廃忘
まだ決着はついていない。それでも
「私は待つだけ」
夜弧は言葉通り。
この状況の廃忘を、どれだけの人に行なえばいいのだろう。まぁ、逆だろうと思う。
何人しないで済むであろうか。
「記憶ってかなり複雑なだけに、1人にどれだけの時間がかかる?」
「大部分の記憶であるため、やってみないと分かりません。個人差があるし、なんとも言えないけど。完全とするなら3時間かな」
「じゃー、私達はまずされてないって事ね」
「失礼ですね、ライラ。してませんよ」
ライラの"アブソピサロ"は、恐ろしく強力で、単純に戦うってレベルは最高クラスに達する。
一方で夜弧の"トレパネーション"は、戦うというよりは搦め手としては、際立って有能。洗脳に記憶操作、一時的ながら肉体の変貌、再生など。"魔術"としては珍しい、接近のみ、1人のみというリスクではあるが、人に対しての応用範囲は相当なものである。
「完全って言ってたけど」
「記憶だけです。肉体に染み付いた経験まで除去できません」
説明は以上ってとこで、良いだろう。
「住民の人数は、143名。最短で突破するなら、1時間。5日ってところ」
「夜弧の消耗を考えれば、1週間?」
時間の話し。
そして、総意の話し。
「夜弧ちゃんの力を借りるわけだが、やはり時間が足りないのである。申し訳ないが、早急な判断を願いたい。覚悟を決めたものからやってもらいたいのである」
ヒュールの対応は迅速であった。誰もが反対していたわけではなく、また。数多く。
この場を忘れることを望む者は多くいた。リスクすら聞かず、この状況から逃げたい衝動もあった。
10人できれば、20人。30人と。
時間が足りないという言葉が響いて、記憶操作を受ける住民達は増えていく方だった。
しょぼい扇動行為であったが、十分なものだった。
確かに自ら動いたという事実は確固たるもの。
「楽にしていてください。記憶操作が終わった後は、4,5時間は眠っていますよ」
夜弧は1人ずつ。この状況の記憶操作を行なっている。
完全に3時間。1時間という査定は、記憶操作で誤魔化しきれる程度の時間稼ぎになること。
「記憶操作が終わった人に記憶の確認はいけませんよ?これ絶対に、守ってください」
「わ、分かりました」
一時的なショックと似ている。振り返るという行為をされたら、頭の中に無くなっていても、肉体に染み付いた記憶が逆流し、恐怖が脳に妄想を与えて、混乱を生んでしまう。
人々との協力が必要であった。
ズズズズズズズ
そして、始まる人類達への記憶操作。
決断だけでなく、夜弧の力も問われるところであった。
「……………」
「……………」
これほどの人数を継続して、難度の高い記憶の改竄をやること。
何かと戦うというものではなく、やり遂げる意味。それでも、夜弧に掛かった力の全ては途方もないこと。涼しい顔をしていても、それくらいは感じ取れるライラが傍にいること。
「1人で平気」
「ダーメッ。いざって時、あたしの魔力。吸収しなさい」
「……おっと、不注意でライラの記憶を弄っちゃうかも~」
「それは許さない」
でも、お互いなんだろうな。
夜弧はライラを少し羨んでいる形で言っていた。
「ライラは強い上に、強くなれたから良いよね」
最初に出会ったという意味では、途方もない差があったのは歴然としていた。
また出会った時。少しは近づいて、力にもなれたものがあった。でも、彼女はいくつもの死線を潜り抜けて、確かに人類の希望とも言える戦力に辿り着いたこと。
「私もみんなに追いつかなきゃいけない」
搦め手を基本とする能力であるが故、強さという点では、生き残る6人の中で一番脆いとされる。
「悪い?」
「いーや、夜弧もそーいう認識があるって事。あなたはどちらかというと、三矢みたいな感じだったから」
「あんなのと一緒にしないでください。向上心の欠片もない観測者と、ね」
「ネセリアだから、構わないって思う」
「……良くないんです。ネセリアの魂を引き継いでいる。でも、今は夜弧です」
死線や苦境を乗り越えた時、それは自分の進化に繫がる。
"魔術"の特性とも言えること。しかし、できなければ……
「死ぬ事はありません」
戦いってわけじゃないし、夜弧が失ってしまうことはない。ただ
「退く事もできません」
私の役目はただ、春藍様達を未来にお連れする事だけじゃありません。まだそれは序章に過ぎないこと。本当に、本当に……戦って救わねばならない人が、そこで待っている。
今の私ではやはり、足元にも及ばない。
藺様を救うために、まずは超えねばならない危機の一つ。私はやり遂げなければ、救えないこと。
ズズズズズズズ
心中を察する事などできない。それほどの決意をなぜ持つのか、ライラにも分からない。
分からない事だっていい事だ。ここにいる自分の力を与えてもらった者への、感謝のため。願いのためにある。
大勢にして、強力。藺兆紗の"黄金人海"という性能は、夜弧の”トレパネーション”を大きく上回っている。ちょっとした差異を語れば、洗脳や服従だけでなく、記憶操作、改竄、肉体の遺伝子操作を可能とする"トレパネーション"。わずかながら精神操作の質が劣るものの、絶対的な量と範囲を誇る洗脳、服従、量産の”黄金人海”といったところか。
単純に戦うというやり方ならば、明らかに”黄金人海”が上回る。
さらにその能力を宿し、現在は裏切られたとはいえ、制御はできている藺兆紗の持つ。単純な魔力の総量。クォルヴァともタメを張るほどの、内包する量は絶大。
それでも、夜弧が藺兆紗をその時。上回るためには自分と、”トレパネーション”しかなかった。上を行かねばならないことだった。
「っ……」
存在そのものを消し去る事ができないけれど。
”SDQ”、藺様。あらゆる事が起き、人に生まれた不安のその全てを、私が記憶の上で消し去る。
全員全部を成せたその時、
あなたを救える、そんな気がします。藺様。




