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ゲオマ  作者: 偽薬
3/13

構太刀 (三)

 合わなくて幸いだとリョウは憎まれ口を叩く。


 外にはじわりと夕闇が迫っていた。


「一雨来るかな」

 窓を開け、外の様子を見ていたリョウがそういった。壁も釣られるように窓の外を見ると、確かに空の一隅が真っ黒い雲に覆われていた。俄に風も強まってきているようだ。

 猫はすっかり弛緩していて、腹を見せて寝入っている。

「無理矢理跨がせて早く終わりにしません?」

 壁の提案は無言のまま却下された。

 リョウは腕組みの姿勢で空を見ている。

 暮色は影色に変じ、やがて遠雷がふたりの耳に聞こえた。

 猫が三角の耳をぴくりと窓のほうに向けた。


 どろどろどろ…


 再度遠雷。

「あ、降ってきたな」

 大粒の雨滴が窓ガラスを叩きはじめたかと思いきや、それは瞬く間に凄まじい雷雨となった。リョウは窓を閉めた。うるさいほどの雨音は半分になったが、暑い。

 一瞬視界は白く染まった。ややあって轟音。

「一気に暗くなっちまったな」

 まだ窓の外を眺めていたリョウは、ビルの手前に停まった大型のバンに逃げ込むようにして入る数人の人影を見つけた。

「あいつらまだ居やがるか」

「え? なんてった?」

「いや。猫見つけに外出た時よ、こんな町中の、しかも路地裏で芝居の稽古やっててさ」

「芝居の稽古?」

「女がひとりで台詞いって、それを周りの偉そうな男どもがああだこうだってな」

 ドラマの撮影か何かかなといって、壁は隅から離れ、猫の様子を窺いつつ窓から下を見た。

「あ、やっぱり。あの車、横にナントカテレビって書いてある」

「ああ、ドラマね」

 そう相槌を打つリョウだが、テレビなど生まれて数度しか見たことがない彼は今、多分に想像で補っている。

「この雨じゃ撮影は中止かな。残念だな、見たかったなテレビの撮影」

 喜々として語る壁。

 リョウは鼻の下を伸ばして、興味なさそうにしている。


 閃光、


 ややあって轟音、地響き。

「今のは近いな」

 貸事務所に電灯はついていない。だが周囲の建物のネオンと、一瞬眩しく光る閃光とで案外視界は確保できていた。

「雷雨の夜か。まあ、雰囲気はいいがな」

「はじめるの? 儀式」

「そんな大層なもんじゃねえ」

 リョウは腕組みの姿勢のまま、ゆっくりと死体の入った袋を迂回し、ちょうど猫と死体と自分とが一直線上に並ぶ位置まで移動した。

 屈む。閃光。轟音。

 鳴り止むのを待って、舌を鳴らし指をちらちら動かした。

 猫は外の雷を気にしている。

「なあ。それやってもし、もしだけど、タミコちゃんが生き返ったとしたら、カマエタチと一緒にいるほうのタミコちゃんはどうなるの?」

「そうだな。うん。生きてるって状態はカラダもタマシイもひとつ所に収まってるってことだろ? だから多分、影と一緒にいるほうは肉体、つまりはこの死体に引っ張られてくると思うぜ」

「ほんとに?」

「だから多分、だよ。世の中、形のないモノより、形のあるモノのほうが強いもんだ」

「まあねえ。情よりお金だよな」

 閃光と轟音。地響き。どうやら近くに落ちたようだ。テレビクルーを乗せたバンからわらわらと人が出てきていた。落雷現場はどこかと探している様子。プロ根性というべきか、商魂逞しいというべきか。

 猫はさすがにびくびくしている。とても壁いうところの、儀式を行える状況ではない。

 壁がなにかをいおうと口を開いたその瞬間、ふたりの視界は白一色にコンセントから鮮やかな火花が散り間を置かず鼓膜が破けるほどの音が轟いた建物全体が轟音に共鳴するかのごとく大いに震え軋んだ。

 ばらばらと天井からコンクリート片が落ちてくる。焦げ臭い。

 ビルに落雷したのだ。

 窓の外を見ると先ほどのバンが炎上していた。しかしまだまだ周囲はその事実を認識できる状態にはなかった。

 リョウも二度三度と頭を振った。鼓膜が痺れている。唾を何度か嚥下して、聴覚の回復を図る。

 壁は気を失っている。

 外からは女の悲鳴。そして男どもの怒号。

 空が光る。轟音が鳴る。女の泣き叫ぶ声が響く。

 リョウは窓に寄り、下をよく見た。車が燃えているだけで誰ひとり怪我人はいないように見える。

「いや。ひとり倒れてるか」

 男のひとりがカメラでその様子を撮影している。世間ずれしているリョウには、それがどういった意味を持つ行動なのかは理解できない。何故助けないと、そう思っている。

 一度それは激しく雨が降り、次第次第に勢いを弱めていった。雷の鳴る間隔も間を空けつつある。どうやら雷雨の峠は越えたらしい。

 外の炎のお陰で、室内は赤く照らされている。

 リョウの足下には壁が転がっている。まだ気がつかないようだ。



 指先とか背骨のあたりがまだ痺れてたし、熱かった。目もチカチカする。

 どうやらロケ車に落雷したのはわかったけど、まさか雷が地面を伝って拡散するとは思わなかった。私は比較的遠くで雨宿りしてたからまだ良かったが、車の傍で携帯電話をいじっていた田上さんは…私はそれを視認して叫んだ。マネージャーの大月が震えた声で警察か救急車に連絡しているのをそぞろな気持ちで聞いていた。

