表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ゲオマ  作者: 偽薬
6/13

火車  (二)

「この民宿って、おばあさんひとりでやられているんですよね?」

 私の問い掛けに、坂野は一瞬きょとんとして、

「そういうのはまるでわからん。今回は本当に」

 四ツ元に一任だからと流しで煙草をもみ消した。

 理性的であろうとしているのはどうやら外側だけで、その実なにも考えていないのではないだろうか。私は飽きれた。


 完全に日が暮れた。

 照明用のライトが私とスタッフを照らしている。

「あれ、四ツ元さんは?」

「ああ。冷たいものを買ってくるって出て行ったよ」

「え? だってこのへん、お店ないですよね?」

「そうなの? だってあいつ、歩いて行ったろ?」

 坂野の問い掛けに、皆は一様に首を傾げた。

「それにあの子、昨日は夜道が怖いからって私に買い物付き合わせたのに」

「買い物?」

「ええ。坂野さん、ビール飲みたかったんですよね?」

 私は若干抗議をこめた目で坂野を見た。

「昨日? あー、ああ。うん。あいつの部屋に置いたクーラーボックスに入ってるから、それを取ってきてくれとは頼んだが」

「え? 買ってこいっていったんじゃないんですか? 私にはそういってましたよ」

「どうしてある物を買ってこいなんて。あいつ何いってんだ?」

「どういうことでしょう」

 私は窓の外を見た。真っ暗な中に薄ぼんやりと竹林が浮かび、その奥にはゆずり葉の本館が見えた。昨日の到着時、部屋から見えた廃屋はこの離れだったようだ。

 四ツ元の不可解な言動と併せ、とても厭な予感がする。予感など馬鹿らしいとは思うが、この土地ではどうも普段の自分を取り戻せないのだから、予感を信じぬ自分が、悪い予感に慄いても不思議ではない。

 無根拠に、無闇に怖い。

 なにか実害があったわけではない。しかしなんなのだろう、今のこの、胃の底を生暖かい手で撫でられているような、どこか吐き気にも似た恐怖感は。

「あ、芦屋さんは予定の日まで迎えに来ないですよね?」

「当然だろ。向こうだって商売でドライバーやってるんだから」

 私の愚にもつかない質問は言下に否定された。遊びに来ているわけではないのだから、当たり前だ。

 ああ、理想の自分からどんどん乖離していくのがわかる。女優業とはかけ離れた位置にいても、その理想像だけは堅持していこうと強く思っているのに、この土地がその気概を挫く。

 見ればディレクターの坂野以外、大月も音声もカメラマンも照明も皆一様に青い顔をしていた。なにもなくとも、やはりここは怖い場所だと、アタマではなくカラダで感じ取っているのではあるまいか。

 若しくは、私には見えない何かが彼等には見えているのか。

 さすがにそれは考え過ぎか。

 見えない何か、か。

 そのような不安定な存在を気に掛けたことなど、過去に一度もない。確かに半月前に見たあれは私の現実を軽く凌駕していたが、起こった以上は現実で、それを超えるものではないと思う。また、あれが人間だったか否かという論議は、幾ら目撃者であるとはいえ専門知識のない私がどうこういうべきではないと思っているし、またそうしたものに専門があるのかすら知らない。そして、学問として、知識として成り立っていないのであれば、否定も肯定もすべきではなく、ただ目の前に起きた出来事に関して、あれはなんだったのだろうと首を傾げるしかないだろう。まあ、あれは幽霊です、いやいや怪物です妖怪ですといい切ってしまったほうが楽だろうと思うことはしばしばあるが、私にはその一線を跨ぐ気は更々ない。

 何にしても、私とあの時現場にいたカメラマンが撮影した映像は、超A級の貴重映像であったことは間違いない。

 その驚異的な体験は間違いなく現実だが、時間が経つと簡単に薄れていく。

 あの時のカメラマンは今どうしているのだろうか。あれ以来顔を合わせる機会がなく、是非とも一度話がしたかった。


 撮影は困るほどに順調に進んだ。

 まるで何も起こらない。

 駄目だなこりゃあと、坂野が溜め息混じりにいった。

「取り敢えず定点カメラは設置してあるから、食事休憩に入ろう」

 はあとそちこちで男たちの溜め息が聞こえた。私も溜め息をつきたい気分だったがぐっと堪えた。

 それにしても四ツ元はどこまで買い物に行ったのだろうか。そんなことを考えながら出入り口に向かう。古い建物故か非常口のようなものはなく、出入りできるのは一か所だけだ。廃屋なのだから消防法も関係ない。

「おい、なんだよこれ」

 唾を飛ばしながら叫んだのはカメラマン。扉の把手を握り、押したり引いたりを繰り返している。扉が開かないらしい。本当に、なんだろう、それは。

 カメラマンから音声スタッフに替わっても状況は変わらない。扉は開かない。

「なんだよこれ! なんで鉄製なんだよ!」

 気弱そうに見えた音声スタッフが怒鳴り散らす。

「しょうがねえなあ。ま、窓から出るか」

 冷静を装って、坂野がそう提案し手近なひとつに手を掛けた。

「ああ」

「嘘だろ」

「ここも開かない」

「部屋は? 部屋にも二面ずつ窓があるだろ!」

「開きません!」

「こっちも開かねえ!」

 流しのある廊下と室内、どの窓もまるでコンクリートでも流し込まれたように固まって少しも開かなかった。坂野は目眩でも起こしたのか少しよろけながら、カメラを回すように無言で指示を出した。それはプロ根性というよりは、アタマを仕事に持っていくことで無理矢理に冷静さを持続させようとする苦肉の策のように私には思えた。

