでしょ、ふぅよし! やるぞ」
僕は意を決してドアをたたく。ドンドンと鈍い音が辺りに響く。やってしまったもう後戻りはできない。
「ってあれ? 何の反応もない?」
てっきり僕の親が出てきて、何かしらの一悶着があるのかと思ったがそんなことはなかったようだ。
「留守か? それとももうここにはいないのか?」
留守ならいい、ここに居ないならなおいい。知らないことから逃げていれば幸せな生活が送れる。この教訓は今の家族に引きとられて覚えた知恵だ。知らなくていいなら知らない方がいい、知ってしまったらいやでもその事実からは逃げられないのだから。
でも戻れない、知りたくないという思いもある。しかし僕の親がどんな人なのかという好奇心が僕の帰るという選択肢を選びにくくしている。
勇気を出してドアノブを捻る。ドアノブは簡単に回り、少し引くとドアが開くのが分かった。どうやら鍵はかかっていなかったらしい。
「別に留守なら大丈夫だよな、別に何か盗むわけでもないし」
誰に言うわけでもないが言い訳を呟く。当然一人なので誰かが肯定してくれるわけでもない。
「お邪魔します」
小さな声であいさつをしてから部屋へと入る。
中はものが散乱し、人がここに住んでいるとは考えがたいレベルの荒れようだった。
「こりゃあもう居ないな、ってなんで安心してるんだか」
現にいま僕は安心している。知らなくいいならそれに越したことはない。
「っ!?」
部屋の奥の方から物音が聞こえた。完全に誰もいないと思っていた僕は驚いて声が漏れてしまった。
「誰か居るんですか? いたら返事をしてください」
恐る恐る声をかける。こんなところに人が住んでるなんて考えにくいが……
「おーい、居るんですか?」
僕は奥の部屋のドアを開ける。中はさっきいたリビングより悲惨で、部屋と呼べるのかも怪しい状況だった。
「これは酷い」
しかしそんな部屋の中に一人の人物を見つける。髪はボサボサ、ひげは伸びっぱなし、服はボロボロと浮浪者と言われたら納得できるほどの容貌の男が一人いた。ここが廃屋だといわれたら彼が浮浪者だということも納得できたかもしれない。
「あの大丈夫ですか?」
「うあ? お前は誰だ? ここは俺の家だ。入って来るんじゃねぇ」
強気な物言いなのだがその声に生気は感じられない。
「あのここは西脇さんのお宅で合っていますか?」
「ああ、俺が西脇だ。それがどうした?」
「あの……いえ、何でもありません」
知りたいことはたくさんあった。でもその疑問が口から出てくることはなかった。
「ああん? お前はなんだ? 誰なんだ? なんか誰かに似てる気もするんだが」
「いえ、えっとあの奥さんはいないんですか?」
最初の疑問を訪ねる。父親はいたしかし母親の姿が見えない。
「ん? ああ依子のことか? 死んだよ、あいつが死んでもう十年ぐらいになるか」
「っ、では息子さんは? 息子さんはどうしたんですか?」
僕は一番聞きたかったことを思い切って聞いてみた。
「ああ、亮のことか、あいつは捨てたよ。男で一人で育てることなんて俺にはできないからな」
嘘であってほしかった。こんな人間が自分の親だったなんて、子供を捨てたことをこんなにも平然と、ごみでも捨てたかのように言える人間が自分の親だったなんて。
「捨てたことに何も後悔はしていないんですか?」
「後悔? したかもしれないし、してないかもな。そんな昔のことは忘れちまったよ、そんなどうでもいいことなんて」
「どうでもいい? どうでもいいことだって? そうかあなたにとっては子供なんてどうでもいいことなんですね!」
怒りが沸いてくる。別に親が居なかったことは怨んでいない。しかしこんな人間が親だということに腹が立ってくる。こんな人間の中の屑のような、こんなロクデナシが親だなんて。
「ああ、もうどうでもいいさ、どうせ後もう少しだ。もう少しで依子のところに行ける。もう疲れたよ、何もしたくないし、する気もない」
「あんたはそれでも親なのか? いやそれでも人間なのかよ!」
抑えていた感情が漏れ出す。もう抑えきれなくなった気持ちが、思いが声となって口からあふれ出す。