 田上さんはディレクター。いってみればこの班の最高責任者にあたる。ひとりひとりは大人でも、指令すべき人とされるのを待つ人がいる集団では、指令すべき人(たとえ無能であったとしても)を失って後の無駄な硬直時間というのはどうしたってあるものだ。ただ、迅速に対応できていたとしても、眼球が半分融け、口から煙を出している人間がはたして助かるものなのだろうか。

 私は私を抱く。

 雨脚はだいぶ弱まり、悪魔の咆哮のような雷鳴も今は遠い。

 やがてパトカー、消防車、そして遅れて救急車が到着した。野次馬の輪は三重にも四重にもなっている。ADの餌場木くんが田上さん田上さんと連呼している。田上さんにはなにも聞こえていまい。わらわらと集まる救急隊員が田上さんに処置を加えている。野次馬のそこここから、テレビカメラだ、ニュースかなといった声が聞こえる。


 私は女優を目指して芸能界に入った。

 司法試験一発合格からの転身だったので、多少は世間の認知度もあると思う。

 法曹界入りは父の夢。

 芸能界入りは私の夢。

 去年肺癌で父が急逝したことで、私の中の箍は外れ、幼い頃からの夢だった世界に右も左もわからないまま飛び込んだ。

 演技の勉強をしてきたわけでもなく、学生時代演劇部にすら籍を置いたことのない私がとんとん拍子で、たとえ深夜枠の単発ショートドラマとはいえ、いきなり主役デビューできたのは、ひとえに司法試験合格という言葉の響きの良さ故だろう。つまりは、私が父のために得た鳴り物は、芸能界という世界でもそれなりにいい音を鳴らすということで、結果的には自分のためにもなったということだ。どうであれチャンスには変わりないと、オファーがあった時は割り切った。なにせ、思い出したくもないことだが、私の高校時代のあだ名はカニだったのだ。つまり。容姿には決して恵まれているほうではないのだろう。また、そのコンプレックスから逃れたいがため、必死に勉強してきたともいえる。どちらにしても暗い学生時代ではあった。

 それも今日で変わると、そう思って意気込んで撮影初日を迎えたはずだったのに。

 なんなのだろう、この運の悪さは。

 弁護士女優、今度は落雷! なんて持てはやされ方はするだろうがそんなもの一過性に決まってる。どこをどうしても恒久的な人気にはつながりはすまい。目立つことは大いに結構だが、そんな目立ち方は明らかに違うと思う。

 ニュースや雑誌に出るんだ私。この顔でと余計なことを考えて落ち込む。なんで女優になりたいのだろう、時々わからなくなる。

 救急車の後部扉がしまり、田上さんとADを乗せて走り去った。大月が警察と消防に落雷事故の説明をしている。カメラマンはまだカメラを回していた。

「トリベさん、大丈夫ですか」

 名前の知らない音声担当スタッフが私に声を掛けてきた。

 鳥辺トモ。それが私の名前。

「はい、大丈夫です」

「それにしても大変なことになっちゃいましたね」

「そうですね。なにか」

 用ですかと私は音声スタッフの顔を見た。スタッフはいえ、大丈夫ならいいんですとどこかはにかむような顔をした。場に似つかわしくない表情であると、私は少し不機嫌に、

「大丈夫ですから、おかまいなく」

 といった。

 スタッフはすごすごと後ずさっていった。本当に一声かけるだけの用だったのかと私は少し飽きれた。入れ替わるようにしてマネージャーが太短い身体を揺すって近寄ってきた。

「トモちゃん、トモちゃん」

 大月という男は基本的に馴れ馴れしい。なにがトモちゃんだろうか。

「なんでしょうか」

「いやね。ボク達も一応病院行った方がいいって、警察の人がゆうんだよ」

「特別身体に痛みはありません」

「一応検査しといたほうがいんじゃないですかって、警察の人がゆってくれてるんだ。なんなら通り道だし病院まで送りますよって」

 なんといおうか、これが社会人の話し言葉だろうか。私は結構です、行くとしても自分で行きますといった。大月は埴輪みたいな顔をして、

「ああそう? それならここで解散でいいかな? ボク乗せてってもらおうと思うんだ。夜中に痛くなってもイヤだし。それじゃあ明日また電話するね」

 と、矢張り子供のような走り方で立ち去った。

 まったくみっともない男だ。

 男はいつの世も誇り高くあれ。父がよくぼやいていたのを思い出す。

「あれはなにかな」

 気付くと路地の奥に大きな影が立っていた。



 リョウは気を失っている壁の懐から、エコーとオイルライターとを勝手に取り出して一服点けていた。

 タミコ、猫、壁、リョウ。

 大雨が降ったお陰で外気は随分と冷やされ、昨日の夜に比べるととても過ごしやすい。

 昨夜は山の上の廃病院。

 今夜は町の中の古ビル。

 場所は変われど闇は変わらず、いずれ陽の下を歩けぬ身であるならいっそのことヒトをやめるべきかとリョウは真剣に考えていた。ヒトの意思でヒトの身をやめられるかどうかは別として、リョウの心の闇は、リョウ自身が認識している以上に深い。