 たしかにパニックを起こされても困る。

 マネージャーの大月などはヒキツケを起こしそうな顔をしていた。

 それにしてもこれは。

「なんの目的があって、誰がこんな真似を」

「目的?」

「窓は最初から固めてあったにしても」

「どういう意味かな、鳥辺さん。窓が固めてあったって」

「だっておかしいですよ。開かない窓なんて。廃屋だから、誰も侵入できないようにしたのかしら」

「え? 窓は急に開かなくなったんじゃないの?」

「そんなこと」

 あるわけがない。

「だって私たち、この離れに来てから誰も窓に触れてませんよね?」

 私は周囲を確認した。誰ひとり首を縦に振る者はいなかったが、否定する者もまた、ひとりもいない。

「坂野さんは確認なさったんですか?」

 窓が開くかどうかと私が問うと、坂野は青い顔をして首を振った。

「俺はただ、戸も窓も開かないっていうから、誰かに閉じ込められたんだと…」

 結局は坂野も駄目かと私は落胆を禁じ得ない。まったく冷静ではない。

「確かに扉が開かないのは事実です」

 入る時は四ツ元が開けていてくれたので気付かなかったが、今さっき自分で確認して少し驚いた。まさかあんなに頑丈そうな鉄扉だったとは。男数人が寄って集って開けようとしても開かないのだから、錆などが詰まって急に開かなくなったとは考え難い。根拠がないので私は何もいわないが、明らかに人為的なものを感じる。

「最悪は、窓を破って出るしか」

 私は自分の携帯電話を取り出し、スタッフに見せた。圏外の表示。男たちも慌てて自分の携帯電話を取り出し、一様に声をもらす。

「なんでだよ。さっきまでは通話できてたんだぜ」

「それは本館でのことですよね? この離れに入ってからは」

 私はこの離れに来てまず携帯電話の電波を見、圏外だと確認していた。それは新しい土地や場所に行くと必ずやる、私の儀式のようなものだ。

「しょうがねえ。窓壊すか!」

 カメラマンがいう。

 いや、ちょっと待ってくれと坂野がいった。

「待つって」

「考えてもみろ。扉が開かないってだけで、別になにがあったわけじゃない。それに、もしかすると今のこの状況、」

 既に怪現象なのかもしれないじゃないか。

 ああ、そうかとスタッフ全員、自分達がどのような目的でここにいるのかを思い出した。斯くいう私もそのひとりだったわけだが、その一瞬の判断の遅れが


 最初に気付いたのは音声スタッフ、鴨井。


 次に大月が腰を抜かし、坂野が揺れ、


 カメラマンの声


 照明スタッフが気付いたことでライトがぐるりと一周した。


 顔が


 顔が


 顔が


 顔が

 顔が

 顔が

 顔が

 顔が

 顔が

 顔が

 顔が


 様々な顔が窓の外からこちらを見ていた。


 ああ、昨日の葬式の


「うわああああああああああああああっ!」

 私は誰かに体当たりされ、半回転してその場にへたり込んだ。


 離れはいつの間にか音も気配もないまま辻橋地区の住人と思しき人数にぐるりを囲まれ、撮影隊が正気を取り戻す間もなく、

 がん! がん! がん! がん!

「なにをしてるの!」

 窓という窓が木板で塞がれていく。

 私たちはその有り得ない様子を目で追うだけで、精一杯だった。

 最後の一枚が塞がれる。板に釘を打ち込んでいるのは、

「よつ、も、とさん?」

 私のその言葉に気付いた坂野が、

「四ツ元ォォォォォォォォォォォォォッ!」

 喉から血が出んばかりの声を張り上げた。



 *


 ミササギ霊は不図歩みを止めた。布に覆われた両目は無論なにを見ることもできない。

 リョウの視力は、生来左腕に多すぎる形で付いている。この明らかな奇形にリョウは悩まされ続けている。

 歩を止めたのは、誰かに名前を呼ばれたような気がしたからだが、前後左右と見回すに人影はなかった。気付けば空が轟々と鳴っている。ジェット旅客機でも飛んでいるのか。

 砂と水以外なにもない見晴しのいい海岸線である。

 季節は夏から秋へ。

 海を渡る風は最早涼しいというよりは冷たく感じられた。本州北部の秋の到来は思っている以上に早い。


 自分の生き方や生きる目的をある程度定めて半月。多少は物事を前向きに考えられるようになってきているとリョウ自身は思っているが、我が身の過不足を世間に曝せるまでには至っていない。