「あんたはいいさ! 忘れてしまえばそれまでなんだから、でも子供は? 捨てられた子供はどうなる? あんたは親としても最低だし、人間としても……このロクデナシ!」
「お前に俺の何が分かる? 頑張ったさ、必死に働いて、必死に面倒を見て、必死に生きて、必死に育てた! だけどどうだ? こんなにも頑張ったのに俺は救われない! 俺は……俺は! 誰なら俺のことを救ってくれる? 神様か? そんなのはいないさ! だって世界は滅びるんだから、そうさ誰も救ってくれない、亮でさえも!」
ああそうか分かってしまった。この人と僕はまぎれもなく親子なんだと。嫌なことから逃げて、逃げて、逃げて、自分の居場所なんてどこにもないと知りながらも、ここより良い場所へ、ここよりも自分に合った場所へと逃げ続ける。
僕はまだ逃げてる途中だった。あの家族からも逃げるだけの気力はまだ残っていた。でもこの人は違う、僕と同じぐらい弱いのに逃げられなかった。僕が居たから、僕のために逃げることをしなかったんだ。その結果壊れた、いや諦めた。逃げることもできない、でも僕を育てる気力もない。だから諦めたその結果を僕はどうしても責めることはできなかった。
「ああ、そうさ俺はロクデナシだよ、でも誰が俺を責められる。頑張ったんだよ、頑張ったんだ。でもダメで逃げることもできない、だからもっと頑張ってそれでもダメで、もっともっと頑張ってもダメだったんだ。じゃあどうすればいいんだ? 俺はどうしたらよかったんだ。なぁ教えてくれよ。なぁ依子教えてくれよ、俺はどうするべきだったんだ?」
泣きながら仏壇へ縋り付く男、その姿はとてもみじめで、とても卑しくて、とても弱かった。
そんな姿だからこそ僕は彼が自分の親だと確信できた。その姿があの家から逃げたあの夜の自分にとてもそっくりだったから。
「もう大丈夫だよ。誰もあなたのことは責めていないから、きっとその亮君もあなたのことは怨んでいないから、きっと彼だってわかってくれるさ」
「え? どうしてお前にわかるんだ?」
「さぁ、僕がそんな気がしただけだから、何も根拠はないさ。でもそんな気がしただけ」
どうしても言えなかった。僕自身が、いや亮自身が彼を怨んでないと言うことが。怨んでないと言えば嘘になる。しかし自分の弱さを棚に上げてこの人の弱さだけを責めることはできなかった。
「すいませんもう帰ります。お邪魔しました」
もう大事なことは分かった。大丈夫僕の親はロクデナシだったけどちゃんと僕のお父さんだった。
「もう行くのか? というよりお前は誰なんだ? 昔どこかで会ったような気がするんだが?」
そうかどうでもいいと言いながらもちゃんと覚えてくれていたんだ。よく見ると彼の手には一つの写真が握られているのが分かる。その写真には暗くてよく分からないが三人の家族が楽しそうに写っているのが見えた。
「内緒です。お元気でいてください、もう会うことはないだろうけど……あなたには元気でいてほしいから」
「おい! 待ってくれ、もう少しで思い出せそうなんだ。なにか大事な、大事なことな気がするんだ!」
僕はドアの前で彼の方を一度ふりかえり、親子として最初で最後の言葉を言う。
「じゃあね、お父さん」
そういって僕は扉を閉めた。後ろで何か聞こえる。しかしもう振り向かない、それが最善の選択とは言えないことも分かっている。でも僕は、西脇亮はロクデナシだからもう振り返らない。
アパートの奥から人影が出てくるのが見える。それはまぎれもないリョウの姿だった。
「ただいま、僕が戻るべき場所はここだったみたいだ」
「お帰り、もう帰ってこないかと思ったぜ」
俺は一番そのことを心配していた。誰だって親と一緒に居たいと思うのは当たり前のことだ。
「帰ってこない方が良かったか? 帰ってきていいって言ったのはタクだろ?」
「そうだな、でもいいのか?」
「別にいいさ、もう思い残すことはない」
「そうか」
少し心配だったがリョウの顔を見たらそんな心配をしているのがばかばかしいくなってきた。それほどにリョウの表情は明るかった。
「それじゃあ行こうよ、僕たちに残された時間は少ないんだから」
「おうじゃあ行こうか」
俺たちはアパートを後にした。亮はもうその場所を振り返ることはしなかった。