 ヒトとはヒトとの関わり合いの中でのみヒトである。


 リョウは、ヒトの身ながらヒトの群れから弾き出され、そして今は自らの意志でヒトに関わっている。

 ヒトなど滅べばいいと真剣に考えた時期もあった。

 ヒトは殺す。

 ヒトは壊す。

 ヒトは汚す。

 長じてヒトの為してきた様々な事実を知るにつけ、リョウは我が身を含めた、人間というものに心底嫌悪を覚えたものだ。それを思春期特有の青臭さと取る向きもあろうが、その頃の思いは、未だリョウの心の奥底に燻っている。その熾き火のような感情は最早燃え上がることこそないが、消えることもまた、ない。

 それでもリョウはヒトを助けようとしている。自分の思いと行動に矛盾は感じるものの、ミササギリョウ個人としては一貫している。目の前に大変な目に遭っている者がいて、それを捨て置けるほど冷血にはなれない。これは理屈ではないのかもしれない。


 だから、壁のような人間でも、とリョウは大口開けて気を失っている長い男を見た。

 どこに隠れていたものか、腰を低くした姿勢で怖ず怖ずと猫が姿を現した。つとつとと四つ足で歩いて、ちらと壁を見た。開いた口の端から垂れる涎に興味を示したのか、近寄っていってフカフカと臭いを嗅ぐ。

 と、壁が気を取り戻した。

 気が付けば目の前に猫。

 壁はそれは大きな声で叫んだ。その声に魂消た猫が勢い込んでタミコの入った袋を飛び越えた。

 リョウは固唾を呑んで袋を凝視ふっ飛ばされた。

「なんだァ!」

 またも落雷かと壁面に激しく身体を激突させながら、リョウは周囲の様子を具に見た。窓側の壁が激しく破壊されている。袋は蠢いている。猫は姿を消し、壁はヒイヒイと喚いていた。

 がらがらと音を立てて瓦礫が崩れてくる。

 リョウは裸足で床面を咬み、大股で走ると大きな袋を抱え込み、

「カベマサル! ぼさっとしてっと死ぬぞ!」

 と、ビル内から脱出する意思を示した。

 部屋の出際、リョウはほぼ背面に付いたひとつで視認した。

 カマエタチだ。追い付かれたのだ。

 リョウは階段を駆け降りながら肩に担いだ袋に声を掛けた。

「オイ聞こえるか? アンタ、ウルメタミコか?」

 袋は蠢くのみ。

「ウルメタミコだろ?」

 本当に生き返ったのだろうか。いずれにせよ、袋の中の死体は確実に動いていた。

 とにかくリョウは走った。喉から肺臓まで一気に乾いてしまったような感覚に陥るほど、精いっぱいに。

 裏口の戸が見えた。足で蹴破る。カマエタチのいる通りからは見えないはずだ。急げ急げと自らを急き立てて、リョウは袋をそっと置き、震える指でジッパーを下ろす。

 土色をした指が現れた。それとともに死臭が鼻孔に届く。オイと声を掛けると、土色の手はリョウの首に握り付いた。とても冷たい手だ。がさり、ごそり、中のなにかが動く。開きかけの隙間から覗く目。冷たい手は中途半端に力を込めたままだ。リョウは思う。はたしてこれから、この冷たい手に血が通い、人の温もりを取り戻すのだろうか。科学的にどうとかいったことはどうでもいい。しかし実際に体験していて尚信じ難き現実であった。

 生き返った。いや、ここは再び動いたというに留めておく。動くと生きるはまるで違う。リョウは冷たい手を取り、ゆっくりと女の裸身を袋から引き出した。

 小柄だが四肢の長い、色の白い、綺麗な身体。

 リョウがゆっくり手を離すと、タミコの身体はふわりと立ってみせた。

 ただの昔話からいい加減に思いついた着想が、本当に成功するとは思っていなかった。リョウは正直今、とても戸惑っている。胸を見た。呼吸はしていない。左の乳房に掌を宛てがう。

「ああ」

 心臓の拍動もまた、ない。

 ぴたん、と間の抜けた音がした。タミコの平手がリョウの頬をとらえていた。

「あ、すまない」

 反対側の通りで、再度激しい破壊音が響いた。カマエタチがタミコのカラダを探しているのだろう。

 出て行ったところで瞬時に斬却がオチ。結局いまだにカマエタチに対してなんの対策も講じていない。

 無意味に自分の顎に触れる。髭が生えない体質である。その様子を、これでもかといった青白い顔をしたタミコが見ている。目の焦点は定まっていない。生気はない。

「なあ、なんかいい知恵授けてくれよ」

 タミコはきょとんとしている。表情筋が緩んでいるのか、一切感情は表層には現れてこない。いや、そもそも今のタミコに感情があるのかどうか。

 つい、とタミコが半歩リョウに近寄った。

「あ」

 額にキス。

「お、ま、も、り」

 なんとも艶っぽい声と表情とで、タミコはリョウの顎先を人さし指でなぞった。明らかに性格が違う。確かにリョウは、タミコの性格を熟知しているわけではないが、それでも違うものは違うと思った。昨夜出会った魂のタミコならば先のような気の利いた真似はできまい。