 左腕の眼球群が前方のみならず、様々な方向を見ている。確かにその様はヒトという生物からすれば異常だが、今のリョウには必要なものである。

 リョウは包帯がぐるぐる巻きになった右腕を見ながら考える。

 半月前の出会いに因って得られたもの幾つか。その最たるものは多分、父親に会いたいと切望する気持ちが増したことだろう。

 とにかく父を捜し出し、話をしたい。この先どうやって生きていくにしても、自分の人生はそこから始まるとそう思っている。

 北上したのに然したる理由はなかった。半月前の関東は未だ暑さが厳しく、暑いのが苦手なリョウは心底辟易していたのだ。だから少しでも涼しいほうへと自然足が向いた。その程度のものだ。

 こうして確実に秋が感じられる東北は実にいいと、水平線に沈む太陽を眺めながらしみじみ思っている。涼しいのは何よりだが、リョウは今、とても腹が減っていた。前方も後方も見渡す限りの砂浜で、小魚はおろか小蟹一匹つかまえられそうにない。打ち上げられているのは腐敗しかけた海藻ばかりで、匂いを嗅ぐだけで食えぬと知れる。

「三日ぐらい喰ってねえけど。さて。どのくらい喰わないで保つのかな」

 リョウは自分の右手や右足を見た。

 半月前にそのどちらもが切り落とされた。落とされたが生えてきた。いわずもがなだが、普通の人間であるならば、切れた手足が再生することはない。皮膚は戻るし、骨も多少の伸長があるが、すっぱり切り落とされた指だの足だのが完全復元することなど有り得ないことだ。しかしリョウの右手と右足は生えてきた。それも驚異的な速度で。その異能がはたして生まれついてのものなのか、それとも半月前の出来事に起因し、発現したものなのかはリョウとてわからない。

 恐ろしいまでの再生能力。

「自殺の仕方も考えなきゃあな」

 過去一度として自らを殺すことを考えたことのない男が、冗談めかしてそういった。

 それよりもリョウは、生きる目的をなくすことに強い恐怖感を抱いていた。父を見つけて当面の願いが解消されたとしても、彼の人生は続いていくからだ。

 目のない顔と、目ばかりの左腕を抱えて、目的を何ももたないまま、ただ唯々諾々と生をつなぐような行為をしていく自信がないのだ。もっともリョウは、無根拠に自分は長生きなどできないと思っている。それはどちらかというと妄想に近い。現実が厳しいが故の逃避願望だろうか。


 履き慣れたブーツを肩に掛け、偶々砂浜で拾ったビーチサンダルを今は履いている。

 サンダルと足の裏の隙間に乾燥した砂が入り込んでは抜け落ちていく。それがなんとも心地いい。

 夕闇を渡る海風に栗色の髪の毛を散らしながら、今夜はどこで寝ようかと考えている。すると目の前に、お誂え向きの洞窟があった。近寄ってみると奥行きこそあまりないが、十分に雨風を凌げそうだ。おまけに焚火の跡もあり、燃え残った薪はまだ使えそうである。

 それにしてもハラ減ったな。そう思っている。

 ざあざあと、波の音。

 小さな洞窟の真上はどうやら車道で、時折車の通り過ぎる音が聞こえる。トラックから冷凍肉でも落ちてこないものかとリョウは本気で考えている。と、すぐ上で徐行するような音が聞こえ、続いてサイドブレーキを引く音が聞こえた。オイルライターを開ける音。そのうち潮の香に混じって煙草の煙の匂いがリョウの鼻孔に届いた。

