人魚になれるという催眠術があったとして、速く泳げるのだろうか?そもそも人魚に求められるのは美しさとか可愛さとかではないだろうか?
科学が使えなくなっただけでアレクの戦闘力はガタ落ちであった。
対策をとられるということはそれだけの衝撃。華のある逆転劇なんて存在しない、一方的な試合。
槍捌きはダネッサのような超人級ではないが、アレクを殺傷するには十分の腕前だった。
アレクもハーネットの資料が詰められたカバンを盾にしようとするが、海中故に動きもノロく。精神的に一気に追い詰められたこともあった。
「無駄な足掻きだ」
「ぐっ……………」
「なぁ、アレクくん」
アレクの手からカバンが離れた。海中となってからわずか2秒ほどの出来事だった。黒い仮面の博士は残り5秒で海上に浮上し、カバンをしっかりと乾かさないといけない。アレクを串刺しにした槍はさらに伸び、壁をぶっ壊した。
またそれを合図に海が徐々に退き始めていく。
満潮から干潮に変わるようにフォーワールドを包んでいた海は退いて行く。
黒い仮面の博士の方がカバンを手にすると、自分自身も思っていたのだが……。なんと彼よりも速くカバンを握り締めたのは夜弧だった。
「!!」
「やった!」
夜弧の魔術"トレパネーション"。
自己暗示を掛けて、アレクや黒い仮面の博士よりも速く泳げるという設定を付加。(本人は人魚らしい)
海中とは思えないスピードで泳ぎ、追撃として放たれた槍の攻撃も意図も簡単に避けて逃げに走る。
「おっとと。これ邪魔」
夜弧は左手に仕込んだ何かでカバンを当てる。
ポウウゥゥンッ
「よっし!やっぱり起動した!!」
すると、カバンが跡形もなく消え去った。それを確認した黒い仮面の博士。遅れてアレク。
「そこに居れ!アレク!!」
「うるせぇ」
アレクは腹を貫かれロクに動けない。声だけが威勢良く、力なく蹲った。
「ぷはぁ」
一方、夜弧は海上に顔を出した瞬間。また右手を頭蓋に当てる。逃亡するため、新たな自己暗示を掛ける。だが、それよりも早く黒い仮面の博士の槍が彼女に届いた。
ドスウゥゥッ
「!!」
左足を刺され、切断されようとしていた。"トレパネーション"は回復能力も備えているが、あくまで疲労や精神治療。肉体の切断は専門外。(春藍はその逆とも言える)
「うっ」
突き刺されたという感覚から、切り離されるという恐怖。抵抗したいという気持ち。肉体の悲鳴は己の悲鳴。それでも、自分の目的を最優先にした彼女は奴の攻撃を受け入れた。恐怖を受け入れた行動の源には。
バシイィッッ
「いっっ!!」
一度の経験がある。少しの間、とても痛くて意識がふわ~~っとした。
思い出したくない事だ。意識を繋ぎ止めて浮上する。"トレパネーション"の自己暗示は非常に強力であり、生命のDNAを一時的に改竄。
バサァッ
背中の異常発達。肩甲骨付近の肉体が異常反応を起こし、巨大な両翼が生える。その両翼は素早く夜弧を海上から脱し、空へと逃がしていった。
ザパァッ
「ちっ…………アレクめ……邪魔をしおって……」
黒い龍の仮面の博士の浮上が遅れたのはアレクの賢明な妨害があったからだ。空を飛ぶ夜弧を追うのは難しい。だが、彼女の左足は手に入った。それを大切に握り締める博士。
「深手は間違いない…………。それに血も筋肉も新鮮だな。調査すれば簡単に位置は掴めるぞ」
海水は一気に消えた。また元のフォーワールドに戻ったのであった。この異常な現象に住民達は驚き、焦りもしたが、消えてしまえばホッと息を吐いた。
黒い龍の仮面の博士は夜弧を追ってどこかへ行ってしまった。
一方、アレクは彼に負わされた怪我によってその場で倒れたままだった…………。信頼されているからこそ、助けが向かうのは遅かった。
バギイイィィッ
「は、はははは…………水があればこっちのもんだ」
ダネッサの復活。ロイの見張りがいなくなり、一時的であったが自分の本拠地とも言える海中にもなったことで春藍の攻撃から脱出できた。
傷も深いままだが、このまま帰るのはムカついてしょうがなかった。目的は陽動であったが、彼が使った科学から目的は達成されたと勝手に判断した。
チャキイィッ
「皆殺しだ」
春藍とロイを追い、上へと昇っていく。
このダネッサ。あまりにもしつこくて陰険で馬鹿な戦士である。こいつほど敵に回して鬱陶しい奴はいないだろう。
バシイィッッ
大胆に壁を破壊しての登場。ダイナミック故にロイはすぐに住民達に避難するよう指示した。春藍もダネッサの再来に警戒し、ロイの後ろにいながらもこの場に留まった。
「おーー。丁度良かったぜ、殺したい奴が2人もいて」
ダネッサの怒気は伝わる。しかし、それでダメージを誤魔化せるわけじゃない。ロイに言われるのはムカつくだろうが
「お前、馬鹿だろ。俺達2人相手にその傷で勝てるわけねぇだろ」
「!!ますます殺したいな!!いや、ぶっ殺す!!」
ダネッサは槍をロイに振り翳した。怒りの動きだけであって、ダメージを気にしていない動きには驚きであったが、ロイとの決定的な違い、ダメージ量であった。
春藍に応急処置ながら傷口を修復してもらった。その差は軽いようで非常に大きく、ロイはダネッサが自滅するのを待つように見事な槍捌きを見られる間合いを保っている。
「逃げんじゃねぇ!!」
「うっせ。お前がノロいんだろ」
ロイはダネッサを誘導し、春藍や住民達からどんどん離れるよう動かす。ロイの気遣いに春藍も戦闘体勢を解いて、アルルエラの治療に迅速に当たろうとしていた。
ロイ VS ダネッサ。
勝敗は決していた上にロイも考えていなかった援軍がやってきた。援軍に目を向けられる余裕があるロイと、それすらないダネッサ。
「テメェが敵のようだな」
右腕に溜め込まれた雷が放たれてダネッサを貫くその瞬間まで、彼の存在には気付けなかっただろう。雷に焼かれ、黒炭となったダネッサは今度こそ完全に倒れたのだった。ロイはやった奴の名を叫んだ。
「ラッシ!!」
「住宅タワーと研究所に何かがあったのが分かったから来てやったぞ…………っていっても、こっちは片付いたみたいだな」
ブライアント・ワークスにとっては痛手。
ハーネットの資料を奪うことができずに、ダネッサが捕まったという失態。ナルア、ヘット・グールもいないというのにこれ以上人数が減っては解散もあり得る。(いや、ねぇだろ)
ガシャアァァンッ
一方、夜弧。敵から逃げ切ることができ、謎の乗り物に乗り込んでいた。
「ぐぅっ…………まずは逃げなきゃ」
どうやらこの乗り物は管理人達が"無限牢"内を移動できる科学を搭載しているようであった。
夜弧は左足を置いていき、フォーワールドから逃げる。自分が追われる立場になることは分かっている。色んな連中に狙われることは確かであった。
「……また治療して欲しいな…………春藍様………」
左足には麻酔を打っており、痛みは大分消し飛んだ(分かっていない)のだが、その不便さは痛感している。追われる人間がロクに動けないなんて、8割方は逃亡に詰みが掛かっている。
それでもわずかな望みを掛けてハーネットの資料を守り通す。