「とにかく大人しくしててくれ」

「う、ん」

 リョウはカマエタチのいる方向へと身体を向けた。その背に向かい、タミコが無声音でありがとうといっているのを、聡いはずのリョウはまったく気付いていなかった。眉間の深い縦皺がすべてを物語っていた。

 逃げてもいいんだよな。リョウはそんなことを考えながら歩く。カマエタチの欲しているのはタミコであり、生け贄だ。俺は生け贄には失格らしい。

 汗と脂とでべとべとになっている髪を右手で掻き揚げ、そのままの姿勢でリョウは裸足の足を見た。ガラス片が散々に刺さったまま、皮膚が再生していた。

「なんだこれ」

 ガラス片を抜くと血が出た。なにか思うところがあるのか、リョウは傷口を見つめる。

 赤黒い血液が一滴、二滴と、アスファルトに染み込んだ。と、今開いた傷であるのに既に血は止まっている。そして見る間に傷口奥から新しい皮膚が盛り上がり、再生してしまった。

「大したもんだ、俺」

 リョウは頭から右手を離し、まじまじと見た。

 確かに昨夜、カマエタチの太刀でリョウの右手は掌の上半分と、小指、薬指、中指を切り飛ばされたのだが、現今特に目立つ傷になっていないばかりか、飛ばされたはずの指もきちんと存在している。切られたことが夢なのではない。確かにあの瞬間、飛び失せる三本の我が指を見たし、それに伴い燃えるような激しい痛みも感じたのだ。

 つまりはどうも、リョウは普通人よりも数倍、いや数千倍も再生能力に長けているようだ。

 全身蜥蜴の尻尾ってことかい。


 ごりごりと顎をいじくりながら、リョウはカマエタチに近付いて行く。


 相手は純粋なる力。手には太刀。


 向かうは全方向を見渡せる少年。小さな傷なら五秒で塞がる再生力。

「そんなもんが武器になるとは思えねえけど」

 あるものでどうにか切り抜けるしかあるまい。もともとカマエタチを呼び寄せるつもりではいたのだ。ただ、少し時機が早かった。

 つらつら考えながら歩いているうち、リョウのアタマから逃げ出すという選択肢は滅却していた。得るものがなくとも危険に飛び込むことのできる生き物、それもまたヒトなのだろう。もっともその性質は、生き物としては劣性だが。


 金網の横を通り、ビルの角を見る。あそこを曲がれば多分、

 リョウは一度、大きく息を吐いた。


 皹の走るビル外壁を直角に折れると、

「うむ。そこにおったか。ウルメタミコが消えてしまってな。そちらにいるのだろう?」

 リョウは何も返せずにいる。改めて対峙すると圧倒的なまでの存在感と威圧感があった。この重苦しいまで圧力はおそらく、前方に悠然と立つ影が紛れもない本物であるという証左なのではないか。

 本物の化け物。

「出すのだ、少年」

「タミコをかい」

「当たり前のことを聞くものではない」

「断るったら?」

「昨晩もいったな。貴様ひとり、五分の力にも満たぬ私でも切れると」

 五分に満たないだと? リョウは内心愕然とする。しかしそれをおくびにも出さず、

「御託はいいから、かかってこいや」

 そう粋がってみせた。

 カマエタチは見抜いているのか、鼻でせせら笑った。

 笑うと同時に大きく一歩踏み込み、地摺り下段から一気に剣先を跳ね上げた。

 リョウの真横のコンクリート壁が轟々と音を立てて崩れ落ちた。

 偶然か。

 いや。

 リョウは表面上平然としている。その実背中に大汗を掻いていた。急激に喉は乾き、指先が細かく震えていた。全方向を視認できる目は、一点前方のカマエタチの炯々と輝く両目に集中している。その向こうに、女が一人蒼白な面持ちで立っていた。

 遠巻きなので顔相までは判然としなかったが、衣服をまとっている時点でタミコではない。

 誰だ? リョウは自分が今、町中の繁華街にいることを失念している。通行人がこの騒ぎに呆然としていてもまるで不思議ではない。

 女は携帯電話を取り出し、ぐるりとひと周りした。どうやら女は、この様子を撮影している。

 リョウにはわからない。ただ徒に、何故逃げないと苛立ちにも似た思いに駆られていた。

「おい、あんた! とっとと逃げろ!」

 叫ぶ。聞こえぬ距離ではないし、だいたいにしてリョウの声は大きい。しかし女は撮影を続行する。聴覚に難でもあるのだろうか。

「おい!」

 再度リョウが声を投げると、女はリョウを見た。

 大概の者は、リョウを一瞥すると、そのあまりにも奇異なる容姿に目が離せなくなる。ところが女は別段なにがあったという表情も見せず、ひとしきり周辺の様子を観察して、今度はおもむろに炎上したバンの向こうに顔を向けると、シバイサン! シバイサン! と大声を張り上げた。