 リョウはしばらく様子を窺った。

 眠気を誘うような波の音に耳を寄せていると、男の声で溜め息が聞こえた。

「カベ?」

 リョウは洞窟から這い出して、車道を仰ぎ見た。確かに人がひとり立っているが、車のライトで黒く塗り潰され顔までは判別できない。

 人影は突如現れた怪人物に呼び掛けられて、慌てて下げかけていたジッパーを上に引き戻した。危うく挟むところだった。

「あ、あんた。確か」

 ミササササ…

「ミササギだ。陵リョウ」

「そうだ。あんたこんなとこで何やってる?」

「そりゃお互い様だ。カベ、お前また何か悪いことしてるだろ」

「な。なにをいっているんだ、人聞きの悪い」

「そうかね」

 リョウの目は既に車のヘッドライトに慣れ、壁の間延びした顔をしっかりと捉えていた。

「悪いことしてないってんなら、仕事か?」

「え。ああ、今日は…うん。人材派遣?」

「聞かれても困るがね。それはこんなところまで出張しなくちゃならん仕事なのか?」

「ま、まあ、それは、依頼によっていろいろさ。それよりあんたはなんだってここにいる」

 涼しいからさとリョウは返して、やや間を置き、

「なにかに呼び寄せられたような気もするがな、こうしてあんたと会ったことを考えると」

 にこりともせずにそういった。壁は慌てた。

「だ、だからさ。今回は俺は何もしてない」

 半月前に知り合った時、壁は幽霊を犯そうとしていた。

「本当かな。お前、幽霊強姦魔だしな」

「その呼び方はよしてくれよ。あれ以来もう懲りてしまったんだから」

「へえ」

 リョウは半信半疑の顔を作って、ひょいと車道にあがってきた。

「あれ。その、右手の包帯」

「ああ、これはまあ気にしなくてもいい。それより、車に乗せてくれないか」

「え。だって俺、今から関東に帰るんだけど」

「いいじゃねえか。ずっとってわけじゃない、多分もう少し北上するか、山に入るか」

 壁の顔色が変わる。リョウの目はその微妙な変化を逃さない。

「カベ、車に乗せろ」

「はい」

 壁の車はアルファロメオだった。壁はもそもそと文句をいいながら、ルームミラーを直す。次にグレイのジャケットから制汗スプレーを取り出し、我が身に振りかけた。壁曰く運転前の儀式なのだそうだ。リョウは山へ向かってくれといった。続けて食べ物をねだる。壁は苦り切った顔をして、昼に買ったカレーパンを渡した。リョウはうめえ、コレうめえと散々繰り返してパンを食べ終わると今度は煙草をせがんだ。

「あー。俺、煙草やめたんだよね」

 あまりにいいなりになるのも癪だったのだろう、壁は見え透いた嘘をいった。

 リョウはそうか、身体に悪いもんなとすんなり引き下がった。顔の半分が布で覆われているため、表情が読めない。不意に壁の背中に悪寒が凝る。

 こいつだってマトモじゃあねんだ…。

「とにかくあっちの山の方へ行きたいんだ。無理いって悪いな、礼はするぜ」

「礼ってなんだよ」

 壁はエンジンを掛け、ゆるゆると路肩から車道へと戻ると、派手にタイヤを鳴らして方向転換した。

「リョウさん、どう見ても俺より金持ってなさそうだし」

「そういやお前、車替えたんだ」

「え? ああ。前のはもう一年乗ったからね」

「ふん、壁は金持ちだな」

「企画モノのDVDが案外売れてさ」

「キカクモモディ? よくわかんねえけどお前、墓売ってたんじゃなかったっけ?」

「違うよ。墓なんて売ってない。それより、礼ってどんな?」

「そうだな。今はいえないね。愉しみにしてろよ」

「はは。それより、山の方って、もう少しはっきりといってくれないかな」

「ああ、悪ぃ。あの山の」

 リョウは指を差しつつ壁の顔色を観察する。こういう時ばかりは顔面に目がなくてもいいことがあるのだなと思いつつ。

「あの山の山頂まで」

 一瞬険しくなりかけた(といっても僅かな差異だが)壁の顔が安堵に緩んだと、リョウの目には映った。

「わかった、山頂までね」

 声を聞いてリョウは確信する。あの山といわれ険しくなりかけた顔が、山頂といわれて明らかに緩んだ。ならば。

 あの山の麓か。

 視界には入っているが、闇の中での距離感など当てにならない。麓まではおそらくはかなりの距離があるだろう。

「このあたりは詳しいのか?」

「え。ああ、まあ、何度か来てるけど」

「仕事でか?」

「と、当然じゃないか」

 こんな僻地にビジネス以外にいったいなんの用事があるというんだと壁は必要以上に否定する。リョウはぼつりと、そうだよなといって後は遠くの山々を見つめ、暫時黙ってしまった。

 尻の据わりが悪いのだろう、壁はカーオーディオの電源を入れた。

 延々と太鼓の音だけが流れる奇妙な音楽だった。

「カベ」

「ん?」

「なんでお前は、変なことに首突っ込むんだ」

「だ、だから今回は」

「あ? ああ、違う違う。たださ、長生きできねえと思ってな」

「んん、長生きなあ。確かに死にたくはないけど。趣味というか、ライフワークだからね怪奇なことを見たり触れたりするのは」

「怖い思いすんのが楽しいのかい」

「そうじゃないよ」

 説明はむつかしいなと壁はハンドルを切る。リョウは慎重に壁の様子を窺いつつ、

「次の十字路、あー曲が…いや、直進してくれ」

「ちょ、直進? なあ、こんな山の辺の道を走っていたってしょうがないよ。早いとこ山道入ろうぜ」

 タイヤは砂利を咬んで回転を続けている。時折ごとんと車体が沈む。

 壁は懐からエコーを取り出した。

「やめたんじゃなかったのかよ」

「さっきまでやめてたんだ。小一時間ばかりの禁煙さ」

 明らかに動揺している。その小鼻の脇などに浮いた脂汗などを見、リョウはこの道で正しいことを確信する。問題は壁が何を見てきたのか、或いは仕出かしてきたのかということだ。場合に因っては最早取り返しのつかないことになっているのかもしれない。とにかく今は先を急ぐに越したことはあるまい。幸い、暗くて細い山道には真っ赤なアルファロメオ以外に車は走っていない。

