それはお前の耳が遠いからだ、ババア
ライフラインの構築作業はヒュールの言葉通り、順調そのものであった。
しっかりとした基盤があれば、人々は纏まって生活できる。
蛇口を捻れば出てくる水、白い光りを放つ蛍光灯、火を簡単に起こせるガスのシステム。歩きやすい道。
丹精して作ってくれた野菜の数々、白い米。原料を加工した乳製品、冷凍食品。安全性が証明され、美味しく調理された魚や肉。寒暖に対応したり、時にはオシャレやカッコよさまでも生み出す衣服の製造。多くの提供に携わる販売者。
何かを届けたい時、代わりに運んでくれる人。または大勢の人々を一気に運ぶようなこともそう。流通のスムーズは人々の多くを楽にさせる。
土地を管理し、人々に提供する不動産。街の美化を務め、公共施設の清掃によって、人々が外観で抱く不快感を和らげるお掃除さん。人々の病気を診て治療をする医者、薬剤師。
多くの生活に感じた不便、あるいは要望に応える。製造現場。効率性を高めるための、新システムの試案及び実行を考える企業の上層部。将来、未来、先進を護り、受け継いでもらうための学生教育機関。
「なんだこの野郎!?」
「そっちこそなんだ!?」
「争いなら他所でやりな!」
まだ、その規則は遵守されることが広まっていないものの、細かな法令の制定と必要な権限を発令できる機関の誕生もあと少しのことだ。今のほとんどは生活をすることであり、その生活を護り始めるのは自然となってくる。
人々が大勢。いろんな人がいるから。
ピンポーン
「お、モノノヘイタさんか」
「え?」
アカヤの口から、まさか知り合いの名前が出るとは思わなかった。知り合いって言っても、この前会ったくらいのことだが。
「いつものお届けにきました」
「どうもどうも」
「相変わらず、汚い部屋だな……って、謡歌ちゃん達がいる」
「ども」
「今日はこちらの職場体験に来ておりまして」
モノノヘイタは荷物をアカヤに手渡しながらのこと。
「お知り合いなんですか?」
「双方にとって、お客様だな。まぁ、俺は中間役だけど」
「漫画家とか、インドアな職業は体調管理が難しいからね。食事だけはマシな物を頼んでいるんだ」
荷物の中身は健康重視の、野菜や果物、おコメばかり。詰め合わせのセットなんかを好んでいるアカヤ。
「こーいったものはモノノヘイタに勧められてね。彼、営業もしているんだ。こっちとしては買い物する時間を削れるし、重い物を運ばなくていいし、料金も抑えてくれるから嬉しいね」
「俺も俺だ。物流を途切れさせるわけにいかないからな。家で仕事をこなす連中には、こうした販売営業をしている。ちなみに俺も、半額でこいつの漫画を買っているぞ。こうしているファンがいてもおかしくはないからな」
お互いの幸福のため、やっているような営業。
「自爆営業とかあるしな」
「自爆営業?」
「自分で、会社の商品を買っていることだよ。あまりには良くはないけれど……」
「実績を残さないと、色々と面倒だからな。会社の面子だの、売り上げのダウンなど」
正々堂々と、売り込みができたら苦労しないんだよな。
平和だの、安定が続いていくことが普通ではないから。競争、成長、それらの限度があるから廃れもある。
「そんなの、良くありません!」
バードレイはモノノヘイタやアカヤの言葉に、当然のように反対した。
「頑張っているのに、そんなことがあってはいけない!」
「……どうなんだろうな?」
「嬉しい声ですけどね」
ちょっとだけそれは感じる。努力をするのは、間違いではないが
「結局のところ、俺達の仕事は。"仕事"に過ぎねぇ」
「儲けるという意志は欠いて、こうして暮らせるだけで良いのさ」
「ですけど、自分が働いて得た金なんですよ」
「その使い方はそいつ次第ってわけよ」
折れない意志。曲げない意志の強度。
バードレイはそれを以前から知りながらも、黙っていた。こうして、ふと言い合うと閉じ込めていた気持ちが割れた。
「おかしいですよ!こんな世の中!」
頑張った人が報われない。それが人間社会のルールなら残酷だ。
残酷だからこそ。
「お前さんにはまだ分からんだろうけど、社会のあり方はいかに決められた正しさを真っ当できるか、だ。努力なんて誰だってできる。結果が出る努力はおのずと数が決まる。才能や生まれ持つ環境はそれ以前の話でな」
「正しいのに、それって……」
「誰かがやらなきゃ、できなきゃ、仕事は回らない。世界の仕組みは回っていない」
「管理人がいた頃もそうであったのに変わりはない。人間には共存し合うというルールは不向きなのさ」
平和という、争いを収める。それは薄っぺらい口約束という形ではなく、
互いに持ち合っていた武力や資源などによる、脅し合い、言葉巧みに生み出された戦争の恐怖が作った平和。
「今でもそうでしょうね」
「謡歌まで……」
人材育成に携わっている謡歌にだって、その隠している事実を認めている。
「恐怖、不安、人には感情があるから追求も、妥協も、人それぞれ。誰かを護る人がいれば、誰かに護られる人もいる」
そういった根源から、安全や安心の大切さがより顕著となり、人々は閉塞していく。もうここでハッキリと言えることであるが、
「6年後には、職業の安定は確固たる物ではなくなります。造った物がそう壊れぬようあれば、製造業は維持から進歩していく必要となり、それは農業や漁業などにも及び、人々は競争という日常の戦争に入ることでしょう」
「今はメチャクチャにまだ空白が多い分、それに気付ける人は少ないが……」
「インフラ整備なんてのは顕著だろう」
今はまだ。何もないだろうから、市民達は生きる今を楽しみながら生きていく。働いていく。しかし、それはある地点でドンよりと沈むことだろう。
分かっているはず。分からなければいけないことだ。
考えちゃいけない事を考えてはならない。それは『今、生きている意味は?』と尋ねられたと同じく。それを明確に答えられる理由もなく、それを否定し決める事もないのだから。
それでもバードレイは考える。ふと、一瞬、そんな言葉で彼女にとっては短い時間の事であるが、一般的にはとても長く思考するものだ。
問題を提起すれば、頑張っている人間より。そんな人達を餌にノウノウと生きていたり、人間と括るにはあまりにも理解し難い人間が必ず存在すること。
その後者に、バードレイも入っているというのに……
「ごめんなさい」
まだ弱いから、そんな言葉が出た。謝ることでもないのに、少し忘れるための声。
しかし、彼女は出会う事になる。今、抱いた多くの人間に対する嫌悪を振り払える、人間を人間として見なさず操ることができる、一人の男に会うのだ。