 先ほど引き上げたばかりの警察車両と消防車両が引き返してくる。

 カマエタチはその様子を見、

「この建物にウルメタミコはいるのか」

 とリョウに聞いた。

 リョウは無言でかぶりを振った。

 カマエタチは大股に腰を低く落とし、太刀を一閃させた。

 凄まじい轟音を立てて、古いビルは完全崩壊した。

 周囲に飛び交うサイレンと悲鳴。

 はたして何人が犠牲になったものか。リョウは奥歯を噛んだ。

「野郎」

 猫は。カベは逃げたろうか。しかし今はそれを確認しているいとまはない。それ以前にあたりは砂埃でなにも見えない。騒然としているため、音で周囲の状況を判断することもままならなかった。カマエタチはおそらく、この状況でも的確に動けるのだろう。


 影が。


 リョウは横様に飛んだ。その背面を太刀が掠めていく。

 リョウが腕から着地するその刹那、カマエタチの舌打ちする音が聞こえた。

 太刀風が暴風の如く、砂塵を吹き飛ばした。


 こんな奴に勝てるかよ!


 勢い余って転がりながら、リョウはそう思っている。しかしリョウが諦めては、タミコはどうなるのだろうか。猫はちゃんと逃げただろうか。

 足先が地面に触れた。リョウは足の爪だけで飛ぶ。爪は剥がれたが痛みを感じている余裕はない。太刀が振り下ろされる。

 どん、どん、どん、と、リョウの足先を掠めての連撃。宙空に舞った砂礫がリョウの背を打つ。

「ちょこまかと」

 カマエタチは長大な体躯を反転させつつ、踵でリョウの顔を捉えた。

 リョウはカウンター気味に顔面に踵を喰らい、背中から地面に落ちた。

 鼻血が盛大に吹き出る。鼻骨も上顎も陥没している。流石に堪え難い痛みに襲われ、リョウは喉の奥から嗚咽のような悲鳴をもらした。両手で顔面を覆おうとするが、身体が痛みに激しく震えるのみ。カマエタチの上腕がぴくりと動くのを見て取って、とにかくまた飛んだ。

「ウルメタミコを出せ。本当に死ぬるぞ」

「出すかよ!」

 どん。

 リョウの右足が。

 血飛沫。絶叫。

 右足が膝から下、切断された。

 常人ならばとっくに気を失うか、ショック死していることだろう。またこの状況では、そのほうが幸せなのかもしれない。このままではリョウは嬲り殺されるだけだ。

 リョウはのたうち回る。その痛みを堪えた果てに、いったい彼には何が待っているというのか。カマエタチはどう思っているものか。

「何故」

 太刀を一度強く振り、血を払った。

「何故キサマは、ウルメタミコに固執する。多少歪ながら、人の身であるキサマが。懸想しているのか?」

「馬鹿なことを。どいつもこいつも。理由なんてなくても必死なったっていいじゃねえか」

 本当は理由がないわけではない。しかしその理由は、リョウ自身ですらはっきりと把握できていないだけだ。説明するのも面倒だった。

「退け、小僧」

「断る」

 カマエタチは唸るリョウを眼下に屹立している。


「リョウ」


 は?


 女の声。

 リョウの左腕の目玉が忙しなく周囲を探した。瓦礫の向こうに、襤褸切れを巻き付けただけのタミコがいた。

 なんで出てくんだよと、リョウは荒い呼吸の合間に切れ切れにいった。カマエタチの意識が明らかに逸れた。リョウはそれを機敏に感じ取って、目の前の瓦礫を手に取って放った。

 す、と最小の動きで躱された。

「探しましたよ」

 しかも肉体を得ていたのですね、悦ばしい限りだとカマエタチは大袈裟な動きでタミコに半歩近寄った。タミコは半歩さがる。

「逃げろ…」

「小僧。ウルメタミコの肉体を復活させてくれたのだ、命は助けてやろう。早々に立ち去れ」

「断る…俺は…」

 ごとん、とリョウは頭を落とした。

 カマエタチは暫くその様を見ていたが、突然興味を失ったように身をタミコに向けた。

「さあ、私とともに参りましょう」

「リョウ」

 幽鬼のように立ちすくむタミコに、カマエタチは歩み寄る。その隙を縫って、どこから出てきたものか、壁がリョウに走り寄った。

「お、おい、あんた。大丈夫か?」

 うわあ、血まみれじゃないかよと、壁は眉根を寄せた。壁は気付いていない。リョウの顔は寸前まで陥没していたことを。

「カベマサル…生きてたか、しぶてえしぶてえ…」

「大丈夫か?」

 いや、大丈夫なわけないなと壁は目一杯焦燥して、リョウを抱き抱えた。リョウは掠れた声でいった。

「練り山葵あるか」


 カマエタチは太刀を馬手に、ゆっくりとした所作でタミコに近寄って行く。タミコは影の姿を見、矢張り後ずさった。

 実際タミコの意識はかなり回復していた。種々様々な記憶がぶり返し、今はその混乱からなんとか脱し得たところである。但し、彼女には生き返ったという非常識に過ぎる実感はなかった。精々途切れた意識が元に戻った程度の認識しかない。