「なんか厭な気配だ」

 それは山が近付くにつれ強まっていた。曖昧で捉えどころがない感覚なのだが、言葉で表現するのが難しいだけで確実にリョウには感じ取れている。

 何かが起こっている。

 動悸の乱れと息苦しさ。髪の毛がさわさわするような感覚。

「カベは感じないか? なんつうか、こう」

 やはり説明できない。リョウはもどかしさを覚える。

「なにをかな…」

「良くねえモノが蟠ってる感じがするだろ」

「良くないもの。ううん」

 壁には精々夜の山道の運転は怖いくらいの認識しかない。なにも感得するものはなかった。

 壁の表情が強張っている。リョウは壁の目線の揺れを観察している。

「ああ。そこの道入ってくれ」

「え? ここ? だって山頂に用があるんだろ?」

「いや。そこの道だ」

「あぁ…糞」

 半泣きの表情で壁はハンドルを切った。

 通り過ぎた看板には辻橋という表示があった。


 辻橋地区に侵入すると、明らかに壁は動揺を見せた。

 リョウは適当な位置に車を停めさせると、

「なにがあった。いや、なにをしでかした、か?」

 幾分柔らかい口調を意識してそう尋ねた。壁はハンドルに突っ伏すと、ああとか、いやとかもごもごいっていたが、やがて観念したのか、

「すごいんだよ、ここの土地は」

 といった。

「なにがすごい」

 壁は無言でエコーを差し出すと、リョウが一本抜いたのを確認して自分も銜えた。

「なにもかもさ。俺も噂に聞くばかりで半分も信じちゃいなかったが」

 壁は未だに小さく掛かっていたオーディオを切った。

 リョウの視界には竹林しかない。少し離れた位置には民家が散在してはいるようだが。

「勿体つけんなよ」

「だってさ。俺、結局見るだけ見て、」

 帰ってきちゃったから。壁は口元を押さえた。喉の奥がぐうと鳴った。

「なにを見た」

「うん」

 ふう、と壁は車内に紫煙を吹き散らかした。人差し指と親指で唇をつまみ、矢張り酷くいいにくそうにしている。

 前方を凝視しているが、その実壁の目にはなにも見えていない。

「なにを見たんだ」

「…人が、人を、喰うところ…」

 リョウは車のシートから滑り落ちそうになった。銜えていた煙草はリョウの胸元に落ち、彼の肌を軽く焼いた。

「人を喰う?」

「まあ、正確には人の屍体、だけど」

「どういうことだ? 人が屍体を喰う?」

「うん。噂の段階じゃ、なんともおどろおどろしい話だったけどな。現地に赴いてみれば何のことはない話さ」

「その噂ってのも気になるが。それで?」

「リョウさん、この先の集落ね、医者がいないんだ」

「あー。医者なんてもんは誰でもなれるもんじゃねえし、こんな山ン中じゃな、そんなこともあるだろうさ」

 うん、そうだね。無医村なんてザラだ。壁は相変わらず前方を見つめながらこつこつと革張りのハンドルを人差し指で叩いている。リョウもちらと前を見るが、羽虫が二、三匹宙を舞っているのみで、別段変化はなかった。

「ここの集落の人は、どうやって治療してると思う?」

「誰か月に一回往診に来るとか、こっちから医者のとこに出向くとか、か」

 うん、なるほど。もっともな意見だ。壁は呟くように話す。

「それじゃあリョウさん、これはどう答える? この先の集落ね、墓がないんだ」

「ん。おい、それはおかしいだろ」

 医者がいないのはわかる。集落にとっては由々しきことではあるだろうが、いないものはいないのだから仕方ない。しかし。

「墓がねえって、誰も死人が出ないわけじゃねえだろ」

「死ぬさ。ろくに医者にかかれないんじゃ、多分普通に町で暮らしているよりも、この地区の罹病や負傷の死亡率は高いはずさ」

「だったらなんで墓がねえ。墓を建てちゃならねえ宗教とかか?」

「あるのかな、それ。俺はわからないけど」

「だってよ、カベ。墓がなけりゃ、死んだらどこに」

 いいつつ考える。そしてリョウは、今の会話を先の話に繋げる。

「まさか、屍体は残らず生きてる奴らの胃の中か」

「効果のほどはわかりはしないけど、それがここではごく普通の治療法なんだろうね」

 壁はドアを開けた。

 吐いている。

「だからね。この地区の人にとっては屍体は薬なんだよ」

「屍体は全部使っちまうから墓もいらない、のか。骨は?」

「骨も薬さ。燻蒸したり、煎じたり。捨てる部分はひとつもないようだ」

「はあ」

 野犬だろうか。哀感のこもった遠吠えを山の夜空に繰り返している。

 霧が出てきている。

「その薬だが、なくなったらどうする」

 そのリョウの問いに、壁は口元を拭いながら、

「だいたいが、集落の人口は年々減ってる。俺が調べた限りでは、今まではストック…乾燥した屍体で、集落の薬を賄っていたそうだけど、それももう底を突いたようだね」

 少し苦しそうに答える。よせばいいのに煙草に火を点け、そして大いに咽せた。

「それじゃあこの先病気や怪我した奴は薬なしか」

 そもそもが食人に目覚ましい効能があるとも思えない。確かに漢方薬などでは動物の部分を使用していたりするし、人体にも厳密に調べれば多少の薬効が得られる部位はあるだろう。だが、はたしてそれが万能薬かと問われれば、首を傾げざるをえない。

「薬なしかどうかはわからないな。ただね、この地区はね、必要以上のものは受け容れないんだ。ライフラインは数十年前まで存在した炭坑の時以来変わりないらしいし、流行り廃りとは無縁の土地さ」

