幻覚ならば苦しくなかったのにな
苦しいとは色々ある。
『立て!立て!』
ダネッサは起き上がれない心を必死に、声で鼓舞していった。しかし、心は期待に応えてくれなかった。
『生きるために立て!!』
肉体は傷と恐怖を乗り越えようと自己治癒が高くなっていく。しかし、心だけは回復できなかった。夜弧から伝わった自覚にとっくに折れていた。
こんなにも心から痛いと願っていても、肉体が痛いと分かってくれないことは残念だ。
『俺は立ち上がるんだ!』
肉体だけが生きようとしていた。
しかし、もうダネッサの心は痛みを乗り越える気持ちを作れなかった。
酷い奴だ。
『なんで起き上がらない!!?』
頭を撃たれ、首を撃たれ、足を撃たれ、胸を撃たれ、腕を撃たれ。
なぜそれで起き上がろうと肉体は吼えるのだろうか?肉体という馬鹿にはその痛みが伝わらないのか?起き上がれる勝算がどこにある?
ダネッサの肉体は狂っている。傷を再生させて、あとは命令されるだけを待っていた。
『立ち上がれーーー!!』
もう誰にもダネッサの心を開けるものはいないだろう。備えられている感覚が"痛い"以外を認識できなくなっていた。痛いしかもう分からない。こうして、ボーっとしているだけでも痛くて、考えることも痛くて、止めても痛かった。
心が解放されることを待って、知らずに消えたかった。
『俺は戦えるんだ!』
否。
『生きるために!戦え!』
もう本当に死にたい。
今分かった気がするよ。
『なんで戦えない!?なんで立ち上がらない!?俺は一生、このままなのか!?』
自己治癒のスピードと精度が衰えていく。これはいかなる肉体でも、諦めがつく場所だった。
『このままなのか?このまま、見えない、聞こえない、声も出ないまま……』
仲間は誰も来てくれなかった。この身体にしてくれたポセイドンも来てくれない。ましてや、敵が助けてくれるわけもない。回復しても復帰することが見込めないと諦めた。
心から折れた。心によって体が壊れた。
『ふざけるな。死にたくない』
強い生命力を持ったからこそ、死とは無縁だった。遠い未来だと感じていた。
しかし、死は本当に唐突にやってくるから晒されれば覚悟するのは難しい。
『なんだよ、死って。どこに連れて行くんだ』
考えたところで答えられる奴はいないだろう。たぶん。
しかし、ダネッサの心は一つの回答を用意していた。ずーっと、ずーっと、この苦しい痛みを訴えていたのに気付いてくれない肉体。
『死はいつ来るんだ?』
この暗く、長く待っている間。
強い肉体には死が早々舞い降りてくるわけがなく、先にやってきたのは苦しみだった。
『何もできない、何もできないぞ』
心が体験してきた道を肉体も歩み始めた。魂が解放されるまで、ただ何もできないまま。苦しいを理解しながら死を待つのだった。
『どれだけ待たされるんだ。死はどうして、すぐに来ない』
そーゆう体になっているんだ。そして、お前はそれを望んでしまっただろう?
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「幻覚を見させてあげたわ」
夜弧の両手が、ダネッサの頭から離れた。
"トレパネーション"を用いて、ダネッサに幻覚を見せて精神から崩壊させた。まだ肉体が生存しているが、立ち上がる希望を粉砕すればいくら健康体でもダネッサは起き上がることはなかった。
「……分からないけどさ」
ダネッサの気持ちを汲み取ってやれないものの。
ポセイドンが彼に対して行っていた事は人間がとるべき行動ではないと、回答していた。
「ずっと生きられるなんて、命に反するでしょ?」
心をへし折っても、肉体は生き続ける。蘇ることのない魂を一生懸命、鼓舞しても意味がないはず。逆もしかりだろう。
人間はいつか死ななくちゃいけない。ずっと生きていたら、きっとそれは人間じゃなくなる。より神に近くて、遠い存在にもなる。
「悲しいけど。私なら言ってもいいの」
死を体験した夜弧にはダネッサの生命力を理解したくなかった。
幻覚のみで留めたのは生き続ける苦しみを、ほんのわずかな可能性で良いから知って欲しいからだ。
ダネッサから刺された傷はなかった。それも夜弧が見せた幻覚だ。ほぼノーダメージでダネッサを倒していた。彼女の実力も確かに高かった。
「もう感慨ぶっちゃいけないね」
切り替え、切り替えと、言い聞かせながら。死を待つ肉体となったダネッサに背を向けて、次の標的を狙いに行く夜弧。
数だけを見れば、戦況は優位になった。
人体実験によって驚異的な生命力を持ち、槍捌きも天下一品。ポセイドンからの信頼も厚く、それに応えられるだけの強さを持っても、負けと死を味わう側であった。
ダネッサ・オルトゥルス。敗北。……後に、死亡する。