 そして、今この意識が見ている現実は嘘であれと、そう願っている。

 生や死を超えたり、

 刀を振り回す影や、

 髪を振り乱す女や、

 そんな現実が罷り通る世界ならば、自分の心を抉った深い瑕疵はいったいなんなのだ。見聞きし学んだ現実を空事にさせるような出来事の連続に、タミコは過去自分を瑕つけた様々なことを思い出す。

 対象の知れぬ怒りや憤りがタミコを襲う。

「寄るな、化け物!」

「化け物とは随分な仰りようだ」

 カマエタチは緩慢な動きながらも着実にタミコとの間合いを詰めて行く。ただ影にしても、タミコに嫌われてはつまらない。だから話し掛ける。

「いったいどのように蘇生なされた」

 タミコはかぶりを振る。

「よろしいか。再び肉体を得、以前と同様に振る舞えど、所詮は仮染めの生」

「どういうこと?」

「生者にあって生者にあらず。有り体に申さば生ける屍」

「死、カバネ?」

「私を受け入れるかどうかはともかく、貴女は既に我等と同類ということです。元の人間社会には到底戻れませぬ」

「元通りよ。身体も頭も声も、みんな元通り。どうして元に戻れないなんていうの?」

「不寝、不食、不老。そのような者、はたしてうつしょにおられしょうや」

 タミコの表情が凍り付いた。

 カマエタチはそれ以上近寄ることをせず、ゆるりと様子を窺っている。

 と。

「…潤目?」

 不意に苗字を呼ばれ、タミコは虚を衝かれたように両肩を竦めた。

 タミコの姓を呼んだのは、先ほど携帯電話を持って辺りを写していた女だった。

 タミコは女の顔を見、はっと息を呑んだ。

「あなた…鳥辺さん?」

 タミコはその女、鳥辺トモを確認すると、目を大きく見開いたまま固まってしまった。

 カマエタチは動きを止めている。

 トモはその様子をちらと見、手に持った携帯電話でタミコを撮影した。

「やめて…」

 タミコの控えめの要請を堂々と無視して、トモは撮影を続けた。

「お願い、やめてよっ」

「無理よ。芝井さんどっか行っちゃったし。ああ、カメラマンね」

 どうしてこんなところであのオンナと会わなきゃいけないの、やっぱりこんなのは現実ではないとタミコは思う。

 高校時代、タミコはトモに、それは酷く虐められていた。教科書を破られ、下着姿の写真をバラまかれ、トイレに行けば水を掛けられ、虫も食わされた。タミコはそれでも、カニ女といって男子生徒にからかわれる彼女を見ていたから、その腹いせに自分を虐めているのだなと思って耐えていた。耐えきれない時は学校を休めば良いと。トモはいろんな意味で自分以上に可哀想な子なのだと、そう思って諦めていた。

 学校を辞めることは父が許してくれなかったから、タミコは多分、そう思うことで自分の負の感情を抑制していたのだろう。

 トモの、あの目と目の感覚が少し広い顔には厭な思い出しかない。だからタミコは、トモの顔を正視できない。

 そういえばバレンタインチョコ、捨てられたっけ。二月の或る朝の登校途中、鞄をむしり取られ中身を引っくり返され、出て来たチョコと手紙を奪われ、チョコは川に放られて、手紙は黒板に張り付けられた。タミコは目を閉じた。抑えようにも歯止めが利かない。厭な記憶が次から次へとわいて出てくる。苦悶するタミコの様を、カマエタチは無言で観察していた。