「炭坑があったのか」

 リョウがそういうと、壁はホラといって指差した。団地の廃墟が影になって見える。

「ふうん。それじゃあその何十年か前にゃここには結構な人が住んでたってことだろ? よくバレなかったな」

「まあ、居住地区が離れていたし、特別な交流はなかったそうだよ。でもその頃は、炭坑団地に併設された病院をこの地区の人らも利用してたって話だけど。やっぱり化学合成の抗生物質の方が病気には効果覿面だったろうしね」

「ふん。思い込めば鼻糞も薬だぜ。だけどよ、まともな薬の効果がわかった時点で普通だったらそんな屍体を喰うような生活からは抜けたいと思うようになると思うがな」

「判断の基準は人それぞれさ」

「まあそうだろうがな」

 俺が思うに、と壁は煙草の火を見つめながらいう。

「生活形態の割にはだけど、まだ普通の感覚が残っていたからこそ、逆にこの土地を離れられなくなったんじゃないのかな」

「つまりは」

「自分らの屍体を喰うという行為は、決して他所では受け容れられない。つまりはこの土地以外で屍体を喰ったことのある人間を許容できる場所はないと」

「んなもんお前、黙ってりゃわかんねえよ」

「それはそうだろうけど。なんていうか気持ちの問題が大きいのじゃないか?」

「気持ち。そうか。そう、かもな」

 俺も結局人目を避けて生きてると、リョウは呟いた。

「炭坑が隆盛だった頃、こんな妙な噂が立ったらしい。なんでも、さっきもいったように普段は炭坑病院を利用する以外顔を見せることのない辻橋の住人が、何故か炭坑内にあった墓地、その墓地は今はもう更地だけど。とにかくそこで何度か目撃されたことがあったそうだ。もちろん彼等の親族が眠っているわけじゃない。墓の主は当然ながら炭坑夫かその血縁の者だ」

「墓を暴いてたってのか? いくらなんでもそれは」

「どうかな。普通の感覚じゃ屍体でも、辻橋の人間にすりゃ薬だから。もしかすると薬草を採りに野山に行くくらいの感覚なのかもしれない」

「へ。掘り返すから差詰め山芋ってとこか。冗談じゃねえぜ、掘り返された方はたまったもんじゃあるまい。だいたい一度もバレなかったのか?」

「そのようだね。埋めてすぐ掘り返しに行くわけだから、案外掘り返した跡が目立たないのかも」

「なんともすげえ話だな」

 リョウは腕を組もうとして我が右手を見てやめた。替わりに、その炭坑は土葬だったのかと尋ねる。

「いや。当初火葬場は、車で三時間ぐらいの距離にある山向こうの施設を利用する予定だったらしいけど。ところが、炭坑側が辻橋に入植して来るにあたり、当時の辻橋の住民代表から提示された条件がひとつだけあったんだな」

「条件。聞きたくもねえが?」

「うん。屍体は燃やすな」

「そんな奇妙なもん、よく受け入れたな」

「火葬は地区の禁忌であり、辻橋地区内では火葬した屍体は埋葬できないの一点張りで、それは譲れないと。まあ、それ以外に特別厄介な条件が出なかったようで、結果的に炭坑側は案外さらっと受け入れたらしいけどね」

 そうかいそうかい。リョウはそういって思い切り伸びをした。右腕がびきびき鳴っている。

「よく調べたな、大したもんだ」

「だからいったろ、こういうのは俺のライフワークなんだ」

「よし。それじゃあカベ」

 本題を話せとリョウは目のない顔で凄んだ。

 壁は、本題とはナンダロウカと惚けて見せた。

「昔話は楽しかった。だが今は、昨日今日の話が聞きてえ」

「えっとそれは」

「お前は人が人を喰うのを見て、ただ帰ってきたのか?」

 多分、まともな死亡届も提出していまい。

「いちいち警察なんぞに連絡しろとはいわねえが」

 壁が警察に行くわけがない。おそらく壁は、国家権力とは馴染まない人生を歩んでいるだろうからだ。

 リョウの目は、多分自らが行ったことの後ろ暗さから逃げ出した壁のなにかを感じ取っている。だから壁は目のないリョウに睨まれている時は、この世のものならぬ居心地の悪さを感じてしまうのだろう。

「わ、悪いことしてないよ」

 だからしどろもどろになり、そこをまたリョウに追求される。心根が脆いのだ。

「だったら連れてけよ。急げ」

 リョウには揺れる心はないのだろうかと、壁は横目でちらちら見ながら思う。

 エンジンを再始動させた。

「集落の手前でいいか?」

「構わない」

 但し、俺が車から離れても逃げるなよ。逃げてもすぐに見つけ出すからな。リョウに凄まれて、壁はこのような恐ろしい少年と知り合ってしまった自分の不幸を呪う。以前命を助けられたこともあるのだが喉元過ぎればなんとやらで、正直壁は、今はあまり恩義は感じていなかった。

 日々を思うままに生きている。壁マサルとはそういう男だ。

 はたして先に告白してしまった方がいいのだろうか。今いってしまえば、事後あれこれいうのよりも心証はいいかも知れぬ。それくらいのことは考えているが、それは飽くまでも自己保身に過ぎない。

