プロローグ
真っ暗な世界に広がる満点の星々、見渡す限りに広がる星たちは永遠にそこにあり続けると思っていた。現に星は永遠にあるわけではない、それは当たり前のことだ。
しかしあのときの僕たちは永遠という言葉を信じて疑わなかった。星はいつまでもあり続けるし、いつまでもみんな一緒に暮らせる。そして何より僕たちの世界は永遠だと信じていた。
「ねぇ見てよ、星が何処までも続いているよ」
右隣の少女がそんなことをつぶやく。
「そうだな、本当にどこまでも、どこまでも続いてるのかもな」
少し離れた場所からこの年にしては大人っぽい声が聞こえる。
「あら、宇宙だって有限よ、どこまでも続いてるわけないじゃない」
今度は左隣の少女がそんなことを呟く。
「おいおい、そんなことを言ったら風情もあったもんじゃないよ? こういうのは雰囲気を楽しむんだよ? ねぇタク?」
明るい光で目を覚ます。懐かしい夢だ。楽しかったころの思い出、まだ何も知らなかった頃の思い出。それはいつまでも変わらない形でそこにある。それ故に俺自身に巻きつく鎖のように縛り上げていく。
「またこの夢か」
いつも同じところで俺は目を覚ます。このとき俺はどんな受け答えをしたのだろう? どんな気持ちでその言葉を言ったのだろう? 今となっては何もわからない。あのころの自分が何を思い、どんな行動をしたのかなんて今の俺にわかるわけがない。あのころの自分は何も知らない、ただの無垢な子供だったのだから。
気持ちの整理をし俺は朝の準備を済ませる。パジャマからいつもの私服へと着替え、洗面所へ行き、顔を洗い歯を磨く。そしてリビングへと向かう。
「おはようございます。おじさん、おばさん」
リビングには白髪交じりの髪をしっかりとなでつけた、いかにも会社員といった風貌の初老の男性と、エプロンがよく似合ういかにもおばさんといった姿の女性が朝のテレビを見ながら朝食をとっていた。
「あらおはようタクミ君、朝ご飯はもうできてるわよ、さぁ早く食べちゃいましょ」
「ありがとうございます」
俺は一言お礼をいって席へと腰を下ろす。このテーブルは何かの記念に買ったものらしく、座るときにギシといった音を立て、いつも俺を不安にさせる。しかし愛着があるらしくいまだに新しいのを買えないでいるらしい。
朝のニュースでは若い女のキャスターがあと一か月、なんてことを言っている。そこで俺は一つの違和感を覚える。
「あれおじさんなんでスーツなんか着てるんです? たしか会社はもうお休みのはずでしょ?」
違和感の正体はすぐに分かった。たしか日本中の会社はもうどこも休みになっていたはずだ。
「いやー三十年も通っていたからね、もうくせになっちゃっててね」
「そうよねー、まぁ私も朝スーツを渡す癖が抜けないんだけどね」
夫婦そろって苦笑いを浮かべる。やはり今までの習慣というのはそう簡単に抜けるものではないらしい。俺自身も、最近まで朝気づいたら高校の制服を来ていることが多々あった。
「そういえばタクミ君、あと一か月だ。なにかやりたいことはないのかい?」
おじさんは伏し目がちにそんなことを聞いてくる。
「そうですね、今日は少し出かけてきます。すこし懐かしい夢をみたので」
「そうかい……」
俺の懐かしいという言葉におじさんが顔を曇らせる。
「そんな不安な顔をしないでください、ちょっと寄って来るだけですよ。今更そんな思い残すことなんてないですし」
俺は必至で弁解する。別に戻りたいわけではない。ただ何となく、何となく寄ってみようと思っただけだ。この気持ちに特別な感情など微塵も含んでいない。
「それならいいのよ、でもね後悔が残るようなことをしちゃだめよ。私たちにできることなら何でも言ってちょうだいね、私たちは……」
そこでおばさんは言い淀んでしまう。
「はい、ありがとうございます」
そんなおばさんを見ても、今の俺には感謝することしかできなかった。
足取りがいつもより重い。いつもの歩きなれた道のはずなのに足が思った通りに動かない、自分の体が自分のものではないように感じる。いや体の問題ではない、心の問題か。
「十年ぶりか……」
小学生二年以来になるからもう十年か,以来あの場所には苦手意識を持っていたからか近寄ることすらしなかったからな。
俺はいつも通っている高校への通学路を途中で曲がる。見慣れた道から懐かしい道へとでる。変わらない道並み、あの日と変わらない風景、その変わらないということが俺の心を抉り続ける。いっそどうせならあの頃と全く違う街並みに変わっていてくれていれば良かったのに。
長い一本道を歩き続ける。実際にはほんの数分しか経ってないのだが体感の時間では何時間にも感じられた。
歩き続けた先に一つの建物が現れた。住宅街には似つかない豪華なステンドグラス、屋根の上には十字架が掲げられている。そこに現れたのは所謂、教会と呼ばれるものだった。
「本当に場違いだよなー」
昔から感じていたが誰がこんなものをこんな場所に建てようなんて思ったのだろう。俺にはこんな場所に教会を建てようなんて奴の気が知れないな。
俺は気を引き締めドアを開ける。中は十年前と少しも変わっていなかった。
「おかしいな、俺たちが居なくなった後は誰もいなかったはずなんだけど」
十年ぶりに人が入ったとは思えないほどに中は綺麗だった。
「本当に変わってないな」
ここも変わらない、変わってしまったのは俺だけのようだ。その事実がまた俺の心を責め続ける。
「ははっははは、何もあるわけないか、何を期待してたんだ俺は」
心のどこかで期待していたのかもしれない。ここに来ればあのころに戻れるのではないかと、楽しかったあの頃へと。
「あのーあなたは誰ですか?」
「んくでぃあp―ー!?」
俺は突然の背後からの声にびっくりし、思わず変な声が出てしまった。
「わぁ! 驚いた。ってあれたっくん?」
「ん? あれユキ? なんで?」
俺の正面には一人の少女が立っていた。十年も会っていないのに直ぐに分かった。昔と変わらない黒く美しい髪を長く伸ばし、昔のように白いワンピースを着ていた。昔はあまり意識していなかったが、とても美しく彼女は成長しており、十人が十人振り返るほどの美少女に成長していた。
俺は現在の状況に思考が追いつかない。なんでここにいる? ここにはもう誰も住んでいないはずだ。
「それは私の言葉だよー。なんでたっくんがここにいるの?」
「いや、え、どういうことなんだよ?」
「いやそれは私の方なんだけど……」
頭が混乱状態から抜け出せないでいる。どういうことなんだ?