 誰とでも寝るって噂を流したのも多分…。

 とても苦しげな表情で、タミコは自分の胸を押さえた。

「苦しいのですか、ウルメタミコ」

 カマエタチの問い掛けに、タミコはろくな返答ができない。

 どうして私だったんだろう。タミコは未だに、自分が何故トモの虐めの標的になったのか理由が思い至らない。

 トモは携帯電話を下ろし、タミコの顔をまじまじと見つめた。瞬間双眸にぎらりとした感情が走った。

 そのふたりの間に割って入るようにしてカマエタチは、

「ウルメタミコ。貴女はあの女に対し、尋常ならざる感情をお持ちの様子」

 といった。

 タミコは目を伏せ、なにも答えなかった。

 トモを野放しにしていたカマエタチは、女とトモを呼んだ。

「貴様はウルメタミコを知っているのだな」

「な、によアンタ」

 エラソウにと、トモは曖昧に語尾を濁した。

 タミコはなにも声が出せずにいる。封印を解かれてこんにちまで、彼女とともにあった影、カマエタチはその、タミコの心の内を熟知していて、トモに質問を重ねた。

「ウルメタミコとなにがあった。真実のみをいえ」

「いってる意味わかんないって。なにを偉そうに」

「云え」

 常人にも伝わる威圧感。いや、直感的にこいつはヤバイと感じさせる何かをカマエタチは多分に有している。

「高校の頃、ちょっとからかってただけよ」

「からかう? 何故」

「り、理由なんて」

「ないのか」

「いう必要はないわ」

「云え」

「わ、私」

「私」

「私より」

「私より」

「私より綺麗だったから」

 トモは目線を下に落として、そういった。

「自分よりも容姿が整っていたからウルメタミコが憎かったと、そう理解すればいいのか?」

「そうよ。そういうことよ」

 カマエタチはタミコの苦痛に耐えているようなその表情をいいだけ観察している。

「ウルメタミコはどうですか。あの女を憎んでは?」

 タミコはなにも答えない。

「憎いのでしょう?」

 答えない。ただ両の拳を震わせるのみ。その様子もカマエタチは見ている。

「憎くないわけがない。覚えていますか、貴女はあの女に、煙草の火を押し付けられ、髪まで切られた! 忘れましたか? いや、忘れ得るはずがない!」

 髪は女の命だと、カマエタチはわざとらしく付け加えた。あからさまにタミコの感情を煽っている。タミコの感情を爆発させて、生け贄を得ようとしている。

 タミコが死を望む者でなくては、生け贄にはならないのだという。だからカマエタチはタミコの本気の殺意が欲しい。

「なんなのこの状況」

 誰ともなく、ぼつりとトモがいった。

「鳥辺さん、逃げて」

「ハァ?」

「逃げてっていってるの」

「何様? 誰に指図してんのよ」

「早く逃げてッ!」

 結果として、そのタミコの優しさが仇となった。理不尽な怒りをあらわにしたトモは、高校時代自分がカニと名付けられた八つ当たりに、タミコに付けてやったあだ名を。

「指図すんなっていってんの。この、便所女!」

 タミコはほんの一瞬、目線を下に落とした。


 ああ駄目だ。


 私やっぱりこの女だけは


 許


 せ


 な


 い


 カマエタチはトモに襲いかかった。

 トモには状況がわからず、華奢な肩を萎縮させた。

「今度こそ二つ目貰い受けようず」

 所々鉄錆の浮いた太刀が、トモの眉間を割る寸前

「だらあ!」

 リョウがトモを突き飛ばした。

 太刀は地面にめり込んだ。

「小僧!」

 おとなしく転がっておれば良いものを、

「よほど死にたいらしいな!」

「黙れ!」

 左足一本で踏ん張って立ち、怒鳴りつけるリョウ。

「そのような姿で私に敵うとでも」

「二本あったって敵わねえよ」

「ならば退け。死に急ぐな」

「断る」

「どうしてだ」

「それが」

 俺だからだと、リョウは左足一本で空高く飛び上がった。

 カマエタチは瞬時にリョウとの距離を測り、彼の運動能力を計る。

 殴れば届かず。

 リョウは身体を左に回した。

 右足で蹴るか。しかし小僧、

「貴様の右足は、とうに私が」

 右太ももが見え、次いで膝から下が

「右足! 切ったはずッ!」

 予想外だった。まさか切ったはずの足が存在しているとは。しかし所詮は人。肉体を駆使した技などたかが知れている。カマエタチは上体を反らした姿勢から、リョウが蹴りを放ち足が伸び切った瞬間を狙っている。


 今度は胴をふたつにしてくれよう。


 裸足の右足。

 カマエタチの顔面を狙っている。

 狙いは目か! カマエタチは反撃するを捨て、太刀を持つが為の身体の緊張を若干解いた。そうすることでもう少しだけ上体は深く反れる。これで目を狙ったリョウの蹴りも寸前で躱せる筈だと。

「!」

 両目が熱い。

 カマエタチはどうと後ろに倒れた。

 倒れた瞬間鼻を掠めた匂い。

「山葵?」

 リョウは瓦礫の片端を引っ掴んで我が身を引き寄せカマエタチよりも早く着地し直ぐさま地を蹴り肩から身体ごとぶち当たった。体勢を崩したところで一瞬の間もあるかどうか。太刀を奪う。

「貴様ぁッ」

「ふん。清めの塩でもありゃよかったがな。生憎」

 太刀を抱えた姿勢で、その太刀の持ち主に憎まれ口を叩く。砂礫の散らばる大地を確り踏む、その右足は確かに存在していた。

 カマエタチを真ん中に、タミコとトモが会話をしている隙にリョウの失われた膝下は再生したのだ。無論顔面も、血がこびり付いていることを除けば完全復元である。

 カマエタチは顔を拭い、化生か小僧と呟いた。闇色の顔を歪めてはいるものの、涙は出ないようだ。涙が出るなら少しは早く両目に入った山葵が流れ出るだろうに。

「ケショウ? ああ、化生ね。古いいい方だな」

 いいつつリョウは刀を地面に突き立てた。

 カマエタチはまんじりともせず、我が刀を案じている。リョウはその様子を見て取り、べたりと、突き立てた刀身に裸足の足の裏を引っ付けた。再生したばかりの右足で。

「あんたの目的はなんだ?」

「目的? あまり明確に意識したことはないが」

 リョウは柄を右手で握った。一度、二度と握り直す。後はリョウの意思ひとつ。

 カマエタチは表面上なにもなかったようにしている。

「だってあんた。タミコを使って仲間を増やそう思ってるんだろ。増やしてどうするんだと、俺は聞いてるんだ」

「どうとは。遍く生けるモノであるならば、生を次代に継ぐは当然のこと」

「だってお前ら、死ぬのかよ? 寿命とかねえだろ」

「死ぬとは肉体が活動しなくなることか?」

 リョウは怪訝そうな顔をして、不図タミコのことを思い出した。タミコは一度死んだ。自分が最初に出会い、話をしたときの彼女は既に死んでいたのだ。今のタミコは、肉体を得て活動してはいるが果たして。