「あ。あのぅ」

「なんだよ」

「俺の今の仕事ね。人材派遣」

「おう」

「この辻橋の住人に依頼されてね」

「おう」

「人間を数人都合してくれって」

「生死に関わりなくか?」

「あ、うん。いや。生きている女をひとりと、後は生きてようと死んでようと」

「すごい発注だな。それを都合するのが人材派遣か?」

「あは。ま、まあ広い意味で、そうかな」

 先ほどまでは立て板に水とばかりに饒舌に話をしていたのに、途端に歯切れが悪くなった壁の横顔を見つつ、リョウは、その人数はどこで都合付けた、注文したのは誰だと聞いた。

「え。あー。なんていうか、この商売には守秘義務ってのがあって」

 そのいい訳に、リョウは壁の薄っぺらい胸ぐらを掴み、

「今更俺につまんねえヒトの道理を持ち込むんじゃねえ」

 と低い声でいった。

 壁の胸ぐらを掴む左腕の、大小様々な眼球が一斉に壁の顔を睨み付けている。そのどれもが血走っていて、正直壁は堪え難い怖気に襲われた。

「あ、あんたはヒトじゃないってのか」

「少なくとも半分は違う。俺の親父は多分、ヒトならぬモノだろうからな」

 壁の顔を注視している目玉群を見れば、それは頷ける。

「カベ」

「いっとくけど、結局俺は人間も死体も斡旋してないぜ? 発注者が寸前でキャンセルしてきたんだ。なんでも自分で都合が付けられたからって。ウチはキャンセル料取るようなセコイ商売してないからさ、お陰で一円も懐にゃ入らなかった」

「都合を付けた? だから、その依頼人てのを教えろ」

「まだ若い子だよ、多分。文面見ただけの憶測だけど」

「文面て、手紙でそんな物騒なやり取りしてたのか?」

 違うよといって、壁は携帯電話を取り出して見せた。

「文章も送れるのか。なんともおっかねえ電話だな」

「おっかねえの意味がわからないけど。使い方次第だよ、文明の利器てのは」

「ふん、まあいい。それならお前、なんでここにいる。斡旋がポシャったんならこんな僻地に出張ってくる必要はあるまい」

 すると壁はどこか恥ずかしそうにへへへと笑って、

「だから趣味さ。俺にはそうした趣味があるんだ」

 といった。

 リョウは眉根を寄せた。

「人間が屍体を貪り喰う様を見たいと、そういうことか?」

「…うん。今回の場合はそうだね。実際それを期待してここまで出張って来たんだけど、駄目さ。現場の雰囲気っていうのかな。この土地でそうしたことを想像しただけで酷い吐き気に襲われ続けて」

「そりゃあ吐き気もするぜ。まあ、ヒトンチのこととやかくいう趣味はねえけどな」

 そう。現代日本の社会倫理で食人の奇習など許されるわけもない。

 もし本当に今以て行っているとしたらそれは、秘事中の秘事であるはずだ。

「まあ結局は。そしらぬ顔して集落に潜入することは出来たんだけど、日も暮れないうちに見つかって追い出されたんだけどね」

「それはそうだろうな」

「乱暴はされなかったけどね。無言の圧力っていうか。行く先々に住人がいてさ、じっと黙って俺を見てるわけ。行きたいとこ行きたいとこ居るんだな、なにをするわけでもなくじいっとね」

「ほんとにそれ、生きた人間か?」

「生きた人間」

「へ。死んだ振りすりゃいいじゃねえか。喜ばれるぜ」

「やめてよ」

 リョウはおしゃべりは終わりといわんばかりに右手を軽く挙げて、集落の随分前で車を停めさせた。

「よし行くぞ」

「え?」

「だって見てえんだろ?」

「あ、まあ」

「なに煮え切らねえ返事してんだ。早くしろ、ヘッドライトの灯りで多分気付かれてるぜ」

「え。じゃ、じゃあ車隠さないと」

「時間がねえ。俺は先行くからな」

 そういってリョウは、本当にひとりで歩き去ってしまった。

 壁は二、三度行ったり来たりして、結局リョウの背を追った。



 *


「どうなるんだろうな俺たち」

 一頻り脱出を試みて後、諦めたのか体力が尽きたのか大柄なカメラマン、古葉は大の字になって畳の上に転がった。

 辻橋地区、民宿ゆずり葉の今は使われていない離れ。

 東北の秋口故閉め切られても暑さこそ感じないが、閉め切られている事実、脱出不可という事実だけで酷く息苦しい。

 そう。鳥辺トモ、マネージャーの大月と撮影スタッフ四名、計六人の人間が今監禁状態にある。

 鉄の扉はどうやら外から施錠され、窓のすべてが板で塞がれている。大の男が寄って集って何をしようともびくともしなかった。

 そんな中、ディレクターの坂野はずっと、なんでと繰り返している。

「なんであそこに四ツ元が…」

 最後に残った窓を塞いだのは、たしかにAD四ツ元だった。

 頭を抱え、髪の毛を引っ掻き回す坂野に、トモが静かに近寄って行った。

「坂野さん、このロケのセッティングしたのって四ツ元さんなんですよね」

「ああ、いったろ。今回は一から十まであいつに任せた」

「それは偶々でしたっけ」

「ええ? 偶々っつうか。いわなかったか?」

「聞きましたが、確認の意味でももう一度お願いします」

「だからさ、そろそろ四ツ元も一人立ちさせるかってタイミングで、あいつが企画持って来たんだよ、このロケの。噂が載った雑誌だの、どっかのサイトをプリントアウトしたのだのを添えた企画書をさ」