「少し落ち着いて、はい深呼吸! 吸ってー吐いてー吸ってー吐いてー」
ユキの言った通りに深呼吸をする。だんだんと頭がクリアになっていくのが分かる。
「落ち着いた?」
「ああ、ありがとな落ち着いたよ、でなんでお前が居るんだ?」
落ち着いた頭で再度質問を投げかける。ここは俺たちが去った十年前から秋谷になっているはずだ。
「私はたまに来て、ここのお掃除させてもらってるんだよ。誰かがしないとね、私たちの大事な場所だから」
大事な場所か、ユキにとってはまだ大事な場所なんだな。
「たっくんは? あれ以来初めてだよね、ここに来るの」
その言葉に俺は言葉を詰まらせてしまう。そうだよなあれから俺は逃げてばっかりだから。
「うんまぁね、でももう逃げてばかりじゃいられないかなぁっと思ったからさ」
「そうだよね、あと一か月だもんね」
俺たちに残された時間は少ない、別にそのことについてはどうでもいいんだ。今の俺に何か後悔したいこともない、でもなにか今の俺には足りていないそんな気がしている。
「そんな顔するなよ、別に俺は大丈夫だよ」
口では言ってみたもの大丈夫なわけじゃない、何も感じていないだけなのか。
「そっか、そうだよね……たっくんは強いもんね」
「別に強くなんかない、強くなんかないんだ」
「そうだ! あのね、掃除してたらねこんなものが出てきたんだ!}
唐突にユキがそんなことを言う、出てきたもの? なんなんだろう。
「はいこれ、なんなんだろうね?」
ユキは一つの封筒を俺に渡す。どこにでもあるような封筒の中に一枚の紙が入っていた。その紙には俺の名前とユキの名前、そして知っている名前が二つ書いてあった。その名前の横には住所だけが書いてあり、それだけでは何を意味するのか全く分からない。
「なんだこれ? 住所と名前?」
いろいろ見てみたが、住所と名前のほかには何も書かれていなかった。
「これなんだ? 住所も知らない場所ばかりだし」
書かれている住所は近くのは隣町から遠くは他県までと統一性のないものだった。
「それになんで俺の隣だけは住所が書いていないんだ?」
ほかの三人の隣には住所が書いてあるのに俺の隣だけは白紙のままだった。
「さぁ? なんなんだろうね、もしかしたらとっても大事なものなのかもしれないよ? あのときに渡されたものだから……あ」
あのときという言葉にユキは口を閉ざす。
「別にユキが気にすることじゃない、あれは俺の責任なんだ。俺が悪かったんだから」
「たっくんだけのせいじゃないよ! 私たちにだって……」
「いいんだ。もういいんだあれは……あのことは」
そう言って俺は口を閉ざす。忘れていたわけじゃない、でも考えないようにはしていた。これも俺が逃げ続けてきたことの一つなのかもしれない。
「ねぇこれって私たちにとって知っておくべきことなんじゃないかな? 私たちに残された時間は少ないし、何もすることがないならこの住所に行ってみるのも一つの手なんじゃないかな?」
確かに何かあるのかもしれない、でも何もなかったら? この住所はただの落書きで俺たちは何もしないままこの一か月を過ごし、なんの成果も得られなかったとしたら? 俺はいいさ、何もすることがないのだから。でもユキは? ほかの二人は? こんな可能性の低い賭けに周りを巻き込むわけにはいかない。
「いいよ、その住所には俺一人で行くよ、ほかのみんなを巻き込むわけにはいかないし。ユキにだってやりことぐらいあるだろう?」
「そんなことないよ! それにこれは何もないわけない! きっとこれは私たちにとって大事なものなんだよ、私たちが忘れてしまった大事な何かなんだよ!」
「どうしたんだよ? そんな声を張り上げて」
昔は声を張り上げて主張することなんて滅多になかったのに、どうやらこの紙はユキにとってそれほど重要な意味を持つものらしい。
「ごめん……でもシスターが残したものだから、たっくんにはそんな風に言ってほしくなかっただけ」
「そうだよな、みんなでやらないと意味がないもんな」
俺たちの合言葉だ。みんなでやらなきゃ意味がない。昔はそんな言葉だけの約束でも大切な、とっても大切な宝物だった。
「うんそうだよ、みんなでやらなきゃね」
そうして俺は歩き始めた。十年間止まっていた歯車をまた動かそうとするために、十年間止まっていた時を取り戻すかのように、俺たちは歩き出す。終わりへと進むために。