財産
「この先長く生き残れたとして、私達に何ができる?私は、」
"未来で生きる事を諦めたのである"
「冷静によく考えて欲しいのである。助かるのは、6人。どう助かるかも、私達では予測できないことである。ただ生きているだけで、人は何が残せようか!」
"ここが、我々、人類の終点"
"それでも、先を生き、生まれる者達に、伝えるべき事はある"
「所詮は。生きて、死んでを繰り返す。生物の理が生み出すものがあったのである。それの一つが管理社会であったのである」
かつての人類は滅んだ。それでも人類を再生させるための、社会を残して人々を再生させた。
先人は叶えてみせた。
今の我々は、その時の彼等のように。ここに生き残っており、やり遂げねばならない。
「死して、滅んでも、成せばならないのである」
問いは、アレクが行なった。
「何をする。ヒュール」
引き受ける形で言葉を飛ばした。
今にも終わりそうな状況でやれることなど、社会でも規則でもない。
「私達を継いで欲しいのである。この社会を、この歴史を、先に残して欲しいのである」
財産。
「それは形あるものじゃねぇな」
「そうであるな。意志という形で、お前達の中で生きていきたいのである」
形なきもの、故の提案。
ヒュールのそれは詭弁に等しいと思い立つ、それを人が口にする。でも、弱く。
「死ぬことを、ホントに受け入れるのが、怖いです」
「自殺と変わらないかもしれないです!」
「私達は助かる人を笑顔で見送れるのですか!?」
「それを知りたくはなかった!」
無数にあがる声。それにキレるも、黙らせるもなく、ヒュールは受け止めていた。
そして、ただの謝罪などではなく、非情な選択という形で住民達に伝える。私達がやるべきこと。
大切なものが途切れ、倫理に反する行いに戸惑いがあるわけがない。
無理矢理、遣り繰り。
「……私達、死ぬ者のこれからは」
顔を変えるくらい、無理矢理な笑顔。
「今の惨状を忘れ、いつも通りの生活で過ごす事である」
泣きたい時に泣けないくらい。その苦行を強いる。強いるくらいでしか、アレク達の助けになれないこと。
私達があなた方を忘れても、あなた方が私達を忘れないでいること。
「そんなこと!できるわけない!」
「どーやって!?この状況!この災害を、忘れろって!?」
当然の反応。
しかし、それに素早く。夜弧がお伝えする。
「私の"トレパネーション"の、記憶操作を用いれば。今の惨状の記憶の書き換えと、消去ができます」
ヒュールからの説明では、まだ足りないところと、誤解が生まれる。
「あなた達の記憶の全てを消したり、書き換えたりする事はありません。そのような事は一切致しません。ただ、消せるのは記憶と、それらの記録といったところです」
脳内にあるメモリを消去するのであり、肉体が覚えている経験や慣れというものを消し去るわけではない。
即効性はあっても、後々。体から出る違和感に気付いてしまいます。
幻覚でも誤魔化しきれるレベルの状況ではないため、この懸念は解決されない。
「そう長くはない記憶喪失というのを、皆さんにさせるかもしれません」
この場でヒュール自身にも伝えた。本当のところ。
住民の不安、混乱は多少。
「一時的。しかし、世界の全てが滅ぶまでには十分な時間である」
夜弧の力で、生き残った住民達の不安が飛ぶ。それを受け入れるか、それとも抗うか。
問う者もいる。
「き、記憶を消して。不安を失くして。危機から背ける。でも、笑う」
記憶操作で生きる希望を作る行為。そのものが正しいことであるのか?
「それが人の生き方なんでしょうか?私達が怖い思いをした。それこそが先に伝えるべき事じゃないですか?」
災害に背けて、笑って死ぬなど。他者から見れば、イカレているのか。あるいは、そのものの隠蔽に繫がるのではないかという事項。
繫がるものが何もないが
「………あ」
「……そうか」
気付く者は、気付く。自分達が残酷な目に遭い、仕打ちを受けること。それでも繋げた、ある物。
「彼等が生きるのである。彼等が伝えていくのである。それほどの事であると報せるのである」
人類の選択。
詰め寄る者と、詰め寄られた者。
記憶を消し去ってまで、災害に恐れ。幻であっても幸福を、望む。
死に方の問題。
「怖いを受け止めろとは言えないのである。私だって怖いのであるから。ただ、憎しんで死ねないのなら、偽りでも笑って死ぬことが人の本懐と思っておる。どうか考えて欲しいのである!強制ではないのである!」
……その上で、ヒュールは重たい。とても重たい選択をこの場で伝える。
「私は災害の記憶を消すつもりはないのである。みんなが死んでいくところ。笑っているところ。自分が死ぬ、その最後の最後の、最後まで!私は責任をとって、あなた達を見守り。大切にしていく所存である!遠慮する必要はないのである!忘れる事で救われる苦しみが、今にあるのである!」
できれば、そんなことなく。分かち合って生きたい。
けれど、その分かち合うという形骸化が、これくらいのこと。提案し、話し合い、また、やっていくこと。人の選択をヒュールは作る。そして、その光景を生き残る者達に届けさせる。
生き残ることも残酷だってものを、伝えている。
「…………あの」
ヒュールの言葉に、表情に、諦めを匂わせる空気が作られた。
しかし、人は尋ねる。ヒュールにではなく
「生き残る方たちは、どーやって、生きるのでしょうか」
まだ、助かる人が分かっているだけ。
彼等がどのように先に行くかを、人達は知らない。