 死ぬ。

 生きる。

 どう違う。

「難しいこと聞くな」

「逃げるな小僧。キサマは考えておかなければならぬこと」

「なんでだよ。俺はただ」

「死とは、それとも精神が途切れることか?」

「わかんねえって」

「私にも肉体はある。傷付きもすれば滅しもしよう。それを死とするなら、確かに私にも死はある」

「そうか。だったら子孫を残したいわな」

 ぐ、とリョウは右手上腕に力を込めた。

「この刀ン中に、そのでけえ身体が収まってたってのかい? それとも違う理屈か」

「それでも私は存在するからな。あまり自分の中の狭い常識だの偏向した知識だのにとらわれないことだ。世間を狭くするぞ」

「こ難しい」

 例えばこの刀をぶち折ったらアンタ、どうなるんだとリョウは左肩を怒らせていった。

「私を封じたのは名も知らぬ僧侶だった。彼が何故、我が身を我が剣に封じたかはわからぬ。またその刀をへし折って私がどうなるのか、それもわからぬ」

「わかんねえこと尽くしかい。その割にゃあんた、俺の手に集中してるじゃねえか」

「そうだな。わからないまでも、どこか身の危険を感じているのだろうな」

「ふん。安心したぜ。だったらまだ脅しは有効ってことだ。退けよ、カマエタチ」

 リョウは一度周囲を見渡す。

「やり過ぎだ、あんた」

 救急も消防も天地を引っくり返したような大騒ぎだった。その騒乱を横にして対峙する、

 構太刀、

 陵霊。

 この世は、この世をこの世と名付けた人間だけの世界ではないのだと、異形のふたりは無言で主張しているようにも見受けられる。

 しかしカマエタチはこの世に存在することに迷いはないようだが、リョウは。

「俺はな、ニンゲンじゃないのかもしれない。だけど、ヒトの世界で生きて行く」

 そう決めたんだとリョウは静かにいった。

 カマエタチは空ろなる双眸を持つ少年の顔をまじと見て、

「父に似ているな」

 そういった。

 リョウの顔色が一瞬にして変わった。

「知ってるのか」

 その狼狽ぶりを見て、カマエタチは薄く笑む。

「知っているとも。キサマの父はなかなかのものだった」

「なかなかだ? なかなかどうだってんだ」

 なかなか酷いのか、なかなか大したものなのか。リョウはぎりぎりと奥歯を噛んで、目のない目でカマエタチを睨んだ。

「教えて欲しいか」

「教えろ。とっとと教えろ」

「では太刀を返してもらおう」

「うるせえ。教えなきゃへし折る!」

 はははははと、カマエタチは声高らかに笑い声を発した。

「そのいい様、親父にそっくりだ」

「なんだと」

 どうにも精神的な立場は逆転してしまったようだ。リョウは完全に色をなくしている。

「俺の親父は何者だ」

 どんな奴だとリョウは口角泡を飛ばす。

「今も生きてるのか」

「それは私にもわからぬ。しかしあの者は」

 殺して死ぬようなタマではないとカマエタチはどこか懐かしそうにいった。

 リョウは鬼のような形相のまま黙考している。そしてやがて、

「カベ! タミコを連れて逃げろ!」

 壁は不意に名前を呼ばれ、多少の狼狽を見せながらもその言葉に従うため立ちすくむタミコに歩み寄った。ところが。

「いや、寄らないで!」

 それは当然の反応だった。なにせ壁は、タミコをおかそうとした屑なのだから。

 思い通りにならない。

 リョウはほぞを噛む思いで、ただ徒に柄を持つ手に更なる力を込めた。少なくとも刀を折れば、カマエタチの脅威は半減する。

「糞。うまくいかねえな。わかったよここは、」

 折衷案でいこうとぼそぼそと呟く。

「なんだろうか、よく聞こえないのだが」

 ぼそ、ぼそぼそぼそ。

 カマエタチは一歩また一歩と近付いた。彼にしては珍しい迂闊さだ。おそらくカマエタチは、自分がリョウの知りたがっている情報を有していることで、ほんの少し油断をしたのだろう。

 ぼそぼそぼそ。

「すまない、もう少し大きな、!」

 縦断。

 リョウはカマエタチを縦一文字に縦断した。

 血は出ない。

 カマエタチはがくりと片膝を落とした。

「ああ…」

「痛みはあるのか?」

「ああ、あるな」

 いいのか。父のこと知りたくは

「情けだ」

 カマエタチがまだ言葉をつなげようとするのへ、今度は横に薙いだ。

 カマエタチのアタマがごろりと地面に落ちた。

 残った身体はくずおれることなく、膝立ちにその場に留まっている。まるで自らの墓標のごとく。

 一陣の風が吹く。

 するとカマエタチの亡骸はさらさらと風に舞い、雲散霧消した。


 その時、リョウの耳にだけ声がした。


 諸国を巡れ とにかく巡れ 刀はくれてやる

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