構太刀 (四)
歩け小僧 巡れ巡れ 貴様の父はなかなか立派な仁だった
「立派だった…」
会えるとよいな
「あ、おい!」
それを最後に声は聞こえなくなった。リョウは棒立ちとなった。
なんなのだろう、この後味の悪さは。
「ああ、」
項垂れるリョウに壁が歩み寄り、これからどうするんだいと尋ねる。リョウは暫く無言で、ややあって顔を上げると、思い切り自分の頬を張った。無理矢理立ち直る。
「とにかくここを離れる。警察につかまると面倒だ」
ナリがナリだしなといった。
壁は無言で数回頷くと走り去り、ジャガーを回してきた。
リョウは刀を手に持ち、助手席に乗り込む。タミコに声を投げる。
「タミコ、乗れ!」
「…いや」
「今は乗れ! お前はもう、まともに生きて行けねえんだ」
リョウにそういわれ、タミコは逡巡する。しかしリョウがそれを許さず、タミコの青白い腕を引っ張って、開けた窓から無理矢理後部座席に引き込んだ。
「なにをするの!」
「出せカベマサル!」
壁は軽快に返事をし、ジャガーを発進させた。
しばらく走って町を抜けると、リョウは一度車を停めさせた。
「カベ、悪いけどタミコに服都合してきてくれねえかな」
壁はわかったといい、降車した。
「さて」
リョウは肩甲骨の大きなひとつで後部座席のタミコの様子を見ている。
タミコは下唇をいじりながら、俯いているのみ。
「どうするんだ、これから」
ごう、と貨物トラックが砂塵を巻き上げつつ横を走り抜けて行った。
どうやらここは、すべてがはじまったあの廃病院へと続く山道の近く。鬱蒼とした山道の砂利の路肩に、高級外車はまるで馴染まない。
「どうして」
「あん?」
「どうして私にそこまでこだわるの?」
「知るか」
本当はリョウ自身にもわからない。同情なのだろうか。
「こんな…」
タミコは泣いた。
感情が表れはじめただけましかと、リョウはそう思う。生き返ってすぐ、彼女は人形のようだった。徐々に回復した意識は少し快活だった。そして今、さめざめと泣くタミコは、リョウが最初に出会った彼女にもっとも近い。しかし本当の潤目民子は多分、明るく快活な人なのではないのだろうか。リョウはそんな気がしている。
「厭な世の中だ。いいことなんてなにひとつない」
「ない。つらい」
とても辛いと、タミコは華奢な指で顔を覆った。
「けどな。あんたはもう、その厳しい現実の住人じゃあない」
こちら側のニンゲンなんだと。リョウは自分を指し示した。
「こちら側」
「ああ。陽のあたる道は歩けない、そのかわりに煩わしいもんもねえ。どちらがいいとかはわからねえけど。まあ住み慣れると悪くない」
タミコはバックミラーに映ったリョウの顔を見、ごく小さな声で何かを呟いた。
「え?」
「ありがとう。一生懸命元気づけようとしてくれてるのがわかるから」
「…あんた」
随分真っ当だなと、リョウはこの時ばかりは顔に存在しない両目をありがたく思った。面と向かって礼をいわれたのは生まれて初めてだった。
「おなかも空かない、喉も乾かない、眠くもならない。暑さも寒さもない。確かにこれならなにもしなくていいわね」
つまりは社会参加せずとも、とりあえずは生きていけるということ。飽くまでとりあえずは、だが。
「迷惑、だったよな。あんたは逃げたいもんがあって、自分の意思で」
「もう何もいわないで」
タミコは窓の外に視線を投げた。
ぽつ、ぽつ、と雨滴が窓を打つ。また雨だ。しかし今度は幾分やさしい雨。
リョウはカマエタチから譲り受けた太刀を持ち、外に出た。
ガサガサと薮を分け入る。
「ちょうどいい大きさの石は」
オッパショィ。
聞いたことのある声。リョウはタミコやカベと出会った日のことを思い出す。この声の聞こえた傍には。
リョウは辺りを見回した。
ちょうど人の頭ほどの石があった。
オッパショィ、オッパショィ。
リョウはその石目掛け、思い切り太刀を振り下ろした。
夜闇に火花と金属音が散った。
太刀は鉄錆の一番酷い部分、ちょうど刀身の中程でぽっきりと折れていた。
リョウは手に残った刀を捨て、飛んだ刃先を探した。それはクヌギの大木に刺さっていた。抜き取るとそれを大事そうに抱え、車へと引き返す。
叩き切られた石は割れ、妙な声は止んでいた。
車の横には所在なさそうな壁が煙草をふかしていた。
リョウは最早恒例のように一本せがんだ。
「タミコちゃんは行っちゃったよ」
「服は?」
「トラックが停まってて、運転手が立ちションしてたから、作業服の上着を失敬した」
「下はあんたのか」
「おう。アルマーニくれてやった」
せめてもの罪滅ぼしだよと下着姿の壁はいった。
「そうか。いろいろ世話になったな」
「行くのか」
「ああ」
陵霊は闇を行く。
その手に折れた太刀を持ち、父との邂逅を目指して。
いずれ光の下を歩けぬ身であるならば、せめて闇夜に輝く蛍たらんと強く強く。
発端編 完