「この離れに影が出るとか声が聞こえるとか」

「そう。ネタ的にゃあ弱いと思ったがな。ホラ、あんたの事務所にオファー出したら、すんなりOKだったしな、まあいいかなって。四ツ元も矢鱈熱心だったからな」

 いったい何の目的でと、トモはいう。

「目的?」

「ええ。目的は現在進行形なわけですよね。まさか監禁して満足なわけじゃないでしょう? それだけ熱心にこんな企画、ああ失礼。企画を通してまで私たちをここへ連れてきたかった理由というか」

「あんたはまだこの先があると?」

「当然でしょう」

 そうトモはいいながら、矢張りこのディレクターに頼るべきではないなと心の内で見切りを付けている。

 坂野は頭はそれなりに使えるのだろうが、この場ではどうも思考することを放棄している。また喫緊時に冷静さを保てないのもいただけない。つまりは、この場で頼るべきは自分のみだということだ。トモは小さく溜め息を落とした。

「な、なにがあるっていうんだ? たしかにこの村はなんだか気味悪いけど…」

 ガサガサの唇を震わせて大月がそう喚いた。

「なにがあるのかはわかりません。考えたくもないです。それより今はまず脱出方法を探した方が建設的ではないでしょうか?」

 トモがそういうと大月はもごもごと押し黙った。

 古葉がいった。

「とにかく固いモンで壁を壊すのが手っ取り早いだろ」

 いや待てと坂野がいう。

「固いものってまさか撮影器材じゃないだろうね? こんなロケに来て、器材壊して帰ったんじゃ割に合わないよ?」

「つったって坂野さん、黙ってここにいたら、いったいどうなることか」

「どうなるもないだろ」

「だったらなんで監禁する」

「ううん。誰かなにか見てしまったとか、ない?」

「何かってなんだよ」

「だからさ、この村の秘密みたいなさ」

 なんとも稚拙な論旨だが、実際トモは動揺していた。まさか自分の見たもののせいで現今の状況があるのかと。しかし彼女が見たものといえば、無音の葬列と、時間の止まった商店。

 それがはたして、こんな大掛かりな監禁沙汰を起こすほどのことなのだろうか。

 結局トモはいうのをよした。今の状況では無思慮な男どもに責められるのは目に見えてる。

「このまま餓死させる気かな」

 そう呟いたのは、先から体育座りで畳を見ていた音声の鴨井だ。

「それともひとりずつ」

「よしてよ鴨さん」

「だってさ、村ぐるみで監禁しちゃうような奴らだよ? このまま無事で帰れるとは到底思えない!」

「ようし。やっぱり壁壊すか!」

「そんなことしたって外に待ち構えてるんだったら一緒だろ」

「じゃあどうするんだよ? このままじっとしてたってどうにもなんねえだろ」

「そんなことはない。予定になっても帰らなかったら、誰かしら心配して捜索願いも出してくれるだろ?」

「なにを気の長い。そんなの待ってたらほんとにミイラになっちまう」

 古葉は音を立てて尻を落とすと、大きな動作であぐらをかいた。

「だいたい坂野さんよ。俺は独身だ。今はオンナもいねえ。親戚は熊本にいとこの一家がいるぐらいで、そんなもん一年二年連絡がねえのはザラだぜ」

 坂野は落ち着きなく周囲を見回しながら返す。

「それは俺もだよ。まあ俺の場合は離婚だけどね。父も母も早くに他界してるし、兄弟もいない。何日どころか何年経とうと俺がいなくなったことに気づく奴はいない」

「鴨さんは?」

 古葉が同じ話題を音声の鴨井に振ると、

「俺も似たようなもんさ。親父はいないしお袋は痴呆で施設だ。妹がふたり居るけど絶縁状態だしな」

 結婚もしてないしねと頭を掻いた。

 照明のスタッフは振られる前に首を横に振った。

「マネージャーさんは?」

「ぼく? 僕はまあ結婚はしてますけど」

「おう、それだったら女房が心配して騒ぎ出すわな」

「どうかなぁ。ウチの奥さん、浮気してるもんなあ」

「は?」

 美人なんでね、僕別れたくないんですよと大月はこの場にそぐわないことをいった。

「資産家の娘なんですがね。なんでアンタみたいのと結婚したんだろって面と向かっていわれたこともあります」

「ああ、もういいよ」

「はあ。親はふたりとも健在ですが、今海外旅行に行ってます。父の退職金で世界一周豪華客船の旅ってやつです」

 あんたンとこも頻繁に連絡してくる身内がいないかと古葉が落胆したようにいい、そしてトモを見た。

「私は未婚です。父は他界してます。母は再婚しましたが、連絡先は知りません」

 簡潔な答えだった。なんとも乾いた空気が流れる。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